最終話 ミコト × 99

 放課後の通学路、交通量の少ない裏路地にスピードを上げた車のタイヤがアスファルトを擦る音が響く。ミコトはその脇を感情のない足取りで歩いていた。山中の田舎町の国道からは先日ミコトが優奈と瞬太の恋の成就を見届けた波止場が見えた。ミコトはふいに立ち止まって手すりに腕をかけてその景色を眺めてみた。中学以来の再開だったふたりは自分の気持ちを伝え合うとその場で人目を気にする事無く抱擁を交わした。熱い想いを持ち寄ったあのふたりを見て私もハヤト君に想いを伝えようと決心したのになぁ。


 通りかかった自転車に乗ったおじさんに「そこの手すり錆びてるから危ないよ」と注意されてミコトはふと我に返る。シャイニールームで勇気を出して以前の不細工な顔の自分に戻ったのに現実は残酷だった。


 クラスの皆は美人だったミコトとは違って距離を置いて接してくるし、想い続けた本当のハヤト君には瞳子という彼を一番に想ってくれる女の子が居た。今更何の接点も無い私なんかに付け入る隙なんてない。ミコトは再び歩き出して狭い道を抜けて広い大通りに出た。急傾斜の階段を下りたことでいつもミコトが通っている道をショートカットした形になる。


 ミコトが大きなため息をつきながら歩いていると誰も居ないはずの後ろから自分を呼ぶような声がする。ミコトは一瞬足を止めたがきっと気のせいだと思い振り返るのを止めた。なにせ今歩いている場所が学校からの一本道であの急カーブのある歩道の無い道を歩いてこないとここまで来れないのだ。さっきのような自転車での歩行者は居るものの、それは付近に住む農家の人と限定される。


「ミコト、ミコトってば!」


 再度掛けられた言葉にミコトは苛立って「ええい、うるさいなぁ」と振り返る。ミコトはその先に瞳に映った人物を見て声を失う事となった。


「ミコト、ひとりでどこ行くのさ!」


 学校から家に向かって歩いているミコトを呼び止めたのは....今のミコトとはまったく面識のないはずの優奈だった。優奈は以前のミコトで会った時と同じサイドテールの髪を風にそよがせながら小柄な身体をいっぱいに広げてミコトに自分の感情を訴えるようにジェスチャーしながらミコトの側まで駆け寄ってきた。ミコトは山の中腹に造られた学校を見上げて「どうやってここまで来たの?」と優奈に声を絞った。


「わたしのことはどうでもいいよ!そんなことより、諦めちゃうの?ハヤト君の事」


 どうしてそれを知ってるの?と言おうとした所で先に優奈が声を出した。


「ミコトが自分の気持ちを伝えないで諦めるなんてそんなのダメだよ!ミコトは優奈と瞬太がくっつけるように頑張ってくれたのに、自分から諦めるなんて、そんなのってないよ!」


 目の前で地団太を踏む優奈を見てミコトは少し呆れたような顔をしたが彼女の真意を知って表情を引き締めた。優奈はひとり通学路から外れたミコトの事を思ってここまでやって来てくれたのだ。


「今ならまだ間に合う。この道から駅前の商店街行けるから追いかけなよ。何もしないでこのまま諦めるなんて絶対許さないからね!」


 優奈の言葉を受けてミコトは強く頷く。そして信号が青になると今まで来た道と逆方向の進むように山中に掘られた短いトンネルに向かって走り出した。


「頑張ってー!今のミコトの気持ちを伝えれば絶対上手くいくからね!」


 トンネルの入り口で大声で声援を贈る優奈を一度だけ振り駆る。振られた右手の薬指には真新しい指輪が光っていた。なんであの優奈はこのミコトの事を知ってるの?それよりもどうやってここまで...というか親の海外修行の話はどうなったの?もう予定の日を過ぎてるよ?たくさんのクエスチョンがミコトの頭をよぎったが今はそれどころじゃない。ずっと好きだったハヤト君を瞳子に邪魔されたからって諦める?それじゃ今まで頑張ってくれた私たちに申し訳無いよ!ミコトは走る足に力を込める。優奈に言われて目が覚めた。絶対に諦めちゃダメだ。本当のハヤト君に「ごめん、お前とは付き合いない」と言われるまで!


 トンネルを抜けるとそこにはミコトが放課後によく通う商店街が広がっていた。まだふたりは学校からそこまで離れた場所には居ないはず。ミコトはふたりが寄っていないか喫茶店の窓を覗き込む。


「ようやくここまで来たね」


 突然頭に声が響いて窓を覗き込む。自分の身体で影が出来て窓が一部鏡になり、そこに以前あの部屋で胸を過剰に大きくしたミコトの姿が浮かび上がった。驚いてその場を飛びのくと「何もそんなにビビっちゃう事ないじゃない!」ともうひとりのミコトが今のミコトに向かって大声を出した。


 ミコトが再度鏡を覗き込むと胸元が大きく開いたシャツを着こなしたミコトが今のミコトにウィンクして親指を立てた。


「私の分までハヤト君に好きだって伝えてきてね!どうやら私、ガサツで彼のタイプじゃなかったみたいだったから!」


 そういうと彼女は少し不貞ふてた態度で鏡の奥にあるドアを引いてその中に消えていった。


 気を取り直してミコトが歩き出すと町のいたるところが鏡になり、今まであの部屋で生まれたミコトが今のミコトに声援を贈ってくれている。そのどれもが上手にハヤトに想いを伝えられなかった成れの果ての姿だったが彼女達はミコトに様々な言い回しで歩き出すミコトを励ましてくれた。


 水溜りに映ったその中からはいつか優奈と瞬太を結び付けたふくよかな体格のミコトが姿を見せて「頑張るのよ~」と今のミコトに向けて太い声が伸びた。


 そうだ、瞳子はハヤト君を自分の部屋に連れて行くといっていた。こんなところに居るわけないじゃない。ミコトは商店街を抜けると狭い路地の続く電車の踏み切りのある道へ出た。


 見つけた。制服の腰にカーディガンを巻いた派手な振る舞いの女の子の隣に背の高い黒髪の男の子が歩いている。信号が点滅して、降りてきた遮断機がミコトに味方をしてくれている。


 ふたりは踏み切りの前で立ち止まっている。ミコトはずっとその憧れ続けた背中に向かってありったけの声を振り絞った。


「ハヤト君!わたし、ずっとずっと、あなたのことが!」


 その時、猛スピードで通り過ぎた高速列車がミコトの告白の言葉を打ち消した。目に追えない速度の真っ白な車体が通り過ぎて遮断機が上がると、歩き出す瞳子と異をなす様にハヤトがその場で立ち止まった。


「ハヤト君、聞こえた?今の言葉」


 一世一代の告白を受けたハヤトがゆっくりとその場を振り返る。その様子を見て瞳子が顔を真っ赤にしてこっちへ駆け出してきた。


「ちょっと!あんた!なに私にハヤトに何告ってんの!?あれだけ言ったのにまだハヤトの事諦めてないの?馬鹿なんじゃない!ハヤトは私と....」


 ミコトの前に立って声を荒げる瞳子の肩に長い指の手が置かれて、ハヤトが瞳子を引き剥がすように退けるとミコトはハヤトに向き直った。


 ハヤトはいつもと同じ整った顔立ちの奥で突然自分に後ろから愛の言葉をぶつけてきた女子を不思議そうに見て瞳を曇らせた。


「今まで告られたことは会ったけどあんなダイナミックな告白は始めてだったな」


「ハヤト!その女の口車に乗っちゃダメだからね!」


 ひとり輪から外れた瞳子が我が子を正しい方向へ導く母親のような仕草でハヤトの目を覗き込む。


「その女はハヤトのストーカーなんだから!今日だって私たちの邪魔をしようとして下駄箱に手紙を入れようとしたところを私がとっちめたんだから。ああ、もう今すぐにでもこの女を学年の不良女の前か、口うるさい生徒会役員の前に突き出してやりたい....!」


 声を荒げる瞳子を無視するようにハヤトはミコトに落ち着いたぬくもりのある声で尋ねた。


「どこかで会ったことあったっけ?」


「えっと」


 まっすぐなハヤトの視線を受けて困惑するミコト。何も言えなくなってしまったミコトを見てハヤトは瞳子に向かって声を出した。


「すまん、瞳子。この子と話がしたい」


「はぁ?何言ってんの?さっきその女は危険だって私が言ったじゃない!一緒に居たら何されるか分かんないよ!」


「さ、行こう」


「えっちょっと!」


 声を荒げる瞳子を煙に巻くようにハヤトはミコトの手を引いて走り出した。予測してなかったハヤトの言動にミコトはその場で転ばないよう彼に付いて走るので精一杯だった。


 しばらく走って目の前に信号の遮断機が下りてきた。


「チャンス、頭をぶつけるなよ」


 さっきの信号の対向車線となる線路の上を走ると、渡り切った信号の奥から残された瞳子の金切り声が聞こえてきた。


「これで邪魔者はいなくなった」


 悪戯に笑みを浮かべるハヤトの表情をミコトは息を切らしながら見上げていた。喉仏が沈むのを見るとハヤトはミコトの顔に視線を下げた。


「どこかでずっと誰かが自分を見ている気がしていたんだ」


 確信を突いた言葉にミコトは思わず視線を下げてしまう。この際、あの部屋の事を話してしまおうかとも考えたがミコトはその言葉を飲み込んで瞳子に言われた言葉を思い出した。


「ええ、私ハヤト君のストーカーですから」


 ミコトがそう言うと歩き出しながらハヤトは笑った。そして長い16両の列車が通り過ぎてしまう前に瞳子に見つからないような道を選んでハヤトは後ろを歩くミコトを先導した。


「君は多分そんな事をする人じゃないよ。話すのは初めてだけどきっとそんな気がする」


 ハヤトがそんな事を言ってくれるのは嬉しかったがミコトは自分がやって来たことに後ろめたさがあってハヤトの顔を見ることが出来なかった。もちろん、緊張や恥ずかしさもあったが自分が新しい自分に生まれ変われる部屋があって、そこで何度もあなたに告白を受け入れて貰えるようにチャレンジしてました、なんて言ったら普通の男の子ならなんて思うだろう。


 しばらく歩くとふたりは小高い丘の上に登り、そよ風に吹かれながら自分たちが住んでいる町並みを見下ろした。その景色に目を落としながらハヤトがぼんやりと風に言葉を乗せた。


「夢を見たんだ。誰かが俺の事を想っていて呼んでくれる声」


 そういうとハヤトは制服のポケットからちぎれたミサンガを取り出した。その色合いを見てミコトは息を飲み込む。ハヤトはミコトに一歩近づいてそのミサンガをミコトに見せた。


「気づいたらポケットに入っていた。世の中には常識では理解できないことがまだまだたくさんあるんだなと思ったよ」


 そう言うとハヤトはミコトの身体に腕を回してそのままミコトを抱きしめた。組んだ腕の先で持っていたミサンガを顔に近づけてそれを嗅ぎながらハヤトはミコトに告げた。


「君と同じ匂いがする」


 ミコトはハヤトの身体を抱き返すとその胸の中で涙を流した。線路を駆け抜ける列車の音が夕暮れの空にいつまでも響いていた。


 これは私が10代の頃に経験した不思議な初恋のお話。光り輝く新しい自分に会える部屋は私の夢だったのかも知れないし、ハヤトが見ていた夢だったのかも知れない。でも、今こうやってようやくお互いが強く結ばれた事を、何度もくじけそうになって、諦めそうになりながら一人の人を想い続けた事を私は誇りに思う。ここまで来るまで何度も失敗してそれでも最後まで応援してくれたたくさんの私たち。ありがとう。私たちの夢は今ようやくこうして叶ったよ。


 辺りを暗闇を包み込んでハヤトはミコトの手を引いてその場から歩き出した。今の光景はあの部屋で新しい自分の顔や身体のパーツを選んでいた景色に似てる。でももうそれは今の私にはいらないんだ。たくさんの自分の中から、ようやく、本当のミコトを見つけたから。


 風が強くなった丘の上で、自分の左手に巻き直されたミサンガを見てミコトはそう思い続けていた。


―了―



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