第二章

 やがて、若君の学識や容貌が優れていることが世間の評判になり、噂を耳にした帝や東宮とうぐうが関心を抱いた。

「それほど何事にも秀でているのに殿上てんじょうもさせず、宮仕えさせないでいるのはどういうことですか」

 権大納言は何度も出仕しゅっしさせるように勧められたが、胸が痛く、情けなくきまりが悪いため、まだ幼いことを理由に若君の参内さんだいを拒み続けた。

「きっと、我が子を童姿わらわすがたのまま人目にさらしたくないのであろう」

 帝は若君に五位の位を無理に授けた上で、早く元服させて出仕させるように促したため、参内しないままでいるわけにはいかなくなった。

「こうなったら成り行きに任せるしかあるまい。これも前世の宿世すくせで、男女を入れ替えて生きる運命なのであろう」

 思い直した権大納言は、姫君の裳着もぎと若君の元服げんぷくを急いで行うことにした。

 姫君の裳着の当日、美しく磨き立てた寝殿しんでんに姫君と母親の東の上が渡り、祖父の大殿おおとの腰紐こしひもを結ぶ役を務めた。この役目を第三者に任せないのは異例だったが、権大納言としては具合が悪かったからであろう。

 慶事を耳にした人々は、性別を偽っているとは思いも寄らないため、「若君と姫君を思い違え、聞き誤っていたのだ」と一様に納得した。また、事情を知っているごく一部の関係者は、口外すべきことではないと心得ていたので、世間に真相を知る者がいないのは不幸中の幸いだった。

 一方、若君の元服は権大納言の兄である右大臣が執り行った。これまで童姿だったときの愛らしさとは異なり、髪を結い上げた姿のたぐまれな麗しさに、引き入れ役の右大臣は大絶賛した。

 この右大臣には姫君ばかり四人の子どもがいた。大君おおいぎみは帝の女御にょうご、中の君は東宮の女御だったが、三の君と四の君はまだ独り身であったので、二人のどちらかをこの若君と結婚させたいと考え、祝儀や贈り物などにぜいを尽くした。

 若君は元服前から五位にじょされていたため、人々は大夫たいふの君と呼んだ。


 その年の司召つかさめし除目じもくで、若君は侍従じじゅうになった。

 帝や東宮をはじめ、天下のあらゆる人々は、侍従の君を一目見ただけでいつまでも忘れることができず、高貴な家柄とはいえ帝や東宮から格別の寵愛ちょうあいを受けるのももっともだと誰もが納得した。ことや笛の音、漢詩、和歌、何気に書き流した筆遣いまでが世に類がないほど素晴らしく、容姿はもちろんのこと、普段の振る舞いや他人との交流の様も実に見事で、言動も理にかなって今から申し分なく、世情や朝廷の儀式などにも熟知し、この世の人とは思われぬほどであった。

 権大納言も、「さてどうしたものか、これもしかるべき因縁いんねんなのだろう」といつまでも嘆いていても詮方せんかたないので、侍従の君が少しずつ立派になっていく様をうれしくもいとしく思い、心の慰めとした。

 幼い頃の侍従の君は自分の姿を気にせず、世間には同じような者もいるに違いないと考え、心のままに振る舞っていたが、他人の有様ありさまを見聞きするうちに、次第に女でありながら男の姿をしている自分の異常さを自覚し、見苦しく思うようになった。しかし、だからといっていまさら考え直しても仕方がない。

「どうしてわたしは、奇妙にもこのように人と違ってしまったのであろう」

 独り嘆きながらも慎重に身を処し、人から距離を置いて宮仕えする心遣いは誠に見事だった。


 時の帝は四十余歳で、極めて立派な人柄だった。また東宮は二十七、八歳で、いかにも皇族らしい容姿で気品に満ちていた。この二人が、「侍従の君に妹がいて、その容貌が評判高く優れている」という話を耳にし、熱心に宮仕えを勧めた。権大納言は、姫君がどうしようもなく内気であることを理由に断り続けたが、「本当に入内じゅだいできるように育てられたらよかったのだが」と嘆いた。

 帝は、亡ききさきとの間に生まれた女一宮おんないちのみやが一人でいることを不憫ふびんに思い、片時も目を離さず、大切に育てていた。この皇女こうじょ以外には、帝にも東宮にも子どもがいなかったため、人々は天下の大事として我も我もと男御子みこの誕生を祈祷きとうし続けていた。帝には右大臣の大君おおいぎみ女御にょうごとして仕えていたが、摂政や関白の娘ではないので后にはなれないでいた。

 若い女一宮は後見がしっかりしていないせいか、ひどく頼りない様子だったため、帝はいつも気に掛けていた。侍従じじゅうの君がこの世のものとは思えぬほど凜々りりしくなっていくのを見る度に、女一宮の後見役をさせたいと考えるようになった。

「だが、侍従は大層美しい妹を見慣れているので、あの子に対して失礼な態度を取るかもしれない。それにまだ一人前ではないため、もう少し様子を見てからにしよう」

 このような帝の意向を漏れ聞くにつけ、権大納言は心が落ち着かず、「ああ、侍従が男だったならば、どんなに名誉で喜ばしい話であろう」と残念で情けなく思ったが、微笑を浮かべて聞き流すしかなかった。

 侍従の君は非常に聡明そうめいで、若さに不釣り合いなほど立派であったため、内裏だいりの女房たちは姿を見る度に心を奪われ、「ほんの一言でもいいから何とかして声を掛けられたい」と目立つように振る舞った。しかし、侍従の君は自分が普通ではないことを知りつつ、男として歩み始めてしまった身を隠すこともできずに宮仕えしているので、女房たちに目をとめることはない。ひどく真面目に慎んでいるのを、物足りなく残念だと思う人は多かった。


 帝の叔父に当たる式部卿宮しきぶきょうのみやという人に、侍従の君の二歳年上で中将ちゅうじょうの息子がいた。侍従の君ほどではなかったが、容貌や振る舞いが普通の人よりはるかに優れ、上品で美しく、人柄も例えようがなかった。また、色好いろごのみの方面に関しては抜け目がなく、物柔らかな態度であらゆる女性に興味を抱いた。

 権大納言の姫君と右大臣の四の君が美人で評判なのを聞いた式部卿宮の中将は、「二人とも何とかして手に入れたい」と考え、しかるべきつてを探して強引に言い寄り、思いの丈を手紙に書き尽くして訴えた。しかし、軽薄な人柄で知られていたため、双方から些細ささいなことですら忌まわしく扱われ、返事をもらうこともできず、いつも嘆いていた。

 侍従の君があまりに誠実で乱れたところがないのを、式部卿宮の中将は物足りなく思っていたが、比類ない愛嬌あいきょうに満ちた容貌を見る度に感心した。

「こんな女がいたらどれほど素晴らしいことか。妹もきっと彼のように美しい人なのだろう。いや、もっと見事に違いない」

 まだ見ぬ姫君の姿を空想し、逢わぬまま諦められそうになかった。

 式部卿宮の中将は、やり切れない悲しさを紛らすために侍従の君と親しく語らい、思いあまるときには涙も隠さずに悲しみを訴えた。その様は人より優れて優美だったので、侍従の君はいとおしく不憫ふびんに思い、親身になって話を聞いたが、心から打ち解けて気を許すことはなかった。

 姫君の身が尋常ではないことを知っているため、話題に挙がる度に胸がつぶれ、あまり熱心に聞かずに言葉少なくあしらったが、「妬ましく恨めしい」と涙もこらえず恋い焦がれる相手を気の毒に思いつつ、心の中で歌を詠んだ。


  たぐひなきき身を思ひ知るからにさやは涙のうきて流るる

  (比類ないつらい身の上を思い知るからといって、それほどまでに涙を流すものでしょうか)


 式部卿宮の中将から「何をそんなに思い悩んでいるのか」と問われても答えようがないので、いつもつれなくそっけない態度で別れた。


 それから間もなく、帝は体調を崩してしまった。

「病が長く続くのは、しかるべき時が来たのであろう。過去にもこのような例がなかったわけではない」

 帝は東宮に位を譲り、女一宮おんないちのみやを新しい東宮に据え、自分は朱雀院すざくいんに移った。また、侍従の君の祖父も七十歳を過ぎ、病気も重くなる一方だと感じていたので、剃髪ていはつして仏門に入った。同時に権大納言は左大臣に就任し、関白も兼任することになった。その他の公卿くぎょうたちも順次昇進し、侍従の君は三位中将さんみのちゅうじょうになった。

 右大臣は娘の女御が皇后こうごうにならないまま終わってしまったのを残念に思っていたが、中将の君の人柄がとても優れ、軽々しい振る舞いの噂もまったくないので、これ以上の条件は望めないだろうと、左大臣に四の君との結婚を申し入れた。

 父の左大臣はおかしなことになったと思いながらも、どう説明しても断りようがないため、承諾することにした。

「どういう訳か、我が息子は世間並みの関心がまるでないようです。しかしながら、誠実さだけは人さまに認めていただいています」

 屋敷に戻り、中将の君の母親に事情を話すと、母親は笑って答えた。

「四の君は子どもっぽく育った娘だと聞いていますから、おかしいととがめられることもないでしょう。ただ親しく話をして、人目には普通の夫婦のように振る舞って出入りすればいいのです。あの子は立派な後見役ですよ」

「まだ若いのが気掛かりだが、思慮に欠けたところはないから大丈夫だろう」

 安堵あんどした左大臣は中将の君に、四の君への手紙を書かせることにした。中将の君は勝手が分からなかったが、四の君は男たちの間で評判の女性だったので懸想文けそうぶみだと考え、歌を詠んだ。


  これやさはりてしげきは道ならん山口やまぐちしるくまどはるるかな

  (ここが踏み込むと茂みに迷ってしまうという恋の道なのでしょうか。山麓の登り口で早くも迷っています)


 その筆跡は何とも言えぬ見事なものであった。この若さでどうしてこれほど立派に書けるのかと、左大臣はうれしくも悲しい気持ちで涙ぐんだ。

 右大臣はやっとのことで承諾を得た縁談だったので、四の君をかして返事を書かせた。


  ふもとよりいかなる道にまどふらん行方ゆくへも知らず遠近をちこちの山

  (どうして麓から道に迷っているのでしょうか。あちこちに女がいるために行き先が分からないのではないですか)


 その後、いつも中将の君から四の君に手紙が届けられた。

 右大臣は自分から申し出た縁談であったため、婚儀の日取りを決めた。大切に育てた娘の婿として関白左大臣家の三位中将さんみのちゅうじょうを迎えられることに、右大臣は喜びを隠せなかった。


 やがて、ある大納言が亡くなった関係で順次昇進し、中将の君も権中納言ごんちゅうなごん左衛門督さえもんのかみを兼ねることになった。ひときわ華やかで、素晴らしいと言うのも愚かしいほどであった。

 式部卿宮しきぶきょうのみやの中将も、兼任で宰相さいしょうに昇進した。しかし、思いを掛けていた四の君が、塩を焼く煙のように権中納言になびいてしまったことを気に病み、たまたま顔を合わせても、昇進など別にうれしくもないという表情でよそよそしく、嘆き沈んでいた。

「どうして右大臣は、これほど心を寄せている人を頼みにしなかったのだろう」

 権中納言はおかしくも奇妙に思っていた。

 この時、権中納言は十六歳、四の君は十九歳だった。四の君は女盛りの年齢で、容姿も心も未熟なところはなく、少しの欠点もなかった。彼女は姉たちより大事に育てられたという自負から、いずれ皇后こうごうになる身だと考えていたので、権中納言と結婚することになったのを不本意に思い、態度にこそ出さなかったものの、心中では「このように物思いすることになるとは」と嘆いていた。

 しかし、権中納言の人柄が優雅で素晴らしく、疎ましい態度も見せず、ひたすらしんみりと語り合っているうちに次第に見慣れ、軽んじていた気持ちは薄れていった。夜の衣でも、他人の目には共寝ともねをしているように見せながら、実際は互いに単衣ひとえの隔てを置き、肌を許しあうことはなかったが、深い事情を知る者は一人もいなかった。二人は人目もはばからないような親密さを見せることはなく、ただ上品で感じのいい夫婦に見えた。

「こんなに円満な様子なら、幾千年を経ようとも何の不満もあるまい。思っていたほど権中納言の愛情が深くないようにも見えるが、まだ若いので気恥ずかしいのだろう」

 そう納得した右大臣は丁重に世話をした。

 権中納言は好色こうしょくめいてあちこち遊び歩く様子はまったくなく、父の左大臣邸と内裏の管弦かんげんの遊び以外は外泊もしなかった。しかし、毎月四、五日は、見苦しく面倒な月のさわりを人知れず処置するのが困難なため、「物ののために具合が悪くなりました」と言って乳母めのとの里に身を隠すのを、右大臣は「いったいどうしたことか」といぶかしげに思っていた。

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