第15話 ミコト × 15

「それでね、私は言ってやったんだ。そんなの普通の女子高生がすることじゃないぞーってね」


「ああ、そうなんだ。すごいね」


 昼休みの屋上、少女が強い風に吹かれながら学校の購買部で買ったパンをかじるミコトに自分の自慢話を聞かせている。優奈が爪を割って保健室に連れて行った次の日、ミコトは廊下でたまたま出くわした優奈にほぼ強引にここへ連れてこられて一緒に昼食を食べる事を提案されたのだった。


「優奈ー、そんなに手すりの近くにいると危ないよー」


 立ち上がって外の風景を眺め始めた優奈に、近くでランチマットを広げていた女子生徒のグループのひとりが声を上げた。優奈はどこか危なっかしくて周りを冷や冷やさせるタイプの女の子であるらしい。顔に張り付いた髪の毛を手で掬い除けると優奈はうん、大丈夫だよと風に乗せて声を伸ばした。


 手持ち無沙汰になったミコトが携帯電話を見ると時刻が5時限目が始まる時間に近づいている。ミコトはその場を立ち上がると離れた場所にいた優奈の背中に声を向けた。


「昼休み終わっちゃうから教室戻るね」


「あ、もうこんな時間か!うん、またねー」


 そう言うと優奈は絆創膏の巻かれた中指が見える右手の平を屋上出口に向かうミコト目がけて大きく振った。強風が押す重いドアを閉めるとミコトはその場で小さくため息をつく。


 D組の二葉優奈。このミコトになって初めて出来た友達。地味で根暗な私にとって不相応なみんなに平等に明るい太陽みたいな女の子。ここに来る前も色んなタイプのコに声を掛けられていた。今までは接点がなくて彼女のことを知らなかったけれど、きっとクラスでも話題の中心人物なのだろう。


 優奈はこんな私と一緒にいて楽しいのだろうか。ふと廊下を歩きながらミコトはそんな事を考え始めた。知り合ったきっかけはほんの小さな、それこそ廊下に落ちてるちり紙みたいな些細な事だったけど、そんな理由で優奈は私と一緒にご飯を食べようなんて声を掛けてくれる。


 優奈はいい子だ。彼女を必要としている人がもっと他にいる。歩く速度を速めると後ろから自分を呼び止める声がする。ミコトはその声を聞いてふっと彼女に笑顔を見せてみる。


「次の授業、ミコトも同じ階の移動教室じゃん。誘ってよ、もぅ~」


 となりで口をすぼませる背の低い優奈を見てミコトは少し驚いて声を発した。


「優奈も美術専攻してるんだ?」


「えっ?悪い?」


 幼げな顔に問い詰めるような優奈の表情がおかしくてミコトは口許に指を置く。


「いや、なんかそんなタイプには思えなくて」


「何それ?ちょっと傷ついた。次の課題で絶対に評価一位取ってやる」


 息巻く優奈に謝る際にも彼女は色々な生徒から声を掛けられていた。


「優奈、今日も爪綺麗だねー」


「うん、真ん中一本割れちゃったけど」


「ニバー、こないだCD貸してくれてありがとねー」


「いいよー。今度はそっちが優奈に新譜貸してよね!」


 男女問わず、話しかけてきたひとりひとりに優奈は言葉を返す。ミコトは優奈のとなりで彼女が笑うその姿を見ながら歩幅を合わせて歩いた。優奈はやっぱり私とまったく別のタイプの女の子。歩くたび、手を振るたびみんなが優奈の姿を見て微笑んでいる。彼女の存在は周りの人達を惹きつける。


 美術の課題をこなしている間もミコトは優奈の挙動に気をとられていた。彼女は近代美術の資料を棚から取り出したかと思うと、持ってきた写真を見ながら油絵で食器皿の上に載せられた真っ赤な鯛の絵を描いていた。


 彼女のとなりに座る生徒がどういう事か尋ねると「最新の技術で撮影された絵を近代美術の画風で描いてみたい」という彼女なりのテーマがあったらしい。優奈が頭をひねりながら写真の模写をしている間に授業が終わり、彼女は放課後にキャンバスに色を載せたいから残ってやらせてほしい、と美術部の顧問教師に申し出た。殊勝な態度にミコトが関心していると


「もちろん、ミコトも残るよね?話したい事がもっとたくさんあるんだ」


と強引に付き合わされてしまった。完全に優奈のペースに乗せられている。でもそれが友達のいないミコトからすれば嬉しくもあった。



 放課後、参加者がいないため、本日の美術部の活動はない。と顧問教師から部屋の鍵を預かるとミコトはキャンバスに向き合う優奈のとなりで筆の進みを眺めていた。絵を描きながら取り留めの無い話をしていた優奈がふと、声色を落としてミコトにささやいた。


「私、実は来月にパパの仕事の都合でフランスに引っ越すの」


 ミコトが驚いて事の詳細を訊ねると優奈の父は遥か異国の地フランスで料理人修行に赴くという事で、それに付き添わす形で優奈も向こうに連れて行くという話をしているらしい。滞在期間は3年と長く、それはもうこの学校を転校して向こうで滞在権を得て暮らすという事を意味していた。


「それってもう、優奈とは遭えなくなるって事?」


 ミコトが訊ねると優奈は俯いて筆をパレットの上に置いた。いくらインターネットや格安航空路が整備された時代とはいえ、電波塔から凱旋門は遠すぎる。


「そう。だからあと一ヶ月でこの日本の地とも今生の別れってわけ。せっかく皆と友達になれたのに寂しいよね」


 自分の意思ではなく、家族の都合に付き合わされる形になった優奈を不憫に思って「何かこっちでやり残したことはある?」とミコトが訊ねると優奈は恥ずかしそうに鼻の下を指で撫でた。


「実は私、好きな人がいるんだ」


 それを聞いてミコトの胸にぱっと明るい色の花が咲くイメージが沸く。優奈が言うには中学時代親しかった男の子がいて、日本を離れる前に彼に自分の気持ちを伝えたいという。彼とは連絡先を交換しておらず、彼は別の高校に通って画家を目指して絵を学んでいるらしい。


「私がこうやって絵の勉強をしてるのもあいつ、瞬太しゅんたっていうんだけど、瞬太ともっと仲良くなるためにやってるの。もっと瞬太の考えてることが知りたい。あいつ結構、訳分かんないヤツだから」


 ミコトが相槌を打ちながら話に頷いていると、勢い良く優奈が椅子から飛び上がった。


「この話は恥ずかしいからおしまい!絵を描くのも今日はおしまい!帰ろう」


 小さく笑いながら優奈はパレットを畳んでイーゼルの上からキャンバスを両手で抱えて取り除いた。このままでは優奈の頑張りが報われない。優奈が日本にいる間になんとかその小さな胸に抱えた恋心を相手に伝えたい。ミコトは自分に何か出来ないことが無いか考えた。そしてミコトの頭にひとつのアイディアが浮かぶ。でもアレは、ううん、と呻いてミコトは首を横に振る。


「今日はつき合わせちゃってゴメンね。じゃあまた明日」


 分かれ道で優奈はミコトに向かって手を振った。もう、使わないって決めてたけど、仕方ないよね。優奈のためだもん。ミコトは家に着くと自分の部屋に置かれた化粧台の上に掛けられた厚手の布をさっと手元に手繰り寄せた。




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