第4話 ミコト × 4

 その日は朝から晴れ間が続いた。


 あの部屋で一度選択した顔は、もう一度変更するまで次の日も持ち越せるようで、この日は放課後に商店街の外れにある駄菓子屋の前を歩いていた。ふと懐かしい風景にミコトの足が止まる。


 「あっ、新幹線ゲーム。まだあったんだ~」


 親の知り合いのおばあちゃんが一人で経営している生まれる前からある駄菓子屋。店の前から漂ってくる温かい空気に誘われるようにミコトは店に足を向けた。雨避けの小さなビニール屋根の下で店の内装を見渡す。中学時代、部活の帰りによく、ここに来てコインを弾いて遊んだっけ。


 手を伸ばして綺麗な筐体の錆のないレバーを指で弾くと内バネがカチリ、と動いて元の場所に戻る。店主のおばあちゃんが大事に扱っている代物で操作動作には問題は無い。


 最近はあの部屋での出来事や、頭に浮かぶ数字の件で考え事ばっかりだ。たまには息抜きもしなくちゃね。ミコトは童心に返って筐体のコイン挿入口に10円を押し込んだ。


 ミコトがプレイする新幹線ゲームは、コインを乗客に見立てて始発の東京駅から終点の博多駅を目指すゲーム。途中に設置されているポケットが行く手を阻み、そこに10円が入るとその10円はプレイ代金として徴収され、そのまま失敗となる。


 左端のレバーを親指と人差し指で摘み、レバーを押し下げて慣れた手つきで弾く。


 筐体の中をタン、とコインが弾かれる音が響き、まずは東京~名古屋間を難なくクリア。


 次の名古屋~京都間も京都駅上部のポケットに引っかからないよう、コインの軌道をコントロールし、ここもクリア。


 物心ついた時からソフトボールに打ち込んでいたミコトは右手の器用さには人並み以上の自信があった。


「さて、」


 カバンを置いて深く息をつく。静かにレバーを弾いてコインを京都から新神戸に移動させる。


 ここも真ん中にポケットがあって注意が必要。けど強く弾き過ぎなければそこまで難しくはない。イメージ通りにコインは新神戸駅に到着。問題はこの後。


 このゲームの鬼門、新神戸~岡山間だ。この路線は真ん中と奥にポケットがあり、乗り越えるにはちょうど良い塩梅の弾き加減が要求される。


 手始めに軽く弾いてこのレバーの操作性を確認する。中途半端に弾いて真ん中の穴に落とすよりは思い切り弾いて壁に当てた方が下の進路にコインが落ちる可能性が高いと判断。


 よし、ここまで作戦を考えたなら行けるはず。ひとつ、ふたつ頷いて、ミコトはレバーを強く叩いた。


 ダァン、と音を残して目に追えない速さでレバーから10円が打ち出される。すると姫路奥の穴に勢い良く10円が納まった。失敗に思わず身体が仰け反った。


「ムズカシイんだよねー、これ」


 筐体に向き直って苦笑いを浮かべるミコト。プレイ代金の10円の損失よりこれまでの苦労が無駄になってしまうのが辛い。


「あれ?もしかして長谷川 じゃん?」


 後ろから男子の声がして振り返る。そして声の主を見上げてミコトは、はっと息を呑んだ。


 「こんなところに駄菓子屋があるなんて知らなかった。なんか雰囲気もレトロって感じ?」


 隣にハヤトが並んでミコトは口元に両手を置く。なんでハヤト君がこんなところに!?


 細身の長身に切れ長の目にサラサラの髪の毛。近くで見ると学園一の好青年と呼ばれるのも頷ける。


 「今日は部活が早く終わっちゃってさ、俺もこのゲーム、やってみていい?」


 「ど、どうぞっ」小股で後ずさりしながら両手を差し出して前を譲る。


 「ははっ、長谷川 おもしれー。どれ、やってみるか。10円持ってたっけ」


 顔を上げるミコトを見てハヤトは制服のズボンから財布を取り出してその中にあった10円玉を挿入口に流し込んだ。


 ミコトはハヤトの一挙手一投足に見とれていた。ハヤトが最初のレバーを掴む。

清潔感のある細くて長い指。そこから弾かれた10円が綺麗な放物線を描いて次の駅に到着した。


 「やってみると意外に調整が難しいな...しまった、強すぎた!」


 ハヤトが次に引いたレバーから弾かれた10円は勢い良く、京都上のポケットに吸い込まれた。


「あ、こうなると失敗か。これで終わり?結構鬼畜ゲーなんだな」


 腰に手を当てて笑うハヤト。それを見てミコトはさっきまで自分がそのレバーを弾いていた事を思い出して袖で指を拭った。


 いつから見られてたんだろう。嬉しいというよりも恥ずかしいという気持ちの方が強かった。


 高校生にもなってこんなところでひとりでゲームをやっているなんて。昨日振った私をからかいに来たに決まってる。ネガティブな気持ちが込み上げてきて口を膨らますとハヤトがミコトを振り返った。


「好きなの?このゲーム」


 まぁ、と頷くと「手本、見せてよ」とハヤトが台の前に手招いた。


「じゃあ、一回だけ」ミコトが10円を取り出すとハヤトがその後ろに立つ。


 背中と指先にハヤト君の視線を感じる......なんでこんなことになっちゃったんだろう。心臓がバクバク脈を打つ感覚がレバーを持つ指から伝わってくる。


 愛しのハヤト君の前、失敗はできない。


「おおー、さすが。手馴れてるねー」


 リズミカルに素早くレバーを弾いてさっき到着した新神戸駅までコインを動かす。


 ここがこのゲーム一番の難所。後ろではハヤトが見守っている。息を吐き出してさっき弾いた時の感覚を思い出す。さっきは少し強すぎたからそれよりも気持ち弱い感じで......


 意を決して引き上げたレバーを弾く。コインは緩やかな進路をとり、新神戸のポケットを超え、姫路駅のその下の岡山駅に到着した。


 「おお、すげぇ!クリアしたぞ!」「......ひゃあ!」


 肩に腕を置かれて驚いて振り返る。ハヤトが満面の笑みを浮かべていた。


「長谷川、女子のくせに手先器用すぎねぇ?中学時代、なんか部活やってた?」


「....卒業までソフトボールやってた」女子のくせに、は余計だなと思いながらミコトは呟いた。


「ポジションは?ショート?セカンド?意外と強打者だったりして」


「....ゴールまだだから。ここは勢い良くね」


 照れ隠しでゲームに向き直り、次の路線もクリアする。


「スゴっ、穴ふたつあるのに難なくクリアか。普通に神ってるっしょー」


「....ポジションはピッチャーだったんだ。地区代表選手に選ばれてるすごいコがいたからずっと控えだったけど」


「そうだったんだ....だったらこの最後の難関も難なくクリアしちゃう訳だ?」


 ハヤトがミコトを試すような視線で台の中で試し打ちに揺れてる10円を見て微笑んだ。


 広島~博多間への最後のレバー、はずれに囲まれたあたりを引けば無事ゲームクリアになるがここはレバーの繊細な指さばきが必要になる。

 

「無理じゃない?これは」


「....はっきり言って運の要素が大きいと思う」


 もう一度試し打ちをしてレバーのバネの力を考慮する。ダメだ。全然うまくいくイメージが沸かない。


「強すぎず、弱すぎず。入ったらラッキーぐらいの感じでいいんじゃない?」


 ハヤトがゴールのある台の左側に腕を置いた。すっかり飽きてしまったのか、ズボンの携帯を取り出そうとしている。なんだよ、自分から私にやれ、って言い出したくせに。こうなったら運試し。身体を持ち上げようとするハヤトを呼び止めた。


「待って!そこから動かないで!」


 正直こんな場末の駄菓子屋のゲームなんてどうでもいい。でも少しでもハヤト君に自分の想いが届くのなら....ミコトは想いを込めて博多駅で待つハヤト目がけてレバーから10円を弾き出した。


 弾かれた10円玉はバスケのリングにぶつかるように跳ねて当りのポケットへ吸い込まれていった。


「やったぁ!」


「マジか!入った!」


 思わず喜びとプレッシャーから解き放たれた開放感で飛び上がって両手でハイタッチを交わすふたり。「あっ」「ゴメン、つい」手のひらにじんわり汗をかいていた事を思い出してミコトは恥ずかしくなって後ろを向いた。


「昨日のアレ、本気?」


 待て。なんでこのタイミングでそれを聞く。両手を腰の高さで組んでミコトがうなづく。


「うん」


「ごめん、はっきり言って長谷川と付き合うのは無理」


 ふっと後ろから流れたつむじ風が髪を撫でて鼻先をくすぐった。ぐっと唾を飲み込んで言葉を振り絞る。


「ははっ、そうだよね」


 自嘲気味に笑いながらミコトは自分の指に目を落とした。そして自分の肌に流れる血に気付いた。


「頑張りすぎて爪割れちゃった」


「見せてみ」


 後ろからハヤトがミコトの手首を掴んで身体を引き寄せた。


「ちょっと」


 ハヤトがミコトの手を引いて出血した人差し指を咥えた。


「何するの?」


 咄嗟に振り払うようにしてミコトが身をよじる。ハヤトははっとしたように目を見開いた後、俯いてぽつりと言葉を漏らした。


「わかんない....」


 ふたりの間を温かい風が通り過ぎた。ハヤトから向けられる視線にミコトは思わず退いてしまう。


「でもそのままじゃいけないと思ってさ」


「持ってるよ、絆創膏くらい」


 顔を真っ赤にし、しゃがみ込んで足元のカバンの中をまさぐる。すると後ろで砂利を踏みしめる靴音が響く。


「今日は楽しかったわ。また学校でな」


 手を振って足早に立ち去るハヤトの背中をミコトは見えなくなるまで見つめていた。


「そうだ、ゲームの景品は......おばぁちゃーん!」


 店の奥のしわの増えたおばあちゃんを呼び、当たり口から出てきた円筒の紙を手渡すと好きな駄菓子と交換してもいい、と言われ、ミコトはわたパチを貰った。


 おばあちゃんにお礼を言って店を出た。まさかこんなところでハヤト君と遭えるなんて思いもしなかった。またこよっと。もう辺りは暗くなり、商店街の店のガラスがミコトの姿を映し出した。


「あれ?増えてる」


 帰り道、反射する窓を見てミコトは頭の数字が92になっていることに気が付いた。

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