第9話 ミコト × 9
次の登校日の朝、ミコトが学校の廊下を歩いている。3階の1年生棟に繋がる階段を上り、踊り場でハヤトから貰ったミサンガを見つめて小さく笑顔を見せてみる。
「亜季、おはよう!....亜季ちゃーん?」
教室に入り、亜季の背中にミコトが声をかけるが亜季は反応なし。おかしいな、と思いながら机横のフックにカバンを引っ掛けると思わず声にならない言葉が喉から引き上がった。
普段使っているミコトの机....その机上には黒のボールペンで『くたばれ!足軽女』と強い意思を感じさせる筆記体で記されてあった。
「なにこれ....」血の気が引いて顔を上げると黒板を見て再び喉が引き上がった。
クラスの最前列に置かれた黒板には『長谷川 ミコトは全身整形』と悪意のある醜い顔のイラストを添えて大きく太い文字で描かれていた。
「ちょっと!なんなのよ!誰!?こんなことをやったのは!」
ミコトの叫び声にクラスの会話が止む。「誰よ!?」机を叩いて立ち上がり振り替えるが誰もミコトと視線を合わせようとしない。
「なんなのよ!私が全身整形してる?高校生がどうやって整形なんかするの!?変ないたずらならやめてよ!」
づかづかと教室の前に出て教壇に上がり黒板消しを手に
するとミコトの背中に「くすくす」と女子の笑い声が投げられた。きっ、と後ろを睨むが笑っている生徒はいない。
「誰よ、もう」再び黒板を向いてチョークの白い粉にまみれながら自分に向けられた悪口を消す。
「もしかして、私があの部屋でしている事がバレてる!?」
不安に駆られるミコトの背中にぽん、と軽い重みがのしかかる。
足元に転がるくしゃくしゃに丸められた紙切れを見て「いい加減にして!」とミコトが大声を上げる。
しゃがみ込んでその紙を広げると『ハヤトに色目使ってんじゃねーよ、馬鹿』と書かれている。
「絶対に許せない......」ミコトがドア前に置かれたゴミ箱にその紙くずを押し込むと自分に対してこのような仕打ちをした人間がいるクラスメイトを睨み付けた。
昼休み、売店の前を歩いているとすれ違う生徒が顔を見てにやにや笑ったり、噂話をするような目でミコトを見てきた。抱えている不安や恐怖を表に出さないようにわざと不機嫌そうな態度を出して床に強く靴をたたきつけるようにして歩く。すると廊下の掲示板に見慣れない写真が何枚か貼り付けてある。何の気なしにそれを見つめるとミコトは身体の力が抜けてすっ、とその場にしゃがみ込んだ。
「誰なのよ!本当にもう!」その掲示板には中学時代のセーラー服を着たそばかす顔のミコトの写真と今の自分を隠し撮りした写真が比較付きで張り出されてあった。
「やめてよ!」金切り声を上げて爪でその写真を剥ぎ取るとミコトはその場の生徒全員が竦む様な目で周りを睨み付けた。そして....じんわりと目頭に涙が浮かんできて、それを袖で拭いながらミコトはその場を駆けて立ち去るしかなかった。
授業中、後ろの席から丸められた紙切れがまわって来た。ミコトは大きくため息をつくと担当教師の羽沢先生に見つからないよう、タイミングを見計らってその紙を広げた。
そこには「ごめんね、ミコトちゃん」と見覚えのある文字で記してあった。
「亜季....」思わず身体が浮かんで半身で後ろの席を振り返る。亜季は周りを気にしているようで伏目がちにこく、こくと二度頷いた。ミコトは机に向き直るとペンをとって自分の思いをノートの切れ端に書き綴って後ろの亜季に回した。
「こんなこと、誰がしてるの?」しばらくして紙が戻ってくる。
「わからない。でもクラスのみんながミコトちゃんを無視しろって」
H芯のシャープペンで書かれた細い線を見て昨日クラスに来た瞳子達を思い出した。
「私、亜季は味方だって信じてるから」ミコトがメモを送り返すがその後に亜季がミコトの席にメモを回すことはなかった。
放課後、雨で今日のサッカー部の練習が中止になるとミコトは足早に階段を下りて玄関に向かった。一人でいたら待ち伏せされて何をされるかわからない。ほとぼりが冷めるまで大人しくしていよう。下駄箱を開けるとラブレターを模した黒い封筒が靴の上に置かれている。苦い表情を浮かべて呼吸を整えてその場でミコトは中の紙切れを取り出す。
そこには『今日の4時に1年の女子トイレに来い』とだけ書かれていた。
ミコトはその紙を封筒ごと力いっぱいくしゃくしゃと丸めて、丁寧に等間隔でちぎり、外から流れこんでくる風に乗せて流した。怒りで血液が逆流する感覚。三階の女子トイレ、そこにこの事件の犯人がいる。
携帯を取り出して時間を見るともう、3時50分を切っている。こうみえて中学までソフトボールに打ち込んでいた。口で言って分からないなら......ミコトは強く拳を握り締めてさっき降りた階段を一段、一段踏みしめて上りあがった。
午後4時を少し過ぎた頃、ミコトはタイルを敷き詰めただけのトイレの床に身体ごと屈服させられていた。髪を掴んでいた瞳子の腕を掴んで立ち上がるが、近くにいた恰幅の良い女子に襟首を掴まれて思い切り床に叩き付けられる。
「これでしばらくは動けねーな」
ミコトを投げ飛ばした柔道経験者と思われる女子が荒い息を吐くと息を吸おうとしたミコトの腹に勢い良く靴の
「昨日、わざわざ教室まで行ってサッカー部辞めろって言ったろ、このアバズレ女」
勝ち誇った顔で瞳子がミコトの顔を見下ろした。ミコトは何か言い返そうとしたが口の中に血が溜まってうまく話すことが出来ない。
「こいつ、顔見るなり思いっきり引っかきやがって」
瞳子がミコトが付けた顔の引っかき傷を苦々しい顔で撫でると再びみぞおちにあった右足を強く踏み込んだ。
呻く様なミコトの声が簡素な造りのトイレに響き渡る。
「先に手を出したのはおまえの方だろ?何やっても正当防衛」
そう言い放つと瞳子は手元にあったトイレ用洗剤をまるで庭の雑草を除くような感情の無い態度でミコトの顔目がけて噴出した。
「ちょっと、瞳子!やりすぎ!」
悲鳴を上げて身体をよじるミコトの耳に山口の呼び止める声が聞こえる。
「いいだろ。これくらい整形女には序の口」
顔に、有毒な洗剤をかけられた!自分にされた事を理解してミコトの身体に激痛が走る。
廊下まで響くミコトの悲鳴。うまくまぶたが開けずに身体をよじって転がるようにして瞳子の緊縛から逃れた。
吐き気が沸き上がってくる、内臓を締め付けられるような内面的な強い痛み。
やっとの思いで目を開くと顔のすぐそばに全長5cmを超える大きさの蜂の死骸があった。
「喰えよ、それ」
追いついた瞳子に思い切り頭を踏まれて目の前が真っ暗に閉じる。顔の筋繊維がびりびりと電流が流れるように痺れて意識が少しずつ遠のいていく。
「おい、今のはモロだろ。さすがにまずいんじゃないか?」
ミコトを投げ飛ばした柔道女さえ、瞳子の行き過ぎた暴力に距離をとる発言をした。
「山口、それ掴んでこいつの口に持ってけよ」
仲間の忠告を意としないような態度で瞳子が入り口に立つ山口を振り返る。ミコトはもう全身の力が抜けてその場に横たわっている。額のあたりからは生暖かい血が流れ出しているのを感じる。
もう、だめだ。私ここで......仰向けになり観念して胸に手を置くと床を伝ってこっちへ駆けてくる足音が聞こえる。
「おい、頼むから道を開けてくれ!」
男子の声が女子トイレに飛び込んでくる。
「ハヤト、来てくれたんだ」
瞳子が入り口の方を見つめて恋する乙女のような艶のある声を向けた。
「長谷川!」
ボロボロに制服が着崩れたミコトを見てハヤトが大声をあげる。
「邪魔だ、どけよ!」
ハヤトが入り口にたかる瞳子の取り巻きを掻き分けると事切れそうなほど弱り果てたミコトの身体を両手で抱き上げた。
「あーあ、男子が女子トイレ入っちゃった」
心なしか嬉しそうな声で瞳子がハヤトの顔を見て微笑んだ。
「何やってんだよお前ら。女子のいじめのレベル超えてるだろ」
ハヤトの勇敢な大声がトイレの壁を伝って反響する。それを受けて瞳子が身震いするよな動きを見せて声色を作ってハヤトにそれを向けた。
「何って、ハヤトに色目を使う邪魔な虫けらを退治してあげてるだけじゃない。知ってるハヤト?そのコはね、整形してまでハヤトに近づいたの。みんなが遠巻きに聞いてるのに私は整形なんてしてない、の一点張りだったわ。そんなもの中学時代のアルバム見れば一発で分かる事なのにね。そいつはそうやって床を這いつくばってるのがお似合いなのよ。長谷川 ミコトだっけ?そいつはいつまでも蝶になれない芋虫女よ」
「清水、お前自分がやってる事、わかってんのかよ」
「ハヤトのためにしてあげてるんだよ?」
瞳子の狂気を感じる物言いに「先生呼んで来る」と言って山口がその場を飛び出した。それを見て瞳子が入り口にいた女子に声を張る。
「追いな、早く!」
瞳子に声をかけられた女子が鬼気迫るその表情に怖気付いてその場にへたり込んだ。小さく舌打ちをすると瞳子はハヤトとミコトに向き直って再び声色を作った。
「長谷川ー、私知ってるんだよ?部室でハヤトと仲良く手を握り合ってたこと。同じクラスの萩原に尋問したらすぐに答えたわ。私のハヤトに手を出しかけた事、その身を持って思い知らせてやる!」
そういって刃渡り10cmを超える果物ナイフを取り出すとその鞘を床に叩き付けてその切っ先をミコトに差し向けた。
「逃げよう、今の清水は普通じゃない」
小声で耳打ちをしてハヤトがミコトの身体を抱える。その場を立ち上がると後ろにある窓を勢い良く開けて外を振り返った。
「残念でしたー。三階でーす」
逃げようとするふたりを茶化すような瞳子の笑顔。眼下に広がる景色を見てミコトが息を呑む。
「堪えろよ、長谷川」そう言うとハヤトは窓枠に手をかけて踏みとどまることなくミコトの身体を両腕で抱えながらその場から飛び降りた。
ふたりの絶叫が途中引っかかった木の枝を揺らして木の葉がそれをかき殺した。
だぁん、と大きな地面を踏みしめる音がその場一帯に響き渡り、ハヤトの身体は無事に一階の校庭に着地した。
ハヤトが窓のほうを振り返るとおおー、という歓声の後、瞳子の声にならない罵声がミコトの身体目がけてぶつけられた。
「おい、長谷川!長谷川!......歩けるか?」
ミコトがゆっくり目を開くとハヤトが真剣なまなざしで口角泡を飛ばしてミコトに問いかけている。ハヤト君が助けに来てくれたんだ。目の奥から涙が込み上げてくる。
「うん、大丈夫」
ちぎれた制服のリボンを振りほどいてミコトはハヤトの後を付いて早足でその場から離れた。雨脚が強くなってきて窓に反射する自分がとても醜い生き物のように映っているようで、とても視線を向けることが出来なかった。
学校から出てしばらく歩くと人通りが少なくなり、路地に入った団地の公園を見つけるとそのベンチに座るようにハヤトが促した。
「一体どうした?何がどうなってる?」
荒い呼吸でハヤトがミコトに問いかける。濡れたスカートで雨の染み込んだ木製のベンチに座るとミコトが自分をたしなめる様な口調でハヤトに謝った。
「私が、私が悪いんだ。私が整形してハヤト君に近づこうとしたから」
「整形?清水も言ってたけどなんのことだよ?意味わかんねぇ。それが長谷川がシメられる理由になんの?」
表情を歪めてハヤトが濡れた髪を掻き毟った。私のせいでハヤト君に困った顔をさせている。強く口唇を噛み締めると決心したように立ち上がってミコトは左腕に巻かれたミサンガのリングを外した。
「これ、返すね」
驚いた顔でミコトを見上げるハヤト。雨粒がミコトの顔に髪を張り付かせて表情から感情を読み取る事が出来ない。強引にハヤトの手をとってミコトは貰ったミサンガをその手に乗せて後ろを向いた。
「せっかくだけど、受け取れないよ」
「おい、待てよ長谷川!」
ハヤトがベンチから身体を起こす。ミコトがふらふらと頼りの無い足取りでその場から歩き出した。
「おい、長谷川!整形ってなんのことだよ!...痛っ!」
三階から飛び降りた衝撃が脚に響いてハヤトはうまく歩を進めることが出来ない。
ごめんなさい。ごめんなさい。何度も謝りながら零れる涙を拭ってミコトは自分の家を目指して駆けていった。
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