第28話 小栗くんのゆきへの想い
「ゆき、お疲れ様。」
夕さんが、理想通りの台詞で、リビングに入った私を出迎えてくれた。
「ゆうさーん」
二人がけのソファに座る夕さんの肩に、へなへなと覆い被さる。
「疲れたよ。」
顔を夕さんの肩に埋めたまま深呼吸をする。夕さんの香りに表現できない安心感を覚える。
そっと背中をさすってくれる。
「えらかったね。よく頑張った。」
「子供扱いしてるでしょ。」
「そうしてほしいかな?と思って。」
頭を上げると目の前に夕さんの穏やかに微笑む顔。一瞬で気が抜けて、なぜか笑ってしまう。
「何?」
「怖かったよー。他人のむき出しの敵意。ちゃんと想定して行っても怖い。」
「特にゆきは自分から好んで人とぶつからないからね。」
「好んでぶつかる人なんているの!?」
「世の中にはちょっと変わった人もいるよ。」
「何とか、話はできた?」
夕さんはそう言いながら、私の右腕を引いて、自分の隣に座るように促す。夕さんの肩に体重を預けるように座ると、私の顔を真っ直ぐに見ながら、人差し指の背で、頬をそっと撫でる。
「泣かなかったんだね。よく頑張った。」
と言う。
「泣かないよ!そんな子供じゃない!」
「はははは冗談だよ。私の前ではよく泣くでしょ。改めて、私の前だけだってわかって嬉しかった。」
「んー…何か悔しい。」
「話がそれたね。」
「萌さんは、やっぱりとても頭の良い人だった。小栗くんが今のままではいけないと思っていることにもちゃんと気付けているし、自分に対して恋愛感情が無いだろうことも…でもどうしても諦められないぐらい好きって感じだったな。」
「辛いね。」
「うん。」
「でも向き合ってみると言ってた。」
「そっか。できることなんて、それぐらいだよ。上出来、よくやった。」
「うん。でも、辛いね。」
少し沈黙になったところで、私の携帯が鳴る。
小栗くんからメールだろうと察しがつく。夕さんはさっと立ち上る。
「コーヒーにする?紅茶にする?」
「コーヒーにする。ありがとう。」
【from 小栗 絢仁
ゆきさん
今日は本当にありがとうございました。
話し合いのきっかけを作って
くださったことに、感謝の気持ちで
いっぱいです。
萌は失礼なことを言ったかと思います。
落ち着いたらまた、ご連絡させて
いただいても良いでしょうか。
お詫びと、お礼をさせてください。
取り急ぎお礼を。
小栗 】
【連絡せずにすみません。
メールありがとう!
丁寧な文章に驚いています。
私では何もお役には立てないけれど、
何かあったらまた連絡をください。
小栗くんにも自分らしくいてほしいと
萌さんもきっと思っています。
どうか思いの交わるところが、
二人の間に見つかりますように。
ゆき 】
「何だって?」
「ありがとうって、落ち着いたらまた連絡するって。」
「そうか。くれぐれも深入りはしないでよ。」
「うん。」
ダイニングテーブルにコーヒーを置くと、夕さんが先に椅子に座る。
部屋中に淹れたてのコーヒーの香りがして、深く息を吸い込む。
携帯をソファの端に置いて、ゆっくりとテーブルへ向かう。
夕さんが私のその仕草を見ながらゲラゲラ笑っている。
「どうしたの?」
「弱ってるゆきが面白くて。心理カウンセラーとか、絶対になれないね。相手の思いにどんどん引きずられて共倒れになりそう。」
「共倒れになる自信があるもん。」
「いい人すぎるんだよ。自分のことを守るときは、相手を切り捨てることも大切だからね。」
「そうなんだろうね。理屈はわかる。行動するのは難しい。きっと萌さんも小栗くんもそうなんだろうね。みんなわかっててもそうはできないことを抱えて苦しむんだろうなー。」
椅子に座って飲んだコーヒーはやっぱり丁度良い甘さだった。
真夏の日差しはまだ部屋の中まで明るく照らしてくれるけれど、今の私にはそれが無性に鬱陶しかった。
他人の敵意の前にさらされて、ほんの一瞬でも崩れかけた心が、腑甲斐無い自分への苛立ちが、夕さんの体温を求める。
こうして夕さんに異性として大事にしてもらうことで、萌さんに対抗している訳ではないと、誰に言われたわけでもないのに、自分の中で言い訳をするのは、どこか後ろめたいからなんだろう。
夕さんの優しさを利用して、自分の方が優位だと、誇示している。ちっぽけな私。
いや、そうじゃない。想いあっているんだもの、自己満足じゃない…。
「ゆき、難しい顔で何考えてるの?」
「夕さんに抱いてほしいなって。でもまだ明るいしな、とか、今そんなことを思う私は、萌さんに自分の幸せを見せつけて満足しているような嫌なやつかな、と思ったり…複雑な気持ちでいるの。」
「すごい素直でびっくりした。ゆきもそんなこと考えるんだね。私もちょうど今、ゆきを抱きたいけれど、萌さんの叶わない気持ちと向き合ってきたばかりなのに、そんな気になれないって断られるかと思って悩んでた。これは誘ってもらったと言うことで良いのかな?」
クスクスと夕さんが嬉しそうに笑う。
嬉しそうに笑ってくれたから、やっぱり私達の間にあるこういう関係は、自己満足ではないという安心感で、私もつられて声を出して笑ってしまった。
夕さんが迎えに来てくれる。
席を立って、私の隣に来て手を出す。
出された手に触れたら、もう1年は一緒に暮らしているというのに、途端に胸が暑くなって、鼓動で手が震えそうになる。
「夕さん魔法使いみたい。ドキドキする。手に触ってるだけなのになんで?」
「嬉しい方のドキドキ?」
「うん。」
突然強く手を握ると夕さんは力強く私を引く。その力に体を持ち上げられるように立ち上がると、夕さんの体に倒れかかる。
「他のことは何も考えられなくしてあげるよ。」
甘い声で耳元で囁く。
「なんか今の言い方はすごくやらしいよ!」
「ゆきが先に誘ったんでしょ。」
夕さんは嬉しそうな顔のままで、私の体を離すと、手を引いて寝室に連れていく。
私は本当に嫌な女で、罪悪感や同情で抱いてくれるのだとわかっていて、それでも求めてしまうと言うのはどんな気持ちだろうかと、自分には到底想像もできないくせにそんなことを考えていた。そしてすっかりぼやけた頭の中で今の自分と比較して、『かわいそう』だと思った。だから、もしもまた萌さんに会うことがあって、やっぱり敵意を剥き出しにされても、もう仕方ない。
それは明らかに私が嫌な奴だからだ。
寝室ののクーラーを入れて、まだ蒸し暑い空気の中、ベッドに座る。
「暑いね。」
「うん、暑いね。こんなことならゆきが帰る前に寝室のクーラー入れておけば良かった。」
「そんな準備万端だったら誘わないかも…。」
「冷たいな、ゆきのへこんだ胸に空気を入れてあげようとしてるのに。」
夕さんはふっ、と笑いながらキスをする。
深い、キスをする。
それからゆっくり胸に触れる。
たったそれだけで、
部屋の温度に加え自分の体温まで上昇して焼けそうになる。
みぞおちの辺りにじわじわとこみ上がる快楽は痛いほどで、夕さんの肩に強くしがみつく。
「ゆ…うさん」
「うん。ここにいる。ゆき、私も今日はダメかも…なんかゆきの反応がかわいい、抑えられそうにない。」
夕さんの、普段の冷静な感じが一変して、声にも動きにも熱を帯びるから、私はそのギャップにさらに胸が痛くなる。
痛いほど、求める。
目の裏まで暑くなった頭でふと窓を見ると、ブラインドの隙間から見える細い光に、まだ外が明るい時間だと気付く。
突然小栗くんと萌さんが今どうしているかが気になり、小栗くんの丁寧なメールから想像する辛さと、この前の泣き顔が、頭の中を駆け抜けて、とてつもなく悪いことをしているような気になる。私は慌ててそれをかき消すように夕さんを受け入れる。
「ゆき、私のところに来て。」
「う…ん」
夕さんが最後にかすれそうな声で言った言葉の、深い意味なんて考える余裕もなかった。
*
月曜日の朝は真っ青な空だった。
私は早めの夏休暇、夕さんは出勤。
二人で2日程合わせた休暇はあと1週間後。他の休暇はずらしてとった。まだ会社にはバレていないから、一応気にしてみた結果だけれど、せっかくの休みになんの予定もないから、山ちゃんのお店にでも行こうかな、と思いながら洗濯物を干していた。
こんな青空の下で、柔軟剤の良い香りに包まれながら、またため息が出る。
一人でいると、頭の中を占めるのはやっぱり小栗くんと萌さんの事で、それは、小栗くんのあの丁寧なメールが、その後の展開があまり良くない方向に行くのではないかということを匂わせていて、私は不安でならなかったから。
また、小栗くんの泣き顔と、萌さんの意志の強い目が頭の隅に現れて、深呼吸をする。
苦しいな。
関わっても、関わらなくても、どちらも苦しいんだ。
11時半、テレビを消して、姿見の前で服装と髪型をチェックして、小ぶりのショルダーバッグを斜めにかけて家を出る。
土曜日、あんなに夕さんに熱をもらったのに、どこか一部が全く暖まらないままの心。それがどこなのか自分でもわからなくて苛立つ。こういう時、なぜ人間は自分の感情がコントロールできないんだろう。自分の持ち物なのに。
山田さん家へは7分ほどで着く。着いてすぐ、入ることをためらい立ち止まる。
それでも山ちゃんは必ず、私をすぐに見つけてくれて、満面の笑顔でドアを開けてくれた。
「ゆきちゃんこんにちは!平日なのにどうしたの?」
「夏休暇です。お邪魔しても良い?」
「もちろんいつでも大歓迎よ。」
店内はほどよく冷やされていて、ランチ会らしいおばさま方がたくさんいていつもより賑やかだった。
私は後ろ姿でもすぐにわかったと言うのに、山ちゃんと話していても振り向きもしない小栗くんの斜め後ろに立つ。
「そうか、月曜が休館日だったね。狙った訳じゃないんだよ。よくある方の偶然だね。」
声をかけてようやく気が付いたのか、すごく驚いた表情で私を見上げる。
「ゆきさん!」
山ちゃんが、
「絢くん良かったね。ゆきちゃんにはきっとテレパシーが届くのよ。」
と言う。
「何の話?」
「絢くんがずっと、ゆきちゃんに会いたいけど、自分からは言い出しにくいってここでしょげてたのよ。」
「山ちゃん!」
「本当だもの。恥ずかしがらずに話しなさいよ。」
そう言うとやっぱり忙しいのか山ちゃんは行ってしまった。
「どう?萌さんはあの後…。辛くない?二人の時間。」
「はーーーやっぱりいいな。ゆきさんの声のかけ方とか、雰囲気とか。本当に良いです。そんなことより先にお礼を言わせてください。土曜日、ありがとうございました。少なくとも僕は、あなたに救ってもらいました。」
小栗くんの話し方が、私が来て嫌そうな感じではなかったので、そのままいつもの隣の席に座る。
「また丁寧な感じになってるよ。それがすごく気になるの。何だか緊迫した状況になってるのではないかと…。」
「あっ、ごめん。考えなしだった。確かに突然『ですます』で話されたら緊張感出ちゃうよね。ただ単純に、今回の感謝の気持ちが、『ありがとう!』みたいな軽いものじゃなかったから、さすがの僕もそのぐらいの使い分けはするけど、余計気にさせちゃったね。」
「それだけのことなら良いんだけど。」
優しく笑って見せる。
ここ数日の小栗くんの心境を思うと、もう私になんて、気を遣わずにいてほしかった。
ここに座ることをためらったのも、せっかくの息抜きの時間を取り上げてしまうのでは無いかと思ったからだ。
私の顔を見た小栗くんが一呼吸おいてから、「僕はゆきさんのことが好きです。」と言う。
あまりにも軽くさらっと言うから、「ありがとう」て応えた。
萌さんに会った後で良かった。そうでないとこの前、嘘をついたことになっちゃう。何てことを考えていた。
きっと、この絶妙な距離感が、あまり密な関係を求めない小栗くんには、丁度良いんだろうな、と思う。
それでいて困った時には甘えられる。お互いに、素直にお互いの良いところを評価できる。気を引きたいとか、嫌われたくないとかいう計算もないし、照れもない。
萌さんのことがなければ、この関係の心地良さは、私も好きだから。
ちゃんと笑顔で返した私を見て、小栗くんはまた大きく息を吐いてから笑った。
山ちゃんがビールを2つ持って戻ってきた。
「今日は二人ともお仕事無い日だから特別よ。」
「うそ!嬉しい!山ちゃんありがとう。」
「山ちゃんは本当にゆきさん贔屓だな。」
「当たり前でしょ。こんなに良い子は滅多にいないんだからね。絢くんも私に少しは感謝してよ。」
「はいはい。」
「ねえ、山ちゃんは、私と小栗くんが親しくなると良いなと、初めから思っていたの?」
「あら、気が付いてた?ここ数年、ただ淡々と、何の面白味もなく毎日をこなすだけの絢くんが、ほっといたらいつか突然いなくなるんじゃないかと思ってたの。そんな矢先にゆきちゃんがさむーい空気と一緒にお店に来て、入ってみたら良くお話ししてくれるし、良い子だし、何かその、芯にある温かさと、現実を乗り越えるためにまとってしまった寒さが、すごく絢くんと重なったのよ。絢くんの目に、色が戻るんじゃないかと思って。ゆきちゃんなら。」
「山ちゃんは本当に凄いね。どストライクだよ。」
「え?何が?」
「僕にとってゆきさんが?」
「絢くん、でもゆきちゃんを困らせてはダメよ。」
「大丈夫。これ以上はもう困らせたりしない。僕には萌もいるし、何もかも自由には行かないんだ。でも、良いものを良いと感じる心ぐらい自由でないとって思えるようなったから。」
「私の方が、いつも自信がなくて押し潰されそうな時に助けられてたけど。私は小栗くんに何かした?」
「僕が、一番大事にしているところを、いつも一番に誉めてくれる。歌も、おしゃべりなのも、一生懸命伝えるのは、わかって欲しい想いがあるからなんだよ。ゆきさんはいつも、すごく納得してくれる。一番欲しい言葉をくれる。安心するんだ。」
「きっと、萌ちゃんにも、そんなゆきちゃんの放つ安心感が伝わったわよ。自分の利害は関係なく、相手の言葉に耳を真っ直ぐ傾けてくれる人はなかなかいないからね。」
「山ちゃんは萌さんとの話しはもう聞いたの?」
「少しだけね。」
「そうだね、ゆきさんに報告してなかった。萌は、『ごめんなさい』って、僕に謝ってきた。僕の優しさや、罪悪感を利用していたのは事実だからって。そんな私では、一生振り向いてもらえないって。」
「涙を、流してた?」
「あの人、僕の前では泣かないね。僕を気遣って我慢してるのかと思っていたけれど、ゆきさんの前では泣いた?」
あの日の萌さんを思い出しながら、首を横に振る。
あんなに大きくて可愛らしい瞳で、相手に何も言わせまいと強い意思をぶつけてくる。私はあの冷静な目がすごく苦手だった。
「萌ちゃんって、私と話していた時も、ニコニコとすごく可愛らしい人だと思っていたのに、突然一変して冷たい目になることがあったわ。絢くんはどうせ自分のことなんて好きじゃないみたいに、自分にすごく自信がなさそうにしていても、目は、全くそうは思ってなさそうに強い時とか…。うまく説明できないけれど。」
「わかる!山ちゃんそれ!私も同じことを思ったの。すごく説得力のあることを言ってたの。お話も上手だし、気持ちもこもっていた。どちらかと言えば小栗くんに味方をしたい側の私も、萌さんに同情するような話の内容だったのに、目が、あまりにも冷静で怖かった。用意された物語を聞いているような気持ちになってきて…。」
「あーー…僕もそれ、全く同じことを思ってた。この5年間、それに悩まされてきたと言っても過言ではないぐらい。話をしようと思うと、決まって僕は少し感情的になってきて、どうしても涙が出てしまったり、言葉がうまく選べなくなったりするのに、萌はいつも『こう言えばいい?』みたいな台詞をサラサラと紡ぎだして来て、大抵が、僕が不利にならない、自分を下げたきれい目な事を言うんだ。それで、『さあどう?次は何て言うの?』という目で僕を見る。そうすると、端から行き先が見えてない僕なんかは、萌の話の内容なんて一つも信じられないし、これ以上話してたって無駄だと思う。その繰り返し。だからもう、話し合うことすら諦めてた。」
「この三人はちょっと近い感覚で生きてるから、今ここで、皆が萌ちゃんの事を同じように捉えたとしても、だから絶対に萌ちゃんが悪いと言うわけではないけれど、やっぱり同じところに引っ掛かりはするわよね。」
涙を流していなくても、震える小栗くんの瞳も、本心をぶつける時の必死な目も、私は知っている。
山ちゃんの、今、どうにか誰も傷付かず、幸せになる方法は無いかと探る優しげな目も、やっぱり温度を感じる。
「あざとい、とは違って、きっと、か弱いんだよね。」
「か弱い?萌が?」
「うん。小栗くんが自分の側から離れていってしまうことも、自分を選ばないことも、受け入れられる自信がない。そんなことになったら、死んじゃうぐらいに弱いんじゃないかな。それこそいつも、死んじゃうぐらいの覚悟で話してるのかもよ。もう、怯える余裕すら無いほどの覚悟とでも言うのかな…。」
「そうね。ウサギみたいね。さみしーすーぎーてー死んでしまうわ…。」
「古いよ。でも見た目とすごくマッチした表現だね山ちゃん。しっくり来た。」
笑っている山ちゃんと私を交互にゆっくりと目で追う小栗くんが、ビールを飲んでからまたため息をつく。
「二人は本当にすごいね。一昨日、もう好きにして良いって言ったんだ。萌が、ゆきさんと話をして帰った後。僕の好きにしてって、何をしても良いって、その代わり、必ず私のところに帰って来てって。」
「手放せないのね。何があっても。あの頃も、絢くんが全てだったもの。」
「精神的な依存…。相手に尽くすことで、自分が生きていることを実感できるって言う、それなのかな。」
「もともとあまり自分の趣味とか、無い人だったからね。」
「萌ちゃんの周りにはあの頃も、同情か哀れみか、面白がって自分の意見を押し付けるような友達ばかりだったものね。みんなまだ若かったのよ。絢くん以外信じられる人がいなかったんでしょうね。今、もう少し周りを見られたら、違う世界があるって。気が付けるかもしれないのにね。」
「それで、小栗くんは、どうしたいの?」
「私のところに帰ってこいって意味が良くわからなくて、毎晩帰ってこいなのか、最終的には私にしろってことなのか。」
「真面目だね。」
「そうね。」
「なんでそう言うコメントになる?」
「そんなんどっちでもいいでしょ!?要は、そう言ってすがり付く萌さんをやっぱり見捨てられないのか、二人だけの世界に閉じこもってるのはおかしいから、ぶち壊したいのか。」
「ぶち壊すとか言うの!?ゆきさんが!?」
「言うよ!何でそんな一言一句に引きずられてるのか、イライラしちゃう!」
ここに来るまで、私も同じように引きずられていたくせに、三人で同じ気持ちを共有できたことでとても強くなれる。
萌さん、あなたの居場所だって、本当は一つでは無い。
「あはははは!すごくシリアスな話をしていたはずなのに、ゆきちゃんと絢くんは本当に良いコンビね。何だか、今までの絢くんの悩みも、何とかなる気さえしてきたわ。今。」
「コンビじゃなくてトリオです!」
「やめて!私は入れないでちょうだい。」
「ガッツリ入ってるでしょ。今更抜けられないよ山ちゃん、なんならあなたが中心で、僕らが脇だ。」
「確かに、山ちゃんがいなければ成り立たない二人だものね。」
今日はじめて、小栗くんが目をすごく細めて笑った。テーブル席のおば様方の笑い声に負けないぐらい大きな声で、三人で笑った。
味方がいて、たくさんいて、どうしようもなくダメな時の自分でも、素直な気持ちでぶつかってきて、そしてすくい上げてくれる。
最後には、元の問題がなんら解決していなくても、気持ちが前向きになっていて、ちゃんと自分の足で歩いて行ける気がする。
そんな経験をして欲しい。
萌さんに、これから、たくさんそんな日々が舞い降りてくると良い。
少しでも、誰かの肩を離して歩ける時間が長くなれば、その人の肩は軽くなる。
私は願うことしかできないけれど。
ずっと私たちの話に付き合ってくれていた山ちゃんが、「ごめんなさいね。」と言って、おば様方のテーブルへ、飲み物のオーダーを聞きに行く。
二人になっても、私は、小栗くんがやっと私の好きな小栗くんの顔になった事が嬉しくて、クスクスと笑っていた。
同じようにこめかみに手を当てながら、笑っていた小栗くんが、ふと私の方を見て、そっと、私の髪に触れる。
「何?」
「どうしてもゆきさんに触れたくなって。でも、困らせたらいけないし。髪なら、良いかな?とか。いや、ダメだよね。」
「不安?これからのこととか。」
「そう言うのとは違うよ。多分初恋だね。」
「何言ってるの!?戦友の方がしっくりくるよ。」
「かわし方が上手いなー。やっぱりたくさんの人に言い寄られた経験があるでしょ。」
そう言いながら、肩より下におろした私の髪の先を、離さずやさしく握る。
「ない!」
「ゆきさん、ありがとう。好きってこんな気持ちかって知れて嬉しい。大丈夫。困らせないから。」
ものすごく優しい顔で笑った。
私は、身体中の血液が心臓に集まってくるような感覚に襲われながら、夕さんが言ってた男の勘を尊敬した。
それでもやっぱり、辛い時にたまたま側にいた私に対しての気持ちは錯覚だと、私は思っていた。
山ちゃんがオーダーを聞き終えてカウンターへ戻ってくる気配で、小栗くんは手を離す。
「二人ともどうしたの?何か穏やかな顔してるよ。」
「良いことあったの。」
て小栗くんが言う。
私は、錯覚だと思いながら、小栗くんのあんなに優しい笑顔が見られたことが今日一番嬉しかった。
「何があったの!?」
「ナイショ。」
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