第16話 再会

ちゃんと、私の動向を気にかけてくれている、ということがわかって嬉しかった。


家に帰ると、居ないと思っていた夕さんがいて嬉しかった。


単純な私は、何度悩んで、何度小さく縮まって沈んでも、やっぱり夕さんという存在に救われて、浮かび上がり息ができるようになる。

不安なんて無いんだと、心に叩き込む。


「紅茶入ったよ。こんなことなら、駅前でケーキでも買ってくれば良かったなー。」


「まだ7時だよ、どこかに食べに行こうか?」


「本当!?お寿司かな~」


「うーーん。たまにだから贅沢して回らないところ行く?」


「回るところが良いんだよ。カニサラダとか、カリフォルニアロールとか、海老天握りとかないと嫌だもん。」


「ゆき、、お子様メニューで十分だな。」


「なんとでも言って!早くお茶飲んで行こ!」


久々のデートに気分が踊る。


仕事とは関係のないところで、長い時間一緒にいられる、それだけで良い。


お腹いっぱいになって帰宅して、今日は二人いるし、と思って湯船に湯を張って、


「一緒にお風呂に入る?」


て聞いたら、夕さんが照れた。


「この前うんって言ったのは勢いだよ。」


って。

そんな最近のように言っているけれど、2ヶ月も前の話だ。それほどまでに二人は、あまり二人きりの時間を過ごせていない。


「なんで、いいじゃない。」


なかば無理矢理バスルームに連れていって、自分が先に脱ぎ始める。


「ゆき…誘ってるの?」


「堂々と誘ったでしょ?一緒にお風呂に入ろうって。」


「そういうことじゃないよ。」


いつもは根っこのところでジメジメとした私だけれど、夕さんがこういう反応ならイタズラ心が顔を出す。


大きいとはお世辞にも言えない湯船に、夕さんに後ろから抱えられる形で一緒に入る。私の胸の前でクロスされた腕は全然動かなくて、夕さんの濡れた前髪が首にあたる冷たさと、肩にそっとキスするように触れる唇の柔らかさを、からだ全部で感じていた。


誘っておきながら、本当はそれほど緊張していた。


夕さんが囁くように話す。

「湯船に浸かるの久しぶりだね。気持ちいい。」


「うん。」


「ゆきの肌も気持ちいい。」


「ん。」


「あっ!ダメだよ。今甘い声出したらスイッチ入っちゃうから。」


水しぶきが顔にかかるぐらい勢いよく、夕さんが私の体を離す。


「あはははは!今日の夕さん変だよ!別にはじめてって訳じゃ無いのに~」


「なんか今日のゆきは、いつもとちょっと違う。明るい?というか、はつらつとしているというか…すごく可愛い。意味もなくドキドキしちゃうんだよ、仕方ないだろう?何かあった?」


背中を向けていて良かった。一瞬ドキッとして、真顔になってしまった。

胸が痛いのは、『山田さん家』の事を話していないからだ。でも、悪いことをしているわけではない。

そう自分に言い聞かせる。


平常心。


「午後時間休で今日は久しぶりにゆっくりできたし、帰ったら夕さんいるし、テンションがおかしいかな?」


「いや、ありがとう。可愛いよ。」


「どっちが甘い声よ!夕さんのその声も反則です。」


そっと振り向くと、お風呂の暑さでか、照れてか、いつもよりほんのり顔の赤い夕さんが、眼鏡を外すと輪郭ぐらいしか見えていないはずの私の顔を見つめて、頬に優しく触れる。


「お化粧してなくても十分だね。」


「今見えてないでしょ!」


「そっか。ぼやけているからきれいに見えるのか。」


「失礼だー。」


「まあまあ、ははははは。」


どうしても処理しきれない気持ちを抱える事になったり、もうどうなっても良いと思えるほど満たされたりするのが恋愛なのだろうけれど、心がいくつあっても足りないと思うほど、相手の一挙主一行動に踊らされるのは本意では無い。

本当の私と、相手を大切に思う気持ちの狭間で、そのうち自分がバラバラになってしまいそうだ。


あるところではクールに、これ以上は相手に飲み込まれないという一線を引いておきたい。

それができるのが、『自分』でいられる場所があることなのかな。と思う。


そうして私らしく生きていた方が、夕さんの前でも魅力的な私で、きっといられるんだ。


と、自分の行いを正当化して、悩みもなく、穏やかな気持ちで数日を過ごしていた。



少しの間満たされた思いでいたら、つい山ちゃんにお礼を言いに行くのを忘れていた。


先週も山田さん家行かなかったな。


夕さん接待の予定で、自分は19:00にはあがれそう。こんな日は少しゆっくりできるかもしれない。


退社時刻前から少し急ぎ足目に仕事を片付け、変なトラブル起こりませんようにと心の中で祈って、ようやくキリが良くなったところで18:30。


「よし!」


小さな声で呟いたつもりが、お隣の華江ちゃんが振り向く。


「今日何かご予定あるんですか?」


「知り合いのお店でご飯でも食べようかと思って。」


「一人で?」


「一人で。」


「マジですか?ゆきさん、お一人様OKタイプなんですか?恥ずかしくないんですか?」


「華江ちゃん、女子高生みたいだね。」


「牛丼とか焼き肉も行けちゃいますか?お一人様。」


「あんまりお一人様を強調しないで!牛丼はまだしも焼き肉は無理でしょ。一人じゃつまらないもん。」


「え!じゃあ牛丼は行けるんですか!?尊敬です。」


「待って、そんなところ尊敬して欲しくないよ。今日は知り合いのお店って言ったでしょ。お一人様じゃないよ!」


「はいはい、お食事楽しんできてくださいねー。」


「華江ちゃーん、信じてないでしょ~。」


新チーフ(かなり年配おじ様)が声をあげて笑いながら、

「二人は仲が良かったんだね。」


と嬉しそうに言っているから、もう、そういうことにしておこうと思って席を立つ。


「ということで今日はお先に失礼します!」


「はい、お疲れ様でした。」

「お疲れ様ー」


二人の声に軽く会釈をして会社を後にする。


華江ちゃんに「予定は何もない」と嘘をつかなかったのは、自分の良心を守るため。


でも結局、本当は『お一人様』なのに、『知り合い』だなんて見栄を張ったわけで、始めから何もないと言えば良かった。


明日デスクで、夕さんの目の前で、「昨日は楽しかったですか?」なんてもしも言われたら、なんて答えればいいだろうか。


まったく華江ちゃんのばか。16:30からの努力も、さっきまでのウキウキも返して欲しいほどめんどくさい気持ちになっていた。


それでも足は山田さん家へと向かう。


こんな気持ちだからこそ、真っ直ぐに早足で向かう。


電車に乗り、自宅最寄り駅で降りて、山田さん家数メートル前からまた歌声が聞こえてきた。


今日もあの子が来てるかな??

足取りが少し軽くなって、また少し楽しみな気持ちが膨らむ。


角を曲がるとガラス張りのお店の灯りが通りにこぼれ落ちる様子が見える。

歌声は鮮明になる。


男の子だ。


女の子のような高い歌声は、でもしっかり男の子とわかる声だった。


ガラスの壁から中をのぞく。


「あっ!」


一人なのに大きな声を出してしまった。

一瞬、目を疑った。


後から考えれば全く疑問にも思わない、自然な成り行きだったけれど、おバカな私は運命かと思った。

そしてまた、懲りもせず、中から丸見えなのをすっかり忘れて、暗い外から明るい中を、口を開けたまま凝視してしまい、ニコニコ笑顔の山ちゃんが扉を開けて「おかえりなさいゆきちゃん!」と声をかけてくれた。


「あっ!ありがとうございます。こんばんは山ちゃん。先日はチケットありがとうございました。すごく楽しかったです。」


「それは良かった。」


「今日もアーティストさん来てるんですね。」


「彼が一番の常連さんよ。チケットくれたのも彼だからね。」


そうか!


と、ここでようやく気が付く。


彼の方がこのお店に以前から、何度も来ていて、山ちゃんにあげたチケットが私のところへきたのか。


間違いなく、プラネタリウムにいた彼だ。


山ちゃんと小声で話しながら、カウンターに座ってジャケットを脱ぐ。


そうしている間も彼から目を離せずにいた。


柔らかく膨らませた茶色い髪。

笑うと少し眉の下がる優しい表情。

細めの体格。


歌ってる。


ものすごく良い声で歌ってる。


山ちゃんが、多分ドリンクのオーダーを聞こうと私の前に立って待っていてくれたのに、私はただ真剣に、聞き入ってしまった。目や耳だけでなく、感情まで吸い込まれるような声と、表情。迫力。

この感覚の中で、周囲に気を遣うことなどできなくて、わかっていたのに山ちゃんの方を見ることができなかった。


目を奪われる。とはこういうことか。耳を奪われる、と言った方が適当か?


山ちゃんは多分微笑みながら、私のためにピンク色のカクテルを作って目の前に置いてくれた。


ようやく山ちゃんの目を見て、「ありがとう!」と高揚した声で伝えると、

「ゆきちゃん、そんな顔してるよ。かわいいピンク色。」

いたずらっ子のように40は過ぎただろうと思われる山ちゃんが、うふふと笑う。

これがそんなに違和感がないので不思議すぎる。


「え!本当に!?」

小声で、派手に驚いて頬を両手で覆う。

こんな時、本気で照れては余計にどうして良いかわからなくなってしまう。


「ふふふふ、ホントホント。惚れるよね~この声。本当にいい声だよね~」


山ちゃんが顎の下に手を添えながら、しみじみと言う。


「本当。良い声すぎる。外見とのギャップがまた何と言って良いか、いいですよね。」


「ゆきちゃんもそう思う!?気が合うー!私もそう思うの。優しげな顔で癒し系の声だから、見たままだと言う人が多いのよ。」


「うん、確かに癒し系の声なんだけど、何と言うか、人を飲み込みそうな迫力が…上手く説明できないけど。」


「わかる~!この感覚、共感できたのはゆきちゃんで2人目、もう一人は田中さん。」


「田中さんか~山田さん家のメインキャストと共感できて光栄です。」


声を殺して笑いながらも、耳は、意識は、常に歌声に引き寄せられる。


切なげな声色で歌う歌詞は、『ただこんな僕のそばにいてくれた時間があった、その事だけに心から感謝の気持ちを…そして君の幸せを、僕の側には神様がいないから、あの人のそばにいる神様に』


というおそらく失恋の歌で、オリジナルだろうな、と思いながら山ちゃんの作ってくれたカクテルに口をつける。

ピーチの香りかと思いきや、グレープフルーツの味に驚いてグラスを離して色をもう一度確認してしまった。

顔に『意外』と書いてあったらしく、山ちゃんは嬉しそうに顔を近づけて、

「恋の始まりって甘い香りだけど、飲んでみるとほろ苦いのよ~見てるだけならこんなに可愛いピンクなのにね!」

と思っていた事が全部口から出ていたかと驚くほどのコメントを囁く。


「恋かー。確かにこのカクテルぴったりですね。」


「スプモーニよ。お酒強いゆきちゃんには物足りないカンパリベースだけど、甘さのわりにスッキリしたところはゆきちゃんらしいとも思うよ。ピーチエッセンスいれて騙してみた。」


「ですよね!?始めピーチジュースかと思ったから、飲んでビックリしたじゃないですか!」


「色と香りに騙されたゆきちゃんの負けー。」


「え!何に負けたの!?」


「ふふふふ、ゆきちゃん恋も慎重にいかないと、すぐに騙されちゃうからね!」


「気を付けまーす。」


「後1曲ほど歌ったら休憩に入るわよ。紹介してあげるから安心して。」


「山ちゃんなんか勘違いしてますね…。こんな私でも引く手あまたなんですよ。」


「ゆきちゃんはモテルわよー。わかってるけど、彼とあなたはきっと仲良くなれる。悪いこと言わないからお話ぐらいしてあげて。」


山ちゃんが「してあげて」と言った。


私に彼がいるとかいないとか、そんなことはどうでも良さそうだった。

そうなると、これ以上自分の今の状況を押し付ける必要はないと思った。


あまりプライベートを伝えたくないと言う本心もある。


山ちゃんは私達を出会わせたかったのかとすら、つけ上がったことを思った。


「話してみたいです!」


流れに身を任せればいい。ここは、そういうところだし。

深く考えない私でいく場所だ。





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