第18話 ミコト × 18
ミコトが再度化粧台の向こうへ訪れると辺りは暗闇に包まれてた。普段のように気がつくと空中の上に身体が浮かんでいたのだけれど、今回はタッチパネル式の顔や身体のパーツが浮かんでこない。どういうことかと、ミコトが考えていると放送室のマイクをぽん、ぽんと叩くような音が聞こえて、それに息を吹き込むと暗闇の部屋に響く音量で機械的なアナウンスが始まった。
「エー、長谷川みことサマ。アナタハ今回デコノ部屋ヲ30回目ノゴ利用トナリマス」
「えっ、どういうこと?」
突然の宣告にミコトが一歩、その場を引いて身構える。なんどもシャイニールームを訪れているが、主催者側がミコトに話しかけてくるなんて事はもちろん初めてだった。
「毎度ゴ贔屓ニアリガトウゴザイマス。コノ度ハオ客様ノゴ要望ニオ応エ致シマシテぱーつノおぷしょん機能ヲ新タニ用意イタシマシタ。コレニヨリ長谷川様ハ今トハ違ウ、マッタク別ノ自分ニ生マレ変ワルコトガ可能ニナリマシタ」
「ちょっと、それってどういう...」
「新シイ部屋ハ左側ノ扉ヲ開ケタ先ニナリマス。ソレト、コチラノ方デ簡単ナ修正機能モ取リ付ケマシタ。毎度ゴ贔屓ニ。ソレデハ更ニ快適ニナッタにゅうらいふヲオ楽シミクダサイ」
ミコトが問いかけるが声の主はその場を立ち上がって靴音を鳴らしながら数歩足を引き擦ると放送室のような重そうなドアを開けたことがオンになったままのマイクから伝わってきた。
ひとり暗闇に残されたミコトは言われたように左を向くと微かに左側の方に取り付けられたドアの向こうの部屋の明かりが灯ったのを感じる。
ミコトは自転車で左右に曲がるときのように宙に浮かぶ身体の重心をコントロールして空中を移動しながら左側のそのドアまで向かい取っ手に手を触れた。
誰が何のためにこの部屋を作り、一体何のためにその部屋を私に貸し出しているのか。わからない事だらけだけど、今は優奈の恋のためになんとかしなくっちゃ。意を決してドアを開けるとミコトの身体が光に包まれて、気がつくと再びさっきいたような暗闇の空間に意識ごと身体がワープしていた。空中でしばらく待っていると、宙からミコトが普段使っているパネルがシュン、と周りに落ちてきて、ミコトが操作しやすい高さまで浮かび上がった。ミコトはそれのひとつに近づいてパネルの表面を指で触れた。
「確かさっき、オプション機能を付けたって言ってたよね」
ミコトが掴んだそのパネルは体型を自由に変えられるように多数のパーツが用意されているパネルだった。ミコトがオンラインショップで買い物をするように指を下の方にスライドさせると制服のアイコンが目に入った。そこには塩見高校の紋章がプリントされたリボンが巻かれた薄い水色のセーラー服の項目もあった。
「これだ!さっき放送で言ってた新しい自分になれるっていうのは、これを選んで塩見高校の生徒に成れるってことだったんだ!」
自分の中で答えを出すと、ミコトはその制服を選んで決定ボタンを押し、他にも顔のパーツである眉や瞳、鼻や口唇や身体の細かいパーツを決められるパネルをかき集めてきてそれぞれ自分好みのパーツを選んだ。パネルの画面に表示されるカラフルで親しみのあるユーザーインターフェースに、ミコトはこの部屋を始めて訪れた時と比べて、今はほとんど罪悪感を感じていなかった。
「でも、」
一抹の不安がミコトの心に引っ掛かる。今着ている制服とは別の制服を選んだら本当に今のミコトとはまったく別のミコトになってしまうんだろうか?ううん、その心配は後。今のままじゃ優奈が好きな瞬太の動向を知ることが出来ない。噂話じゃなくて本当に瞬太に彼女が出来たのか、確かめる必要がある。その為には....
暗闇の向こうにひとつだけ光を放つドアがある。その向こうに選んだパネルを持っていけば新しい自分に変われるはずだ。ミコトは決定ボタンが押されて画面表示が固定されたパネルを両手で抱きかかえてそのドアの向こうへ飛び込んだ......
目が覚めると、そこはいつもの自分の部屋。机の上に置かれた電子式カレンダーを見るといつもシャイニールームを使うと訪れる日付になっていた。
毛布を除けて鏡を覗き込むとさっき自分が選んだ顔のパーツが当てはめられている。立ち上がって姿見を眺めながらストレッチをする。これをしないと今の身体の感覚が分からなくてうまく歩けずに転んでしまった経験があるからだ。
「ミコトー起きてるー?そろそろ学校行く時間ー」
階段の下からいつものトーンで母が呼ぶ声が聞こえる。ミコトは部屋の壁に掛けられた塩見高校の制服を見つめた。どうやら新しい自分に成り代わっても家族構成に変化はなさそうだ。ミコトは本棚の中から中学時代の卒業アルバムを取り出してみた。以前、顔を変えたことが瞳子に卒業アルバムを見られたことによってバレてしまったことを思い出してページをめくる指に汗が湧く。
「あった、これだ。長谷川ミコト。えっ、なにこれ、すごいよ!」
過去の自分の姿を見つけて思わず鼻の下に指を載せる。そこに写っていた女の子は今の自分とまったく同じ顔をした中学時代の長谷川ミコトだった。
「あの部屋で言っていた修正機能ってこれの事?」
鏡に映ったミコトの顔が笑顔でほころぶ。新しく顔を選んだ時に、過去との矛盾点が無いようにあの部屋の貸出人が調整してくれたのだ。
ミコトは階段を滑り降りるとドアを開けて朝食を作ってくれていたいつもと同じ母親に後ろからぎゅっと抱きついた。
「やったよ、お母さん。ミコト、これで胸を張って塩見高校の生徒だって皆に言えるもん!」
「この子ったらどうしたのかしら。早く食べちゃわないと学校遅れるわよ」
特別驚く様子も無くミコトの母が娘の腕を振り解くと、きちんと朝食を採ってミコトは過去のミコトが普段通っている方とは別の通学路で隣接する海岸から潮風が漂う塩見高校に登校した。このミコトは友達が多く、明るく人望があり学級委員まで任せられていて休み時間になると席には男女教師問わずミコトと話をしたい人達が集まった。顔を変える前の自分の休み時間を思い出してしばらくこんな生活もいいかな、とミコトが思い始めた途端、廊下の窓に背の高い細身の男子が通り過ぎるのが見えた。
「瞬太君!」
思わず席を立ち上がって取り巻きの女子を振りほどくとミコトは廊下を出てその姿を追った。瞬太を思わしき人物はコンビニ袋を片手に引っさげて階段を登り、美術室と札が付いた部屋に取り付けられた横引きのドアを開けた。油絵の具の匂いが漂うその部屋に入りドアを閉めると、ミコトは通路の影から歴史のある木板の廊下を音を鳴らさないよう慎重に歩きながらそのドアを覗けるぐらいの範囲でそっと横に引いた。
美術室の中には先に部屋の中にいた少しふくよかな体格の男子生徒と今さっき入ってきた瞬太のふたりだけで、瞬太はここに来る途中で買ってきたと思われるコンビニの袋を机の上に空けた。その中からカップに入ったデザートを取り出すともうひとりの生徒が椅子の上で茶化すように蓋を開けた瞬太に言った。
「
ビニールに包まれたプラスティックスプーンを取り出した瞬太は彼に向き合うと「4つ目だ」と生真面目にその生徒に答えた。瞬太はプリンの上に巻くように置かれた生クリームを眺めると端から見て分かるぐらいに大きくごくり、と喉を鳴らした。
「美しい西洋建造物に置かれた紋章のようなこのうずまきぷりんのこの造形、それぞれがお互いを惹き立てている。この出会いはまさに恋だな」
自分に酔っている様な解説を聞いてがくっと膝を折るミコト。プリンにスプーンを通した瞬太を見て男子生徒が笑う。
「確かに、絵を描くと頭を使うからなー。脳が汗を掻くっていうかさ。糖分は絵描きにとってホント恋人だよ」
「その意見は俺も同意だ」
「ははっ、俺達も絵ばっかり描いてないで、彼女欲しいよなホント」
静かに微笑みながらプリンを頬張る瞬太を見て、ミコトは瞬太に彼女が出来た、というのはこの会話を聞いていた女生徒の勘違いだと判断した。女っ気の無い粗暴な部室と人の評価など一切気にしていないようなふたりの言動。その女生徒の話を聞いて瞬太に彼女が出来たというのは優奈のはやとちりだったと確信した。
スプーンの上でプリンとクリームのバランスを合わせながらそれを口に運んでいく瞬太を見て「アレが美術の授業で優奈が自慢げに言ってた黄金比率ってやつなのかな?」とミコトが考えていると男子生徒が思い出したように声を瞬太に向けた。
「そういえばさ、今度のモデルデッサンの話だけど、見当つけてるか?モデル探しは今回お前の役割だろ」
「ああ、その件だがまったく見通しが立たない」
大好物だというずまきぷりんを完食すると瞬太は容器とスプーンと机の上から除けて体を机の上に投げ出すように崩れ落ちた。
「なかなか描いてみたいと思わせる被写体の女性がいなくてな」
瞬太の様子を見るにそのデッサンまでの期間が迫っており、他にモデルになってくれそうな女子生徒との交渉が難航しているようだった。少年が「どういう女を描いてみたいんだ?」と聞くと瞬太は身体を起こして自分の理想の女性像をぼんやりと空気に漂わせた。
「顔立ちがはっきりしていて、丸みのあるボディラインの女性だ。包容力のある雰囲気があって、足首はレスポールギターのスルーネックのように自然な流線型があり、瞳には力強い意思を感じさせる色を持った女性を俺は描いてみたい」
憧れの女性への願望が込められた瞬太の要望を聞いて、ミコトがその場を一歩退くとそれを聞いた男子生徒が腹を抱えて笑い始めた。
「用は身体がふっくらしてて、顔のEラインが整ってる女の事だろ?馬鹿言うな。細いお前には分からんだろうが太ったときに肉が一番先に付くのは顔のラインだ。つまりお前が言う理想の女性はこの世界には存在しないことになる。ただのその場限りの模写だぜ?現実を見ろよ」
「確かにお前のいう事も理解出切る」
そう言うと瞬太は自分の左手の甲に付けられた傷を眺めた。その姿を見てミコトははっと息を呑む。過去に自分の絵には妥協したくない、という気持ちで付けられた戒めと強い意志を持った傷だ。ミコトはその場をそっと立ち上がると彼らに気づかれないように廊下を歩き、階段を下りた。確かに瞬太の理想とする女性は普通に考えたらいないのかも知れない。
でも、それが普通じゃない世界から来た女の子だとしたら?
「ちょっと、そこのキミ!待ってくれないか!」
放課後の通学路、ミコトの背中に男子生徒の鋭い声が向けられる。ミコトが振り返ると走って追いかけてきたように息を切らしながら瞬太が立っている。
ミ コトが立ち止まって「なにかしら?」と気品のある佇まいで口許に笑みを浮かべながら瞬太の息が整うのを待つ。ワイシャツで手の汗を拭った瞬太がミコトに顔を上げて懇願した。
「来週の金曜日の放課後、美術室にてデッサン講義が開かれる。そこに、是非モデルとして出て欲しいんだ」
それを受けてミコトがふくよかな身体の脂肪を揺らしながらぴっと、鼻筋に人差し指を当てた。指の背がきちっと鼻と口唇と顎に一直線で触れる綺麗なEラインでミコトは
「一度だけよ」
と妖しい魅力を放つ魔法使いのような仕草で答えて見せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます