追いかけて

 三呂駅へ。もう、家に帰ろう。


 俺は受験を終えたのだ。三月の末までこもっていても、何も言われはしない。目玉が潰れるほどゲームをするか、アニメを見るか。面倒臭いやるべきことを追い出して、誰も邪魔しない中に入りこめばいい。


 他人なんぞに、期待した俺が愚かだったのだ。


 一歩ごとに涙が引っ込んでいく。勝手な絶望と、冷徹な決意を抱いた俺に、そんなものは、もう要らないからだ。


 ぶっ壊した大事な物の破片を、ちり取りで集めて、ゴミ箱に捨てる。それも、パソコンのデスクトップのゴミ箱だ。そして削除してしまえば、二度と思い出すこともない。なんなら、俺という人格さえ、すべて消し去って――。


「あ……!」


 思わず声が漏れた。三呂駅の南口、駅ビル前の交差点。有象無象と横断歩道を渡りながら。向こう側に、人波を横切る姿を見つけた。


 長い髪を揺らし、駅ビルのチェーン店で買った、ドーナツの袋を提げ。


 ふわりと歩く、安奈の姿があった。


 通行人の中の彼女は、本当にただの女の人。けど、俺にとってその姿は、光そのもの。


 歩きながら俺は迷った。光は、三呂駅から西の方へと移っていく。電車に乗ったら、今度こそ俺の前から消えてしまう。だけど、自分から求めて裏切られたりしたら、もう立ち直れないじゃないか。


 横断歩道を渡り切ったとき、俺の体が思考を超えた。砂漠の住人が、水の気配を求めるように。俺は、安奈の後をつけはじめた。


 そのときの俺の様子たるや、キモいのを通り越して恐ろしかっただろう。なにせ身長173センチ、体重75キロの元水泳部の男だ。それが必死になって一人の女を追いかけている。通報されても不思議ではなかったと思う。


 もっとも、場所は人の多い休日の駅前。しかも、感情を殺し、優等生のふりをするのに慣れた俺だ。そんなへまは踏んでいなかったらしい。


 駅の西側をしばらく行くと、すぐにビルが途切れる。そして、電車の高架下に並んだ酒場や食堂が迎えるのだが、驚いたことに、安奈は並んだ店と店の間へ入った。向こうへ抜けるのだろうか。隙間からは、安奈以外にも、何人かが出入りしている。道があるらしい。


 俺は戸惑いつつも後を追った。角を曲がると、高架下の奥行は広い。向こう側へ抜けるまでに、小さい店が何件も連なっている。そういえば、三呂駅の前はかなりの本数の線路が集まっていた。


 向こうの通りへ抜けるのだろう。そんな俺の予測をひるがえし、2件目の前でいきなりまがった安奈。俺は慌てて足を早め、そこへ到達した。


 それで分かった。店の間にはちゃんとした通路があるのだ。


 いや、そこは通路というより、狭い商店街といっていい。18年生きた俺も、こんな商店街を見るのは初めてだ。位置的には、電車の高架下。ちょうど真ん中を、人が数人並んで通れる程度の細い道が貫いている。その両側に、様々な店が連なって並んでいるのだ。


 高架を外から見ると、古くてでかいコンクリートの塊だった。ぽつぽつと外に向けて営業している店があったが、てっきり橋脚ばかりかと思っていた。まさかその中心に、こんな道が通っていたとは。


 安奈はふわりとした歩調を崩さず、狭く薄暗い商店街を歩いていく。地元だけに、慣れているのだろう。俺は戸惑ったが、その後を追った。


 しばらく行って、俺は後悔した。何にといえば、この商店街の雰囲気に、だ。


 例えば、一軒一軒の店構え。明らかに、アニメショップのあったアーケードと違う。大抵の店は、店主が一人きりで店内や入口にたたずみ、通り過ぎる人を眺めている。道行く人に声をかけることはしないが、明らかに意識しているのが分かる。


 人の意識が苦手な俺には、もうそれだけで心臓が跳ね上がりそうだ。もし何か買わないかと言われたら、一体どうやって対応すればいいのか。


 さらに、すれ違う人。これはアニメショップや書店の客とは比較にならない。全般的に洒落た格好で、なんといっても、カップルが多いのだ。よく確認すれば俺の様な冴えない男も居るが、大抵は親密そうに手をつなぎ、寄り添いあってる奴らばかり。


 今しがた二人で暮らす部屋から出てきたような奴らが。輸入雑貨や衣料品が並んだ洒落た店を冷やかし、店主からは冷やかされ。ショウアップ用にガラス展示された物を見ては、足を止め、親しげに会話する。それを横目に歩みを進める俺はというと、目的も分からぬまま、声優を尾行しているのだ。ただひたすらに、自分のクズっぷりが際立つ。


 本当に、何をしてるんだ。


 視線に耐えながら必死に歩いていると、安奈が足を止めた。何やら見繕っている。薄暗くて分かり辛いが、店頭にワゴンが並べられ、その上に商品があるらしい。


 俺は普通に歩くふりをして、距離を測った。どうやら、雑貨や衣料品では無さそうだ。手のひらから少しはみ出すぐらいの変な塊を持っているが、一体あれは――。


 不意に安奈が振り返った。俺は慌てて右側の店に向き直る。こっちにもワゴンがある。ここは古CD屋。ほこりをかぶったCDが、ぎちぎちに詰められている。


 見つかったら、全てが終わる。この上は、フリではだめだ。俺は本気でCDのタイトルをたどり始めた。合間に盗み見ると、安奈は何かを一つ手に取り、じっと見つめている。


 あれを買うのか、それとも立ち去るか。どちらにせよ、安奈が動くまでは俺も動けない。


 しばらくの間、CDの列をひたすら眺めるしかなかった。


 CD。確か兄貴が、プレイヤーを持っていた。しかし、ダウンロードコンテンツが全盛の昨今だ。投票権以外の目的で、プラケースに入った銀の円盤を買い求めて何になる。俺が聞いてた響安奈のフルアルバムだって、配信サイトから有料でダウンロードした、メディアファイルだ。ここへ来るまでの電車内では、スマホにヘッドホンをぶっ挿して聞いていた。


 並べてあるタイトルだって、見たこともないやつばっかり。並べ方からして、邦楽と洋楽はごちゃ混ぜ。しかも邦楽にも、タイトルを英語で書いてあるものがある。余計ややこしい。俺の様な初見の客が、これを見てどうしろというのだろう。


 アホらしくなる。安奈に見つからないためのポーズなのだから、適当に――。


「あ」


 見つけてしまった。あの書店で見たエッセイと同じバンド。そう、イエロー・モンキーの文字だ。


 引っ張り出してみると、真っ黒なジャケットの上下に、白抜きの英語でイエロー・モンキーの文字。中央にはダイヤのリングらしきものが浮かび上がっている。裏側にメンバーの写真。中央の丸刈りの男性が、エッセイを書いていた人だ。ほんの写真より大分若いから、昔のものなのだろうか。


 俺はCDを見つめた。ふと顔を上げると、CDの山に埋もれた店の中。こちらを見ていた店主と目が合う。目が言っている。買え、買え。


 思わず目を逸らすと、安奈が何やら分からない塊を手に、店に入って行く所だった。俺は覚悟を決めると、イエロー・モンキーのCDを持って店内に入った。


 冴えない俺が、なぜこんなCDを買うのか。そういう店主の目に耐えつつ、俺はCDを購入した。たった200円、包装は無地のビニールだった。


 俺が店を出るのとほぼ同じタイミングで、安奈も店を出て歩き始めた。


 CDをしまうと、俺は尾行を再会した。通りがかった拍子に、安奈が見ていたワゴンの中身が見えた。けばけばしい色の不気味な人形がたくさん。怪獣、宇宙人か。小さい頃に見たことがある、某有名巨大ヒーローの敵の人形らしい。


 商店街は、いつ果てるともなく続く。ときどき道路が高架下を通り、その部分で店が途切れるのだが、横断歩道の向こう側には、変わらず連なっている。歩き続けて、隣の駅まで辿り着いたが、その先にもまだ店が続く。


 安奈は歩調を落とさず、ずんずん進んでは、興味の赴くままに店を冷やかす。俺もその度、手近な店に入り込み、興味のない品物を見てしまう。そして結局興味を覚えて、ついつい買ったりする。


 何だか難しそうな古本が二冊、イエロー・モンキーと良く分からない洋楽のCDが2枚。ドイツから輸入したというはさみ。それらを買った所で、商店街が終わった。


 高架下商店街の終点は、なんと衣戸駅だった。三呂から、2駅も歩いた。


 すでに陽は傾き、駅前の広場は朱色に染まりつつある。安奈が少しだけ足を止め、衣戸駅の名前を見上げる。が、階段を上らず衣戸の街の中へ歩いていく。しかもその歩調、速度が全く落ちない。


 信じられない、本当にトークやイベントをこなした後なのか。泣きそうになりながら、その背を追う。足の痛みは悲鳴に近い。衣戸駅で電車を降りてから、3時間近く引きずり回したせいだ。


 ほとんど惰性のままに、俺は安奈を追い続けた。ここからは街中。三呂駅前ほどではないが、高いビルにマンションが目立つ。当たり前だが、どれひとつとして見たことのない建物ばかりだ。


 安奈はもう店に興味を示さず、ひたすら歩みを進める。北へしばらく行くと西に折れ、そのまま直進。俺も懸命に追った。

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