農協おくりびと (56)遭難、一歩手前
「そうだな。集合時間は午後4時。2時間半も見れば群馬まで戻れる。
途中で渋滞しても、8時前には帰り着く。
ということでこれから2時間は、カップルごとに行動する。
俺たちは、高台から君たちの行動を監視・・・いや、見守ることにする。
指示は以上。では、各自、自由に解散」
もと地域分団の団長だった祐三は、指示を出すとき軍隊調になる。
バーベキューとワンタッチテントを片づけたあと、2時間ほどの余裕が生まれた。
せっかくだから好き勝手に過ごせと、祐三が自由行動の許可を出す。
松島と圭子は解散と言われた瞬間。どちらからともなく、手をつなぐ。
海岸へつづく遊歩道を、軽い足取りで降りていく。
ナス農家の荒牧と先輩は、さっさとキャンプ場の管理棟に向かって歩き出す。
キュウリ農家の山崎とちひろだけが、高台にポツンと取り残される。
「どうした。お前ら。
パートナーが気に入らんのか、それとも場所が見つからないのか。
似合いだと思うぞ。お前さんたち2人も。
気張れ山崎。4歳も年上の姉さん女房なんて、探してもなかなか見つからん。
たっぷり餌をばらまいて、なんとしてでも釣り上げろ。あっはっは」
これ以上ここへ居ると、何を言われるか分からない。
とりあえず行きましょうとちひろが、キュウリ農家の山崎の手を握る。
当てもなく高台の道を歩きはじめる。
尾根に沿って歩いて行くと、目の前に断崖があらわれる。
急角度で落ち込んでいく斜面が、そのまま碧い海の中へ吸い込まれていく。
海に面した陸地が、急な角度で海の中へ落ち込む。
そうした景観が、日本海の特徴だ。
海に沿った道路を走ると、そのことが如実にわかる。
岬の突端を曲がるたび、同じような絶景がふたたび前方にあらわれる。
荒海に浮かぶ大小の岩礁。砕け散る白い波。見事に切り立った緑の断崖。
そして青くまぶしく光る北の海。
「降りられそうだ・・・」
斜面を覗き込んだキュウリ農家の山崎が、荒れた小路を発見する。
だが小路に手すりは無い。斜面に、身体を支えるための木々も見当たらない。
足を滑らせれば、一気に30メートルちかくを滑り落ちることになる。
そんな気がする、草だらけの急斜面だ。
「降りてみようぜ」
キュウリ農家の山崎が、急斜面へ1歩踏み出す。
荒れた小路は、草が生い茂っている。まるで海に面した、けもの道のようだ。
それでもかろうじて、人ひとりが降りて行けそうな雰囲気は有る。
数歩降りたところで「大丈夫だ。」と、山崎がちひろに向かって手を伸ばす。
(尻込みしている場合じゃないな・・・)
覚悟を決めたちひろが、斜面に向かって、こわごわと足を出す。
歩きはじめると草に覆われた小路が、意外にしっかりしていることがわかる。
おそらく。長い時間をかけ、人が踏み固めたものだろう。
だが急斜面を下った小路が、最後の2メートルほどで途絶えてしまう。
崩れ落ちた跡が、真新しく見える。
最近の台風か大雨の影響で、崩落してしまったようだ。
2階のひさしほどの高さを、山崎が軽々とジャンプしてみせる。
山崎の身体が、ふわりと砂浜へ着地する。
「あんたはいいけど、残った私はどうするの?」
小路が途絶えていたことは、おおきな誤算だ。
高さにおびえたちひろが、近くの草を両手で握り締める。
つま先立ちした足元から、小さな石がパラパラと、砂浜に向かって落ちていく。
(57)へつづく
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