「……学校行かないと」



目覚まし時計が鳴る少し前で起きてしまい、どうせ学校だからこのまま二度寝をするには厳しい時間。しょうがなくやる気の出ない体を起こし、制服へと着替える。


……今日部活だよな。

そう考えるだけで溜息が自然と出た。


あんな態度とっていきなり帰って、それをしたことを今更後悔したところでなかったことになんて出来るはずない。そう出来るなら今すぐしている。


何事も無かったように顔を出せればいいけど、それが無理なんだよな俺には。とゆうかあの人なんか言ってきそうだし。……いや、わかんないけど。


ブレザーを着るのをやめ紺色のベストを着用する。初めて着たからなんか違和感はあったけれどお下がりだし大きいから仕方ないと納得させた。

ネクタイを結ぼうと襟を立て首の周りにかけたところで、セットしていた目覚まし時計がジリジリと鳴り始めビクッと体が大きく跳ねた。止めた今でも心臓がバクバクいっている。早く起きるのも不便だな。


下に降りていくと現時刻が午前七時前なこともあって、両親ともに起きていた。リビングの扉を開けた瞬間漂った朝ごはんであろういい匂い。 それはお腹が空いていると感じていなかった自分の脳に、刺激を与えたようで一気に食欲が湧いた。



「おはよう。もうすぐ出来るからご飯よそってくれる?」


「うん」



キッチンに立って料理してる母と新聞を読んでいる父。母は扉が開いた時に俺の存在に気づいたけど、父は全く見向きもせず新聞に没頭していた。



「おはよう、父さん」


「おはよう」


「……ご飯は?」


「普通ぐらいでいいよ」



びっくりしないあたり気づいていたんだと理解した。


茶碗としゃもじを持って炊飯器の蓋を開ける。湯気とともにお米のいい香りが顔全体を包み込み、それがすぐ後ろで作られている目玉焼きの香りと妙にマッチして腹が死にそうになった。


なんとか我慢して父さんと母さん(量は聞いた)と自分の分をよそう。兄貴はいなかったから用意しなかった。よそい終えたそれと盛り付けられた目玉焼きを食卓に並べ、忘れていた歯磨きと顔洗いをするべく洗面台に向かう途中に扉が開かれ兄貴が明るく登場した。



「おはよー。うわ美味しそー」


「おはよう。ナツも歯磨きしてないんでしょ、アキとしてらっしゃい」


「はーい」



何が楽しくて兄貴と並んで顔洗って歯を磨かなきゃならないんだ。しかも兄貴とはちょっと気まづいっていうのに。……話してないからしょうがないけど、ほんとタイミングが良すぎて笑いも出ない。話していたところで関係なくされるんだろうけどさ。


諦めて洗面台に立ち、ピンで前髪を上げ顔を洗う。水で顔を濡らした時には遅かった。タオルを用意していないことにがっかりした後、目を開け探そうとしたら目の前にタオルが差し出された。



「はい」



変わらぬ態度と笑顔で気遣ってくれたことが正直ホッとした。



「……ありがと」



兄貴が洗い終えた後も、俺も同じことをして礼を言われた。悪い気はしなかったけど、顔だけはそっぽを向いてやった。何となく恥ずかしかったし。


歯磨きも顔を合わせることなく終了させた。


兄貴は自分の分のご飯をよそいに行き、俺達は先に朝食を食べ始めた。うん、美味しい。


目立った会話もせず食器を洗い場に置き、俺は二階へと上がり学校の鞄に必要なものを詰めていった。水着、その他必要なものの入ったバッグは昨日のうちから一応用意しておいた。最後の最後まで持っていくことを悩んだけど、休むのも嫌だったから結局持っていった。



「行ってきます」


「いってらっしゃい」



声だけで見送りを聞き玄関を開けると、俺を呼び止める声。振り返ると兄貴がいて手には風呂敷に包まれた四角いもの。



「忘れ物」



そう言って手渡されたお弁当を鞄に入れて、兄貴の見送りを聞きながら学校へと向かった。


家から歩いて行ける距離にある学校だから決して遅刻することは無い。寝坊さえしなければ。高校が近いところにあって本当に良かったと思う。チャリとか電車、バスで通うなんてめんどうだし、チャリはまだしも電車やバスは時間を間違えれば一環の終わり。そんなのはごめん。


そんなことはいいんだけど。


今の俺の頭の中は部活のことでいっぱいで。どうやって挨拶しようか、どうやって部活行こうか、いっそのこと休むのか、そんなことばかり考えている。


休む、はさすがにやばいよな。大会前だし。


でも、俺は大会に出れるなんて保証はない。出れたとしても俺は泳げるのか?こんな不安定すぎる状態でまともな泳ぎが出来るのか?簡単にイエスなんて言えない。足を引っ張るぐらいなら出ない方がマシだ。


自分でもわからないからこそ怖くなる。自分の抱えてる暗い部分が、自分が感じてる劣等感や不安そんなものの大きさが把握出来ていない。


だから怖い。

これが溢れてしまったら?飲み込まれたらどうなるんだろう。ーー俺は俺でなくなるのか?


ぞわりと背中を何かが走り、首を振って考えるのをやめた。考えれば考えるほど俺は飲み込まれていっている気がする。

俺は水泳が好きだ。その気持ちはある……ちゃんと、あるから大丈夫消えてない。本格的に好きじゃなくなれば泳げなくなる。きっと俺は抜け出すことなんて無理だ。どんどん飲み込まれていって、深い深いところまで進んで最終的にはーーどうなる?


俺は、壊れてしまうっていうのか?




***




三時限目の授業が終わり教室の中と廊下が騒がしくなる。ベランダ側の席はこういう時便利だ。人が多くなることもなく騒がしい声は聞こえるが距離はあるからまだいい。


次に必要な教科書とノートを取り出し、さあうつ伏せになろうとした俺に滅多に来ない訪問者が二人。誰かと思って顔を上げれば、健太とシンだった。



「なあ、アキ」


「……なに」



妙に深刻そうに話しかけてくるから何かと思えばいきなり口を閉ざす。さっきから目線は合わないし閉ざされた口はもごもごと動いている。言いにくそうにしているのは明らかだった。


話しかけられたやつからしてみれば早く言ってほしいというのが本音だが、言えるはずなくただ口を開くのを待っていた。気になって仕方ない。


すごく不思議な空気が流れ、俺が口を開けてすぐにシンが笑顔で言う。



「今日部活来るよね?」


「あーっ俺が言おうとしてたことなのに!」


「健太が遅いんだよ」



悔しそうにする健太をよそに、そんなことを聞きに来たのかと納得する自分。まだ行くことなんて決めていなかったし考えてもなかった。昼休みにでもーって思ってたから。



「で、来るのかよ」



シンが言ったことで言いやすくなったのか、さらりと聞いてきた健太に「わからない」と答えた。健太に「はあっ?」と予想通りの反応をもらったが、俺は目を合わせずにただ苦笑いすることしか出来なかった。


だって行きにくいじゃないか。何言われるかもわかんないし、俺だって昨日あんなことしなきゃ良かったって思ってるんだ。とっさにしてしまったことを、後悔してる。



「……俺、中途半端なやつだから。ごめん」



なんでそんなことを二人に言ったのか、自分でも理解不能だった。言ったところで何言ってるんだコイツって思われるのがオチだし、俺の中が解決するなんて思わない。


なんでだろう。勝手に口が動いてた。


これ以上踏み込まないように線を引いたつもりなのかな、俺なりに。もういいんだって諦めるように。



「中途半端がどうしたんだよ。そんなんで俺が部活休ませると思うなよ」


「……え」



なんで、なんで構おうとするんだ。

なんで、そうやって俺をーー。



「アキが水泳好きならそれでいいじゃねぇか。それに俺の方が中途半端だよ、本気でやってる人たちに比べれば。小学校の時何となく初めてズルズルやってきてるんだからな!」



そこは威張る所ではないと思うけど。でも健太らしいや。



「楽しいってだけじゃダメなのかな?」


「……楽しい、」


「そう。それだけじゃ水泳する意味になんねぇのかな」



なぜか俺より本気で悩み出す健太。両腕を胸の前で組み眉間にしわを寄せ口をへの字にしている。


勝負するのは“楽しい”し……遊んだりするのも“楽しい”し……なんてことをブツブツを言うのを聞くとそれもそれでありなんじゃないかと思ってくる。理由なんてそれだけで十分なんじゃないかと。


あの頃だって、俺は純粋に水泳を楽しんで勝負を楽しんで。でもいつしか兄貴に勝つことが俺の最終ゴールみたいなものになっていて、頭の隅にずっといたんだ。兄貴に追いつきたいばかりに健太みたいな感情を忘れていた。



「アキの悩んでることは俺らにはわからないし、教えろっていう権利もないけど、力になることは出来ると思うんだ。少しずつでいいと思うよ、焦らずゆっくり……健太みたいなのもいるんだから」


「おい」



健太がつっこむのを笑いで誤魔化して、俺に言葉の続きを伝えるシン。その言葉によって俺の中の何かがじわじわと溶けだしている気がする。

それはほんのちょっとかもしれないけど、俺にとっては大きなものなんだと思うんだ。何でだろうね。


シンの優しい笑顔がそれに加担しているな。



「俺達“友達なかま”でしょ?」


「そうだぞ。溜め込むな、俺達に吐き出してくれたっていいんだから」



……そうか。俺達は“友達なかま”なのか。


こうやって直に伝えられることが嬉しいなんて初めて知った。冷たかった体に暖かい何かが流れ出し、俺の中心部からじわじわと侵略していく。


俺にもいたんだな、友達。



「……ありがとう」


「おう」「うん」



少しくらいは口元が緩んでる俺は、改めてこいつらに助けられていたんだと気づく。二人の存在がとても有り難い。


自分自身の問題だけど、シンの言葉や健太の広い心のおかげで大切なものに気づけてこうしてまた向き合おうって思った。自信がついたから多分大丈夫かな。


後は自分の力を信じるしかないけど、やれるって思うんだ。頑張ってみよう。



「よし。じゃあまた昼休みな!」


「またね」



チャイムが鳴る一分前。帰る二人に、昼休みに会うという約束……ではないがそんなものをされて顔をしかめてしまったのがバレたのか、健太も顔をしかめた。


用、終わってるよな?昼休み会う必要ってあるのか?



「あ?なんだよ。俺達と昼飯食べんのがそんなに嫌なのか?まっ嫌って言われても俺は食うけど」


「あ、言わなかったからわかんなかったよね」


「あれ、言ってなかったっけ?」


「言ってないよ」



健太の嫌って言ってものくだりがあの人を思わせる口ぶりで、何日も会ってないっていうわけじゃないのに懐かしく思った。


あの人の笑顔と明るさが今は酷く懐かしい。



「……食べるのは全然いいけど」


「言ったなあ?俺達ここに来るから待ってろよ!」



指を差されちょいドヤ顔気味に言われたのに腹が立ったからとりあえず見てないフリをした。冷たい目で一瞬見るのも忘れずに。


「このやろお」とかなんとか言ってたけど、でもやっぱり我慢出来なくて少し笑った。



「あっ」



騒がしくなっていた教室の中に小さく鳴るチャイム。二人は慌てて自分たちの教室に帰っていこうとする。二人は同じクラスなんだろうな。


そんなことを考えていれば健太が急いで戻ってきた。



「部活!!」


「……は、」


「部活一緒に行くから待ってろよ!!」


「……は、はい」



息切れしている中、睨みつけるような目つきで俺に言ってくるもんだからその反動なのか敬語で返事をしてしまった。

その後の健太は変わらぬ表情で「よし」と言ってまた走って戻っていった。でもちょうど俺らのクラスの授業担当の先生が着いたところで、何か先生に言われていたが笑って逃げた。


それを見ていた俺のクラスの生徒は笑って、先生は溜息を吐きながら日直に「号令」と指示をした。


授業中、俺は放課後のことばかり考えていた。


まだどうやって接するかとかどんな顔していくかなんて何も決まってないし、不安だって残ってるけど楽しみにしてる自分がいて変な気持ちだ。


そういえば、健太たちに俺クラス教えてなかった気がするんだけどどこで知ったんだろう。

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