Episode 05 /6

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 老人の息づかいは苦しげだった。しかしだれも老人の言葉を止めなかったし、催促もしなかった。老人はゆっくりと呼吸を整え、苦しげな顔に笑みすら浮かべて続ける。

「人間は本来の使命を忘れ、ただひたすら巨大化し続ける。目的などない、ただ生きるための生であり、暴力のための生だ。人間を導くヴァルキュライドは自己保全のための眠りにつき、それと共に不要となったアームドコアも葬り去られた。しかしヴァルキュライドは破壊されたのではない。ただ眠っていただけだ。いまも、眠っている。目覚めているのはそのうちの一体、つまりこの町にあるヴァルキュライドただひとつだ。どうしてそのヴァルキュライドが目覚めたのかはわからない。ヴァルキュライドは、新嶋くん、きみを人間の指導者に選んだのかもしれない。理由はわからないが、ヴァルキュライドは目覚め、そして月からは戦闘機がやってくる――もうわかっているだろう。月から地球へきているのは、かつてこの星の支配者だった者たちだ。彼らはいま、凶暴な人間たちに支配されたこの星を取り返そうと目覚めたのだ。

 ヴァルキュライドが本来の役割である人間の指導を忘れ、本来の主人である彼らと戦っているのは皮肉なことだ。しかしそれは、結果的にはよかった。きみとヴァルキュライドの活躍によって彼らの先遣隊はことごとく撃墜された。それはつまり、遠からず彼らの本隊が地球へくるだろうということだ。彼らはまず地球に八体あるヴァルキュライドを起動させ、本来の役割を果たさせようとしたようだが、それも失敗に終わっている。いや、ある意味では成功ともいえるが、起動に成功したヴァルキュライドはきみが操るもの一体だけだった。残りのヴァルキュライドはまだ眠りのなかにあるだろう。彼らはヴァルキュライドに頼らず、自力でこの星の支配権を取り戻しにくるにちがいない。そしてそのとき、人間はなんの対抗手段も持たず、この星から消滅するのだ」

「なんで――なんであんたは、そんなことを笑いながら言うんだよ。人間がみんな死ぬってことは、あんたも死ぬってことなんだぞ」

「そうだ、彼らの殲滅に例外はないだろう。しかし、どのみち私の命はもう長くはない。もう一週間、保つかどうかというところだ。私の死が早いか、人類の消滅が早いか、ひとつ競ってみるのも愉快だろう」

「なにが愉快なんだよ――あんたは、みんな死んでもいいのか? なにも悪いことなんかしてない人間たちが、みんな死んでもいいのかよ。なんであんたはみんなを助けようとしないんだ。それだけ知ってるのに、あんたにはその力があるのに!」

 老人はすこし驚いたように貴昭を見つめたあと、ふと、その視線を下げた。

「私が若ければ、あるいはそう思ったかもしれんがね。いや、若さは言い訳にはなるまい。私はまともではなかったのだ。人間が死に絶えるとして、それがどうしたというのだ。この星の営みを見てみろ。われわれ人間がすべて消え去ったとして、この星が死に絶えるだろうか? 動物たち、植物たちはすべて失われるだろうか。そんなことにはならない。人間が消え、かつてこの星を支配していた彼らが戻ってきたところで、なにも変わりはしない。人間は、この星に存在する何億という生物のなかの一種類でしかない。あるいは人間がこのまま地球を支配し続ければ、そのせいでどれだけ多くの種が失われるだろう。人間はそうした歴史を積み重ねてきたのだ。人間がいなければ滅びずに済んだ種はたくさんある。そして、人間がいたからこそ生き延びた種などひとつもない。そもそも人間などというものはこの星には存在していなかったのだ。役に立たなくなったものを捨てるのは当然のことだ。われわれは消えゆく運命なのだ。そのようにして作られ、そのようにして生きたのだから」

「おれは認めない! あんたの考え方は、おれにはわからない――おれは死にたくないし、だれも死なせたくない。人間がだれに、なんの目的で作られたかなんて関係ない。おれたちは生きてるんだ。一方的に殺されてたまるか」

「それこそ、神々の裏切り者たる〈彼〉の遺伝子そのものだ。〈彼〉は人間たちにただひとつ、死ぬな、と命じたのだ。それによって人間はほかの生物を滅ぼしてでも生き延びようとする」

「だから、だれかの意思なんて関係ない。おれはおれの気持ちに従う」

「ふむ――なるほど。そんなきみだからこそ、ヴァルキュライドに選ばれたのかもしれないな」

「……まだ、いくつか疑問があるんだけど」

 乙音の言葉に、老人は視線を移した。

「まずひとつ。どうしてあなたは、そんなだれも知らない歴史を詳しく知っているの? わたしもヴァルキュライドについてはできるかぎり調べた。でも、そんな歴史は聞いたことない――人類が生まれる以前の歴史なんて、残ってるはずがないわ。あなたの作り話でもないかぎり、それだけ詳しい真実が見つけられるとは思えない」

「香瑠の妹か――さすがに頭がいい。それに、きみがもうひとつ疑問に思っていることを言い当ててみよう。きみは、イヴとはなにか、ということを知りたいのではないか? きみのふたつの疑問は同じ答えで説明できる。私がこれらのことを詳しく知っているのは、そう教わったからだ。そして私に、人類に失われた歴史を残し続けたものこそ、イヴと呼ばれる存在だった。イヴとはね、一種の生体コンピュータの名前だ」

「生体、コンピュータ……?」

「〈彼〉がアームドコアと共に作り上げたものだ。イヴは〈彼〉が存在していた頃に作られ、すべての歴史を、その目で見てきた。そしてそれを保存し、遙かなる未来へ伝えることがイヴの目的だ。イヴの存在は歴史上のなかにたびたび現れる。私は世界中を探し、まさにこの国でイヴを見つけ出した。そのとき協力してくれたのが、きみの姉である香瑠だ。香瑠は生まれたばかりのイヴを連れてイギリスへ、私のもとへ戻ってきた。そして私はイヴからすべてを教わったのだ」

「生まれたばかりのイヴ? でも、イヴはこうして――」

「きみたちがイヴと呼んでいるそれは、いわば抜け殻だよ」

 老人は香瑠の後ろに隠れているイヴをちらりと見た。

「イヴというのは非常に変わった生態を持っている。外見上は人間の少女と同じだが、中身はまったくちがう。イヴは何度も生まれ変わるのだ。それこそ脱皮をするように。イヴは人間でいう初潮を迎える年頃になると、単性生殖、つまりクローンを生み出すようにして、子を産む。産まれた子どもは新たなイヴとなり、その時点ですべての記憶を受け継ぐ。産まれた子は人間と同じような姿をしているが、食事や水分の補給は必要なく、人間の倍以上の速度で成長し、やがてまたそのときがくれば子を産むのだ。そうしてイヴという生物は何十万年という時間を生きてきた。イヴはそのあいだの記憶をすべて持っている。しかし子を産んだイヴは、その記憶を子に宿すことによってほとんどの記憶を失い、目的を果たし、消滅する――死ぬのだ」

 貴昭はイヴとつないだ手を意識する。その温かさと、手を握り返してくる強さを意識して、首を振った。

「おれは――あんたの言ってることが本当だとは思わない」

「なにが真実なのかは遠からず明らかになる。人類は、もはやなにもできない。滅びる運命だというならどのような抵抗をしても無駄だ。しかしそうではないなら、人類はまだ生き続けるだろう。私は、人類は滅びるべきだと思っている。あるいは、人類は人類の存続のためにのみ生きることをやめるべきだ。でなければ人類はやがてこの星のすべてを喰らい尽くす。そしてどうなるか――歴史は繰り返される。かつて彼らがそうしたように、人類もやがてはこの星を捨てるしかない。それではなにも変わらない。彼らはこの星から出ていくとき、自らの生き方を改めたのだ。二度とこのようなことはしまいと、あえてこの星を再生させるという手段を取った。しかしひとりの裏切り者の意思がそれを邪魔した。人類は、創造主である彼らのなかにあったもっとも邪悪な部分を受け継ぎ、自らの利益のためにのみ生きる醜い野生動物になったのだ。本来人間は、他者に対してまったく無害で、黙々と生き、作り、育てる者になるはずだった」

「だからなんだよ。失敗作はおとなしく殺されろっていうのか。おれは、嫌だ」

「それが失敗作だというのだ」

「失敗作でもいい。おれは生きる。生きたいと思うひとたちを助ける」

「ならばやってみるがいい。きみならば、あるいはそれも可能かもしれない。ヴァルキュライドと同期することができるきみならば。だが、彼らはそのヴァルキュライドを作ったものたちだ。そもそもヴァルキュライドは戦闘用の機械ではない。きみがどこまでできるか、私はゆっくり見学させてもらうことにするよ」

「……で、姉さんもそういう意見なわけ?」

 香瑠は乙音にうなずいて、

「わたしは先生の選択を尊敬してるのよ、乙音。この星すべてを見渡している先生の選択をね――イヴ、あなたは向こうに行きなさい」

 香瑠の後ろに隠れていたイヴは、なにを言われているのかわからないという顔で香瑠を見上げた。香瑠はかすかに笑みを浮かべ、イヴの手を取り、乙音のもとへ連れていく。

「あなたの知識は、もう必要ないわ。でもあなたは生きていく必要がある。あなたが記録すべき世界があるかぎり、あなたは生きていくのよ、イヴ――乙音、この子をお願いね」

「ほんと勝手ね。そういうとこ、昔からぜんぜん変わってない」

 乙音はため息をつき、しかしちいさなイヴの手を握った。イヴはすこし不安そうな顔で香瑠を振り返ったが、最後には乙音の手を握り返す。

 ふたりのイヴは、まるで鏡に映った自分を見ているような顔で見つめ合った。ひとりは十三、四歳で、もうひとりは三、四歳。しかし顔はよく似ていた。

 貴昭たちといっしょに暮らしたイヴは、幼いイヴに手を伸ばした。ふたりは手をつなぐ。見た目にはそれだけだった。やがて成長したイヴは手を離し、首を振る。

「わたし、思い出した――全部、思い出した」

「記録を出力したのね。でも、それじゃあ――」

「……わたしは、もうすぐ消えると思う。もう役目は終わったから。でも、次のイヴが、この子が、いる。わたしが生んだ子。イヴ」

 乙音はなにも言わず、ふたりのイヴを両腕で抱きしめた。

 そのとき、貴昭が持っていた携帯電話が鳴った。それが着信する理由はひとつしかない。老人は青い空を見て、呟いた。

「そのときがきたか――彼らが、われらが創造主が帰還するときだ」



  /next Episode Final

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