買い物

「……ところでさ、イエモン聴いてる?」


 発言の意図がつかめない。イエロー・モンキーのことか。


「いや、聴いてないです。CDプレイヤー、兄貴のしかなくて」


「いい音で聞いてほしいけど、パソコンでもいけるんじゃないの」


「そっか……気が回らなかったな」


 そういえば、プログラムの起動ディスクと同じように聴けるんだった。ヘッドホンをつければそこそこの音だというが。


 というか、ここのところの出来事の連続で、音楽を楽しむ余裕など失われていた。勉強中でさえも、BGM代わりにしていた安奈の歌を聴いてないぐらいだし。


 突然、安奈が残りのパンを腹の中に片付け始めた。俺もあわててクロワッサンをかじる。食感も、味も、見事なものだ。ゆっくり味わえないのが悲しい。


 すっかり冷めた紅茶を飲み干した安奈。コーヒーを飲み干す俺に呼び掛ける。


「ようし、じゃあ買いに行こうか、CDプレイヤー。お姉さんがおごったげる」


「……いや、悪いですよあんな高そうな」


「ポータブルのヤツよ、安いの。後はそこそこのヘッドホンがあれば大丈夫」


 そうなのか。CDのプレイヤーというのが、いまひとつ分からない。


 安奈は店員に挨拶をすると、外へ出た。俺も会釈をして後に続いた。嵐の様な心の葛藤は、一旦収まっている。確かこの間も、似たようなことがあったな。安奈にはまた、何か考えがあるのかも知れない。


 すぐ近くの駅から、地下鉄に乗った。目的地は、また三呂だ。駅の周囲を少し回れば、あらゆる店があるし、適当だろう。


 三呂に着いた俺達は、あろうことか、俺が安奈を付け回した高架下の商店街へと向かった。あそこに電化製品などあるのだろうか。俺の疑問に考えを挟まず、安奈はここの成り立ちなんかを嬉々として語る。


 ここは、衣戸高架下商店街という。縮めた通称は衣高と書いて、イコーと読むらしい。力が抜ける名前だ。


 ちなみに衣高の始まりは、なんとこの国が散々にやられた太平洋戦争後に遡るらしい。元々は、焼け残った橋の下の闇市がスタートだったというから驚く。もう七十年近く前だ。


 その後、開発が進んで衣戸市にも大資本が進出してきたのだが、そんな中でも、イコーは生き残った。地代の安さや出店の手軽さ、この雰囲気を愛する好事家の客層もあってのことだという。


「……好きなのよ、ここ。変なものたっくさんあるでしょ。あの部屋、ビデオデッキもあるから、昔のドラマのビデオとか漁ったりするの」


 そう言いながら、安奈が物色しているのは、ジャンクとしか言いようのないビデオテープの束。隣のワゴンには、DVDにすらなっていない、まさしくアダルトビデオが大量にある。『どすけべ女教師』とか、『淫乱ナース』とか、『実録援助交際』だとかいういかがわしいタイトルの横で、何が入っているかも分からないビデオを漁る俺の憧れの声優、響安奈。


 その表情は健康そのもので、まるで今日の夕食のおかずでも、選んでいるかのようだ。おかずというと誤解があるか、でも男性向けのパソゲーを持っているくらいだからな。


 こういう姿が似合うというか、これでいいと思わせるところが、安奈にはある。これって個性と呼んでいいのだろうか。


「あの、安奈さん、CDプレイヤーは」


「……そうだった、ごめんね。多分こっちのお店にあるわ」


 安奈について隣の、これまたジャンク屋としか思えない店に入る。積み上げてあるのは、ノートパソコンらしい形をした……何だろう、これ。


「ああ、それワープロ。昔、私が幼稚園くらいの頃までかな、ワード機能だけのパソコンみたいなのがあったの。今でも使う人が居るから、そういう人のためのものでしょ」


 技術革新の歴史を見る思いだ。受験が済んで、兄貴と買いに行った最新版のワードは、紙の箱に起動用CDが一枚だけ。ダウンロードストアなら、データだけで済む。このデカいのは相当重そうだ。当時これを持ち運んだというのか。タイプライターに比べると、随分ましだったのだろうが。


 店の奥へ分け入っていく安奈。中に陳列してあるのは、古いOSのノートパソコンらしい。名前がまだ年号だったころのOSが入っている。それに、リカバリ済みとか、動作保障ありとか、手書きの紙が画面に張り付けてある。見た目は綺麗なのだが、一体どこから流れた、どういうパソコンなのだろう。


 店主らしい眼鏡に白髪の男が、むすっとした顔を上げる。安奈は彼と何事かを話し、戻ってきた。


「携帯用のオーディオは、表の段ボールの底で見たらしいわ」


 乱雑に積まれ、埃をかぶった、あの中か。ひっくり返して探すと、通路の邪魔にもなるだろうが。仕方ない。


「手伝います」


 ありがとう、と笑顔で返してくれる安奈。俺は安心の溜息を吐きたくなった。この笑顔の向こう側は、疑う必要が無いのだ。聖子の豹変は、結構なダメージを俺に残している。


 二人して段ボールを降ろし、中身を確認していく。入っているのは、何かの電子機器やパソコンの部品らしいのだが、俺にはさっぱり分からなかった。安奈は結構分かるらしく、いちいち反応したり解説を加えたりしてくれるのだが、いまいち覚えられない。面白そうなんだがな。


 ひっくり返してはまた詰めて戻し、というのを四箱ぐらいやっただろうか。通行人にも見られるが、それは仕方ないとして。


「……無いわねー、やっぱりまだプレイヤーが必要な人が多いのかも。もう電気屋さんの方がいいかもしれないわ」


 安奈が腕を組んで呟く。俺は四箱目を元あった場所に戻した。手がほこりだらけだ。


「ここまで探したのにそんな……大体、どういうものなんですか」


 CDを知らなかった俺に、プレイヤーなど想像がつくはずもない。安奈の家にあったものとも違うようだし。


「CDがすっぽり入る、お皿みたいな形のやつよ。MDプレイヤー見たことがあったら、あれのCD版ってことで分かるんだろうけど」


 銀の皿と言われても。そんな奇妙な形のものは今までの中には――。


「そこの段ボールは」


 安奈の頭のあたりに積まれたものから、銀色の円盤がとび出している。俺は背伸びをして、抜き取ってみた。なるほど、CD一枚分の薄っぺらい機械だ。


「ちょっと見せて……これよ、これだわ。うん、開け閉めもちゃんとしてるし、ジャックにも傷とかほこりは無さそう……後はバッテリーさえあれば、動くと思うわよ」


 捜してと言われる前に、俺はプレイヤーが入っていた段ボールを降ろし、中身を確認した。しかし、いよいよ燃えないごみとしか呼べないような代物ばかりだった。プレイヤーのバッテリーとか、操作機器らしいものはない。


「安奈さん、せっかくだけど、またインターネットか何かで」


「大丈夫。これ、私が失くしたのと同じ型のやつよ。今から帰って探せば、付属品も説明書も出て来るわ」


 そんな偶然があるのだろうか。いや、たとえそうだったとして、あの部屋から本当に見つかるだろうか。というか、段ボールの次はあの部屋の総ざらいをするのか。


 安奈は自分の行動に自信を持っているらしく、店主の所にプレイヤーを持っていき、あれこれと尋ねている。しばらく見ていると、話がまとまったのか、財布を出そうとしたが、店主が首を振る。なんと代金の受け取りを拒んでいるようだ。安奈は少し食い下がったが、結局代金を払わずに出て来た。


 店頭のものをただで持ち帰るなんて、久しく見たことがない。鼻水を垂らした小さい子供の頃、近所の食料品店で十円のガムをおまけしてもらって以来だ。学校の帰りに転んでけがをし、泣いていたのをあやしてくれた。あの店も店主のばあちゃんが体を悪くして、無くなってしまったが。


 安奈は、嬉しそうに微笑んで、小躍りせんばかりだった。


「なんか、お店にも付属品が無くて、これだけだと要らないし、動作も保障できないから、ただで持ってっていいんだって。得しちゃったわー」


 単体で役に立たないプレイヤーとはいえ、いくらなんでも、どんぶり勘定過ぎないだろうか。衣高、半端じゃないな。


 それから俺達は、三呂駅前の店でチェリーパイを買い、地下街で輸入の紅茶葉を買った。これが安奈の昼食と夕食らしい。俺にも分けてくれるそうだが、ということは俺の昼飯はチェリーパイになるのか。食生活崩壊の五文字が駆け巡る。


 しかし俺には注意などできない。見事に、目的のCDプレイヤーを探し当て、大好きだというチェリーパイや紅茶まで手に入れた安奈。新しいゲームを買って帰る子供のような、わくわく顔を見ていると、常識が死んでしまった。


 部屋に戻ると、まず安奈が紅茶を入れてくれた。しかも本格的なやりかたらしく、まずティーポットやカップを温め、茶葉もじっくりと蒸らして入れるというものだ。


 俺はすぐにでもあの部屋を片づけたかったが、安奈は紅茶とチェリーパイにこだわったので、先に食卓の用意を手伝うことになった。小奇麗な茶会風を装うために、パイを綺麗に切ったり、大皿を探し、くしゃくしゃだったナフキンに、アイロンを当てたりもした。


 数十分かけて、食卓が出来あがった。白地に青の描かれたティーカップには、鮮やかな琥珀色の紅茶。そして大皿には、等分に切り分けたチェリーパイ。アイロンをかけたナフキンを敷いて、なぜか戸棚にあった造花を飾ってもみれば、つつましく、上品な茶会だ。


「……いい感じですね」


「でしょー。外国だと、パイはご飯の代わりに食べたりしてるのよ」


 得意げな安奈、腕でも組んで、ふふんと言いたげだ。どや顔というやつか。しかしこういう表情が本当に似合う。


「知らなかったです」


「まあ、お肉のパイとかだけどね。いただきましょう」


「はい」


 食事が始まる。チェリーパイとの兼ね合いから、紅茶はストレートだったが、甘酸っぱいチェリーパイとよく調和している。パックで淹れたのより渋く、香りが強いが、それがいい。


 安奈は結構大胆にチェリーパイをかじった。おいしくて仕方がない、というのがよく伝わってくる。見ていて気持ちがいい。


 何をしていても、安奈は生気や好奇心にあふれている。一緒に居るとそれに引っ張られるというか、なぜか元気が出てくる。


 そう思って食べる様子を見つめていると、安奈がこっちに気付いた。


「どうしたの? 私、食べ過ぎたかなー……」


 チェリーパイは三千円近くもしたので、俺は安奈に断って割り勘をした。そのことを言っているのか。とりあえず、こっちの気持ちに気づかれなくてよかったが。


「そうじゃないですよ。……バッテリー、見つかりますかね」


「あると思うんだけどなあ。去年見たはずなのよ。それから、ごみの処分とかしてないし」


 なら、留守の間に第三者が盗み取らない限り、なくなっていないはずだ。しかし去年から粗大ごみの処分をしていないとは。捨てられない人間なのか。


「ちょっとひっくり返すから、わりとかかるかも知れないけど。時間はあるの」


「ありますよ。大丈夫です」


 やっぱりというか、今日家を出るときに、そうなる覚悟はしてきた。

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