第27話 萌とゆき

はじめは、


こんな人が本当にいるのかと思った。


漫画や小説に出てくる嫌われ役の登場人物が、実際に存在したらこんなかと。


しばらく睨み付けるような目付きで一方的に話した後、突然ニッコリと笑って、


「なんて言ったら、あなたの想像通りでドラマティックですよね。」


と言われるまでは心が凍りかけていた。



萌さんはちゃんと来てくれた。

くれたと言って良いのかは謎だけれど…。


ブラックコーヒーを飲みながら、


「絢くんと山田さんのお店で知り合ったんですか?私に、そんなセコイ手を使って絢くんを縛るなとか言いたいんですか?私絶対に離れませんよ。私にハンディがあることで絢くんは私を見捨てられない。こんなに確かな力で繋がった関係、手放すわけ無いじゃないですか。」


と捲し立てる。


「……。」


「ゆきさん?は、絢くんの何なんですか?友達?男女の友情って成立します?何でわざわざこんなこと引き受けるんですか?絢くんを解放してあげたい。可愛そう。とか、そんな感じですか?山田さんは私の事良く言ってくれたでしょうから、さてどちらの私が本当の私でしょうか?みたいな感じですか?」


駅前で小栗くんと二人でいるのを見かけた時、本当に可愛らしい人だと思った。

今は別人のような形相で、初めて会った相手を威嚇している。


小動物のような人だと、どこか冷静な私は、風の谷のナウシカのテトが、ナウシカの指に噛みつく映像を頭の中に思い浮かべつつ、夕さんの「辛くなったら逃げて帰ってきて」という台詞が頭の中でヘビーローテーションする。


「絢くんとあなたは絶対に結ばれませんよ。残念ですね。」


私には役不足なようなので失礼しますと言えばよいか?こうならないために山ちゃんの名前を出してもらったつもりだけれど、逆効果だった?


私の顔にはおそらく『敗北』でも『恐怖』でもなく、『後悔』と書いてあっただろうか。ため息の出そうな心を何とか平に抑え、何を言おうか言葉を選んでいたところで、突然萌さんは笑った。

あどけないとも言える、可愛らしい顔でニッコリと笑った。


「なんて言ったら、あなたの想像通りでドラマティックですよね。」と笑った。


そんなことは想像していない。ドラマティックではあるけれど、そんな悪役ドラマだけで充分だ。


小栗くんと何年も一緒に暮らしている人が、そんなに性根も人格も恐ろしく曲がった人だとは思いたくない。


遂にため息が出てしまう。


「悪い冗談はやめてください。私、試されてましたか?それとも本音ですか?」


「もちろん本音の部分もあります。これぐらいのかまをかけて、泣いちゃうようなら本当に絢くん狙いかなって。でもあなたモテそうだし、そんな面倒な男わざわざ選ぶタイプでも無さそうだし。」


自分の表情がようやく少し和らいだことが、自分でもわかった。


「そんなキャラは想像していませんでした。本当に。あの小栗くんを好きな人だから、真っ直ぐで一生懸命な人だろうと思っています。」


「大人ですね、ゆきさん。あんな言われ方して、目も、怒ってなかったですね。」


「別に小栗くんを狙ってないから、萌さんにとって不必要で目障りな存在であれば、何を言わずとも目の前から消えればいいだけの存在です。あなたを、傷つけて得られるものは、私には何もありません。怒るのは、相手に自分を理解してもらいたかったり、認めさせたかったりする時です。そんな必要も無いから、その辺りは気楽なもんです。今は、萌さんの攻撃をうけながら、どうやって退散しようか、そればかり考えていました。」


「素直ですね。」


「変な出会い方ですもんね。素直にぶつからないと、探りあいになってしまいそうで嫌なんです。」


「やっぱり大人ですね。冷静で、自信がある。羨ましい。」


一瞬、遠い目をした。口元が柔らかく微笑むと、本当にかわいい。


「そんなことないですよ。自分に自信が無くて、仕事ができる彼に八つ当たりしてるし、すぐ泣いちゃうし、頭撫でてもらうと嬉しいしね。」


「かわいいですね。彼はギャップにやられたんでしょうね。」


「やられたって何ですか!?私が騙したみたいじゃない。」


初めて、はははと声を出して笑った後、「先程は失礼しました。」と真剣な表情で謝ってくれた。


夕さん、悪い子ではなさそうです。でも、賢そうで、やっぱり怖いのかも。と近況報告を心の中で唱える。テレパシーが使えればいいのに…。今すぐこのあとどうすればよいか、アドバイスが欲しい。


萌さんがコーヒーを飲む。

タイミングを会わせてミルクティーを飲む。


「萌さんこそ、ブラックコーヒーかっこいいです。可愛らしい外見とのギャップもいいですね。」


「はははは、ゆきさん、今まで私の周りにはいなかったタイプの女性です。私の友人なんて、超~とか、マジでーとか、ヤバーいとか言ってる人ばかりですから。」


「それぐらいの事言います!マジで。」


「絢くんが何を考えてるのか、ようやくちょっとわかりました。」


「え?」


「今日、ここに行くよう言われた時、はっきり言って全然意味がわからないし、私は話したいことも無いし、絢くんにムカつきました。すごいイライラしちゃって、嫌な言い方もしました。それでも今回は、絢くんが絶対に引かなくて、目も怖くて、それであのスタートです。」


「納得です。」


「絢くんがあなたに救われたんでしょうね。ほんのちょっとの会話で、それだけはなとなくわかりました。」


「私にはよくわかりませんが…。ただ、小栗くんがあなたの心を、とても心配していることだけは伝わってきます。具体的に何をという話を聞いたわけでは無いけれど。」


少し嘘だな。心の無いまま、求められるままに応じている事を、小栗くんは気にしている。そしてその事を私は知っている。


言えるわけがないけれど。


「そうですか。私の事を心配してくれていることなんて、痛いほど良くわかっています。でも死ぬほど心配することなんて、親子でも兄弟でもペットでもするでしょ?恋人同士だけが持つ感情じゃ無いよね。絢くんは勝手に私に縛られてる。もし私が解放したって、知らないところで一人で勝手に縛られるのよきっと。」


「どういう事?」


「私の事なんて少しも好きじゃないのに、離れている私を思ってきっと心を痛めるでしょうね。真面目な人だから。私がどこぞの社長か医者か弁護士かと盛大に結婚式でもあげない限り、彼はずっと自分を攻めて私を気にする。きっとね。希望的観測かもしれないけど。」


やっぱりとても頭のいい人なんだ。

そりゃそうだ。興味もないのに天文学の方へストレートで合格を決められる人だもんな。


「側に、いてあげてるの?」


できるだけ、穏やかな口調で言った。萌さんの考え方に、私は共感できた。確かに小栗くんは、そういう人かもしれない。

だから萌さんを責める言葉じゃない。ストレートな質問。


「それは言い過ぎです。もちろん私が側にいたいの。それが一番です。でも、絢くん本人の口から、もう解放して欲しいって言われたら、安心して身を引けるのかもしれない。絢くんが私が求めることを受け入れることで、少しでも自分の良心の呵責に迫られずに済むのなら、側にいることに意味があるのかなって、勝手に思い込んでるんですよ。」


「ゆきさん、騙されないでね。私今、良い子ぶってるだけかも。もし本当に絢くんにもう解放して何て言われたら、発狂しちゃうかもしれないしね。そんなこと、考えたくもないからわからないや。」


本心が見え隠れして、何が本当かわからない。萌さん本人はわからないなんて言って、強い思いがありそうだ。


「差し出がましいのはよくわかってるのだけど。でも、小栗くんからあまり外に出ていないって聞いたの。きっと以前からお付き合いのある友達には、現状を批判されても心配されてもどちらもきついと思う。私でよければ、またお茶ぐらい付き合って!」


今日は夕さんのアドバイスをちゃんと聞いて、名刺ではない可愛らしいカードに、携帯のメールアドレスを書いて渡した。


「小栗くんにはgmailアドレスしか教えてないの。女の子だから特別です。嬉しくも何ともないかな。」


萌さんはクスクスと笑いながら、ポツリと呟く。


「ゆきさん、あの時、」


「うん?」


「私は絢くんが運転に集中できていなかったことに気が付いてたし、対向車の様子がおかしいことにも気が付いてた。大きな声で絢くんに知らせることも出来た。心のどこかで、こうなることを望んでいたかも知れない。自分の何を犠牲にしても、彼を手に入れたかったのかもしれない。死んでしまっても、彼の心に住み続ける方法はこれしかないと、思ったかもしれない。あの頃、どんなに尽くしても全く手応えがなくて、怖くて仕方なかったから、あっさりと絢くんに切り捨てられるくらいならって思ったかもしれない。最低…。全部、本当の事なんて、自分にもわからない。逃げてるの。ずっと。」


「うん。辛い時は逃げないと。」


でも萌さんは、


泣かない。


小栗くんは泣いていた。


私の目の前で、ボロボロと涙を流していた。


萌さんは、シュンとした顔で、コーヒーカップを両手で握りしめている。


私に真実なんて、わかるはずがない。


でも、今この表情と、これだけの話を、ほんの数十分前に会った私にさらさらと話して、涙ひとつこぼさない、この状況は、違和感しかない。


ふんわりと内側にカールしたボブカットの黒髪が、丁寧に塗りあげられたマスカラとネイルが、彼女が今でもずっと、誰かのためにきれいに見られたくて努力している証拠だと思う。


家をほとんど出ないのに、ここまで自分を磨きあげる。誰かのための誰かが誰なのか。決まりきったことだな。


困惑している小栗くんの、あの時の涙と表情の方が、二人を取り巻く現状にはしっくりときて、やっぱり二人の価値観は合わないのだろうと思わずにはいられなかった。


小栗くんは、あの時からおそらく自分らしさを少なからず諦めて、萌さんの本心を探している。そしてその本心に、自分が行動で叶えてあげられることなら、何とか応えようと思っている。


萌さんは、小栗くんの心はもう見切っていて、そうとわかってこっちを向いてって、必死で自分を磨く。のか、逃れられない小栗くんを掌で転がしているのか…。


考えれば考えるほど、目の裏が痛くなってきた。私が、泣いてしまいそうだった。

小栗くんの涙と、今のカラカラの萌さんの目を重ねた時、私が、泣いてしまいそうだった。


「そろそろ出る?どこかお買い物とかあったら一緒に行こ?」


「大丈夫です。帰ります。」


鞄からお財布を出そうとしていたので、とっさに手を出して、待ってのポーズをとる。

萌さんのもともと大きな目が、さらにほんの少し大きくなる。


「それ、絢くんも良くやりますよね。」


言われて気がついた。小栗くんは、何かを制止しようとする時、よくこうしてさっと手を出す。


「そう?」


はぐらかしてしまった。


仕草がうつることなんてある?

普通こういう時、誰でもこういう仕草をするよね?それなのにドキッとした自分がいて、小栗くんとの距離を思い出して、ロクシタンのハンドクリームの香りまで思い出されて、マズイと思った目を、隠せなかったかもしれない。


「絢くんはあなたを好きだと、言っていますか?」


「全く言われたことないです。」


「そうですか。」


左手が器用に動かせなくても、自分の胸と手首の力でお財布を挟んで、右手で器用にお金を出す。

もう制止せずに、見守ることにした。


「こんな体の私は、かわいそうだと思いますか?」


「苦労があるだろうとは思う。でもかわいそうだとは思わない。」


「大抵の大人は、かわいそうだと言います。まあ、ゆきさんと私では、年もひとつしか変わらないもんね。」


「私にできて、萌さんにできないことなんて、何もないんだよ。」


「絢くんの心を惹き付ける事でしょうか。私には一生できなくて、あなたには簡単でしたね。」


「…。引き付けているかどうかはわからないけれど。ただ、似ているのかもしれないとは思う。私には、どうしても譲れない何かがあってとても頑固で…。そのくせ、すぐに自信がなくなって誰かに寄りかかりたくなる。誉められたがりだし。そんな強さと弱さが、似ているのかもしれないと思うことはある。でもそんな関係の中にあるのは安堵であって、恋愛では無いよね。」


「そんなことわかりませんよ。でも私は、絢くんが大好きで、あなたのように、彼がいるのに他の男にうつつを抜かすような裏切りはしません。負けませんから。」


そういう押し付けが小栗くんには重いんじゃないの?て、言ってやりたかった。

自分の気持ちを貫き押し付けることが、相手の幸せではないのに。


これは怒りだ。顔に出ないように気を付けよう。さっき、私はあなたに怒らないと宣言したばかりだ。


とにかく小栗くんのことを手に入れたくて必死な彼女が、小栗くんが信頼しているらしい私に不快感を示すのは当然のことだ。見下す訳じゃない。相手の立場に立てば何とか理解できなくもない。


共感も納得もできないけれど。


「あなたの敵ではないんです。それだけは、わかっていて。」


萌さんはまた笑った。

今日一番親近感を持てる穏やかな笑顔で笑った。


「ゆきさんから見て、絢くんはかわいそうですか?苦しんでいますか?」


「……。」


答えはイエスだ。


萌さんがかわいそうかと聞かれた時、ノーと即答できた。かわいそうという感情は相手より自分が優位だと思っている時の感情だ。


でも小栗くんは、苦しんでいる。


即答できなかった時点で、萌さんは私がノーと言うかもしれない、という期待を捨てたのか、視線を外す。


「あなたがもっと、嫌な人だったら良かったのに。このまま私の事も、なんて嫌な奴だと思って、関わらない方が良いって、思ってくれれば良かった。」


「そう思えば良かった。」


「ひどいこと言っても怒らないし、私に同情もしないし、その場を繕う嘘もつかないし、責められるところがないんじゃ私の負けです。」


「…。」


「あれからもうすぐ5年もたとうとしていて、今、私にゆきさんを会わせたと言うことは、絢くんは何かを変えたがっているんですよね。きっと。その事には向き合わなければいけないと。ちゃんとわかっています。」


「それが、必ずしも萌さんにとって悪いこととは限らないと思う。」


「絢くんと向き合う、か…。しばらくないな、そんなこと。喧嘩もしないのが本当はおかしいんですよね。気を遣われているだけ。そのぐらいのことはちゃんとわかってるんですよ。」


お金をテーブルに置くと、萌さんは右手をテーブルにつき、支えにして立ち上がる。


「今日はありがとうございました。」


深々と頭を下げる。


これからどうするとか、そんなことは何も知らないけれど、少し穏やかになったその表情だけで、もう今回の任務は終了だと思いたかった。


「ちゃんと話します。無駄にしません。」


そう言うと、急いで立ち上がろうとした私に「ごゆっくり」と言いながら私の飲みかけの紅茶を指差して、背中を向けた。


大きく息を吐く。


心の中にしこりか残る。


二人が向き合うきっかけが出来たのであれば、悪くはない。


でも、萌さんの思いは深い。

小栗くん、これは大変なミッションだよ。


目指すところが何もわからない。


早く家へ帰りたい。夕さんに会いたい。

「お疲れ様」って、とびきりの笑顔で抱き締めてもらいたい。


ずるいな。自分だけいつも誰かの胸でぬくぬくと暖まっている。


でも、


疲れた。


小栗くんにメールもせずに、お会計をしてお店を出る。


とにかく急いで家へ向かう。





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