第19話 ミコト × 19

 シャイニールームで瞬太がモデルにしたいという人物像に “変身” したミコトは、予想通り瞬太から絵のモデルを依頼された。ミコトは普段瞬太達が活動 している美術室に招かれ、彼から熱心に自分が描きたいという絵の魅力を聞かされ、もしモデルを務めてくれたら軽いギャランティが出るという事をミコトに伝えた。それは担任の先生への内申書の推薦、もしくはデッサン講義の後の食事会はどうか、と提案してくれた(おそらく今のミコトの体型を見て言ったのだろうと内心ミコトは苛立っていた)。ミコトは彼らのその提案を全て断り、替わりにモデルをやるにあたっての条件をつけた。


 ひとつはそのデッサン講義に塩見高校の生徒だけでなく、絵を描きたいという他の生徒も招いて開催すること。ふたつめは自分は絵のモデルに慣れていないためデッサンの時間は90分、つまり1時間半の描写時間にしてくれということ。


 みっつ目を提案しようとしたところで瞬太の後ろに立つ美術部部長の眉間に大きな皺が浮かび始めたのでミコトは口をつぐんで瞬太の返答を待った。


「モデルの時間制限は集中してかけばなんとか出来そうだが、そこに他の生徒を呼ぶのはどうだろう?興味本位でやってきた野次馬にやかましくされたら描く事に集中できん」


「でも~」


 ミコトが着太りした制服から横に伸ばした両腕を広げながら言った。瞬太のリクエストに答えようとして少し過剰に身体を膨らませすぎたかもしれない。まだ新しい顔と身体のバランスに慣れていなくて口を早く動かせないため、どうしても少し間の抜けた話し方になってしまう。


「キミ達の他にも女子をモデルに絵を描いてみたいっている人はたくさんいると思うよ~。人物デッサンが出来る機会なんてなかなかないことだし~」


 ミコトの言い分を受けて瞬太と仲の良いふくよかな男子がこめかみに指を置いて考え込む瞬太を諭すように言った。


「なぁ、追浜。今回は彼女の提案を呑んでやろうじゃないか。今回限りとは限らんだろうし」


 瞬太は少し考え込んだ後、「わかったその条件で他生徒の参加も受け付けよう」と根負けした様子でミコトの丸みを帯びた体格を眺めながら声を返した。まるで愛情に飢えた子供が母親を求めるような慈愛のこもった瞳を受けて、ミコトは思わず視線を窓の外へ逃がした。


 ミコトは瞬太がまったく好みのタイプの男子ではなかったので正直彼の態度が少し、気味が悪いと感じていたが、彼を好きだという優奈のため、せっかくここまで進めてきたこのミッションを成し遂げるためだと自分の中で受け入れた。モデルをするにあたっての細かい段取りを決めるとミコトは彼らに笑顔を作って美術室のドアを開けた。


「じゃぁそういうことで~来週の金曜日ね~」


 瞬太はミコトが振る小さいながらも透明感のある綺麗な指先が扉の向こうへ見えなくなるまで見つめていた。


 家に帰ってベッドに腰掛けるとミコトは深く沈み込んだスプリングの軋みを気にも留めずにその場で大きく伸びをした。これで瞬太と優奈がふたりで遇える場所をセッティングした。今の優奈は瞬太が塩見高校に通っている事、知ってるのかな?念のため彼女に日取りを教えておく必要があるかもしれない。


 部屋着に着替えるとミコトは机に座ってペンを取り、前のミコトで調べていた優奈の住所へ簡単な招待状を書いた。そしてそれから一週間、塩見高校の女子生徒として過ごして自分がモデルを務めるデッサン講義当日を迎えた。


 ミコトが放課後に美術室を訪れると瞬太の友達がミコトを見て嬉しそうに声を張った。


「すごいよ長谷川さん!今日のデッサン講義の参加人数20人越えだってさ!こんなこと過去の美術部にないってOB も来てくれるみたいでさ!とりあえず今回は大成功って感じ!」


「そうなんだ~すご~い。ミコトも頑張っちゃお~」


 ミコトがはしゃぎ声を上げると部屋の隅で瞬太が深いため息をついた。


「この教室に20席も椅子とイーゼルが並ぶのか....これだから他校の生徒を誘うのは嫌だったんだ」


「はいはい~追浜くんも設置手伝って~」


 ミコトは率先してデッサン講義の準備を手伝うと訪れてくれた生徒ひとりひとりにドアの前で「今日はよろしくお願いします」と挨拶をした。ミコトの姿を見て和やかな顔で順番に教室に入っていく輪の中から外れるように、壁の向こうから身を隠して立つ二つ結びの女の子の影がひとつ。


「二葉優奈さんね~待ってわよ~」


 ミコトが声を伸ばすとひとり違う制服を身に纏った優奈がびくっとその場を飛び上がった。優奈は壁を越えてそっと足を踏み出すとミコトを地方のゆるキャラを見上げるような好奇心のこもった瞳で眺めながら聞いた。


「どうして私の名前を知ってるんですか?」


「なぜかしらね~あなたが絵にとっても興味があるように見えたから」


 ミコトと優奈の間を高級そうな画材を抱えた生徒がドアを開けて教室に入っていった。それを見て筆とキャンバスが入ったカバンを肩に掛けた優奈が自信無さ気に俯いた。


「ここに来る人はみんな将来の進路がきっちり決まってる人ばかり見たいだし。私みたいな不純な動機で絵を描いてるコは来ちゃいけないよね」


「そ、そんなことないわよ~塩見高校のデッサン講義は絵に興味がある人なら誰でも大歓迎!第一あなたに招待状を書いたのは今回モデルを務める私なんだから参加してもらわないと困っちゃうのよ~」


 優奈はミコトの身体をまじまじと眺めるとじっと疑うようなまなざしを向けてきた。


「あなた私の知り合いでしたっけ?何か身体に詰めてる?招待状とか、他のコに着てなかったみたいだし、どうも胡散臭いんだよね」


「そ、そんなことないわよ~」


 うっかり口を滑らせて必要の無いことまで話してしまった。ここで優奈に感づかれてしまったらここまでの苦労が全て水の泡になってしまう。ミコトが口ごもっているとドアが開いて中から背の高い男子生徒がふたりの間に姿を現した。


「あっ!瞬太!」


「お前は、二葉。なんでこんなところに」


 顔を見合わせて驚く同じ中学出身の瞬太と優奈。間に挟まれたミコトが交互にふたりの表情を見つめる。数秒の無言の時間が過ぎて先に口を開いたのは瞬太の方だった。


「なんだお前、まだ絵を続けていたのか。まだ中学最後の展覧会に出したようなアニメの延長みたいなイラスト描いてんのか?絵を馬鹿にしないでくれ。こっちは真剣にやってるんだ」


「ちょっとあんた、そんな言い方ないでしょ!」


 ミコトが瞬太をたしなめると優奈が両手を強く握って瞬太を睨み返した。


「相変わらずその性格の捻くれ加減は変わんないみたいだね」


「どういうことだ?」瞬太が腰に手を当てて優奈に向き直る。真っ赤な顔で優奈が瞬太に声を張り上げた。


「その最後の展覧会でOBにダメ出しされて、その後の懇談会の空気最悪にしたのは誰だっけ?みんなの最後の思い出が誰のせいで嫌な思い出になったか分かってる?」


「そんなことを言いにわざわざこんなところまで来たのか」


 呆れたように目線を教室の中に移した瞬太が短く言葉を切った。


「今、この教室にはこのモデル、長谷川さんの登場を待つ人物が20人近く待機している。皆美大への進学やデザイナーを志している、目標を持つ連中ばかりだ。それに比べておまえはどうだ?何の目標も無く、ただ漫然とキャンバスを消費しているだけじゃないか....今回の講義、ただでさえ人数が多くて良いアングルの場所が確保出来なかったんだ。出口は回り右をして向こうだ。賑やかしのつもりで来たのなら帰ってくれないか」


「ちょ、ちょっと優奈!」


 話の途中で優奈は目に涙を溜めて廊下を走り出してしまった。ミコトは振り返って咄嗟的に瞬太に怒りの言葉をぶつけた。


「あんたサイッテーね!せっかくあんたに会いに来てくれた女の子を追い返すなんて。自分が特別な人間だとでも思ってんの?他の子にもそんな態度取るんならモデルやらないよ?」


 瞬太は少し驚いた顔でミコトを見つめると息を細く吸い込んで深呼吸をし、気持ちを落ち着けてミコトに声を絞った。


「すまん、少し激高し過ぎた....そろそろ時間だ。皆が待っている。モデルを務めてくれ」


 優奈は出て行ってしまったけど、他の人達をがっかりさせてしまう訳にはいかない。ミコトは沈みそうな気持ちを奮い立たせて教室のドアを開けて拍手の鳴る花道を通って教壇の上に置かれた椅子に座ってポーズを取った。


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