Episode 05 /5

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 翌日は夏らしいよく晴れた日だった。

 炎天下のなか、貴昭、乙音、イヴの三人は地下研究所を出る。市内の途中までは車を使うが、それ以降は歩いて約束の場所を目指した。

 夕陽丘、というのは矢代市の隅にある、山ともいえないくらいのちょっとした丘だった。高さは大したこともなかったが、矢代市自体あまり高い建物もない町だったから、そこに登ることで町が一望できる。地元の地味なデートスポットというくらいの場所で、貴昭も小学生のときに一度遠足できたことがあるくらいだった。

「イヴ、大丈夫?」

 照りつける強い日差しに、乙音が言う。イヴはつばの大きな麦わら帽子をかぶっていて、その下でこくりとうなずいていた。貴昭はまっ白な太陽を見上げ、よくもまあこれだけ晴れるもんだとため息をつく。

「せめて風があれば暑さもマシなんだけどな。正直、フーファイターより暑さのほうがよっぽど大変だな」

「暑さは放っておけばなくなるけど、フーファイターはそうもいかないでしょ」

「なるほど、たしかに。ああ、アイス食いたい」

 しかしこの町にもう営業している店はない。市の端の、あまり壊れてはいないが無人の町を歩き、夕陽丘のふもとに着いた。そこからは木々に囲まれたゆるやかな坂道を上がっていくことになる。

「なあ、鮫崎、お姉さんってどんなひとだったんだ?」

「へんなひとよ」

「じゃあ鮫崎とよく似てたんだな」

「……どういう意味?」

「い、いや、顔とかさ、そういう意味。で、でもイギリスに留学してたんだろ? それがなんで、こんな感じで帰国してるんだろ」

「さあ、そのへんは本人に聞かなきゃわからないけど。でもまあ、あのひとがわたしに似てることはたしかだけどね」

「……おまえがお姉さんに似てるんじゃなくて?」

「わたしがオリジナルよ。あっちがパクリ」

「どういう理屈だよ」

「なんていうか、知らないことを知らないままで放っておけないタイプなのよ。あのひとも、わたしも。理解できるまで調べなきゃ気が済まない。だからわたしはヴァルキュライドの研究所を作ったし、向こうはたぶん、ああいうことになったんでしょ。わたしがヴァルキュライドを見つけたのはあのひとが留学したあとだから、お互い、こんなことになるなんて思いもしなかったけど」

 なるほどなあ、とうなずいているあいだにも頂上が見えてきた。乙音と貴昭はイヴの手を引き、坂道を登り切る。

 頂上付近は木々が伐採され、視界は大きく開けていた。矢代市を一望できる展望台。しかし貴昭はそれを見る気にはなれなかった。見ても、町が破壊された様子だけ目についてしまうに決まっている。

 蝉が鳴いている。蝉時雨のなかに、ちいさな四阿があった。白い柱と天井だけがあり、日陰になっていて、その下にはベンチがある。

 昨日の三人組は、そこで貴昭たちを待っていた。

「おや、ずいぶん大勢引き連れてきたのだね」

 車椅子の老人は乙音とイヴを見て弱々しい笑みを浮かべた。

「ふたりとも自衛隊とは関係ない。個人的な因縁があってきたいっていうから連れてきたんだ。約束どおり、自衛隊はこのあたりにはいないよ」

「香瑠姉さん、久しぶり」

 乙音が言うと、車椅子の後ろに立っている女、香瑠がすこし首をかしげる。

「乙音、なにをしにきたの?」

「何年かぶりに会ったのに、相変わらずね。まあ、個人的興味よ。姉さんがなにをしようと知ったことじゃないけど、ヴァルキュライドはわたしが見つけて管理してるの。それに関する情報はわたしにも知る権利がある」

「知る権利、ね」

「姉さんも向こうで見つけたみたいじゃない。ヴァルキュライドの偽物を」

「アームドコアね。あれは、ヴァルキュライドとは似ているけれど、まったくちがうものよ。ヴァルキュライドはだれにでも動かせるものじゃない。でもアームドコアは人間が使えるようになってる」

「……ヴァルキュライドに似せて、人間が作ったものってこと?」

「さあ、どうかしらね」

「相変わらず憎たらしいひとね」

「お互いさまでしょう、それは」

 ふたりは視線を合わせ、笑い合った。仲がいいのか悪いのか、と思いつつ、貴昭はイヴが向こうにいる三、四歳の子どもに注目していることに気づいた。向こうの少女も、香瑠の後ろに隠れながら、イヴを見ている。

 老人は車椅子のなかからそうした顔を眺め、最後にはちいさくうなずいた。

「たしかに、この場に因縁がある人間ばかりのようだ。さあ、日陰に入りたまえ。炎天下では話もできまい」

 三人は警戒しながらも四阿のなかに入る。イヴは乙音と貴昭の手を強く握りしめていた。まるで恐怖か、痛みに耐えるように。

 老人は自力で車椅子の方向を変え、町を見た。

「このちいさな町を、きみは守っているのだね、新嶋貴昭くん。彼らを相手にして、よくやっている。ヴァルキュライドがあればこそ、か――しかしそれは本来的な行動ではない」

「あなたの、そのわけのわからない話にはついていけない――ばかにもわかりやすいように話してくれよ。聞きたいことはいっぱいあるんだ」

「きみの質問に答えよう、新嶋くん。まずなにを知りたい? きみはすべてを知る権利がある」

「……ヴァルキュライドって、なんなんだ?」

「ヴァルキュライドという名前はきみたちがつけたものだ。〈あれ〉には、名前はない。番人とでも呼ぶべきものだ。しかしあれがなんなのか説明するためには、まずは歴史を話さなければならないだろうね。われわれ人類の歴史であり、この星の歴史であり、そして彼らの歴史を知れば、すべてが理解できるだろう。まず、はじまりからだ。この宇宙が生まれ、この星が生まれた頃――」

 老人はちいさく息をつき、続けた。

「この星には、ある原始生命体がいた。彼らは生まれたばかりのこの星、地球の環境に対応した生命体であり、その時代の地球の覇者でもあった。彼らはほかの生物とは比較にならない早さで進化を続けた。生命のスープに浮かぶちいさな泡沫だったものが、やがて形を持ち、動き、生まれたばかりの地上へ進出した。そして彼らは競争する相手もいない地上で繁栄を極めた。彼らの数は爆発的に増え、彼らは住居を築き、都市を築いた。やがてそこには社会が生まれ、文明となった。それはまだ、ほかの生物がようやく水中で活動の方法を獲得した頃だった。なぜ彼らだけがそれほど急激な進化をしたのかはわからない。そもそも進化とはいまでも謎が多いものだ。急激な進化もあれば、環境の変化に関わらず何万年も進化せずにいる生物もある。進化のトリガーはわからないが、しかし彼らはたしかに進化の頂点へ達したのだ。

 彼らの繁栄は長く続いた。その時期の彼らの文明は、いまの人間が作った文明よりもはるかに進歩していた。もっとも同じ方向性ではないから、単純に比較することはできないが、自分たちにとって理想的な社会を築くという意味で、彼らはその大部分を達成していた。しかしそこで問題が起こる。なんらかの理由で、彼らは自分たちがこの地球上でこれ以上生きていけないこと、繁栄できないことを知ったのだ。それが環境の変化だったのか、社会的な問題だったのか、生物的な問題だったのかはわからない。だが、彼らはある時代、突然地上から消え去った。彼らは地球を捨て、別の場所に住処を求めたのだ――それが、月だ。その時代、月は、まだなかった」

「つ、月がなかった?」

「あれは自然にできたものではない。彼らが作った人工衛星だ。彼らは自らの技術力で月を作り、それを宇宙空間、地球の衛星軌道に浮かべた。月はその質量ゆえに重力を持っているが、地球に比べてはるかにちいさく、つまり大気圏というものが確保できない。月の表面は常に強い太陽光に照らされ、有害な放射能を含む光線を遮断する大気もないなら、表面に都市を築くのは手間がかかる。彼らは月を作り、その内部に移住したのだ。そして地球は、地上の覇者を失った。しかしすべてが失われたのではない。彼らは地球を捨てたわけではなかった。月への移住は彼らにとっても苦肉の策であり、不本意なものだったのだ。彼らはいつか地球へ戻ることを計画し、月へ向かった。地球には彼らが戻ってくるときのため、あるものが残された。〈それ〉は彼らが地球へ戻ってこられるよう、この星の状態を整え、管理するために残された、いわば作業ロボットのようなものだ」

「作業ロボット――それが、ヴァルキュライド?」

「いや、ちがう」老人は静かに言った。「人間だよ」

 しばらく、あたりには蝉の声だけが響いていた。貴昭は老人の声がゆっくりと空気中を伝わってくるような錯覚を覚え、それが自分の鼓膜に到達したとたん、生理的な反感を覚える。

「人間が、作業ロボット?」

「ロボット、というのは理解のために用いただけだ。もちろん、人間が機械だというわけではない。まあ、機械の定義にもよるが、しかし人間が人工の、かつてこの地球に存在していた者たちの手によって作られたものであることはたしかだ。人間はこの星を管理するために作り出された。彼らは月を離れるとき、種を蒔いたのだ。広大な海に、やがて高度な知性を獲得し、様々な作業をこなす能力を持つ生物へ進化し得る遺伝子の種を蒔き、去っていった。種は芽吹いた。われわれの祖先は水中生活を止め、地上に進み、やがてほ乳類が生まれ、猿となり、ひとが生まれた。それらは長い年月を要することだったが、彼らにとってはそれほど長くはなかったようだ。ひとはそうして生まれ、そしてようやくきみたちがヴァルキュライドと呼ぶものが現れる。それは彼らが地上に残した番人であり、管理人でもあった。彼らは未熟な人間を導き、正しい仕事をこなすように指導する役目として、世界のいくつかの地点にヴァルキュライドを残した。ヴァルキュライドは人間を彼らの思惑どおりに行動させるための司令官だった。ヴァルキュライドはただのロボットではない。あれは高度な生物の一種で、彼らによって人間との共感性を高められている。ヴァルキュライドはただ言葉や行為で人間とコミュニケーションを取るのではない。感覚を同期させ、それによって人間の行動を制御し、指示を出すためのものだ。

 しかしヴァルキュライドもすべての人間と同期するわけではない。人間の数が増える以上、数体のヴァルキュライドで人類すべてを管理することはむずかしい。そのため、ヴァルキュライドは特定の人間とのみ同期するように作られた。その人間は、ヴァルキュライドに選ばれることによって人間世界での指導者となるのだ。ヴァルキュライドに選ばれた人間は、ヴァルキュライドを通して様々な知識や情報を得る。それによってその人間は、いわゆる天才となり、人間たちを導く王となる。そして人間は統治され、月へ移住した彼らの望みどおり、この星は再び彼らが住みやすい環境へ落ち着くはずだった。しかし現実はどうだろう? 人間はこれほど栄え、世界中のあらゆる場所に都市を築いた。しかし絶対的な指導者など存在せず、ヴァルキュライドもまた、いつしか歴史の闇に消えていった――それも彼らの計画どおりなのか? そうではない。これは彼らにとっても予想外のことだった。それは――」

 老人が咳き込む。女が心配そうに近づくのを制して、老人は貴昭を見、口元だけで笑った。

「彼らのなかに、裏切り者がいたのだ。その裏切り者は、すべてが月へ移住したあとも、密かに地球に残った。地球に残った〈彼〉は、彼らの世界ではおそらくはみ出し者だったのだろう。〈彼〉は彼らの計画を嫌悪、憎悪していた。しかし〈彼〉は非力であり、仮に力づくで彼らの計画を阻止しようとすれば、たちまち制圧されてしまう。そこで〈彼〉は密かに地球へ残り、だれにも知られず、彼らの計画を裏から操ることにした。

 〈彼〉はまず、身を潜めることからはじめた。そして計画どおりに人間が進化すると、〈彼〉はその遺伝子に自らの遺伝子を組み込んだ。その時点で人間という生物は、まず彼らによって作られ、そして再び〈彼〉によって遺伝子を改変された生物となったのだ。〈彼〉が人間に加えた遺伝子は、いわばウイルスのようなものだ。人間は〈彼〉の遺伝子によって本来予期しない性質を獲得し、独自の発展をはじめた。人間とは本来、争いを起こさない、実におとなしい生物として計画されていた。だれもが協力し、協力することこそが生存にもっとも有利であることを理解し、この地球を管理、維持するはずだった。しかし〈彼〉の遺伝子によって人間は凶暴さを獲得し、本来の計画よりはるかに数を増やしていった。凶暴とはつまり生きようとする力のことだ。人間は強力な生を獲得した代わりに、争いのない世界を失ったのだ。そうして人間は数限りない争いを繰り返しながら文明を巨大化させ、いま、彼らの計画とは正反対に、再びこの地球の環境を悪い方向へ変化させようとしている。もちろん、ヴァルキュライドはそれを許さなかった。ヴァルキュライドは何度か人間を滅ぼしかけたが、人間はその生命力で何度でも蘇った。やがて〈彼〉は人間に、ヴァルキュライドへの対抗手段として、それとよく似た兵器を与えた。それがアームドコアだ。アームドコアは人間が持ち得るヴァルキュライドに対して唯一有効な兵器だった。人間はそれを使い、世界に数体あったヴァルキュライドを封じ込めた。そして地上はようやく人間の天下となったわけだ」

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