第22話 ミコト × 22
次の日、学校に登校するとミコトは廊下で見知らぬ女の子に声を掛けられた。振り返ると彼女は昨日、真に招待された入ったグループのひとりだったらしい。小学卒業までソフトボールをやっていたという活発そうなその彼女は「是非、今度ボールの正しい投げ方を教えて欲しい」とミコトに告げて自分の教室まで駆けていった。
頭の上のスピーカーから始業を知らせるチャイムが鳴る。ミコトも彼女の後に着くように廊下を走り出す。昨日タイムラインを眺めて感じたのは真がリーダーを務めているこのグループは学年の女子の大部分が所属しているようで、その登録数はこの学校の生徒達が他に組んでいるグループと比較しても多く、強い発言力を持つカリスマ的な女の子が居たりして、それは学校内でもひとつの一大勢力のようだった。
昼休み、ミコトが廊下の柱の影で携帯のアプリから次々と流れるみんなの声を眺めているとちょい、ちょいと制服の肩が揺れた気がして振り向いた。そこには登校中に度々見かける風貌の女の子が立っていた。彼女はミコトの顔を見つめると一度携帯の画面をちらり見て、ミコトに挨拶をした。
「昨日、同じグループに登録した長谷川 ミコトさんだよね?清水瞳子です。よろしくお願いしますっ」
「ええっ!?あんたが瞳子?嘘でしょ?」
「えっ、私、何かおかしなこと言いましたか?」
ミコトに瞳子と名乗った女の子は身体の前に手を組んで驚くとその場を一歩飛び退いた。
「ちょっと、どういう事なのよ!?瞳子、また私に嫌がらせしようとしてるんでしょ!」
柱の影から出て辺りを見渡して瞳子の姿を探すミコト。あの瞳子の事だからどうせこの子に自分の名を名乗らせて私を馬鹿にしようとしているに違いない。ミコトがきっ、と鋭い視線を他の生徒達に向けていると蚊の無くような細い声で再びミコトの制服の肩の辺りがちょいちょい、と揺れた。
「あの、私は本当に清水瞳子です。信じてください」
そう言うと彼女はスカートのポケットから生徒手帳を取り出してミコトに差し向けた。そこに記載されてある名前を見てミコトは愕然とした。
「いきなり驚かせちゃってごめんなさい。A組の長谷川さん、前から見かけててずっと、お話したいな、と思ってて」
「嘘でしょ....?」
彼女に向き直ってミコトは声を引き上げた。私が知っている瞳子は自分勝手で人を威圧するような態度をとる高慢ちきで嫌味な女だったはず。でもこの子は私が知っている瞳子とは全然違う。
「これからもヨロシクね、長谷川さん!」
意図せず明るい声が向けられてミコトはあっ、と急ごしらえの笑顔を返す。でも今、ミコトにぴょこっと頭を下げたのは背の小さい可愛らしい女の子だった。自分の目的を成し遂げる為なら人を蹴落とす事すらいとなわない悪意を持った今までの瞳子とは違い、今の彼女はまるで春に咲いた若葉のような初々しい笑顔をミコトに見せて向かいのほうから声を掛けて呼んだ女の子の方へ歩いていった。
「ごめんなさい、これから花壇の水やりの仕事があるんでしたっ。また今度ゆっくりお話し聞かせてね」
ミコトはうん、と手を振りながら彼女を呼びにきた生徒とその新しい瞳子の背中を見つめていた。あれが今の私の時の瞳子。私が顔を変えるとそれに
ミコトが思考を巡らせている間に休み時間終了を告げるチャイムが廊下に響き、生徒たちは教室に戻って午後の授業を受講した。一日の構内行事が終わり、掃除当番だったミコトが廊下をひとり歩いていると通路の向こう側から男子がふたり話している声が聞こえる。ミコトはいま言葉を発した人物の顔を見てその場で息を潜めた。
夕暮れに染まった放課後の廊下でハヤトが他の部活をしてるであろう風貌の男子と話している。会話の様子はもう片方の男子がハヤトに問い詰めるような口調で話していてハヤトはそれをなあなあと受け流している。ミコトは彼らの視界に映らないようにこっそり掃除箱の陰に隠れると、悪いことだと知りながらその場で聞き耳を立てた。
「この際だから単刀直入に聞くわ。ハヤト、お前清水の事、どう思ってる?」
ふいに瞳子の苗字が会話に出てミコトは息を呑む。ハヤトは彼との会話自体が少し面倒な物のように感じているようで「もうそろそろ部活の時間なんだけど」と彼からの追及を逃れようとしていた。しかし「そうはいかん」、という風に体格の良い角刈りの生徒はハヤトに問い質した。
「おまえ、清水と幼馴染だろ。お前たちとは同じ中学だったから分かるけど、アイツずっとお前のこと好きだって言ってるぞ。いい加減その気持ちに応えてやるっていうのが男ってもんじゃないのか」
体育会系特有の張った声が響き渡り「馬鹿、声がでけぇよ」とハヤトが彼をたしなめた。
彼は一度口をつぐむと腕組をして視線を外に逃がした。そして廊下の向こう側の生徒がいなくなると再びハヤトに向かって声を出した。
「確かにかねてからの希望だったここのサッカー部に入部出来て全国制覇という夢に燃える気持ちは分かる。だがなハヤト、あの子はずっとお前を想ってる。今時化粧気も無い素朴で健気な良い子じゃないか。このままじゃ清水が可哀相だろ」
彼が強い口調で瞳子の気持ちを伝えるのを聞いてミコトは背中を掃除箱に擦りながらその場に沈み落ちた。そうだ、瞳子は私と違ってずっとハヤト君のことが好きだったんだ。ハヤト君への恋の告白権は瞳子の方が先にある。分かってた。でもその事をずっと認めたくなかったんだ。思わずミコトに両頬に涙が落ちる。少しの間があってハヤトは彼に声を返した。
「分かったよ。少し清水に聞いてみる」
「そうか、よかった」
和やかな声で笑うその彼越しにミコトはハヤトの姿を眺めた。ジャージを着た彼は背の高い体の影を廊下に伸ばし、自分にお構いなしに言葉をぶつけてくる彼の態度にほだされた様に頬を指で掻いていた。表情は乱反射する夕日の角度でミコトが居る視点からは汲み取る事が出来なかった。
「そろそろ部活が始まる時間だ。お互い部活と恋の両立頑張ろうぜ」
彼が調子付いた口調でハヤトの肩を組んで廊下の向こう側に歩き出した。
「学生の本分である勉強は何処へ行ったんだよ」
ハヤトの鋭いツッコミを受けて彼は廊下に響き渡る声で笑った。そのトーンには自分が抱えていた問題をひとつ解決できたような満足感があった。
人の気配が無くなるとミコトはその場を立ち上がって涙を拭いながら玄関に続く道を歩き出した。
自分の部屋に戻るとミコトは制服のままベッドに横になった。新しい瞳子にハヤトに瞳子の気持ちに応えるよう急かす同級生。周りを包み込んだしがらみにミコトは何もする気が起こらなかった。
「やっぱりハヤト君も瞳子の事が好きなのかな」
ぼうっとした口調で天井に言葉を浮かべる。ふと視界の隅に入った携帯電話の通知点滅に目が止まる。瞳子は公然とハヤト君が好きだという気持ちをみんなに伝えた。あの文字を打ち込んで送信するまでにいくつかの葛藤があったことだろう。でも瞳子はそれを乗り越えて皆に自分の気持ちを伝えたんだ。よっぽど強い気持ちが無いとあんな事できないよ。
ミコトは携帯電話を手に取ると大きなため息をついた。容姿端麗、スポーツ万能、学業優秀、性格最高のハヤト君の彼女はやっぱり瞳子がふさわしいのかな。だって向こうは物心つくころからハヤト君と一緒だもん。ぼんやりと心で白旗を挙げながら携帯の画面に目を落とした。タイムラインにはグループに登録された友人同士の様々な声が踊っている。
「みんなどこのコンシーラー使ってるの~?教えて!」
「このマスク着けると小顔に見えるよ」
「ほんとっ?試してみるっ!」
みんな年頃の女の子らしく美容や身体磨きに気を使っている。ミコトはふと身体を起こして自分の姿を化粧台の鏡で眺めた。今の自分はあの部屋で造り上げた偽りの自分。ミコトは再び携帯に視線を落とす。みんななりたい理想の自分を目指して一生懸命努力している。
「そうだ、私何も頑張ってないじゃない。勝手にハヤト君のこと決め付けて」
ミコトはベッドの上から起き上がると化粧台に近づいて今の自分の顔を覗き込んでべぇっと舌を見せた。
「バカみたい、私」
そう吐き捨ててミコトは鏡の向こうの世界に身体を投げ出した。今の造り物のミコトじゃダメ。ニセモノの自分と決別して本当の自分でハヤト君に気持ちを伝えなきゃ。一番大事なことに気がついたミコトはまっすぐな瞳で目の前に浮かぶパネルに向き直った。
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