Episode Final /2

  2


 ソールズベリーの町を壊滅させ、そこから東へ向かって道中の町を破壊しながら移動していたヴァルキュライドは、不意に動きを止めた。

 逃げ遅れた人間たちが、そのまま距離を取り、ずいぶん逃げた先で、なにが起こったのかと立ち止まる。ヴァルキュライドは破壊された町のなかに立ち尽くしていた。まるで突然エネルギーを失ったかのように見えたが、その頭上を白銀の戦闘機が過ぎていくと、再び動きを再開する。

 ひとびとが再び慌てて避難しはじめるなか、ヴァルキュライドは低空を飛んでいた一機を鷲掴みし、地面に叩きつけた。全六機の編隊はそのうち一機を失い、戸惑うように高度を上げる。

 ヴァルキュライドは咆えた。真の戦いのはじまりだった。



  *



 同じ時刻、世界中に八機あるヴァルキュライドが、一斉にフーファイターへの攻撃を開始した。

 それを受け、フーファイターもまた、ヴァルキュライドへの攻撃をはじめていた。

 人間の目には、それは仲間割れのように見えたが、それを意識する余裕がある人間はひとりもいなかった。みな逃げるだけの時間を与えられたことを幸運とし、必死に戦場から逃げていく。しかし一部の向こう見ずなジャーナリストだけがヴァルキュライドとフーファイターの戦いを映像、写真に捉え、世界中に向けて配信していた。

 全世界的な攻撃により、すでに一部の国ではネットワークの断絶が起きていた。テレビ局は放送を中止し、みな避難、あるいはテレビ局自体が破壊され、無事なところでも電波塔への被害によって放送が不可能になっている地域もあった。

 それでもヴァルキュライドとフーファイターの戦いはまたたく間に世界中を駆け巡り、あれは米軍の兵器だとか、ロシアや中国が秘密裏に作っていたものだとか、様々な憶測とともにひとびとのあいだを伝播していった。

 やがてひとびとは、その白銀のロボットだけが人類の希望であることに気づきはじめた。

 世界各国は襲撃に伴って軍を出動させていたが、ミサイル等の通常兵器でフーファイターにダメージを与えられたことは一度もなかった。そのため、攻撃は無意味として軍は避難誘導や避難民の輸送にのみ活躍していたが、ヴァルキュライドがフーファイターを引きつけることによってそれはより一層意味を持つ活動となっていた。

 一見、ヴァルキュライドの戦いは不毛ともいえるようなものだった。

 どれだけフーファイターと戦い、それを撃墜しても、ほぼ無限に思えるほどフーファイターは集まってくる。そしてヴァルキュライドは一体であり、そのダメージは蓄積されていく一方だった。

 しかしヴァルキュライドが戦い、そこに何機ものフーファイターが釘付けにされている以上、ほかの地域を攻撃するフーファイターが減っているのはたしかだった。ヴァルキュライドはまさにそのために戦っているのであり、フーファイターの撃墜は、いわば避難が完了するまでの時間稼ぎのようなものだった。

 各国の軍は、ヴァルキュライドの行動からそれを察し、まだ攻撃を受けていない地域の避難を急いだ。いち早く対策に動いていた日本は、地下に避難させるようにと世界に向けて発信していた。地上施設では攻撃を受ければ壊滅してしまうが、地下なら、フーファイターが使う衝撃波はある程度抑えられる。

 そうして人類は突如として降りかかった未曾有の危機を一丸となって乗り越えようとしていた。しかしごく一部の人間を除いて、なぜヴァルキュライドがフーファイターを攻撃しはじめたのかは知らなかったし、それを行っているのがだれなのかも知らないままだった。



  *



 あらゆる体調不良を一気に引き起こしたような感覚だった。

 八体のヴァルキュライドとネットワークを通じて同期した貴昭は、八体から同時に流れ込んでくる大量の情報と感覚に立っていられなくなる。

 まるで世界がぐるぐると回転しているようだった。寝転んでいるのか、空中に浮いているのかわからない。立っている感覚と寝転んでいる感覚が同時にあり、目をつぶっている感覚と開いている感覚も同居して、自分の身体がどうなっているのかもはや五感のどの部分を使ってもわからなかった。

 ただうめき声が洩れる。そのあいだにも世界のどこかのヴァルキュライドが攻撃を受け、そのダメージが痛みとして貴昭に伝わってくる。

 乙音は、そんな貴昭の身体がすこしでも楽になるように、アスファルトに座り込んで貴昭の身体を抱いていた。ふたりのイヴがそれを眺め、あたりには貴昭のうめくような声だけが響いている。

 無線は通じなかった。自衛隊がどうなっているのか、乙音は連絡を取りたかったが、もう携帯電話も通じなくなっている。

 日本でも四十以上の都市が同時に襲撃を受けている。避難が成功しているのはごく一部だけだろう。それでも沼田や澁谷、美津穂は、この瞬間もひとりでも多くの人間を助けようと奔走しているにちがいない。

 きん、と金属を鳴らしたような音が響いた。乙音とイヴが同時に空を見上げる。いつの間にか、そこに白銀の戦闘機、フーファイターが現れている。全部で六機。それが敵を探るようにゆっくりと空を動き、ヴァルキュライドを発見、戦闘機動をはじめた。

 それまで動きを止めていたヴァルキュライドが動き出す。貴昭もヴァルキュライドを通してフーファイターの存在を感じていた。その感覚がどのヴァルキュライドから伝わってくるのかは、もはやわからない。ほとんど本能的なものだった。ヴァルキュライドは戦いを求めている。負けたくはないと、あれを打ち倒すのだと貴昭に求めている。貴昭はそれに応え、ヴァルキュライドに指示を出していた。

 ヴァルキュライドが飛んだ。跳躍というにはあまりに大きなものだった。上空のフーファイターを拳で叩き落とす。白銀の戦闘機はビルをなぎ倒しながら地上へ墜ち、別の一機がぐにゃりとねじ曲がったように前後へ伸びると、そのままヴァルキュライドに絡みついた。

 ヴァルキュライドの腕にフーファイターが巻き付く。身動きが取れなくなる。ほかの一機が凄まじい勢いで上昇した。そこで槍のように姿を変え、落ちてくる。

 ヴァルキュライドは絶叫した。

 天から落ちてきた槍はヴァルキュライドの身体を完全に貫いていた。

 貴昭の身体がびくりと跳ねる。イヴはその手を握った。ヴァルキュライドは白銀の装甲を激しく震わせた。絡みついていたフーファイターがたまらず離れた。ヴァルキュライドは自分を貫く槍を両手で掴み、引き抜いた。咆哮と共に引きちぎり、半分になったそれを投げ捨て、獣のように身体を震わせた。

 ヴァルキュライドは負けなかった。負けないというその意思によって支えられていた。

 ヴァルキュライドは上空に残っているフーファイターを見上げた。それをどう仕留めようか考えているような間のあいだに、真横から強い衝撃を受けて町のなかに倒れ込む。

 崩れた建物が土煙を上げた。そこからヴァルキュライドが起き上がる。ヴァルキュライドだけではなかった。もう一体、ヴァルキュライドより一回りちいさな白銀のロボット、アームドコアが、いっしょに起き上がってくる。

 乙音は建物が崩れる衝撃に立ち上がり、貴昭を安全な場所へ連れていこうと、その身体を引っ張って歩き出した。

 そのとき、ぱん、と乾いた音が響いた。

 乙音はその音がなんなのか、しばらくのあいだ理解できなかった。ただ、乙音と貴昭の前にいたイヴが倒れるのを、時間の流れがゆっくりになったような感覚で眺めていた。

 イヴの身体がアスファルトの上にどさりと落ちる。幼いイヴが、自分と同じ顔をした少女の身体を抱き起こそうとした。そのとき背中に回した手が、赤い血で濡れる。

「よく気づいたわね――しっかり彼を狙ったはずだったけど」

 乙音は真正面に現れた女の顔を見て、ぐっと唇を噛む。そうでもしていないと怒りのままに意味もない叫び声を上げそうだった。

 香瑠は、手のひらに収まるほどのちいさな拳銃を指でくるりと回した。ふたりのイヴが香瑠を見上げる。幼いイヴが泣き出した。香瑠はそれにはかまわず、乙音と、まともな意識を失っているような貴昭を見る。

「なにしてるの、あんた」

 感情を押し殺したような乙音の声だった。

「思ったよりヴァルキュライドが善戦してるから、ちょっと邪魔しにきたのよ。あんまりヴァルキュライドにがんばられると困るの。最終的には彼らに勝ってもらわないと」

「それで、イヴを撃ったの?」

「さっきも言ったでしょ。狙ったのは新嶋貴昭よ。イヴは、それに気づいて自分が盾になったのよ」

「昔から変なやつだと思ってたけど、変なやつどころか、まともな人間じゃなくなったみたい――ひとを撃って、なんとも思わないの」

「イヴは人間じゃないわ。生体コンピュータ、それも役目を終えて死ぬのを待つだけの存在。私はね、乙音――先生が生きているうちに、この世界を終わらせたいの。先生が望んだ終焉を、先生に見せてあげたいのよ」

「そんなことのために他人を殺して、全人類を殺すつもり?」

「ええ、そうよ」

 香瑠はかすかな笑みを浮かべていた。

「人間なんて、そんなものなのよ、乙音。たったひとつの目的のためなら、ほかのすべてを犠牲にできる。私にとってその目的は先生が望んだ世界を実現することだった」

「先生、ね。あのお爺さんがそれほどいいなんて、変わった趣味ね」

「先生がイヴを通して知った真実は、私にとっても大きなものだった。私は真実を知ったのよ、乙音。人間がなんなのか、この世界がなんのためにあるのか、知ったの。人間なんてただこの世界を洗浄するために作られただけのロボットのようなものなのよ。私も、あなたも、世界中のすべての人間が、そう。月から戻ってきた彼らが、どうしてなんのためらいもなく人間を殺せるかわかる? 彼らは人間をはじめから自分たちと対等の生物だとは思っていないのよ。彼らの基準からすれば、人間は生物とさえ呼べないのかもしれない。人間が山を崩して岩を砕くように、彼らは町を壊して人間を殺していく。人間なんてそんなものなのよ」

「それで、自分はそんな人間じゃないと思ってるわけね。だから、人間なのに人間じゃない連中の立場に立とうとしてる。でもだめよ、姉さん。あなたは人間だし、人間以上のものじゃない」

「当たり前じゃない、乙音。わたしも人間として死ぬわ。これはね、希望の問題なのよ。この世界に希望を持てるかどうかの問題――希望を持つなら、戦うしかない。敗北が運命づけられてるこの戦いに挑むしかない。この世界に、人類というものに絶望しているなら、ただ受け入れるだけ。わたしはこの先も人類が続いていく未来より、ここで滅ぼされてまったくちがうものが地球に君臨する未来のほうがいいと思う。だから人間には、わたしを含むすべての人類にはここで滅びてもらう」

 貴昭が苦しげに叫んだ。アームドコアがヴァルキュライドの肩に食らいつき、白銀の装甲を鋭い牙で貫いている。乙音は唇を噛んだ。香瑠は笑う。

「さて、あなたはなにをするの、乙音? 彼は戦っている。わたしも行動している。イヴも自分の意思のとおりに動いた。それで、あなたは? あなたにはなにができるかしら」

「わたしは――」

 町のどこかから爆発音が響いた。ほとんど同時に、アームドコアの背中に複数のミサイルが着弾、爆発する。その衝撃にアームドコアは吹き飛ぶ。乙音はミサイルが飛んできたほうをちらりと見て、愉快そうにうなずいた。

「自衛隊ね。彼らも自分の意思で行動をはじめた。あとはあなただけよ、乙音」

「わたしがやるべきことは最初から決まってるわ」

 乙音は貴昭をアスファルトの上に寝かせ、立ち上がった。

「人類の行方なんか知らない。わたし、自分勝手な人間だからそんなことのためには行動できない。わたしが行動する理由はひとつだけ――姉さん、昔からね、あなたのことが嫌いなの。だからあなたの思うようにはさせない」

 乙音は貴昭の前に立ちはだかった。香瑠はちいさくうなずき、拳銃を構えた。

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