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次の週の月曜日もあの人は来てなくて、部員の横を歩けば心配する声が聞こえる。


矢田先輩は先生に何度も理由を聞いてるらしいけど教えてくれないか、知らないとしか言われないと腹を立てていた。本人からも詳しい連絡無しだから余計にイライラが募っているんだろう。


今の時代便利になったもので、某無料通話アプリで簡単にコミュニケーションがとれる。もちろんうちの部活のグループが作られているわけで、個人的にも送っているであろう心配の声もあの人は見ていないのか『既読』の文字はない。既読数もあの人を抜かした人数だけ。


あれだけ水泳が好きだったのに、いきなり来なくなって……しかも学校も休んでるとか、あの人がやっていることの理由が見えない。


せめて返事くらいしてくださいよ、水野先輩。


そんな願いさえもあの人には届かない。たった一言でも皆は安心するんです、落ち着いてくれるんです、明るくなってくれるんです。


貴女がいない部活は、色がなくなったみたいに白黒に見えるんです。皆の顔が、風景が、水の色が。


笑って言ってくださいよ。「ごめんね〜」って。




***




最近、兄の様子が変になった。正確にはあの人が部活に来なくなって少し経った後、だと俺は思う。


あまり扱っていなかった携帯を何やら熱心に扱っているし、土日はふらーっとどこかに行っている。両親に行き先を聞いてもわからないとしか言われない。


まあ、まだそれはいい。彼女が出来たのかとか大学だから付き合いとかあるんだろうって納得は出来る。けどさ……、出かける時に花束はいらないだろ。


綺麗に包装された小さめの花束を持って玄関から出ていくのを見た時は、兄はおかしくなったのかと心配した。彼女にあげるって言われても信じ難い。兄の柄じゃない事は兄弟だからわかる。


だから問い詰めてみた。



「…………」


「…………」


「……あ、あき、これはどういう状況で?」


「…………」


「……すいません」



机を挟んで向かい合わせに座っている兄と俺。

俺はじっと兄を見つめるばかりだから、変な空気を感じ取っての謎の謝罪なんだと思う。それに肩が上がってるし緊張した顔だ。


こんなことしたい訳じゃないんだけど……これはこれで面白いからいいや。



「花持ってどこ行ってんの」



ビクッと動いたことを見逃さない。



「彼女でも出来たの」


「……えっ、と」


「隠してんのバレバレだよ、兄貴」



何かを覚悟したのか息を吐き出して目線をそらすのをやめリラックスした体制になった。でも、笑い話でも嬉しい話でもないってことは兄の顔を見て気づいた。真剣な顔なのに、下げられた眉とへの字を描く口元。


開かれた口からは、俺に隠すなんて無理だったという言葉が出てきて、そもそもそんなに重いことが最近兄の身に起こったのかと考えた。


そんな素振りなかったし、兄は顔とか態度に出やすいから気づくはずなんだけど多分気に張ってバレないようにしてたんだ。


……俺に隠すようなことって、なに?



「驚かないで聞いてほしい」



間を空けて頷く。


兄の口から告げられる隠し事に、前置きに驚くなと言われても驚かないことが不思議なぐらい衝撃的なことで。俺の体は、耳は、聞くことを拒否したかのように音を拾わなくなって口をパクパク動かす兄が瞳に映るだけ。


処理するのには大きすぎて、最初らへんしか聞いてなくても十分すぎる情報量。


聞いて一番に思った事は、「なんで」じゃなくて「皆にどう言えばいいのか」ってこと。それが一番悩んで答えが出ない問題だった。

ストレートに言ったって、冗談とか思われたりするかも。本気にとったとしても動揺が走って大会練習どころじゃなくなるかも。


それはあの人が一番望まないことだ。


……でも。後から知るって皆はどう思うんだろう。一番親しい矢田先輩なんて怒るんじゃないか?「なんでその時言わなかった」って。あの人の性格は知ってるだろうから言わないのは理解してると思うけど、それでも大変な思いをしてることを知らずに過ごしていたって知ったらショックも大きい。


考えるのは後にしよう。そんなのあの人と直接話した時でいい。それでも十分だ。もしかしたらケロッと帰ってくるかもだし。



「水野が、入院した」



大袈裟だ。

どうせちょっとしたことなんだ。ほら、検査入院って言葉もあるし勘違いだ。



「言わないでほしいって言われたから、黙ってたんだけど……ごめんな」



太ももの上で作られた拳にどんどん力が入って、短いはずの爪が肉に少し食い込む。


あの人がを思い出して、眉間にしわがよる。兄の話を聞いていて刻まれたしわに増して、だからすごく睨んでる人みたいになってる。視野が狭い。


あれ、関係してるのか。


そう思う自分が恐ろしく思った。なんで今、そう思ったんだ。



「俺も数日前に知ってさ、今のアキみたいに驚いたし固まったよ。いきなり過ぎるよなー、それも誰にも言わないでって……俺に言うか!?とか思ったし」



苦笑いをしながら必死に、少しでも明るくこの場を保とうとする兄の行動が見えた。それでも、表情から声色から体から、滲み出てしまっている何とも言えない感情。気づかないようにするのは苦労する。


隠せてない兄に、いつもなら笑って何か言ったりするんだろうけどとても無理。


わかってるよ。本当はこんな現実逃避みたいに「違う」「嘘だ」って思うことは無駄だってこと、した所で事実は何も変わらないこと。こんなことしてる場合じゃない。俺だってどこかで冷静に受け止めているってわかってる。



「――今度手術するらしい」



その言葉の後、静かに顔も上げずに兄に聞いた病院の名前とあの人の部屋番号。実際にある病院名と本物っぽい番号に、俺は受け入れていたはずなのに少しだけ衝撃を受けた。ああ、本当なんだ……とどうしても思ってしまう。


病気で入院してるらしく、何となく病名も聞いてハテナマークが浮かんだから頭の隅に置いた。

調べることはしなかった。怖かったから。


それから一週間が経過して俺はまだ見舞いにも行っていない。兄に細かく聞いておきながらいつも通り授業を受けていつも通り部活に行った。


徐々に暗さが増していく部活内の雰囲気は、あの人が来なくなった最初の日よりも酷くなってて、完璧に見てられないものへと変化した。それでも俺は泳いだ。何も気にしていないかのように、周りが泳ぐことを遠慮してても俺は泳いだ。それを見た部員は驚きの顔をして、どこかを刺激されたのか少しだけやる気を見せた。


行きたくないわけじゃない。むしろ行かないといけないっていう謎の使命感に襲われている。でも、いざ行ったとしてもどう声をかけていいのか……とか考えて日にちだけが経っていった。


そろそろ覚悟を決めないと。


そう思ったのは水曜日。兄から話を聞いてから三日が経っていた日。俺は部活を休んだ。


帰り道、滅多に通らない通りを歩いて花屋さんで小さな花を買った。ついでにそこら辺のスーパーで林檎を一個だけ買った。


短く息を吸い込んで、吐いて、ゆっくり緩く握られた拳であの人の名前の書かれた部屋の扉を二度、叩いた。



「はい」



扉越しに聞こえたあの人の声に変わりはなく、何も異常はないんじゃないかと思わせるほどはっきりと聞こえた声。


早くなる鼓動を無視して、扉をスライドさせ中に入る。スライドさせた扉は手を離せば自動的に戻っていき、ゆっくりと隙間を埋め俺とあの人だけの空間を作った。


案の定、驚いた顔をするあの人。読書していたのかベッドに座っているあの人の手元には、あるページで開かれた小説があった。俺はあの人が固まっているのなんて気にせずに隣にあった椅子に堂々と座って、まずは買ってきた花を渡す。


戸惑いがちに受け取って小さくありがとうと聞こえた。


次に鞄から買ってきた林檎一個を取り出し、あの人に差し出すとさすがに吹き出し笑って変わらぬ笑顔と声で俺にこう言った。



「面白いね、弟くん」

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