離れようと決意してからの俺は、自分でも驚くほど変わっていった。前の自分なんてなかったんじゃないかっていうぐらい急激に。


色んなものが重なってしまった。


部活でもタイムは落ちたし、兄との出来事があまりにも大きかったようで精神的ダメージがすごかった。


自分を責めて、なんか周りが怖くなって、俺はどの道を歩けばいいのかわからなくなって、俺は笑うことがなくなった。明るく人と接することがなくなった。


最初は部員からの心配とかあったけど皆そのうち慣れて何も気にされなくなった。俺の性格は前からこうだったのだと言われてるみたいに、普段の生活に戻っていった。


それなりに部活やってそれなりに大会出て。


兄貴には大会に絶対来られたくなかった。あの頃とは違う、適当にやっていると見破られそうで怖かった。それに兄貴とは気まづい気持ちがあって、兄貴はいつもと変わらず接してくれてたけど俺はそうなれなくて。


変われてない自分を、見られたくなかった。


両親も何も言わずに、俺達には触れてこず話しかけてきて、生活をしている。母もあの日だけだ関わってきたのは。父なんて面白いものだ。「クールなところは俺に似たんだろうな」とか言って毎回母に突っ込まれるし。「どこがよ」ってね。


確かに、父はとても明るいわけじゃない。部類的にはクール系なんだろうけど、言動がちょこちょこ面白よりでクールとは言い難いものがある。しれっというところが、怖いんだよな。表情を表にあまり出さないし。


ま、母に突っ込まれるけど。



「これにするの?」



改めてそう聞く母に俺は頷いた。



「……それでいい」



もう一度手に持っている水着に目を移し、まあいいやとでも言うようにかごの中へと入れた。


ただでさえ今持っている水着が何着かあるし、まだ全然使えるけど、怒らずに今持っている水着と同じぐらいの枚数を母はたんたんとかごに入れてレジへと迷いなく運んでいく。母の後ろ姿に罪悪感を覚えたが、今更嫌だとも言えない。ーー言わないけど。


俺のわがままを聞いてくれるとは思ってなかった……っていうのは嘘になっちゃうけど少しは思ってた。けど、案外あっさりとした返事に驚いた。


今日が土曜日だったこともあり、いつもより遅く起きてくると「行くんでしょ」と言われ本当に何を言ってるかわからなかった。



「……どこに」



焼かれたパンにバターをぬって口に含む。

またしてもあっさりと言ってしまうのだ。



「水着、買いに」



寝ぼけてて覚えてないのかと思っていた内容が母の中には生きていたようで、それに驚きパンを食べる手が止まった。


それからなんやかんやで店のロゴが入った袋に綺麗に入れこまれた水着を、俺は母から受け取る。



「なによー、この、外との温度差」



手で扇ぎ足早に車の元へと向かう母を追いかけ呟いてみた。



「……ありがとう、母さん」


「なんか素直だと気持ち悪いわね」



酷くないか。仮にもあなたの息子ですよ?しかもその息子が感謝を述べたのに、気持ち悪いって結構ダメージを食らったよ。


車に乗るなりエンジンをかけ冷房がかけられた時の独特のブオォという音が聞こえた。

最初は涼しいなんて感じない。それに溜息をついたのか一つ大きなものをして車を発進させた。


何となく風を感じて涼しくなってき出した頃にさっき言われた母の言葉を思い出す。



「……俺だって素直な時期あったし」


「どこが素直よ。ツンツンじゃない、デレが全くないわ」


「今じゃなくてね?」


「どっちも同じよ、変わらないわ」



変わらない。


前の俺と今の俺は変わらないってどこら辺が?そんなことあるはずない。性格が今と同じだったわけではないし、表情だって出さなくなって言葉数も少なくなった。それを変わらない?


俺の眉間にしわが寄せられる。



「ほんと不器用ね」



丈が短くなった水着の入った袋に目を向ける。「兄ちゃんと同じのがいい」そう言っていた自分が今は懐かしく感じる。


こんなことで兄貴とは違うって一線を引いたつもりなんだろうけど、元々俺達は違うんだから何も変わらないと思う。ましてや兄貴を追っていないと証明になるわけでもない。


実際俺は、


兄貴とは違う道に進むって言ってもその道がどんな道のりなのか把握していないし、その道には全く兄貴の影が無いのかと言われれば違うのかもしれない。


結局俺のゴールは兄貴なんじゃないのか?兄貴を追っているんじゃないか?


目をつぶって車の振動を感じる。それが丁度いい振動だったこともあって俺はいつの間にか眠っていた。



「ナツもアキも、精一杯悩みなさい。いつかきっと答えは出るわ」



母がそう言った気がした。




***




「父さん、アキと母さんは?」



いつもならリビングにいる母も、めずらしく今日は見当たらない。アキの部屋をノックも返事なく入ってみると誰もいなかった。


リビングのソファには父一人。テレビもついていない静かな空間で新聞をめくっていた。



「確か買い物に行ったぞ」


「……あれ、今日土曜だよね」



買い出しの曜日は日曜日。大体その日に一週間分の食料を買いに行く母が、父も連れていかず代わりにアキを連れて土曜の今日に買い物に行っている。


何か足りなくなったのか……と納得しかけた時父が思い出したように言った。



「水着を買いに行ったんじゃなかったかな」



ああ、だからアキを連れてるのか。


でもおかしい。水着が破れたとか小さくなったとかそんなことは聞いた覚えがない。むしろ綺麗でまだ十分に使えるはずだ。なのに買いに行った……?


何か問題があったのなら俺に言えばいいのに。確かアキは俺と同じ水着を買っていたはずだから、あげたりとか買うまで貸すとかなら出来たのに。


そして俺は気づく。ーーあ、そっか。と。


なのか、買いに行った理由は。

俺と同じ水着だからそれを変えるために新しい水着を買いに行ったのか。



「……そっか」



開けた冷蔵庫からお茶を取り出しコップに注ぐ。そのコップを持って父と間隔を取ってソファに座りテレビをつけた。

一気に音が溢れたこの部屋に、決して大きくないのに俺にダイレクトに響く新聞のめくる音。テレビでは芸能人たちが楽しく笑いあって、今しているであろうコーナーを面白いものにしている。



「俺、天才ですから!」



耳が妙に反応した“天才”という言葉。


気づいた時には遅すぎた。もう少し早くにわかっていてあげれば違ったエンディングがあったのかもしれない。そんなこと考えたって変えられるわけでもないけど。


“努力の天才”か……。


天才は天才なりにただ誰も気づかないだけで努力をしている。知らない人から見たら圧倒的な成長にだけ目が向いて自分勝手な解釈をしてしまう。

「あの人は自分とは違う人なんだ」


アキは皆に“天才”と言われてた訳では無い。皆より上手いとしか思われてなくて明るいこともあって周りには人がいた。


俺が勝手に思ったんだ。アキは天才だなって。

ほんと馬鹿だったなー。


今のアキは笑わない。しゃべることも少なくなった。そうさせたのは間違いなく俺なんだろう。



「そこまで慎重にしてやるな」



相変わらず新聞に目を向けたまま、騒がしいテレビの音よりはっきりとした声で言った。



「アキにも伝わるぞ、お前のその態度は。俺でもわかるぐらいだからな」



そうなのだろうか。

俺が言葉を選んで、俺がつけてしまった傷が広がらないようにしていたのをアキは感じていたのだろうか。そうだったらもっと傷つけているのではないだろうか。


うわーまじか。父さんに気づかれるくらいわかりやすく出てたのか。


普段通りに前みたいに接しようと思うあまり、慎重になりすぎていた自分。思えばそうなのかもしれない。


……父さんが鈍いって言ってるわけじゃないけど、でも父さんにバレてるなら母さんにはもっとバレてる。



「お前は俺と同じで優しすぎるからな」


「なにそれ」



俺が笑うと父さんも小さく笑って、なんか少し吹 っ切れた気がする。


うん、大丈夫そう。いつも通りにアキに接することが出来そうだ。



「でも、ありがとう父さん。なんか元気出た」


「……そうか」



空になったコップにまたお茶を注ぎに行く。その時には新聞を読み終えたのかテレビに目を向けている父の姿があった。


父は無表情気味なとこがあるけど怖いとは思わない雰囲気がある。だからかな。無言になったとしても苦にはならない……かな?



「ナツなら出来るから、自信持ちなさい」


「うん」



タイミングよく扉が開いた音がして、二人が帰ってきたことに気づく。先にリビングに入ってきた母は「ただいま」と言ったと思ったら台所に立ち、昼ご飯の準備をしだした。

俺は眠そうに入ってきたアキの元へ向かい、笑顔で迎える。



「おかえり」


「……ただいま」



隠すようにして持ち帰られた袋は水着店の名前が入っていて、アキが隠したがる理由がわかった。バレバレだよ。



「はい、隠さなーい。どんなかっこいい水着買ってきたの?」


「ちょっ……」



俺に渡そうとしないアキに、追い込みつつ袋を手にしようと頑張ってみる。

そんなことをしていると、母が笑いながら言った。



「かっこよくない水着よ、センスを疑ったわ」


「はあっ!?」


「それはそれで見てみたい……」


「そこは俺に似てないな」



空気が、皆の表情が、明るくなった。

アキは笑ってなかったけどそれでも前みたいに話してもらえた気がして、俺も自然に接することが出来て嬉しかった。


俺の後ろをついてきていた弟が違う道を歩み始めた。「兄ちゃん」と呼んでいたのが「兄貴」に変わっていった。

前よりかはだいぶクールになってしまったけどそれでもアキはアキだ。俺の可愛い弟。その弟が離れていってしまうのは寂しいけれど、応援するよ。


やっとの思いで奪った袋からはあまりにもシンプルすぎる水着が出てきて、久々に大笑いした。アキは顔をしかめていたけど、気にせずに笑った。



「でも、かっこいいな」



そう言った時、少なくとも嬉しそうにはしていたと思うな。


追いかけるのをやめたんだ。そういう意味のこもった水着は本当にかっこよく見えるよ。少しでもいいからアキには悪いけれど、俺への気持ちが残っているのならそれはそれでいい。


俺を追いかけてきてほしい。俺も負けないように頑張るから、アキが成長した日にーーそしたらまた勝負をしよう。


アキ、ごめんな。

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