1-3 初デートだもん
「一緒に暮らそ?」
その言葉の後、要に答は出せなかった。明朝に雫の母に連絡することにして、ひとまず会話を打ち切った。汗を流すために暫くその意欲さえ沸かなかったシャワーを浴び、少女が居ることに留意しながら洗面所を出る。そして思い出した。
(……飯を食っていない)
その瞬間、居間から声が響いた。
「要兄、お腹すいたー!」
そんな訳で二人は、アパートからほど近い、住宅地に立つファミレスに来ていた。時刻にして午後の九時。流石に家族連れも少なくなっており、雰囲気も落ち着いていた。雫は自分が作ると言い張ったが、空腹を自覚してしまった要は既に限界だった。そしてなにより、彼自身も彼女を歓迎したかった。
「えへへ……」
案内されたテーブルは四人がけのテーブル席であった。見ている方を和ませるような笑みを浮かべて、雫は要の対面に陣取ってしまう。
「随分とご機嫌だな?」
要は素直に尋ねながらメニューを手に取り、テーブルの真ん中に広げてやる。少女は歳相応の快活さを示してそれに噛り付いた。そして答える。
「決まってるじゃん。要兄との初デートだもん」
「っ!?」
要は自分が迂闊をしてしまったと痛感した。素早く周りの目をうかがう。誰もが食事や会話に夢中であった。
「……頼むからそういう発言は外では謹んで欲しいなあと、俺は思うんですけど」
「はーい」
内心の安堵を覆い隠すように要が注意を促すと、雫も渋々といった風に返事を返した。もっとも、この少女が素直に聞くとは要には思えなかったのだが。
そこから先は一種のルーティンであった。要はハンバーグのセットを、雫はサラダとスパゲッティを注文し、各々のペースで平らげていった。
途中、雫が何度か会話の口火を切ろうとしていた。しかし要は敢えてそれを無視した。次に何を言われるのか。それがひたすらに怖かった。
しかし終盤。要が全てを食べ終わり、水を飲み干した所で『それ』は発生した。
「……ちょっと多かったかなー?」
後僅かのスパゲッティをフォークで巻き取りながら、少女がぼやいた。
「サラダを頼んだからじゃないかな?」
要も言葉を返す。背もたれに身体を預け、脱力していた。食事を無事終えたことで、気が緩んでいた。
「かもね……。うん、要兄、食べて? ほら、あーん」
「いや、フォークごとこっちにくれれば」
「ダメ。あーん、して?」
彼女はフォークをこちらに差し出してきた。ついでに少し身を乗り出す形になっているせいで、胸がテーブルに乗ってしまっている。絵面がまずい。
要は慌てて周囲を見回す。取り敢えずこちらを向いている様子の人物は誰も居なかった。
(仕方ない、この場を凌ぐためだ。仕方ない)
要は自分に言い聞かせ、顔を近付ける。雫の満面の笑みが眩しい。色々と踏み外しそうな笑顔である。
「はい、どーぞっ」
弾んだ声が耳に通り、彼女のフォークが口内に。要はほとんど条件反射で口を閉じ、スパゲッティを引き抜いた。味を感じる余裕もなかった。だが。
「……間接キッス、どお? 美味しかった?」
安堵など許されなかった。彼女の問いかけは、表面上の行為よりも更に深い所を突いていた。その微笑みが、要には痛かった。
「……ご馳走様でした」
アパートへの帰り道、雫は終始上機嫌だった。月を見上げながら、彼女は要の先を歩んで行く。その姿を見ながら、要はある事実を思い出す。
「よーにー? 私が先導してたらどっか行っちゃうよー?」
「ああ、今行く」
後ろを向いた彼女へ向けて、要は歩みを早めた。
(そうか。二人だけで出かけたのはこれが初めてだったか……。デート、あながち嘘じゃない)
そんな想いが、彼の脳裏によぎって消えた。
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