第7話 ミコト × 7

 ミコトがサッカー部のマネージャーになった数日後、事件は起こった。休み時間に席で携帯を眺めているとドアの方から性急なテンポの尖った言葉がざわつくクラスメイトの会話をすり抜けるように飛んできた。


「長谷川 !長谷川 ミコト はいる?」


 教室の前のドアから見慣れない女子がづかづかと教室に入ってくる。左右に連れたお供の子がクラスメイトに問いただすと、声を発した金髪の女の子は迷いの無い歩幅でミコトが座る席の前まで向かい、顔を上げるミコトの姿を見るなりこう問いただした。


「あんたがサッカー部に新しく入部した長谷川 さん?最近ハヤトの事を嗅ぎまわってるネズミが居るって聞いて来たんだけど?」


「えっ?ちょっと何よ。いきなり失礼すぎない?」


 あまりにもぶしつけな言い方に普段は温厚なミコトにも怒りが込み上げる。日本人的な平たい顔に海外メーカーの長いマスカラを塗った背の高いその女の子は腕を組むとざわつくクラスの空気が落ち着くのを待った。


「あなた誰?同じ学年みたいだけど?」ミコトの問いかけに自分のペースを崩すことなく少女はゆっくりと口を開いた。


「私はC組の清水 瞳子あこ。サッカー部に男漁り目的の新入部員がやってきたって聞いてどんなヤツか見に来たのよ」


「なにそれ?私がハヤト君目当てでサッカー部に入部したって言うの?......もしそうだとしてもアンタには関係ないでしょ!?」


 思わず声を荒げて立ち上がるミコト。事実であるだけに引くことは出来ない。握り締めた掌にじんわりと汗が浮かぶ。机を挟んでにらみ合う二人。クラスに緊迫した空気が流れ出した。


「いや、関係あるんじゃね?」瞳子の右となりに立つミディアムヘアの女の子が気だるげな口調でミコトを眺めて言った。


「どういう事?」「察しろよ」


 左となりの恰幅の良い女子が意地悪く笑うと瞳子はミコトの顔を見下ろして強い口調で言った。


「私、ハヤトと幼馴染なの」


 それを聞いてはっとミコトは熱くなっていた頭をクールダウンさせる。このコもハヤト君のことが好きなんだ。だからこうやってわざわざ別のクラスまでけしかけてやって来た。


「とりあえず座んなよ」


 瞳子に促されてミコトは席に着く。気を利かせて瞳子の前に椅子を運んできた気の弱い男子を瞳子が右手で跳ね除ける。ミコトの席の前で立ったまま腕組をして瞳子がミコトに声を張った。


「まず、あんたがサッカー部に入部した経緯から聞くわ。山口ー、サッカー詳しいでしょ?」


 瞳子が右を向いて問いかけると山口と呼ばれた一緒に教室に来た女の子が無言で首を縦に振った。瞳子はミコトに向き直ると尋問するような態度で瞳子がミコトに訊いた。


「長谷川 ミコトさん、あなた、サッカー好きなの?」


「もちろん!」「なら知ってるサッカー選手三人、挙げてみ?」


「内田選手!それと......女優さんと付き合ってる....長友選手!」


「ちょっと聞いたかよ?」「芸能情報はチェックしているみたいだな」


 瞳子のとなりのふたりが主人を挟んで含み笑いを堪える。えっと......ミコトが三人目の名前を思い出そうと頭を捻る。目のぎょろっとした金髪の選手、キャプテンマークを巻いた中盤の選手の名前が出てこない。


「もういい」


 瞳子が呆れたようにミコトの容姿を見渡した。ふっとミコトの目の前に長い腕が伸びた。唐突な瞳子の挙動に思わず身体が硬直する。ふふふっと妖しい笑みで瞳子が机に身を預けるようにしてミコトに身体を近づけた。


「本当、綺麗」瞳子はミコトの頬に手を滑らせてその輪郭にかかる髪を撫でた。


「指通りの良い綺麗な髪に筋の通った鼻筋。派手なメイクなしでこれだけ大きな印象を与える目。まったく、羨ましいったらありゃしないわ」


 指の腹ではたくようにミコトの顔から手を離すとクラスを見渡すようにして瞳子は言った。


「こんな取り立てて取り柄の無い田舎の高校にこんな可愛い女の子が居ると思う?入学して1ヶ月、誰も気付かなかった?ねぇ、あまりに不自然じゃない?」


「何が言いたいの?」


 堪えきれなくなってミコトが問いただす。瞳子が腕組を解いて椅子に座るミコトを見下すようにしてわらった。


「ミコト、あんた顔整形してるんじゃない?」


 核心を突くひと言に喉が引きあがり、背筋に冷たいものが流れていく。クラスの後ろの景色がざわざわと騒ぎ出した。周りを見渡して勝ち誇ったように笑みを浮かべ、瞳子は追撃の言葉をミコトにぶつける。


「否定しないんだ?とりあえずさ、これ以上目立つことしないでくれる?」


 瞳子の顔を見れずミコトは机に俯いた。身体の震えが止まらない。愉快そうに瞳子が次の句を繋ぐ。


「そうだ、サッカー部のマネージャーも辞めてよ。髪の色も明るいよね。目立つんだよ、そんな可愛い顔してグラウンドに立たれちゃさ」


「確かに長谷川、最近ちょっと調子乗りすぎかも」


「いくらハヤトくんのコト好きだからっていきなり部活のマネージャーに押しかけるなんて流石にやりすぎ」


 クラスの声も瞳子の追い風となってミコトの背中を追い詰める。授業開始のチャイムが鳴ると「前半戦終了。笛に救われたな」と山口がミコトの姿を見て静かに笑った。


「じゃあね。そういうこと。今日中に退部届け出してきてよ。それとこれ以降ウチらに歯向かったらマジ、シメるから」


 瞳子が左を向くと体格の良い女子が「ふんっ」と鼻息を鳴らして手に持ったスチール缶に親指で大きなへこみをつけた。


「すげー握力」「ほとんど男じゃん」クラスの男子がその挙動を見て恐れおののく。


「あのさ、長谷川」 山口がミコトに小声で耳打ちをする。


「瞳子は恐いよ?素直に言う事を聞いておいたほうがいい」


 額にかかる前髪がはらり、と揺れてその間から大きな痣が見えた。それを見てはっと息を呑むミコト。ぐっと口唇を噛み締めて山口は言葉を振り絞る。


「私も瞳子にやられたんだ」


 驚いて顔を上げると瞳子ともうひとりの付き人はクラスの出入り口まで歩を進めていた。山口の不在に気が付いて瞳子が振り返って声を張り上げる。


「何やってんの山口。早く戻るよ!」「すぐ行く」


 言葉を残すと山口はミコトの席から離れた。どうしよう。心臓が強く脈を打って靴の先から不安や恐怖が全身に沸き上がってくる。


「授業を始めるぞ。号令をかけろ」


 担当教師が教室に入ってきて普段通りの空気に還るA組の授業風景の中、ミコトはひとり俯いて席で頭を抱えていた。



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