これから

 結論から言う。俺たちは狂った獣のようにプレイに耽った。


 もちろん、魔窟の地層から安奈が発掘したゲームのだ。それもあろうことか、外が明るくなるまで。


 そして午前六時前くらいにそろって寝落ち。バカ垂れにも程がある。


 夜明けまで続いた会話とゲームの応酬の中、色々分かった。


 安奈の父親は俺の生まれる前にこの県を襲った震災で亡くなり、母親は崩壊した家のローンの支払いに奔走した結果、体を壊して安奈が中学生の頃に亡くなっている。


 経済的なことは、母親の生命保険と、ここへ来る前に安奈に話しかけたあの女の人が、面倒を見てくれたそうだ。今では弟も妹も立派に育ち、社会人と大学生。弟の会社名を聞くと、俺は気が遠くなった。経済新聞の一面に決算が載るレベルの、世界商社だった。


 安奈自身、専門学校の学費の工面に苦労して、オーディションや奨学金の審査に奔走した。俺が初めて見た、安奈が十八歳のときの作品に出た頃の睡眠時間。これがひと月平均三時間ほど。よく死ななかったものだ。


 妹が家を出たので、資料部屋という体でこの部屋を占領した。二年ほど前から仕事や生活にも余裕が出て来たので、スケジュールを調整して三月は地元から通えるようにしたらしい。それ以外の月でも、居心地のいいここに帰ってきているそうだ。


 家庭用の2Dゲームをプレイしながら、安奈はそう、俺に語った。


 俺も自分の身の上を話した。女にいじめられたこと。親しい友達がいないこと。良く知りもせず、粗暴そうな奴を嫌っていること。この町のこと、聖子のこと、高校での挫折感に、適当に済ました二度の受験。それに今日ここへ来るまでの、詳細も。


 両親の生きている俺の悩みというのは、なんともはや、安奈と比較したらなんでもないことのようだ。


 だが安奈は、粗雑には扱わない。その都度、共感したり、意見を言ったりしてくれた。パズルゲームで次々連鎖を決め、妨害のパーツで俺の画面を埋め尽くしながらだが。


 回答は辛辣で、彼女に言わせれば、俺の抱える屈託など、平和と暇がひとりでに作り上げたものらしい。それは俺も薄々思っていた。


 ただ、最もこたえたのは、午前二時頃のやりとりだ。


「その、聖子ちゃんていう子かなー」


「あの子が」


 近づけばあのサキに何をされるか分からない。このまま自然消滅でいいと思うが。


「サキちゃんはともかく、会ってあげたほうが良いと思うな。なんか危なそうだもん」


 危ない、どういう意味でだ。これからつつがなく受験勉強に励み、俺と同じ大学の後輩になり、やがて俺を追い越していく彼女の、どこに不安が。


「勉強もできるし、容姿もいいし、頑張れるし、俺が居る必要ないですよ」


 俺の方で、うまく連鎖が決まっている。安奈にぶつける妨害パーツの数がみるみる膨れ上がっていく。今度こそ、勝てるか。


 が、安奈の方も始まった。ここまでは条件固めだったのだ。連鎖の数は、俺をはるかに超える。みるみる相殺され、やがて俺の側にパーツの落下を示す予告が。さらに、死の宣告のような声が俺を突き刺す。


「それ、サキちゃんが怖いから言ってんの。それとも、本当にそう思うの?」


 くだらないプライドで、考えるなということか。だったら簡単だ。


 パーツが落ちてくる。俺の側がみるみる埋まる。ばたんきゅー、降参。


 俺はコントローラーを置いた。悔しいから安奈の方は見ないでいう。


「サキちゃんが怖いからに決まってるでしょ。そりゃ聖子ちゃんは心配ですよ、何が気に入ったのか知らないけど、俺なんかに子犬みたいについてきて。いきなりアドレス渡してくるし。でもどっかで、何かなかったら、あんなにへばり付いて来ませんよ。多分、ずうっとああなんでしょ、だからあのサキって子は、俺のこと追っ払ったんですよ」


 美人なタイプではないが、わりと可愛らしい容姿の聖子。


 性欲に満ちたクズ、つまりそこらへんの男にでも付いてってみろ。何が起こるか火を見るより明らかだ。弄ばれて、捨てられる。いや、もうそんなことがあったのかも知れない。あのサキの怒り具合からすれば。


 それはきっと、イエローモンキーの歌に浮かされて恋に走るより、なお悪い。うまく言えないが、直感的にそう思う。


 安奈もコントローラーを置く。そして俺の方を見ずに話す。


「同業者に居るのよ、そういう子。いい子で、売れてるし実力もあるけど、くっだらない奴にふらふら付いてって傷つくの。この間も、演出の女癖悪い奴と出来ちゃって、ふた月で捨てられて仕事休んで……見てて堪んないわ」


 ああ、多分あの声優かと、俺には想像がついた。安奈より五つ若い、気鋭の若手女性声優。ラジオでは、のほほんとしたキャラクターで売り、声優のユニットでも大人気だ。虜になった男は数知れず。最近は深夜アニメに留まらず、女児向けの朝アニメや、男の子向けの夕方のアニメにも進出している。


 グラビアも少し見たが、確かに美人だった。しかも二十三にして、大正や明治の旧家の令嬢を思わせる、箱入りの雰囲気が漂う。しかしどこか不健康な感じが、俺はあまり好かない。子役からグラビアを経て声優という経歴も、どうにもな。


「私みたいな業界に入ったら、それも上等かも知れないけど。その聖子ちゃんって、まだ高校生なんでしょ。しかも弁護士になりたいって勉強してる、優秀な子みたいだし、変なことになったら可哀想じゃない。寛志君、なんとかできないの?」


 なんとかなんて軽く言うが、どうすればいい。あかの他人では、聖子が俺と同族のクズに言い寄られたところで、どうしようもない。


「俺が、聖子ちゃんと付き合うってことですか?」


 あのサキを潜り抜け、トラウマを乗り越えて。好きなときに会って、面倒臭い専門書を一緒に読むことになるわけだ。悪い気はしないな。


 安奈は心底残念そうにため息をついた。


「君には、すっごい失礼だけど、さすがにそれは無いわ。付き合っちゃったら、結局酷いことになると思うし」


 何だそれは。しかし、的確だとは思う。俺は将来に確たるものもなければ、あの子と一緒に生きていけるだけの覚悟もない。何となく付き合って、色々あって終わるのだろう。多分俺の方から、彼女のことを投げ出して。


 それは、聖子からすれば、結局弄ばれて捨てられるのと変わらない。俺もやっぱりクズなのだ。


 ならどうすればいいのか。プライドと、自分が得をしたい気持ちを捨てるなら。


「それじゃあ、とりあえず連絡とって、あの子の話聞いて、あの子が俺の同族に引っ掛からないようにしてやればいいわけですね」


 それは、聖子にとって何なんだろう。ボディガード兼、カウンセラーみたいなものだろうか。


 理解の早い俺に、安奈は満足そうに微笑む。


「分かってるじゃない。君にメリットは一つも無いけど、どうかしら」


 挑発的な言い方だ。が、安奈は俺のことを見抜いている。


 俺はさっき、暗くなりかけた安奈を一言で遮った。それから、暴露しないだのなんだの彼女にとって都合のいいことを言って、それを実行する気になっている。今となっては、ファンとしてのエゴも、自分の悲しみも忘れているらしい。


 こんなに都合のいい人間は、そうそう存在しない。事実、俺は聖子が心配だった。


「……分かりました。サキって、あの子には内緒で、とりあえずメールしてみます。何かあったら、また会って話してもいいし」


「最終的には、そのサキって子に認めてもらえると理想的よね」


 安奈は関係が長く続くことを前提にしている。しかし、俺だってそう長く遊んでいられない。


「でも俺、四月には向こうの大学に越しますよ」


「それどこ?」


平丘ひらおか大学です」


 この県から一つ西の県庁所在地。二次試験に行ったときは、中途半端な街だと思った。


「隣の県じゃないの。新幹線ならここまで一時間要らないわ。大体、メールでもなんでもあるんでしょ」


「……はい」


 逃げきれないか。もう仕方がない。


 それにしても、どうやって聖子のことを支えればいいのか。大体、俺達が勝手に心配しているだけで、聖子は特に深刻な事が無いかも知れないのだ。確かめるためにも、もっと聖子と会って、話を聞いてみる必要がある。しかし、どうやってだ。サキをかいくぐるには、最終的に彼女に認めてもらうにはどうすれば。


「……寛志君、難しい顔になってるけど」


「いや、これからのこと考えてて。俺はどうすればいいのかなって」


「そうねー、とりあえずメールしてみたら。んでチャンス見て、じっくり会う約束でしょうね」


 それは、完全にデートの約束ではないだろうか。確かに会って話すのは、コミュニケーションの基本だが。


「まあ、そんなに難しく考えないで。なんか厄介なことあったら、あたし相談に乗るわ。どうせ三月は大体、ここにこもってんだし」


「いいんですか」


「いいもなにも、私が言いだしたことだもん。このひと月は責任持つわよ。あ、アドレスと番号渡しとくわね。何かあったら電話でもなんでもして」


 なんでもない事のように、ゲーム画面を止めてメモをくれた安奈。


 声優をストーカーしたら、本人からアドレスと電話番号が手に入った。


 俺は一生分の運を使い果たしたんじゃないだろうか。


「そうそう、暇なら電話一本入れて、遊びに来てくれたらいいわ。君見込みありそうだから、若い子が知らないようなこと、たくさん、教えたげる」


 思わせぶりにそう言って、微笑む安奈。その悪戯っぽい表情は、あどけなくも妖しい。俺は苦笑して、うなずいた。


 それから数時間して、寝落ちから脱した俺は安奈を起こした。彼女はバスルームに行って数十分かけて身づくろいを済ませ、俺を地下鉄の駅まで案内してくれた。


 言われた通りの路線に乗り、後はひたすら電車に揺られた。


 手に入れた本を読むこともしなければ、CDの歌詞を確かめることすらしない。


 眠いはずなのに眠たくもない。


 全てが夢の様な気がするが、傷の痛みが、それを否定した。

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