第29話 小栗くんの覚悟
【from 小栗 絢仁
来週月曜夜、
少しだけお時間もらえますか?
小栗 】
『困らせないから』と言った小栗くんからのこのメールが、山田さん家で偶然会った夏からはじめて届くメール。
眩しいぐらい緑に輝いていた木々の葉は、少しずつ色を変えはじめて、外に出る時はジャケットを羽織るようになった。
もう2ヶ月は何も音沙汰が無かったことになるかな?
萌さんの事があって、そのころいつも頭の中のどこかに小栗くんがいた。
そうすると、こうして何の気配もなくなってから、どうしてか余計に気にかかる存在になってしまう。
それまでは、連絡先すら知らず、偶然会うだけが手段だったのに、どうして、『メールぐらいくれれば良いのに』とか、思ったりするんだろう。
自分の事が特別だと言ってくれた、優越感なのだろうか。
夕さんは年末に向けてまた仕事が立て込んでいて、会社でも家でもゆっくり話す時間などとれないほどだった。
そしてそんな環境にも、私は適応できるようになった。
一年前、一人の部屋で泣いていた自分を思うと、いったい何が変わったのかと不思議に思う。
自信を持って夕さんが恋人として大好きだと言えて、どこが好きかと聞かれれば、いくつもあげることができるけれど、側にいない寂しさに涙を流すことはなくなってしまった。
こう言うのは、何でなんだろう…。
小栗くんに心変わりしたのかと、誰かに責められたとしたら、それは違うとキッパリと言える。小栗くんの存在は、私の中ではとても明るく前向きで、会社や学校などの『組織の中にいる私』ではない、あくまでも『私個人』を見てくれる数少ない友人。
例えば恋人になって、別れてしまったら気まずくてもう二度と会えないなんて言うことも、絶対に嫌だと思う。
夕さんがとても気にしていて、もう会わない覚悟でいなければならないとしても、それでも、厄介な関係になって二度と連絡がとれなくなるより、本当に困った時に助けを求められる。今の感じがわりと好きだ。
【お久しぶりです
来週月曜日、2時間ぐらいでよい?
何時にどこにしますか?
ゆき 】
【from 小栗 絢仁
ありがとう!
それでは、前に一緒に行った
羽山さんのお店の前に18:30大丈夫?
小栗 】
【了解です。
ゆき 】
夕さんに話そうか?
たった1、2時間の約束を、わざわざ伝えなくても大丈夫かな?
今とても疲れた様子の夕さんに、わざわざ言うことでも無い気がした。
携帯を閉じて食堂の席を立つ。
昼食から戻ると、早めに座席に戻った夕さんは、真剣な顔でパソコンを凝視していた。
「渡川さん、お茶でも入れますか?」
「ありがとう。いただきます。」
給湯室で紅茶を入れて、疲れているようだったので、ほんの少しお砂糖、レモンを入れて混ぜてから蓋をする。
夕さんの、デスクに置かれた手の近くにそっとコップを置く。
「熱いですよ。気を付けて。」
夕さんはもちろん、私の顔を見上げて優しく笑って「ありがとう」と言う。
それから、すごく小さな声で、「ごめんね、ゆき。」て言う。
「大丈夫です。」
と笑顔で返して席に座る。
私にはちゃんと、夕さんのごめんねの意味も解るし、ちょっと甘酸っぱくした紅茶が、多分今の夕さんにヒットだったんだろうな、ということも、パソコンの隙間から表情を覗き見ればわかる。
多分お互いに、相手の気持ちや考えていることが少しずつわかるようになってきた。
状況から考えて、きっとこうだろうな、と思うことに自信が持てるようになった。
時間がたって、ようやく出来上がってきた関係は、馴れや飽きでは無い。はず。きっと。
久しぶりの小栗くんからの連絡に、そんな自分の気持ちを、整理しながら考えてみたりしていた。
*
仕事が思ったようには切り上がらず、もうすぐ18時半。小走りで約束のお店へ向かう。
20mぐらい手前で髪と洋服を整えて、お店入り口の階段淵に座っている小栗くんに向かって歩く。
「ごめんなさい!お待たせしました。」
ずっとこちらを見ていて、私が近付いて来るのを優しく微笑みながら見ていた小栗くんが、ようやく腰をあげると、
「今日は仕事モードだね。かっこいい。」
と言う。
そんな風に、
優しい声色で真っ直ぐほめられると…。
楽しみだった気持ちが、緊張に変わってしまう。
「仕事帰りだからね。今日はどうしたの?何かあった?」
平常心を装って間をおかずに答える。
「かなり今さらだけど、ゆきさんに何かお礼がしたくて。今日、すごく久しぶりにここで少しだけ歌わせてもらうことになったから、軽くご飯のご馳走と、僕の歌でどう?お礼が自分の歌って、完全にうぬぼれてるけれど…。」
「本当に!?うれしい!誘ってくれてありがとう。山ちゃんのところではもうしばらくは聞けないのかなって、実は残念に思っていたの。」
「ゆきさんならそう言ってくれるかな?と思って。」
そう言いながらも、小栗くんは明らかに安心した様子で笑う。
「入ろうか。何かリクエストある?ギターでできる曲ならカバーもできるよ。」
「ううん。小栗くんが歌いたい歌を聞けたらいい。」
「またそうやって、嬉しくなっちゃうこと言う。無自覚なのが残念。」
「え?私?残念なこと言った?」
「そういう意味じゃないです。」
小栗くんがどんな意味で言ったか、わからなかったわけでも無いけれど、納得してしまったら私が意識して小栗くんを引き寄せていることになってしまう。それは肯定してはいけない気がした。
お店に入ると羽山さんが、もう何度も会ったことのある人のように、満面の笑顔で「久しぶり!いらっしゃい!」と声をかけてくれた。山ちゃんもそうだけれど、お酒を出すお店で働いている人は、こうして相手の心に入ってくるのが上手だと、本当に尊敬してしまう。
「お久しぶりです。ご馳走になります。」
「座って!まずは何から?」
「洋平さん、お夕飯になりそうなもの、おすすめをお願いします。」
「あとはビールでいい?」
「うん。」
「ビールふたつ。」
「はいよー。」
この前も座った隅の席は、小さな舞台が一番近くて、他のお客様からは見えない場所。
当たり前のように同じテーブルに座ると、羽山さんはすぐにビールを持ってきてくれる。
「美味しく入れたから、すぐに飲んでね!」
ウィンクしたかと思うほど、爽やかな笑顔を残して行く。
「羽山さん、今日ご機嫌なの?」
「僕が同じ女の子、二度も二人きりで連れてきてるからでしょ。あの人きっと楽しくて仕方ないんだ…。」
「女の子って年じゃないでしょ!?」
「そこにひっかかる!?」
小栗くんはゲラゲラと笑いながら、ビールジョッキを手にとって私に向けて前に出す。
「お疲れ様。」
無難な言葉を伝えジョッキをコツンとぶつける。デジャ・ビュだな。前も同じようにした気がする。
この後の展開まで同じにならないで欲しい。笑顔のまま離れたい。
ビールを飲んでから、萌さんの事は相当気になっているけれど、聞かないでおいた方が無難かと思って、無言のまま小栗くんを見つめてしまった。
「ゆきさんはさ、本当に狙ってないんだろうとは思う。わかってるけど、男にそんな顔見せたらダメだよ。こんなに自分に色々言い聞かせてここにいるのに、全部ふっとんじゃいそうだ。」
先に目を逸らしたのは小栗くんだった。
もしかしたら、錯覚だと決め付けて私が今まで通りの距離感を大切にしようとすることは、もう難しいのだろうか。
相手の好意を面倒に思うことは、無かったわけではない。でも今は、好意の種類が変わってしまうことで、私は本当は手放したくないものを、やはり手放さなくてはいけないのかもしれない。それは面倒なのではなくて、やりきれないほど辛いことだ。
本当は選びたくない。
恋人として、大きな手で私をしっかりと支えてくれる夕さんと、
同じラインの上で、二人同時に時折激しく揺れながらも、なぜか隣に存在を感じるだけで強くなれてしまう友人を、
天秤になんてかけられない。
でも、『友人』が私だけの想いなら…。仕方がないのかな。
「ゆきさんがすぐに何か返さないってことは、少しは本気かもって信じてくれてる?」
「疑ってたわけじゃないよ。願望かな…。大切にしたい関係だから。」
「そうだよね。完璧彼氏に勝とうなんて思ってないって、自分で言っちゃったことがあるしね。いや、勝てるわけ無いんだよ。出会った順番がどうあれ勝てる気がしない。でもあなたが自由をくれたから。僕はもう、心ぐらいは縛らずに素直にさせてもらうよ。迷惑かもしれないけど、困らせることはしないって約束する。だから、お願いだからそんな顔しないで。やっぱり、嬉しくなっちゃう。」
「どんな顔してる?」
「辛そう。でも、今辛いってことは、僕の存在も、少しはゆきさんの中にあってもいいものだったかなって思えて、嫌な思いさせてるのに、嬉しいなんて最低だけどね。」
「少しはとか言うレベルじゃないよ…。」
小栗くんは嬉しそうに笑うと、ビールを半分ぐらい一気に飲んで席を立つ。
「羽山さんがご飯持ってきてくれたら、先に手をつけててね。そんなに時間がある訳じゃないしね。」
と言うと、小さな舞台の上に上がる。
アンプの電源を入れて、スタンドマイクを椅子の高さに合わせて置いてから、高めの丸椅子に浅く腰かける。スタンドからギターを持ち上げると、優しく抱えてストラップを肩にかけて、マイクの電源を入れる。
もう会わないかもしれない。
そう思ったら、全ての動作から目が離せない。
大切そうにギターを抱く姿から、真っ直ぐにマイクに向かう迷いの無い目から、凛とした指先から、今、いつものあの音が鳴ったら、私は平然と聞いていられる自信なんて、まるで無かった。
羽山さんがどこにいるかは全くわからないけれど、なんの合図がなくても有線の音楽を切る。
静かになったことでお客さんの話し声も一度小さくなる。
こんな緊張感の中で、自分一人で音を奏でる勇気とは、どんなものだろうか。
私なんて、ピアノ伴奏があって、大勢で歌っていたって、舞台の上では思い通りにはいかないのに。
「こんばんは。小栗と申します。ほんの少しの時間、皆さんのお邪魔にならないように歌わせていただきます。どうぞ、お食事、お話し楽しみながら、片耳程度でお聞きください。」
山田さん家と違って、ほんの少し喋る。
お客さんから優しい笑い声が聞こえる。
小栗くんは一瞬で、この雰囲気がたまらなく好き、というオーラを全身にまとって、私の知っている小栗くんの中で一番良い顔になる。
私の席からは、小栗くんが横顔で、でも一番近くて、おそらく一番かっこよく見える。
ギターに指を添えたまま、目を閉じて、スーと大きく息を吸い込む。
その、ほんの一瞬の仕草が、何分間もあったように私の目に焼き付く。それほどに自信に満ちて、きれいだ。
『ねえ そんなことを となりできみも おもったりするのかな おもいがかさなる そのまえに つよく てをにぎろう』
始めの音から一番好きな高音が甘く揺れる。
切なさを含んだ声だけで始まるイントロ。
声の余韻に重ねて優しく奏でられるギターメロデイー。
歌詞の内容。
今さっき、目の前で私を見ていた小栗くんの何か吹っ切れた目を思って、一瞬で胸が熱くなる。痛くて、体を真っ直ぐに保っていられないほどで…。
それは、夕さんに、抱いてもらっている時の感覚に似ている、と思う。
『きみのめにうつる あおぞらが 悲しみのあめに にじんでも そんなときは おもいだして わらいあえた きょうのひを』
『かたおとすきみを みるたびに つれだすのは ぼくのほうなのに ときどきわからなくなるよ ぼくがすくわれてるんだ』
『そのてのひらは にじをつかめるさ きみだけのうたを ラララ さがしにいこう』
『ねえ いつかきみは ぼくのことを わすれてしまうのかな そのときは きみにてをふって ちゃんと わらってられるかな 』
『ねえ こんなぼくは きみのために なにができるのかな ことばにならない おもいだけ つよく てをにぎろう』
私、小栗くんに、平井堅が好きって言ったことあっただろうか?
この曲の、イントロ前に息を吸い込む音が聞こえそうな緊張感も好きだった。
それを、小栗くんが、小栗くんの声で、小栗くんの想いを織って歌っている。
モノマネでも何でもなくて、これは間違いなく小栗くんの声だ。
でも、惹き付けられる。すごい力で、逆らう方法がわからないほどの音に、声に引かれてしまう。
細かく動く指先も、時々切なそうに伏せる目も、よく見ていたいのにぼやけて良くわからない。
最後のギターの一音が静かに消えると、お客さんから拍手が巻き起こる。
ハンカチを出すことすらできずに、口元に手を当てたまま小栗くんを見つめる。
「ありがとうございました。平井堅さんの、『思いがかさなるその前に』を歌わせていただきました。友人から、僕の声は高音が良いって言ってもらえたので、わざと頭から高いの持ってきてみました。緊張しましたー。」
また笑い声が聞こえる。お客さんの顔を見てみたいのに、今はとても顔を出せない。
「やっぱり泣いてる!」
嬉しそうな羽山さんが、野菜たっぷりのタコスライスと鯛のマリネを持ってきてくれた。
「だって…。」
「大丈夫。大丈夫。俺はゆきちゃんの気持ち良くわかる。あいつど天然に真っ直ぐだから、直球ドカーンて人の迷惑かえりみずに胸のど真ん中に感情をぶつけてくるでしょ。でもだから憎めないし、むしろ好き。」
「でもさ、少なくとも俺は、絢仁が女の子にあんな顔で向き合ってるのは始めて見た。もしかしたら男が好きなんじゃ無いかと疑うほどそっちには興味無さそうなヤツだったのに。」
「小栗くん、どんな顔をしてましたか?」
「俺アホだからな。ボキャブラリー少なくて的確かわかんないけど、愛しそうって感じかなあ。」
「そうですか…。ありがとうございます。」
羽山さんに笑って見せる。
自分が薄々感じていたことを、誰かが同じように思っていたりすると、一気にその現実は確かなものに思えてくる。
「それでは次はオリジナルで。」
小栗くんは少しの間お客さんと楽しそうに会話をしていて、次の曲紹介をする。
私はまた楽しそうに笑いながら席を後にする羽山さんの背中を見送って、小栗くんを見る。
小栗くんはそんな私を見て、吹き出すように小さく笑うと、すぐに前を向いて大きく息を吸う。
明るく、弾むようなメロディー。
中学の時にかわいいと思っていた隣の席の女の子は、クラスで一番近い存在のようで、それ以上踏み込めないという内容の、可愛らしい曲。
中学生の頃ってそんなだったな。でも言わずに我慢できちゃうんだから、今から思えばそれほど好きじゃなかったのかな。とか思っていたら今度は笑えてきた。
この歌詞を小栗くんが書いたと思うと、またさらにおかしかった。
結局、私はせっかくのお料理に手をつけられないまま、小栗くんは5曲ほどの歌を歌った後、「ありがとうございました。またいつか、ぜひお客さんになってくださいね。」と正面に向い笑いかけると、アンプの電源を切り、ギターを片付ける。
拍手はなかなか鳴り止まなくて、羽山さんがすぐに有線をかける。
お客さんもそれ以上要求することはなくて、すぐに始まる前の雰囲気が戻っていった。
小栗くんは羽山さんにもらったお手拭きで手を拭きながら、私のところにすごい笑顔で戻ってくる。
「予想通りの反応をありがとう!歌い手として、こんなに素直に反応されたら本当たまんないよ。いや、一発目に持ってきて正解だった。聞きなれたところでいってもダメかな?と思ったんだよね。」
「ひどい…。泣かせたかったの?」
「そう、僕が、君を、どうしてももう一度泣かせたかったの。僕を見ながら、僕の事だけを考えて、泣かせたかった。少しでも、記憶に残りたいからね。」
「……。」
何も答えられなくて、それでも羽山さんの言う、『愛しそうな目』の小栗くんから目をそらすこともできない。
「ご飯何で食べてないの!?羽山さんセレクトなかなかいけるよ。一緒に食べよう。」
先に目を伏せた小栗くんが、料理をお皿に取り分けてくれる。
「洋平さーん、ビールもう一つずつお願いしまーす!」
お客さんがたくさんいる店内に、良く通る声でカウンターに向かって叫ぶ。
小栗くんはそういう人だ。
「はいはーい!」
そしてちゃんと返事が返ってくる。きっとそんな人だ。
幸せになって欲しい。直球でぶつけたらすぐに返事が返ってくる素敵な人が必ずいる。
それとも萌さんがいるから、そうもいかないのか…。
羽山さんはまたやたら楽しそうに、ビールを置いて行く。
そんなご機嫌な羽山さんの背中にお礼を言って前を向くと、小栗くんが私に新しいビールのジョッキを向けて穏やかに、切なそうに笑う。
「これで最後にしよう。」
その表情の潔さに、腹が立った。
自分だけ言いたいこと言って、やりたいことやって。『最後』だってその顔で言う。
今日のビールが最後なのではない事ぐらい、私にだってわかる。
『今日で最後』
そうでないといけないと、私だってちゃんと思ってた。
でもずるい。
今の私では、あなたの事を考えずにはいられない日々が続くだろうと、容易に想像できる。
この感情も全部含めて予想通りだったなら、こんなに悔しい事はない。
「ゆきさん、お願いだからそんな顔しないで。これでも精一杯努力してるんだよ。こんなに大切なものを、自分から手放そうとしたことなんて一度だって無いんだから。」
「怒った顔してる?」
「してる。」
「小栗くんには感情が全部そのまま伝わっちゃう。でも恥ずかしくない。繕わなければとも思わない。泣いちゃうのだって、そんなにみんなの前でメソメソするタイプでも無いのに。でもおさえられない。今だって、どうすればいいかわからない。」
「ありがとう、同じこと、感じてた。感情をさらけ出せる相手って、実は同性でもなかなかいない。家族でも難しい。相手に心配かけたくないとか、いろんなこと考えちゃうからね。今は、僕の作戦に乗っかったフリして、僕のこと、少しだけ覚えていてくれたら嬉しい。もしもこの先、予想だにしないことが起きて、苦しくなったら呼んで。必ず力になる。その時は、来るかもしれないし、来ないかもしれないけどね。」
「そんな事、前にも言ってたね。」
「出逢うことに何か意味がある。でもその意味は、僕にはもう充分あった。本当にありがとう。これ以上はゆきさんの負担になってしまうから、自分勝手でごめんね。」
「またどこかで偶然会ったら?」
「本当は話しかけたいけど、知らん顔してほしければそうする。」
「ひどいこと言ってる。」
「なんで?ゆきさんだって、同じようにしないとって、思ってたでしょ?大丈夫。ゆきさんの僕への感情は、恋愛じゃない。すぐに忘れられるよ。そうしたら僕は、笑って手を振らなきゃね。」
前回ここで話した夜、別れる時、子供のように手を振ってくれた小栗くんを思い出して、こうして、すごく複雑な気持ちで今日離れることになるのは、前回と同じだと思った。
そういえば、今日のスタートにも、前回のデジャ・ビュだと思ったことを思い出した。わかっていたなら、こうならないようにできただろうかと、今日のこの時間を、初めからやり直したい気持ちになった。
やり直しできたら、
私はどうしたいんだろう?
悔しいから、取り分けてくれたタコスを口に運ぶ。美味しいのに、喜べない。
「ありがとう、ゆきさん。伝えたい言葉は本当はたくさんあるけど、今はうまく言えそうにないな。」
未練がましい事はもう何も言わない方がいい。
悲しいも、寂しいも、悔しいも、本当は手放したくない愛しさも、どうせきっと言葉にならない思いなんて同じだ。
出会ってまだほんの1年ほど。
そんなにたくさんの時間を過ごしてきた訳ではない。
それでも小栗くんの思いと自分の思いが大きく違わないだろう事に自信があった。
強さと、弱さが似てる。
小栗くんと一緒にいると、自分の弱い部分を見せられているようで、イライラする事がある。
それでも、自分が弱っている時に、そこにいて、何気なくかけてくれる言葉一つだけで、もうどうでも良かったことのように安心させてくれる。
弱さが似ていることで、傷口をなめあってしまったらそれはあまり良くない関係だ。
でも、私と小栗くんは、相手の辛さをわかっていて背中を押せる。つけ離せる。そんな感じだったと思う。
「ありがとう。小栗くん。とても大切な人だと言うことは何も変わらない。見かけたときは挨拶ぐらいはして欲しい。いつかの時みたいに無視なんかされたら泣いちゃうよ。」
「泣いてくれるなら、知らん顔しようかな。」
いたずらっぽくそう言うと、少しだけ眉を歪めて下を向く。
小栗くんが泣いちゃうと思った。
泣かせたい
その気持ち、今はわかる。
「絢仁。泣いても良いよ。手を、握ってあげるから。」
さっきまで怒っていた顔を、ちゃんと意識して、できるだけ穏やかに優しく、小栗くんが理想だと思ってるだろう私の笑顔にして手を差し出した。
これで、お互い様だ。
私の手をとる小栗くんの顔が、さっき歌を歌っていた人と同じ人だなんて、まるで信じられないほど、ボロボロと涙を流す。
そういう人だ。
素直で、可愛くて、星が好きで、歌が好きで、そこからはだーいぶ下がって、私の事がほんの少し好きなんだ。
ぴったり2時間。
小栗くんはお店を出て、駅を越えて山田さん家の手前まで送ってくれる。
「片付けがあるから、僕はお店へ戻るね。ゆきさん、本当にありがとう!」
泣いてすっきりした顔は、多分私も同じように穏やかだろうと思う。
いつもと同じように、手を振って、
「小栗くん、ごちそうさま。ありがとう!またね。」
と言ったら、
「うん。」
って返ってきた。
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