部屋ざらえ

 捜索兼、片づけは大がかりなものになった。


 最初は部屋をひっくり返すだけでいいと思った。だが、片付いていない部屋で物を探したりすると、探した場所とそうでない場所の区別がつかなくなる。おまけに、安奈はこの機会に部屋を片付けようとする。捨てたいものを出しっぱなしにしておくから、混ざってしまって一向に進まない。


 仕方がないので、掃除と片付けをしながら、ということになった。


 ゴミ袋が足りないので、安奈は傍のコンビニへ買いに行った。


 俺は安奈がごみとして分けた物を分類することになった。


 お菓子の袋、穴の空いた袋、何かをこぼして傷んだ本や漫画、用途のわからないコード類、雑誌の付録か何かのCDが、ひと塊になって転がっている。よくもこれだけ集めたものだ。


 俺は、安奈が出してきたこの市のゴミの分類に従い、塊を分解していった。CDを燃えるゴミで出せるとは知らなかった。


 作業半ばくらいまで進めたときだ。ゴミの塊から、俺の手くらいの大きさの、木製の板が出て来た。


 よく見れば、それは写真立てらしい。裏向きで出て来たせいで、ただの板に見えた。


 写真立て。家族の写真かも知れないが。もしも、恋人の写真だったら。


 安奈と男性のことが、気にかかる。イエロー・モンキーのこと、住人に冷やかされていること。彼女には、恋人が居なかったわけじゃない。それは確実だけれど。


 表に、何が映っているのだろう。安奈はごみに分類したのだから、それを仕分ける俺が中身を見てしまっても自然なのだが。


 結局俺は、欲望に勝てなかった。しばらくためらったが、写真立てをつかみ、表を向けてしまった。


 映っていたのは、安奈だった。今よりも若い。俺が初めて安奈の写真を見たときと

同じ髪型。ということは、五年ほど前だ。イエロー・モンキーのことを話したときのように、静かで、幸せそうな笑みを浮かべている。場所は、どこかの海だろうか。


 そうして、その安奈の隣に映っている人。真面目そうな顔つきで、カメラの方を見据えている。背は高くなく、線も細い。年は兄貴より大分若いか。その顔つきは、一言でいうと俺の兄貴を性格通りにした感じだ。少し堀が深く、鷲鼻ぎみで、厳しい印象。安奈の手をしっかり取って、鋭い視線を向けているのは、守るという決意ゆえだろうか。


 俺は、写真を離す事ができなかった。想定が事実になった。安奈は俺のことを慮って、恋人の存在をはっきりと言わなかったけれど。俺が好きになった頃の安奈には、既に恋人がいたのだ。演技のどこにもなかった微笑を、そそぐ相手が。


 女性声優が結婚したときの、匿名掲示板の荒れた文章が、アスキーアートやコピペが、頭に蘇ってくる。人妻になった女性声優にキャラの名前を当てはめ、低俗なエロ漫画の様なやりとりをさせて煽り合い、お互いの傷を抉っていく声優ファンの声が聞こえる。泣きながら刃物で貫きあい、もだえ苦しむ者達と、それを傍観して笑う第三者の文面が見える。


 俺は何を勘違いしていた。安奈が優しいからって、こういうことがなかったわけはないじゃないか。俺はただのストーカーの声優ファンだ。聖子に言われたことが蘇ってくる。俺は、男としての自分のレベルを弁(わきま)えない童貞、下手に頭が良いせいでプライドばかり高く、夢を見て調子に乗る最低のクズ――。


 写真の上に、涙をこぼしてしまう。違う。俺が泣くべきは、こんなことじゃない。こんなことじゃないはずなのに。


 歯を食いしばる俺の背後で、玄関のドアが音を立てた。安奈が帰ってきた。


「ただいまー。いや、コンビニ遠いと不便よねえ」


 こっちへ来る。隠さなければ、涙も写真も。


 だめだ、体が、動かない。


「寛志君? 一体どうしたの。なんか調子悪い――」


 俺の体を心配して、肩ごしに覗き込んだ聖子。涙の跡がついた、写真を見たのだろう。


「すいません。これ、ごみの中にあったから、勝手に見ちゃって」


 俺はゆっくりと写真を置いた。本当は叩き付けたかった。けれど、これを壊したところで、事実は覆らない。過去は消せない、仕方がないことだった。


「……それ、見ちゃったかー。ごめん、忘れてたわ、それのこと」


「謝るってことは、やっぱり……」


 俺はそこから先を口に出せなかった。でも、この間みたいな醜態は晒したくなかった。


 この彼についても、写真についても、ネットのどこを探しても見つからなかった。当時の俺が知らなかっただけかも知れないが、聞いておきたいのは、確かだ。腹に力を入れろ、涙を目玉で収めろ。泣くのは、今日家に帰ってからだ。


 気を張ると、涙が収まった。母親の前で泣くまいとこらえる子供のように、俺は拳を握りしめ、安奈の方を見据えた。


「……答えて、大丈夫? 辛そうだわ」


 怪我人を心配するような安奈の口調。哀れみを含んだ顔からでは、安奈の本当は見えない。


 俺は右手を握りしめた。この部屋で受けた、塞がりかけの傷に、絆創膏の上から爪を立てる。痛みが、心を抑えてくれる。


「大丈夫です……話してください、お願いします」


 ぐっと頭を下げる。そして顔を上げ、安奈のことをじっ、と見据える。


「……俺は大丈夫です。聞かせてください」


 安奈は瞬きをしない。俺はその目を見つめ続けた。一片の曇りもあってはいけない。クズな二面性が出てはいけない。俺は話を聞くべきだ。何よりも俺自身のために、そうしなければならない。掲示板の連中や、ストーカーをやらかした俺と決別するために。

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