農協おくりびと (59)光悦が、やって来る?
ちひろの実家は、寺と密接な関係を持っている。
寺のほとんどが、個人ではなく宗教法人だ。
宗教法人は、檀家や檀家総代とは別に、責任役員制度を持っている。
3人以上の責任役員を置く。
そのうちの1人を代表役員にしなさいと、宗教法人法で規定されている。
おおくの寺に檀家組織とは別に、運営組織としての役員会が存在する。
ちひろの実家は、「宗教法人法(昭和26年)」が誕生したときから、
代々、運営役員を受け継いできた。
家も近かった。幼いちひろが寺の境内で遊ぶのは、ごく当たり前の日常だった。
毎日のように寺の境内で遊び、双方の親にいわれるまま、
光悦と手をつないで、出来たばかりの幼稚園に通った。
『お似合いだね』と褒められて、ちひろと光悦は幼年期を過ごしてきた。
「なによ、遠い目をしてぼんやりして。ちひろったら。
さては、愛しい恋人の光悦クンのことでも、思い出しているのかな?。
そういえば今日は、やってくるかもしれませんねぇ、光悦クンが・・・」
先輩が突然、矛先を変えた。光悦の名前がいきなり出てきた。
キュウリ農家の山崎のことを、これ以上、聞いても埒が明かないと諦めたようだ。
だが今日、光悦が来るとは聞いていない。
まったく身に覚えのない情報に、ちひろがキョトンと目を見張る。
「来る可能性は、間違いなく、100%あると思います。
あ、でも、忙しくなるわよ、今日は。
午前中のお客さんが、250人から300人。
午後の部は、もうすこし多くなって、300人から350人。
6時からは、原田家の通夜。
8時間どころか、今日は3時間残業の、11時間労働になりそうです」
そのどれかの葬儀に、光悦が来るという意味なのだろうか?。
確かめようと思ったその瞬間、「じゃあねっ」といって先輩が背中を向ける。
先輩はちひろたちのことよりも、ナス農家の荒牧とうまくいきそうなことを、
報告したかったような雰囲気が漂っている。
光悦からは、何の連絡も入っていない。
葬儀を担当するのは、別の寺院の住職だ。光悦の寺とは関係がない。
身内や、親戚関係でもなさそうだ。
それでも先輩は「来る可能性は100%ある」と、はっきり言い切った。
「今日の葬儀は、焼香客から目が離せなくなりそうです・・・」
いくら見回しても午前中の葬儀に、光悦の姿はなかった。
「午後の葬儀かしら・・・」今度は午後の葬儀中。
必死に目を凝らして探してみたが、何処を見ても、光悦の姿は見当たらない。
修行中の光悦は、青々とした剃髪のはずだ。居るとすれば一目で分かる。
「じゃあ、6時からの通夜かしら?」
緊張の糸が切れたちひろが、重い足取りで事務室へ帰っていく。
「ちひろちゃん。通夜の喪主さんがあちらに、ご相談事でお見えです」
先輩が、応接セットに座っている人物の背中を指さす。
見覚えのない背中のように見える。
だが、何処かであったような雰囲気が、なんとなく漂っている。
(誰だったろう。遠い昔、お会いしたような記憶が、かすかにあるのですが・・)
しかしちひろの疲れた頭に、記憶はよみがえってこない。
「どのような、ご用件でしょうか?」
ちひろが、疲れきった顏にせいいっぱいの笑顔を浮かべて、夫人の正面に
腰を下ろす。
「母(故人)は長年、ずっと、インコをいっぱい飼っていました。
すごく可愛がっていたんです。
本当は最後のお別れまで、ずっと一緒にいさせてあげたいのですが、
ここ(葬儀場)へ、インコを連れてくるわけにもまいりません。
家で留守番してるインコたちの代わりに、実は、
この小鳥の置物を持ってきたんです」
故人は、置物の鳥グッズを集めることも大好きだったという。
そうしたコレクションの中でも、特にお気に入りだった一羽を持って来たという。
故人が生前、趣味としていた作品や愛用していた品々を、式場に展示するのは
最近の葬儀では、よくあることだ。
趣味で書いていた絵や書。愛用していたゴルフクラブや釣り竿。
仕事の道具や、旅行が好きで、旅先で撮った思い出の写真などなど・・・
それらを並べて、展示コーナーを形作っていく。
故人をしのぶ演出として、展示コーナーはすっかり定着してきている。
「そうそう、この小鳥の置物ね、鳴くんですよ、
こうやって手にのせると・・・ほらっ」
婦人の手に乗った瞬間、小鳥がぴょぴよと鳴き始めた。
ホントだ!。小鳥の足の裏に、温度で反応する優秀なセンサーがついている。
(60)へつづく
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