ミコトと青の時代
第14話 ミコト × 14
次の朝、ミコトは腫れぼったい泣き顔を隠すようなメイクをして登校した。あの部屋を使うことで身につけた化粧技術だったが今のミコトは廊下を歩いていても誰も気にしない普通の、言ってしまえばあの部屋を使う前とほとんど同じ容姿の地味な暗めの女子高生だった。
教室のドアを開けて自分の席に着く。後ろを振り返ってノートを開いて絵を描いていた髪の長い眼鏡の女の子に声を掛ける。
「おはよ。亜季」
亜季が驚いたように顔を上げてミコトを見つめた。そして蚊の無くような声でぺこり、と頭をさげた。
「おはよう、長谷川さん」
ああそっか、ミコトは頭を掻いて正面に向き直る。顔をまた変えたんだっけ。顔を変えるとそのパーツに基づいて今までの経歴が変わったり、人間関係に変化が出たりするのをミコトは思い出した。ミコトは机の上で自分の右腕の手の平を開いた。小中とソフトボールに打ち込んで出来た土色に刻まれた皺と小指にはボールを投げる際に床に擦ってつけたこの先数年は消えないような大きな痣が残っている。
目立たないように自然な仕草で自分の身体をまさぐってみる。瞼の上も捲れてはいないし、鼻も潰れて顎も引っ込んでいる。ブラのカップや下着のサイズも前と同じだ。
しばらく席に座っていても話しかけてくるクラスの友達もいない。今のミコトはシャイニールームを使う前とほとんど同じ経歴や人間関係だという事実を実感してミコトは少し複雑な気分になった。でも、もう......ミコトは瞳子やその仲間に受けた痛々しい仕打ちとその場からハヤトと一緒に逃げ出した雨の日の事を思い出した。
「私みたいな地味で何の取り柄もない女の子があんな出しゃばった真似をしてハヤト君まで巻き込んじゃったんだ。もうあんな恥ずかしい姿を見られるくらいならこの際、きっぱり」
「授業を始めるぞ、みんな席に着け」
担任の今宮先生が教室に入ってきて日直が号令をかけて短いホームルームが始まった。これからずっと続いていくであろう本来のミコトとして過ごしていく毎日。ボンヤリと気だるい気分で授業を受けていると、グラウンドの外ではうまく歌えないウグイスが何度も同じところで喉が裏返って校門前の子供達に笑われていた。
「本当に前と同じに戻っちゃったんだな。私」
昼休み、ミコトはトイレの化粧台に取り付けられた鏡を覗き込んでため息をついた。体育で同じ授業内容のバスケットをしたB組の美優はミコトの顔を見ても何も覚えていないような態度で、守備をするミコトを華麗なダブルクラッチで交わしてそのまま綺麗なフォームからレイアップシュートをネットに投げ込んで対戦するA組からゴールを奪って見せた。
何度か声を掛けるタイミングはあったのだけれど、今の自信のないミコトでは仲間に囲まれて明るい声で談笑する美優にはとても近づくことは出来なかった。
廊下の向こうにはサッカー部の男子の話をしながら歩いている女子ふたり組の話し声が聞こえる。話の内容が途切れ途切れ、聞こえて彼女らがサッカー部の女子マネージャーだという事が分かった。ミコトはもう一度鏡を見て自嘲気味に微笑んだ。今の私を見て私がこないだまで同じサッカー部のマネージャーだったんだよ、と言って信じる人が居るだろうか。
「さようなら、光り輝く世界の私」
そう呟くとミコトは鏡の中に映ったもうひとりの自分に別れを告げその場から歩き出した。
放課後、ミコトが廊下を歩いていると通路に丸めた紙くずが落ちている。その日の掃除当番だったミコトは何の気も無しにその紙を取り上げると2メートル程先に置かれたゴミ箱に向き直った。廊下には他の生徒の気配は無い。よし、ミコトは紙を握った右手を頭の上に掲げてそこからゆっくり足を踏み出して今日一日の鬱憤をぶつけるように勢い良く腕を振り下ろしてゴミ箱の口目がけて投擲した。
下手投げから宙に浮かべられたその白い紙くずはゴミ箱の上でパッと開くとそのまま空気に漂うようにしてその箱の中に沈んでいった。やった、予想通り。ミコトが静かに拳を握り締めると後ろから乾いた拍手が鳴り響いた。
「凄いね!私、あなたが構えたとき、絶対に入らないと思った!」
驚いてミコトが振り返ると廊下の角に髪を両サイドで纏めた小柄な女の子が目を輝かせてミコトに向かってカラフルなマニキュアをつけた手を叩いていた。
「同学年のコがゴミ拾いして何するのかな~って思ってみてたらソフトボールみたいな投げ方するから外れたら笑う準備してたんだけど、あんなに綺麗にゴミ箱に入るなんて!ウインドミル投法ってやつ?コントロールには自信ありって感じなんだ?」
「なんなの、もう」
廊下中に響き渡る彼女の高い声を聞いてミコトは恥ずかしくなって俯いた。その視点にぴょこっと入るようにして膝を屈めた女の子がミコトを見上げて自己紹介した。
「D組の
始めまして、とミコトが声を絞ると優奈がスカートからポケットティッシュを取り出してその場で小さく鼻をかんだ。そしてさっきミコトが投げたようなソフトボールのフォームでゴミ箱目がけて腕を振り下ろした。
「あっ痛!」
力強く腕を回したその瞬間、優奈の長い爪が窓の
「ちょっと大丈夫?」
呆れてミコトが声をかけると優奈ははにかんだ笑顔を見せて薄い口唇に小さな舌を浮かべて見せた。
「簡単なのかな、と思って真似したんだけど難しいんだね。ソフト投げ」
「爪、割れてる」
ミコトが優奈の手の平を手に取ると中指の黄色いフルーツのマニキュアが真ん中から割れて指の間からは丸粒の赤い血が湧き出している。見覚えのある風景にミコトはいつかの駄菓子屋でのハヤトとの出来事を思い出して顔を赤らめた。
「どしたの?これくらい大丈夫だって。爪はまた新しいのつければいいし」
「ダメ。保健室いこう」
きょとん、と顔を向ける優奈の手を引いてミコトは一階の保健室に向かって階段を下りていく。締まりかけていた水道の蛇口がまた、静かに音を立てて金皿の上に散らばり始めた。
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