第11話 ミコト × 11

 ソフトボールチーム、『茨川フェアリーズ』は県外を挟む茨川のすぐ側に練習拠点を持つ創立40年を誇る古豪チームである。赤と白を基調とした格調高いユニフォームはその地で野球に励む少女達の憧れの的であり、90年代に10年連続全国大会出場の黄金時代を築くがここ最近は大事なところでの一本が出ずに惜敗を喫し続け、長らく全国出場を逃している。少子化や大会運営にあたる自治体の経営危機による活動規模縮小の中、一筋の希望の光が差す。女子として史上初のリトルリーグ世界一になったチームの投手が鳴り物入りでフェアリーズに加入。投石器カタパルトの異名をとる一年生エース霧島を中心に今年の夏大会では全国出場へあと一歩まで迫り、決勝戦までコマを進めた。将来のソフトボール界を担う霧島を擁するフェアリーズの今後の挙動は県内ならず、全世界から注目されている。


 練習の帰り、ミコトは莉央に話したい事がある、と言われて駅前のファミレスに寄った。先頭を歩くミコトがおそるおそる振り返ると莉央がなんだよ、といわんばかりの笑顔を返す。


「そう身構えるなよ。世間話さ」


 鈴の付いた店のドアを開けるとミコト達は制服を着た白いシャツを着たウェイトレスに4人掛けのテーブル席を勧められ、そこに抱えていた野球道具の入ったバッグを降ろした。


 テーブルにメニューを置いた店員にとりあえず人数分のドリンクバーグラスを注文する。一緒に着いてきた女の子がふたりの間で明るい声を弾ませた。


「みんなでファミレスなんて久しぶり!ねぇねぇ、みんなは何飲む~?」


「お任せで」


「適当に頼むよ」


 ふたりが声を返すと「じゃ、楽しみにしててね」と言い残して佐々木鈴子ささきりんこが席を立った。彼女はチームに佐々木姓がもうひとりいる事と、外野からでもピッチャーズサークルに届く声通りの良さからチームメイトに 『りん子』 と呼ばれている。そのりん子が通路を駆けてくと反対側に腰掛けた莉央が席の背に腕を置いてミコトに向き直った。


「さて、秋大会のレギュラーも決まって明日から猛練習が始まる訳だけど、おまえはどうする?このままずっと2軍で腐ってる気か?」


 ミコトがどういうこと?と聞き返すとウェイトレスが持ってきた水の入ったコップに口をつけながら莉央はミコトの顔を見つめた。ミコトが見つめ返すと莉央はミコトが抱えている迷いの核心を突いた。


「監督に勧められてるんだろ?野手転向」


 はは、バレてたか、と俯きながらミコトはせせら笑いを浮かべた。このチームに入ってからミコトは一度も先発ピッチャーとして登板機会が無い。ミコトは手の平に視線を落とすと自分の利き手をぎゅっと握り締めた。


「別にお前のピッチャーとしての能力を咎めてる訳じゃない」


 莉央がテーブルにコップを置いた。少し間を置いてミコトが顔を上げるのを待って莉央は話を続けた。


「おまえも知ってるだろ?周りからも言われてる通り、ここ最近のウチのチームの貧打は致命的だ。誰かが塁に出れても後が続かない。長打が打てないから大量点が奪えない。今のチーム状況を考えるとひとりでも多く外野に飛ばせるバッターが必要なんだ」


 莉央の熱意のこもった瞳を見てミコトは目を伏せる。練習中、コンパクトなフォームから正確にボールをミートするバッティング技術を買われ、監督から「おまえは投手より野手としての適正がある。守備の拙さは目を瞑るから秋大会は野手としてやってみないか?」と数週間前に打診されていた。それを断ると以降、監督からは声がかからなくなり、今のミコトは2軍登録という形で一年生と控えに甘んじている。


「後輩の樫野かしの知ってるか?ほら、おまえの代わりに1軍に入った」


 莉央に問いかけられてミコトは「うん、知ってる」と言い返して両拳を膝の上に置いて姿勢を正した。頭の中にミディアムロングヘアの可愛らしい顔をした一年生を思い浮かべた。樫野はるか。得意球のカーブを操る左投げの変則派投手だ。アウトと取ったときに見せるえくぼが浮かぶ笑顔がチャームングで、きちんと挨拶をすることから選手の父母達からも気に入られている。監督はどうも、その樫野を超大型右腕、霧島美紀の後釜に添えようとしているらしい。


「本格派の霧島を目指して直球を磨いた結果、後輩に足元をすくわれた形になったな」


 肩を落とすミコトに莉央は更に非常な通告をした。


「正直に言って私はおまえの球を受けてても楽しくない」


 ミコトの表情がみるみる曇り始めるのを感じ取って莉央は少しの間目線を外した。そしてミコトの心の準備が出来る頃合を見計らって再び目線を上げた。


「ここからは冗談半分に聞いて欲しいんだ。じゃないとお前のメンタルが持たないと思うから」


 捕手としての気遣いを残して莉央はミコトに投手としての不満を突きつけてみた。


「まず、キャッチャーとして構えたとことにボールが来ないっていうのは面白くない。何のために重い防具背負って構えてるんだ、って空しさすら感じるよ。コントロールはいいよ。おそらくそれだけなら霧島にも見劣りしない。問題は球威。ミコトの球速と生真面目にストライクゾーン真ん中に入ってくるボールはバッターにとって打ち頃なんだ。今日は1イニング抑えたけど相手が下位打線じゃなければ打ち込まれていたと思う」


 ミコトはぐっと、拳に力を入れて口をつぐんだまま答えようとしない。莉央が細く長いため息をつくと他にも抱えていた問題をぶつけてみた。


「リョウのいう事も分からなくないよ。お前、最近まで練習の後、ずっと監督室で個人的に指導されてただろ?チームの中じゃお前と監督の間で密接な関係が出来上がってるんじゃないか、って噂するやつが居てそれが結果的にチームに不公平感をもたらしてる」


「ちょっと、それってどういうこと?」


「あくまで冗談で言ってるんだ。連中は補欠のお前が監督が指導してくれる貴重な時間を割いてしまうのが不服なんだと」


 驚いて席を立ち上がったミコトを莉央が座るようになだめる。荒れた呼吸を整えるミコトを見て気の毒に思った莉央がそれに続く言葉を繋げた。


「悪い、少し言い過ぎたよ。チームに入ってきた時からお前の頑張りを見てるからさ。世代最強投手に競い勝とうとして監督から干されて挙句に一年にもレギュラーを取られるなんて、端から見ててもあまりにも不憫だ。だから今日は私からも野手としての転向を勧めた。ミコト、おまえはどうする?これだけの仕打ちを受けてまで投手としての道を進むのか?私には時間の無駄としか思えないけど」


 深刻な二人のやりとりを見て、となりの席に座る学生のグループが会話を止めた。ミコトは決心を固めるように再び掌を握り締めて強い眼差しで莉央に向き直って言った。


「私は、このままピッチャー続ける。じゃないと、やらせてもらってる家族に申し訳ないもん」


 それを受けて莉央がそらに目線を浮かべてうん、うんと二回頷いた。それにどういう意図があったかは分からないがミコトの真意は莉央に伝わったようだ。


「そっか、じゃあ忍耐が必要だな」


「ふたりともお待たせー」


 席を立っていたりん子が両手に丸盆を持って戻ってきた。


「おう、ずいぶん時間かかったな」


「うん、ふたりのためにりん子が心を込めてドリンクをミックスさせてきたんだー」


 りん子が盆の上のグラスを取り、莉央の目の前に置いた。


「はい、これは莉央の分。キウイに牛乳にバナナを足したスタミナジュースだよ」


「おい、ちょっと待て。入れたものが分離して完全に三層が出来上がってるぞ。おまえ他に何入れたんだよ?」


「えへへー、秘密。ミコトちゃんは飲んでみるまでお楽しみの炭酸ドリンクだよー」


 莉央がりん子に言葉を返すが聞き耳持たず、りん子はミコトの前に暴力的な色彩を放つ液体が注がれたグラスを置いた。上膜に張られたミルクを下から湧き出す炭酸粒が突き破っている。


「....これも忍耐のひとつ、なのかな」


 りん子が席に戻り、ふたりは何事もなかったようにりん子を挟んで世間話を始めた。それぞれの学校のこと、似てないりん子のモノマネ。それを見てミコトと莉央はチームでは見せない笑顔を浮かべていた。


いつも通りの練習終わりの日常。重かった空気に再び彩りが灯り始めた。


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