12

その次の日から部活には何もなかったように顔を出した。大会が近づいているからか、練習メニューはいつもより多くなり、それをこなすのにいっぱいいっぱいだったからあの人のことを考えずにすんだ。


考えてしまえば、今の俺でも少しは顔に出ると思うから。忙しい方が有り難かった。


まだ明るい空気は戻ってきてないけれど、大会という緊張感からかピリッとした空気が生まれている。健太だって、近いと言ってもまだ日にちはあるのに「心臓が痛い」などとボヤいている。


高校入って初めての大会。緊張とかするのは仕方ないと思うが、心臓痛くなるのは早すぎだろと思う。


あの日からあの人のところに行っていない。部活で忙しいっていうのもあるけど、俺はあの人に遠慮してしまいそうだった。言葉を選んで話して、部活の事は極力話さないとか無意識にしてしまいそうで、怖くなる。


それをされる気持ちはよくわかるから、俺はしたくなかった。


結局、口を開かないという考えに至る。あの人のことだから質問してくるだろうし、それを答えるだけに専念すれば間はもつだろう。

でも、あの人は結構鋭いから気づくんだろう。



「遠慮してる?」



そう聞くあの人の表情を想像するだけで、ちくりと胸が痛む。


それにほら、兄貴が行ってるから俺は邪魔したくない。兄貴の方が水野先輩も幸せだろうし。


……自分で言ってて虚しくなる。



「アキ」



練習も終わり、着替えに行こうとすると矢田先輩から呼び止められる。振り向けば深刻そうな顔つきで「少し時間あるか」なんて言うもんだから、何事かと思ったのと同時にあの人のことを勘づかれたのかと不安になった。


着替えを済ませ、健太とシンに別れを告げて外に出る。着替えを終えていた矢田先輩は、壁から背中を離し笑った。


わかりやすいな、と思った。あの人と同じで無理して笑うことが下手だと思った。でも、そんな顔をするってことは答えは一つしかない。俺はうつむいた。




誰もいない公園。いつもなら子供の声で姿で溢れているはずなのに静かなここは、俺たちの息も歩いている音も響いている。


夜になっているから誰もいないのは当然だけど、昼間に誰もいないのとはだいぶ雰囲気が違ってて、寂しげで、でも少し怖く思う。暗闇に包まれているからと言ってしまえば終わりなんだけど、昼と夜でこんなにも雰囲気が変わって自分がこんなふうに思うことが驚いた。


ここに来る道のりと矢田先輩がベンチに座り荷物を置くまでの時間は、ここに負けないぐらい静かすぎてささっと喋るかと思ったら意外にも口を開かなかったから、俺もどうやって話しかけたらいいかわからなかった。


……それもそうか。


俺の考えがあっているのなら話しにくいのもわかる。

自分の中で認めたくないっていう感情と、でも嘘だと思えないという感情が入り混じってごちゃごちゃになってるのかもしれない。俺がそうだった。


あの人を見てしまったら案外あっさりと「本当なんだ」と思えたけど、病気が病気なだけあってあの人の明るさを見ると「嘘じゃないか」とも思う。けど、そこが病院っていうことが何か説得力があって納得せずにはいられなかった。


しかも細かく病気の症状まで言われてしまえば、ね。



「――メールが来たんだ。水野から」



やっぱりそうか。そう思うのと同時に俺に黙ってろって言ったのは何だったんだと思った。


矢田先輩の絡められた両手がぎゅっと力が入れられた。髪が短いことと俺が少し離れた所のとこに立っていたこともあって、矢田先輩の表情はすぐに読むことが出来た。


まるで試合に負けたかのような悔しそうで、何も出来ないことがわかっているからこそのはがゆさを感じているようだった。



「アキと同じことを言われたよ。誰にも言わないでほしいって」



俺たちは医者じゃない。だからどんな治療がいいのかも手術をすることも出来やしない。

もし医者だとしても、あの人の病気は完璧に治すことは無理で、せいぜい少しの和らぎを与えることしか出来ないんだ。


あの人が暇しないように、一人にならないように、寂しくないように、お見舞いに行って最近の出来事や部活のことを話す。


それが簡単に出来ればいいんだろうけど、生憎俺は出来るはずなく。つまらないことばかりを考える。

例えば、その行動は本当に正しいのか。それであの人は本当に嬉しいのか。馬鹿なことばかり考えて今の俺がいる。


だってそれで寂しさが、水泳が出来ないことのはがゆさが消えるのか。

答えは、ノーだ。



「無理に決まってんじゃねぇかよ。……なんで、なんであいつなんだよ」



あんなにも水泳が大好きだと伝わってくる人が、決死の覚悟で水泳を辞めることを選んだ。あの人の言い方はきっと一ミリも泳がない、そんな意味が込められているように思えた。


いや、そうなんだ。俺に言った言葉が十分な答えになるから。

「最後に泳ぎに行くから」って、ほんとなんなんだよ。



「大会には出させてくれねぇのかよ……!」



二週間後に控えた水泳大会。ちょうどその日にあの人の手術日になっている。

当然あの人は出れないし、最後に泳ぐことを先生に無理言って頼んだと言っていたから、運動そのものを控えるように言われていたのかもしれない。


被ってなかったとしても、あの人は出れなかったんだ。


矢田先輩は震える声で「なんで、」そう繰り返していた。見たこともない弱々しい姿に声に胸が痛くなって、どう声をかければいいのかさえ思いつかない。


こんな時、兄貴だったらどうしただろう。どんな声をかけてやれたんだろう。



「早く言えよ、あの馬鹿」



なんで、という声がなくなって少し後。小さく呟いたと思ったら立ち上がって、そのまま両手で自分の頬を思いっきり叩いた。音からして痛そうなのは凄くわかったけど、横から見える矢田先輩の顔はしっかりしたものに変わっていて何かを決意したみたいだった。



「アキ。明日練習休めるか?」


「え…………あ、はい」


「明日一緒に見舞いに行ってくれねえ?」



申し訳なさそうにそう問われて、断る理由もなかったし俺もしばらく行ってなかったからちょうどいいと思って、わかりましたとだけ答えた。


礼を言われそれに首を振った後、何かを考えたのか苦い顔つきへと変わった。



「俺……休んで大丈夫かな……」



ブツブツとそんなことを言っているのが聞こえてしまって少しだけ頬が緩んだ。


多分、矢田先輩がいなかったら指導する人がいなくて困るんじゃないか。っていう理由もあるんだろうけど、今の矢田先輩の顔からすれば……大会が大丈夫なのかっていうことなんだと勝手に解釈した。


考えるのを諦めて笑って自己暗示してた。



「……矢田先輩にも変なとこあるんだ 」



変なことって言っていいのかわからないけど、その光景があの人を思わせて何となく似てるのかなって思ったり。矢田先輩でもそんなことするんだなって思ったりして、気づけば口に出していた。


結構小さく言ったつもりだったけど、矢田先輩の体がピタリと止まって瞬時に口をそっと隠して、ゆっくりとこちらを向く顔を見ないようにこちらもゆっくりと目線を外す。



「アキー?聞こえたぞー?」


「…………気のせいだと思います」


「いや、俺の耳はしっかりと聞き取ったぞ。アキくん」



後ろに一歩下がったのも意味なく、矢田先輩の手によって俺の髪の毛がぐしゃぐしゃにされていく。


フラッシュバックした中学の頃の映像。矢田先輩が一瞬だけ兄貴に見えて、俺の脳が見せたものはすぐに消えたけれどそれでも俺の目に溜まっていくものがあった。


あまりにも似ていたのかもしれない。


今となっては感覚なんて覚えてないに近いけど、なんでだろう。矢田先輩に今こうされることが懐かしいと思うし嬉しく思った。



『私が手術するまでには、お兄さんと仲直りしなよ』



あの人の言葉が思い出される。


喧嘩したわけじゃない。けれど以前よりは喋る回数も目を合わせることも減ったし、何より俺は性格を変えた。でも変えることなんて簡単じゃなくてやっぱり変わってない部分が占めている。

兄貴には色々心配かけて、遠慮させて、どうしても素直になれない俺は「ごめん」の一言さえも言えなかった。


でも、あの人が俺に言った言葉たちが俺の背中をどんどん押して言ってくれて、やっと向き合うことが出来そうで謝れそうだと思った。今なら素直に兄貴に負けたことを受け入れることも、いつか兄貴が言った「勝負しよう」も快く引き受けれそうで、そんな変化が嬉しかった。


兄貴も水泳も嫌いになれるわけがない。どっちも大事でどっちも好きだ。


自分の暗い部分に飲み込まれてしまいそうだった。足元から俺の体全体を包もうとしていくものに足掻くことも出来なくてしようともしなくて、これに飲み込まれれば壊れるのかなんてしょうもないこと考えて諦めてたら光が俺の目の前に現れた。


手を伸ばそうとして、やめた。

俺はその光になれないから、開いて伸ばした手をだらんと下ろして拳に変えた。それでいいと思う自分とどこかで嫌だと思う自分が交差して、それがまた黒いものとなって俺を包んでいく。悩んでも答えなんて出なくてそれがどうしようもなく悲しくて崩れてしまいそうだった。


――手が伸ばされた。


顔をあげれば、あの人が優しく笑ってて「大丈夫 」って言って俺を待ってた。

こんなにも温かくて俺の中になかった光が少しずつ芽生えてきて、でも俺はそれをどうしても認めようとしなかった。あんなことしたのに今更って思ってたんだと思う。


――俺の背中を誰かが押した。


振り返ればそこにいたのは、健太とシンで早く行けとまるで送り出すかのような笑顔で俺を押すから。あの人の手を握ってみたんだ。


ぶわっと今まで悩んでたものや俺の中で塊のなったものが吹き飛んで、手から伝わる温度が身体中を回っていってあの人の光が俺を包んでくれた。

いつの間にか先輩の後ろには、兄貴がいて矢田先輩がいて健太やシン、それから部員みんな、家族がいて俺はこんなにたくさんの人に支えられてたんだなって思った途端子供みたいに泣きじゃくった。


俺はもう、違うんだ。今、本当に変われたんだ。



「ありがとな、アキ」



多分、あの人の話を聞いてくれたことに対してだろうけど、矢田先輩の言い方では他のことも含まれていたように思ったけど俺にはわからなかった。


それでいい。


小さくだけど愛想じゃない顔が出来たと思った。

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