第24話 小栗くんに会いに
7月後半になれば、学校が夏休みに入って、小栗くんは忙しくなるんだろうな。
平日の閉館時間は5時。
これが最後かもしれない。
だから、その日の小栗くんの予定なんて全くわからないけれど、私はどうしても夕食ぐらい一緒にしたくて、忙しくなる前の7月中旬、夕方4時半ごろに、その日出勤かも知らないまま、科学館を訪ねてみた。
我ながら情けないと思うけれど、なんのプランもない。電話で出勤日ぐらい尋ねても良いともちろん思いはしたけれど、すごく迷惑な雰囲気を出されたら会いには来られなくなるなとか、いじけたことを考えてしまって、今にいたる。
閉館間際に受付前に立つのだって勇気がいる。小栗くんの事だ。そんな風に訪ねてくるファンぐらいいそうだ。もし私が受付をしていて、今の私みたいなのが小栗くんを訪ねて来たら、そんな年でもないだろうと、間違いなく心の中で突っ込みを入れるな。
でも、そんな事を恥ずかしがってもいられない。
待っているだけでは会えないし。人生、どうしても自分から行かなくてはならない時はやって来たしまうのだ。
自動ドアを入ってすぐ、チケット購入販売機向かいのカウンターの中に、紺地に赤ラインの入った近未来風の制服がとても良く似合う、キャビンアテンダント風のお姉さんが優しげな笑顔で立っている。帰る子供たちに手を振って、可愛らしい声で「また来てね。」と声をかけている。
丁度子供たちの波が途切れたところで勇気を振り絞って声を出す。
「すみません。」
「はい。いかがなさいましたか?」
お姉さんは(年は私と同い年くらいか下か…。)私にも子供たちと同じように優しい笑顔で接してくれる。
「すみません、大変ご迷惑かと思いますが、こちらに勤めていらっしゃる、小栗絢仁さんとお話がしたいのですが。」
「はい。小栗でございますね。只今連絡をとってみます。お名前とご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか。」
「あっはい。柳井と申します。すみません、大した用件では無いのです。えっと…」
「かしこまりました。それでは柳井様がお見えですと、申し伝えます。」
「ありがとうございます。もしお忙しいようでしたら日を改めますので、無理の無い範囲で。」
「はい。承知いたしました。少々お待ちください。」
お姉さんは手元にある電話の受話器を取り上げ、3つ程の番号を押す。私にも呼び出し音が微かに聞こえ、意味もなく緊張してしまう。
受付のお姉さんの、あまりにも完璧な対応に余計恥ずかしくなってきた。私は何も考えていなかったせいでシドロモドロで、そんな意味のわからない客なのに、不快な思いをさせないように接っしてくれる。その、人としての完成度の差が…辛い。
ため息をつきたい気持ちを抑えて、せめて格好だけでも堂々と立って待つ。
電話が繋り、お姉さんが私の名前を伝えている。間も無く電話を静かに置く。
「大変お待たせいたしました。只今こちらに参りますので、少々お待ちください。」
「ありがとうございます。」
できるだけ自然な笑顔で、丁寧に頭を下げた。
小栗くんはどんな感じで来るだろう。
職場まで来られてとても迷惑そうか…。
山田さん家の時のように喜んでくれるか。
一人の時の気だるい顔をしているか、営業スマイルで笑っているか、話が弾んでいる時の無邪気な笑顔で笑ってくれるか。
少しでも迷惑そうだったら、山ちゃんの事だけを聞いてすぐに帰ろう。そして今日で終わりにすれば何も残らない。むしろそれがベストかもしれない。
良くない方に対応するための心の準備をして、その時に備えるのは、私の悪い癖だな。
またため息をつきたくなるのをグッと堪えて、形だけは毅然と、ハンドバッグの持ち手を握りしめて真っ直ぐに立つ。
「ゆきさん!お待たせしました。」
急ぎ足でこちらに向かってかる小栗くんは、とても驚いた、という表情で、でも私と目が合うとすぐに、目を細めて微笑んだ。
私を見て、目を逸らさずに、微笑んだ。
「ゆきさんから来てくれるとは思わなかった。」
嬉しい、と、顔にかいてあると思った。
山ちゃんが心を読んだように私にアドバイスをくれる時は、きっと私もこんな風にわかりやすい顔してるんだ、絶対。
飲み込んでいたため息を出すように、深く息をつく。
「どうしたんですか?」
「緊張したの。すっごく。人の職場まで押し掛けてくるなんて行動力、本当は持ち合わせてないのよ。小栗くんが笑ってくれたから、一気に力が抜けた。迷惑そうにされたらどうしようかと、ずっとドキドキしてたから。」
「告白されてるみたいで嬉しいな。でも、どうせ山ちゃんの事でしょ?」
「え?今?告白してるみたいだった?」
「今日はこれから時間ある?」
「うん。」
「駅前まで戻って、西口のドトールで待ってて。5時半には行く。何かあったらここに連絡して。」
「わかった。ありがとう。」
笑顔で別れて、バス停へ向かう。
手渡された名刺には、科学館の番号の下に携帯番号が手書きで書いてある。
それより何より、
『学芸員・天文学専門 小栗 絢仁』
と書かれたその肩書きに見とれる。
理系はてんでダメな私には、天文学という響きだけで、未知を知ろうとする大きな夢を感じてしまう。いつまでも少年のような優しさと無邪気さが想像できて、小栗くんのイメージにピッタリだと思った。
そして不思議と、そんな小栗くんとお近づきになれたことに優越感を感じてしまった。
歌っている小栗くんを思い出し、なんて贅沢な人なんだと羨ましくもなり、その自由な雰囲気に憧れる。やっぱり、本当はこれからもっと小栗くんを知りたい、まだまだ話したいことがたくさんある。
友達なのに。
夕さん、絶対気にしすぎだよ。
そうか、夕さんは自分とは違うタイプ、というところに引っ掛かっているのだった。私の相手への興味が、そして話すたびにわくわくする感じが、いつか恋に変わるかもしれないと言うことかな。
自分ではこの関係が変わることは想像もできないけれど、確かに逆の立場ならかなり不安だ。相手に興味があるということは、異性の間ではただならぬことなんだな、と思う。
バスの中で名刺を見つめながら、そんなことを漠然と考えていた。
また、時が立って状況が変われば、改めてお友だちになってくれるかな。なんて、呑気なことも考えていた。
喫茶店で待っている間は、もうドキドキしなかった。
小栗くんは迷惑には思わずにいてくれる。大丈夫だと確信が持てた。その分、山ちゃんの事が気になって仕方ない。小栗くんはやっぱり知っている風だった。
暗いお店を想像すると、言葉にはできない寂しさが、心の奥をそっと叩くような、痺れるような感じがする。
あんなに明るいお店で、ニコニコと笑っていたのに。今が少しでも回復に向かった状態でいることを願わずにはいられない。
「ゆきさん、すみません。お待たせしました。」
5持20分過ぎ、私がここに着いてからたいして差がなく、小栗くんに丁寧に話しかけられる。
「急いでくれたの?ごめんね、ありがとう。閉館時間が退勤時間で大丈夫なの?」
「後は片付けだけだから、僕なんていなくても何とかなるよ。ゆきさん、今日は夕飯ぐらい一緒に食べられる?」
「ありがとう。是非。私もそうできたら良いなと思ってたの。」
「やった。そうしたら移動しよう。ただの飲み屋だけど、友人の店だから気兼ねなく飲めるところがあるんだ。そんなところで良ければだけど。」
「小栗くん、顔が広いね。私なんてお店やってる友人なんて全くいないけど。」
「山ちゃんみたいなことだよ。通ううちに仲良くなるだけ。」
「そうか…。そういうことってたくさんある?」
「普通にない?ちょっと僕、先に外に出て電話してるね。出口のところで待ってるから。」
席の離れかたがうまいな。私はこんなにスムーズにはできない。きっと、飲みかけのコーヒーを飲む時間をくれたんだろうな、と感心しながら、カップを空け、トレーと一緒に片付けて外へ出る。
まだまだ明るい7月の夕方。
本格的になってきた暑さと人の多さで、駅前は熱気がすごい。
小栗くんは私を見てすぐに携帯をしまう。
「ここから歩ける店なんだけど、6時開店だから、少し早めにお邪魔してもいいか確認してみた。」
「そうなの!?急で本当にごめんね。大丈夫だった?」
「もちろん大丈夫。ゆきさんが僕に会いに来るなんて、急以外の方法が無いでしょ?全然平気だよ。何度も言うけれど、ゆきさんは気を遣いすぎだよ。行こうか。」
「ありがとう。その言葉にいつも安心させてもらってます。」
「大したことじゃありません。」
小栗くんがニコニコと笑う。
つられて自然と、穏やかな笑顔になる。それが小栗くんという人だ。
お店は、駅から少し歩いたビルの半地下。カウンターのあるお洒落な雰囲気の居酒屋さんだった。照明は山田さん家よりおとされているけれど、白い煉瓦風のタイルと赤茶の木目家具が欧風ですごく素敵だ。
「こんばんは、羽山です。よろしく。」
と、カウンターの中のお兄さんは嬉しそうに声をかけてくれる。
「柳井です。開店前なのにすみません。よろしくお願いします。」
笑顔で返してから会釈をする。
「今日予約入ってる?端の座席座っても平気?」
「何だよ絢仁。久しぶりに来てこんな可愛い子と二人で奥に引きこもるのとか、俺に失礼だろ。」
「はははは、間違ってもゆきさんには声かけないでくださいね。」
「お。その感じは本気だね。」
「違いますよ。僕は真面目なんです。」
「信じられないね。」
二人のやり取りは屈託なく、笑顔で、内容のわりにいやらしさも無かった。小栗くんに軽く腕をひかれて座った席は、L字形の店舗の、カウンターからは死角になる角にあって、小狭い感じが丁度良く落ち着く。クーラーの温度も心地良い。
「ビールでいいの?」
荷物を置く間も無く、カウンターから声が聞こえて来る。
「ゆきさんは?山ちゃん作ってくれるようなのなら、ここでもできると思うけど、そんなこと言ったら研究熱心な山ちゃんに怒られるな…。」
「あはは、確かに。山ちゃんが出してくれるものって一工夫してあるよね!でも私、山ちゃんところ以外でカクテルとか飲まないよ。小栗くんに合わせる。」
「洋平さん!ビール2つお願いしまーす。」
「はいよー。」
小栗くんが座席から叫ぶ。
私たちと羽山さん以外には誰もいない店内に、良く通る、本当に良い声だ。
「このお店でも、歌ってるの?」
座った席から見える空間にアンプが置かれている。店内のテーブルはその空間に背を向けないように配置されている。そして小栗くんの声は心地よく響いた。きっと、演奏できるお店なんだ。
「ゆきさんすごい。何でわかる?」
「アンプとお店の座席配置?それから小栗くんの声が良く響いたから。」
「そんなことまで気が付くのか。すごいね。僕はここではもうやってないんだよ。学生とか20代前半の子達が中心で、これからって人達を集めてるからね。僕も学生時代にお世話になったけど。」
「だからお店の人と仲良くなれるんだね。そうでもないと、店員とお客さんってそんなにすぐには友達になれないと思うけど…」
「はい、お待たせしました!」
会話の途中に堂々と入ってくる笑顔の羽山さん。背が高く短髪、切れ長の目。白ワイシャツとギャルソンエプロンがとてもよく似合う。すごくイケメン、というわけではないけれど、全体的な雰囲気がお店とも合っているし、バランスがとれている感じ。
「ゆきちゃんでいい?絢仁が女のコ連れてくるなんて珍しいんだよ。どこで知り合ったの?何してる人?」
自分の椅子を持ってきた羽山さんが、お誕生席に座る。
「洋平さん!僕まで同じ種族の人だと思われたら嫌だから、あまりがっつかないで下さい。山ちゃんのところのお客さんだよ。山ちゃんのはからいでお知り合いになりました。」
「そうなの?」
驚いてつい私が口を挟んでしまう。
「そうなんじゃないの?意図的に会わせたくてチケットゆきさんにあげたんだと思ってたけど、違うのかな?」
小栗くんは私の方を向く。
「何のことだかよくわからんけど、確かに山ちゃんの好きそうなタイプの子だね。納得。」
「そうなの…?」
「そうだね。」
「そうだね。」
小栗くんと羽山さんは二人で顔を見合わせてゲラゲラ笑っている。子供のような顔で笑っている。そんな小栗くんもまた、小栗くんらしい。
誰とでもすぐに馴染めてしまったり、私なんかにも自分の知り合いを紹介してくれたり、自分の進む道や行動にあまり悩まず生きている感じがする。いつも自然だ。私のようなひがみっぽい人間にはそこがたまらなく魅力的だ。そんな価値観が伝染してくれないかと期待してしまうほどだ。
物事を選択する時にはちゃんと理由があって、辻褄が合っていて、整っていなければならないと思っている類いの人間には、本当に眩しい存在。
「そういえば、山ちゃん体調はどうなの?」
羽山さんは急に真剣な表情になる。
「話を聞いて、先週お店も覗かせてもらったんだけど閉まってるし、気になってたんだけど。」
「ああ、ゆきさんも今日それを聞きに僕のところまで来てくれたんだよね?」
「うん。お店がなかなか開かないから気になっちゃって。」
「はー。山ちゃんって人徳だよね。心配してくれる人がいっぱいいていいなー。安心して。山ちゃん自身は元気なんだよ。とは言えそういった心配がある、と言うことは今回のことでわかったわけで、奥さんが気にしちゃってね。」
「元気なの?良かったー。」
「ゆきちゃん。良い子だね。」
「それ、山ちゃんも僕に良く言ってるよ。」
「オカマおじさんと一緒か~!」
「それは小栗くんも私に言ってたね。」
「俺黙ってようかな。」
「ははは。洋平さんも今度山ちゃんとこで一緒に呑みたいね。まあ、そんなで、夕方店開けちゃうと、どうしても酒出すことになるから、日付変わるまでは働くことになっちゃうって、今、昼にお店開けてるよ。奥さんのランチと、ノンアルコールカクテル出してるみたいだよ。それも先週辺りからだけど。」
「そうなんだ!でもお昼じゃすぐには行けないな…。小栗くんは山ちゃんに会った?元気そうだった?」
「うん。変わらないよ大丈夫。ちゃんと仕事してる。」
「良かった。ありがとう!安心した。必ず時間を見つけて会いに行くようにするよ。」
「ゆきちゃん本当に良い子だね。山ちゃんも幸せな人だな~」
羽山さんが呟きながら席を立つ。
「今日は少し呑んで行ける?」
小栗くんはきっと、会いに来た理由が解決した事を気にしてくれている。
「大丈夫。」
「ありがとう。」
また、
小栗くんの顔には『うれしい』ってかいてある。
それが私も嬉しい。
わかりやすいって恥ずかしい事だと思ってたけれど、こんな気持ちにさせてもらえることもあるんだな。
とても安心する。
居心地が良い人って、こんな人だ。
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