第23話 ミコト × 23

 6月末日のグラウンド、好天に見舞われたその場所では学年のレクリエーション行事であるソフトボール大会が行われていた。


 クラス対抗でこの時期、毎年行われるこの新入学生歓迎イベントには今回もたくさんの生徒が観戦に訪れている。今行われている試合は決勝戦で勝ち抜いたA組とC組の決戦。A組1点リードの展開で最終回、守備チームであるA組の投手板にはこの回も初回から投げているミコトが登る。事のあらすじはこうだ。


 本当の自分でハヤトに気持ちを伝えようと決心したミコトはシャイニールームで顔と身体をこの部屋を使う前のものに全て戻した。そして前のミコトと同じようにクラスのみんなと打ち解けようと積極的に声を掛けて周ったがなかなかみんなとの距離が埋まらず、しまいには以前向こうからグループに誘ってくれた真から「今度のソフトボール大会でピッチャーをやってA組を優勝させたら入れてあげるよ」とまで言われてしまい、それでミコトは今回のソフトボール大会にピッチャーとして志願した。


 最初はクラスの野球部である男子からも煙たがられていたミコトだったが、その投球フォームを見た途端、彼はミコトに自分の次の立場である第二ピッチャーの座を譲り渡した。


 中学卒業までソフトに打ち込んでいたミコトの球を打ち返せる生徒はなかなかおらず、ミコトはこの回まで相手のバットにまともにかすらせもしない完璧な投球を見せていた。ミコトは最初のバッターを三振に打ち取ると振り返って守備のみんなに向かって指を一本立てた。


 真からは「こんな学校主催のちっぽけな大会でマジで野球やってると思われるから、やらなくていいよ」と釘を刺されていたのだが、ついついソフト時代の癖でアウトを取るたびに内野を振り向いてしまう。


 投手板を挟んで次のバッターと対峙し、腕を振り下ろす。やっぱり本来の自分の身体は動かしやすい。バッターボックスに立つ大柄な男子生徒はミコトの前に力いっぱいバットを振り回すが、全てボールを捕らえきれずに女子であるミコトに屈辱の三振を喫した。これで2アウト。ベンチに座る真を振り返ると「分かってるよ」という顔でミコトに試合に集中するよう促した。最後のバッターとなった相手ベンチからは必死の応援が飛ぶ。


「今投げてるのってあの霧島とレギュラー争ってたっていう長谷川?」


「すげーな。ここまで味方のエラー以外でランナー出してねーじゃん」


「がんばれー長谷川ー」


 観客席からはこれまでの好投を受けてミコトの完投を見届ける野太い声が響いてきた。


「畜生このソフト女、どんな手を使ってでも絶対に塁に出てやるからな」


 野球部所属である次のバッターの視線を受けてミコトは緩んでいた神経を再びかき集めて指先に神経を集中させる。そして今も高校でソフトボールを続けているという霧島美紀直伝の大きなフォームからその一球を投擲した。


 するとバッターが顔の前でバットを真横に構え、ボールが沈んだ音を出してピッチャーズサークルの前にロビングの打球が上がった。C組、9回裏で必死のセーフティバント。


 「任せて!」マスクを取るキャッチャーをミコトが制して正面に飛んだボール目掛けて身体を飛び込ませる。土のグラウンドに滑り込んで左手のグローブでボールに向かって手を伸ばす。ピッチャーズサークルの周りを砂煙が包み込み、内野手がミコトを気遣って近寄ってくる。ミコトは砂の付いた頬を上げる事無くボールを掴んだ左腕を主審に見えるように高く掲げた。


「試合終了!1-0でA組の勝ち!」


 観客席から歓声と驚きの声が飛び、バントを放った男子が女子相手にここまでして塁に出られなかった恥ずかしさをかき消すように甲高い声で叫ぶ声が聞こえてきた。


 ミコトは誰にも見られないように顔を拭うとミコトの活躍を労いながら近づいてきた男子とグローブでハイタッチを交わした。ベンチにいた女子の方を見るとみんな携帯電話を片手にミコトの健闘を称えて拍手をした。


 やったよ。これまでの私。元々の自分でもこんなに友達が出来たんだ。整列して相手チームと挨拶をするとグラウンドの隅から女子の高い声が通り抜けてきた。


「ちょっと何あれ~?女の子が泥まみれになって男子に混じって野球やってるよ~?」


 ミコトがその声に気づいて振り返ると綺麗な髪の毛先をカールさせたおしゃれな缶バッチをワイシャツにくくり付けた背の高い派手な女子がミコトをまるで汚れた動物を見るような目で蔑んできた。


「ひとりだけ中学時代のユニフォーム着て気合入っちゃって。そこまでして男子の気を惹きたいの、って感じぃー。高校にもなって女子が野球とかダサいよね~」


「おい、やめろよ」


 ミコトと同じクラスの男子がその女子に向かって毅然とした態度で声を張った。その彼はミコトにこの試合の先発を譲った野球部所属の男子だった。


「負けたからってウチのピッチャー馬鹿にすんなよ。見ただろ長谷川の球。男子でもあんな球打てるヤツいねぇよ」


 その言葉を受けてその少女は呆れたように両手を広げてかかとを支点にしてその場をくるっと回って言った。


「なぁに、参加クラスの生徒は強制観戦だからって来てやったのに。あんたみたいなヤツにはああいう芋女がお似合いよ。行こうハヤト」


 ハヤト、と聞いてミコトは驚いてその少女と腕を組んだ男子の姿を見つめた。間違いない。今あの子と一緒に歩き出したのはハヤト君だ。


「ごめんなさい、ウチのクラスの瞳子がちょっかいだしてー」


 瞳子と同じクラスの祥子がミコトに声を掛けたがミコトはショックでそれに気づくのが遅れた。


 ミコトは瞳子とハヤトがグラウンドの外のフェンスのドアを開けて見えなくなるまでその方角を向いていた。あの淡い紫色の薔薇のような口唇をした女の子が本当の瞳子なんだ。そしてあの瞳子は何の躊躇も無くハヤト君の背中に手を回した。もしかして今のふたりは......


 その時、ミコトの目の前が暗転し、まっすぐ歩くことが出来ずに思わずその場に手を付いた。視界がゆがみ、喉の奥から不快な気持ちが込み上げてくる。


「ちょっと大丈夫?」


 声を掛けてきた祥子の誘導でミコトは表彰式に出席することなく保健室にその身を運ばれた。そしてベッドの上でミコトはさっきの問いかけに答えを出した。


 今の瞳子はハヤト君と付き合っている?


 最悪の考えが頭をよぎって来て世界が極彩色に変わる。炎天下にひとりで決勝戦を投げきったミコトは脱水症状を引き起こしていて、しかも目の前で瞳子とハヤトが腕を絡め合って歩く姿を見てショックでベッドの中からしばらく起き上がることが出来なかった。




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