Episode 05 /3

  3


 上空に高く積み上がった入道雲だった。

 その真下は、いまにも雨が降り出しそうなくらいに薄暗い。貴昭は湿気を帯びた南風を感じながら、じっと真上を見上げていた。

「――きたか」

 あたりの空気が細かく振動する。一瞬、入道雲のなかで雷が光った。それが轟音を立てると同時に雲が散らされる。貴昭、そしてヴァルキュライドの真上に、空に向かってぽっかりと穴が空いた。その穴から三機の戦闘機が降りてくる。

 白銀に輝く機体。流線型のそれは、エンジン音も立てず、ヘリコプタのように垂直に降りてくる。貴昭はヴァルキュライドの装甲を軽く叩いた。

「頼むぜ、相棒。相手は三機、なるべく早く数を減らそう。大丈夫、こっちは二機相手に圧勝したんだ。三機くらいなんてことない」

 三機のフーファイターが雲を抜ける。円形の穴が空いたその下で散開した。三角形のなかに閉じ込めるように、三機が等間隔で広がる。貴昭は後ろにまわった一機を振り返り、ヴァルキュライドは戦闘開始を告げるような雄叫びを上げる。

 空気に圧がかかる。細かく振動し、静電気を帯びたように肌がぴりぴりと痛んだ。

 ヴァルキュライドは三機の敵をぐるりと見回した。ヴァルキュライドの装甲がぶんと音を立てた。羽虫が飛ぶような、低い振動音。それが高まり、貴昭が思わず顔をしかめた瞬間、全方向に向かって衝撃波が飛んだ。

 まるで一機ずつ落とすのは面倒だというような一撃だった。空気に強烈な圧力がかかり、それがほかの空気を押しのける。波紋となって衝撃が伝わり、またたく間に三機の敵を飲み込んだ。その瞬間、三機が同時に分解した。

「うお、すげえ!」

 真っ二つになったフーファイターが落ちる。たった一度の攻撃で三機を落とすとは、と貴昭は戦闘終了を意識したが、そうではなかった。

「え――」

 半分になって落ちたフーファイターが、もう一度上昇する。半分になったそれぞれがまた同じサイズの戦闘機に変わっていた。破壊したのではなく、分裂したのだ。三機だったフーファイターが六機になり、それがまた等間隔で空に浮かび、ヴァルキュライドを取り囲む。

「げ、まずいかも――」

 六機のうち、一機が突っ込んでくる。ヴァルキュライドの真後ろだった。貴昭にはそれが見えていたが、叫ぶ暇もない。

 猛烈な加速だった。一機のフーファイターが弾丸のようにヴァルキュライドの背後から衝突する。どん、と地震のような衝撃。ヴァルキュライドの装甲が砕け、粉々になって貴昭の頭上に降る。貴昭はそれを避けて後ろへ逃げようとしたが、動けなかった。背中から腹にかけて、息もできないような強烈な痛みが走る。逃げるどころか、その場に膝をつく。頭上から装甲の破片が落ちてくるのがわかった。わかっても、避けられない。

 高所から鉄板を落としたような大音響を立てて装甲の破片が落ちる。貴昭は一メートルほど横に落ちた破片を見た。直撃はしなかったが、それ以前にぴくりとも動けない痛みに身体を支配されていた。

 ヴァルキュライドの背中に巨大な穴が空いていた。貫通はしていない。突撃したフーファイターが上空へ舞い上がる。六機の怪鳥。幻の戦闘機。ヴァルキュライドは咆える。怒りだった。燃え上がるような怒りが波動となって伝わる。上空の六機はその波動に巻き込まれないように飛び上がり、一度雲に隠れ、そこから再び急降下した。今度は前後左右から同時に突撃を喰らわせるつもりのようだった。

 背中に受けたヴァルキュライドの傷が白銀に輝く。みるみるうちにそこは修復され、穴はちいさくなっていくが、それよりも敵の攻撃が早かった。

 修復は間に合わない。貴昭はいくらか和らいだ痛みを堪えて上空を見る。前後左右から白銀の弾丸が迫っている。ヴァルキュライドは両手を左右に突き出した。身体をひねり、その拳で右からきた一機を叩き潰す。左からの一機は空中で鷲掴みにし、地面に叩きつけた。粉砕された二機分の破片があたりに舞う。それを突き抜け、前後からの二機がヴァルキュライドの間合いの内側に入っていた。

 絶叫。貴昭とヴァルキュライドは同時に叫ぶ。修復が不完全な背面と前面から同時に攻撃を受けた。貴昭は咳き込むのと同時に血を吐く。自分でも信じられないような、大量の吐血だった。ヴァルキュライドの受けたダメージが、そのまま貴昭にも伝わってくる。貴昭はそれでもヴァルキュライドとの感覚的つながりを解こうとはしなかった。

 ヴァルキュライドとの感覚を遮断すれば、おそらく痛みは感じなくなるだろう。その確信はあったが、ヴァルキュライドの感覚を切り離すということは、ヴァルキュライドの機能を停止させるということだ。それはできない。敵はまだ残っている。いまヴァルキュライドの機能を停止させても、どのみち残った敵に殺される。

 殺される。死ぬのだ。もう死んでもおかしくないような傷だと思う。どこが痛いのかはわからない。体中が燃えるように熱い。ひどい胸焼けのような感覚。しかしせり上がってくるのは胃の中身ではなく血だった。

 死にたくない、とは思わなかった。それより、怒りが強い。ヴァルキュライドと怒りだと貴昭は思う。自分の恐怖心がヴァルキュライドの怒りによってかき消される。負けたくない。やり返してやる。どうせ死ぬなら、一機でも叩き潰して死んでやる。

 ヴァルキュライドが絶叫する。いままででもっとも強い衝撃波だった。矢代市全域どころか、その外まで、走行している車を吹き飛ばすような衝撃波が走る。

 残っている敵は四機。ヴァルキュライドは上空から様子を窺っているような敵に手を伸ばした。叩き潰してやるという意識はあるのに、身体が動かない。ヴァルキュライドの手は敵まで届かない。

 これが死ぬということだ、と貴昭は感じた。

 意識と肉体が乖離していく。意識はあるのに、身体がまったく言うことを聞かない。身体が倒れる。ヴァルキュライドの装甲が変色していく。美しい白銀からくすんだ色へ、さらに黒へと変わっていく。

 これは、自分が死にかけているからだ。ヴァルキュライドはまだ生きている。戦おうとしている。しかし貴昭の命が失われようとしていた。貴昭なしではヴァルキュライドは戦えない。

 悪い、と貴昭は意識のなかで思う。おれが足を引っ張っちゃって、悪いな――。

 ヴァルキュライドがすがるように伸ばした手が、がくりと下がった。

 ヴァルキュライドは機能を停止した。



  *



 四機のフーファイターは動かなくなったヴァルキュライドを中心に、ぐるぐると周回しながら様子を窺っているようだった。

 ヴァルキュライドは力を失い、膝をつき、動かない。しかし本当に全機能を停止しているのか確認しようとするようなフーファイターの動きだった。四機は等間隔で何周かヴァルキュライドの周囲をまわったあと、完全に機能が停止したと判断したのか、ヴァルキュライドに近づいた。

 そのとき、どん、となにかが爆発するような低い音が響いた。

 四機中の一機が白煙に包まれる。どこからか攻撃を受けていた。直撃はしていない。すぐに白煙から一機が飛び出す。その飛び出した一機が、真上からの強烈な一撃を浴びて地上に墜ちた。

 いつの間にか、ヴァルキュライドのそばに、それよりも一回りちいさな、ヴァルキュライドとよく似た人型のロボットが立っていた。

 ヴァルキュライドの複製のようなそれは、一機のフーファイターを落とした直後、恐ろしい身軽さで別のもう一気に飛びかかる。空中を逃げようとする敵を両手で掴み、そのままねじるように引き裂いた。ふたつになった破片を地面に捨てると、細かな白銀の砂になる。それを警戒し、残った二機が急上昇した。するとそれも空中に飛び上がり、宙返りするように身体を丸めたかと思うと、一度なめらかな球体になり、それがフーファイターの二倍ほどある巨大な戦闘機に変化した。

 巨大な戦闘機が音もなく雲を引き裂く。二機のフーファイターが雲のなかに逃げ込んだせいだった。巨大な入道雲は空気の振動によって分解され、敵が剥き出しになる。その隙を逃さなかった。

 巨大な戦闘機が一機のフーファイターの真後ろに近づいた。フーファイターは逃げたが、速度差は圧倒的だった。機体が触れ合うほどの距離まで迫った瞬間、巨大な戦闘機の先端が口のように大きく開き、フーファイターに噛みついた。

 鋭い牙がフーファイターの装甲を貫く。砂となって消えた一機を吐き出すと、角度を変更、残った一気に急接近し、そのまま尖った先端で真下から突き刺した。

 串刺しになったフーファイターが、白銀の砂に変わる。四機のフーファイターはほんの数分で全滅した。

 巨大な戦闘機はぐるりと空中で一回転し、先頭を地面に向けて急降下、墜落するという瞬間に跡形もなくぱっと消えた。

 あとに残ったのは、膝をついたまま機能を停止したヴァルキュライドと、その足下に倒れた貴昭だけだった。

 ――と、そこに、いるはずのない人間たちが現れる。

 ひとりは若い女だった。もうひとりは車椅子に乗った老人。そしてもうひとりは、まだ三、四歳の少女。

 女が車椅子を押し、更地になった矢代市の中心をゆっくりと歩く。三、四歳の少女は女の後ろを駆けるように追いかけていた。

 三人組はヴァルキュライドの足下で立ち止まった。物音が聞こえている。貴昭の腰に下げられている無線だった。通信が回復し、応答を求める声が響いていた。女は無線を取り上げ、電源を切る。

「生きているかね」

 老人がゆったりとした日本語で言った。女はうつぶせになっている貴昭の首筋に触れ、うなずく。

「脈と呼吸はしっかりしています」

「そうか。ならばよかった。まあ、ともとも彼は傷ひとつ負ってはいない。すべては〈これ〉が受けた傷だ。〈これ〉が機能を停止すれば感覚リンクは失われ、傷を受けたという認識も失われる。意識を失ったのが幸いだったようだな」

 車椅子の老人は、間近に迫ったヴァルキュライドを見上げた。わずかに白くなった瞳はヴァルキュライドを捉えた瞬間、きゅっと細くなる。

 女は貴昭の頬を叩いた。その刺激で貴昭は意識を取り戻す。

 はっと起き上がり、貴昭はあたりを見回して、あれ、と呟いた。

「夢――だったのか?」

「夢ではない」

 老人は言った。貴昭はぎょっとしたように振り返る。

「だ、だれだ? なんでこんなところに――民間人はいないはずだ」

「われわれは民間人ではないのでね。もちろん、かといってこの国の軍人というわけでもないが。きみは夢を見たのではない。すべては現実だ。きみは戦い、そして、負けた」

「戦い――そうだ、あいつらは――どこ行った?」

 空は晴れ渡っている。雲もなければ、そこを飛んでいる影もなかった。貴昭は機能停止しているヴァルキュライドに近づき、その装甲に触れようとしたが、老人が止める。

「いま〈それ〉は大きな傷を負っている。起動させれば、きみはまた死の苦しみを味わうことになる。しばらく放っておけば〈それ〉の自動修復機能が傷を癒やすだろう。起動しているときほど強力なものではないが、そもそもそれはいま、完全に機能を停止しているわけではないのだ。ほとんどの機能を制限し、自己保全を最優先にしている。数日中にはすべての傷が癒えるだろう」

「――あなた、だれだ? なんでそんなにヴァルキュライドに詳しいんだ?」

「ヴァルキュライド? ふむ、きみたちはそう呼んでいるのか。ヴァルキュリア、神の使い、ヴァルハラへの案内人か。なかなか的を射た名だ。そう、私は〈それ〉、ヴァルキュライドについてきみたちよりも詳しく知っている。たとえば、それがなんのために存在しているのかということも」

「だれだよ、あなたたちは」

 貴昭は警戒心を隠そうともしていなかった。車椅子の老人は、白髪で、見るからにやせ細り、いまこうして会話できるのがふしぎなほど衰弱しているように見えた。しかし目にはふしぎな生気がある。まだ死を受け入れていないような、強い光。

 車椅子を押しているのは、二十歳前後くらいの若い女だった。老人は一見して白人だとわかるが、女のほうは日本人らしく、黒髪に黒い瞳、そして正体不明の笑みを湛えている。

 もうひとり、この場には似つかないようなちいさな子どもが若い女の後ろにいる。淡い栗色の髪をしていて、貴昭を怖がっているように女の足に隠れていた。貴昭はふと、その子どもをどこかで見たことがあるような気がした。栗色の髪――イヴ。

 よく似ている。似ている、という言葉では片付けられないほどだった。イヴの子どもの頃はこんなふうだっただろうと想像するとおりの子どもで、表情もまた、イヴと同じような感情が見えないものだった。

 この三人は、異様だ。貴昭はそう思う。この場所にいることもそうだし、話していることも、三人の関係性も、まるでわからない。

「きみは知りたくないか」

 老人は言った。

「ヴァルキュライドが存在する理由を。そして、きみたちが存在する理由を」

「おれたち? なんなんだよ、さっきから、わけわかんないこと言って――ヴァルキュライドが存在する理由?」

「実は、われわれも似たようなものを持っている。香瑠」

 車椅子を押している女が上着のポケットからなにか取り出した。

「――なんだ、それ」

 銀色の球体だった。

 形状は完全な球ではなく、卵のように尖った形をしている。手のひらに乗るくらいの、ニワトリの卵よりもすこし大きい程度のものだった。

「きみは意識を失っていて知らないだろうが、ヴァルキュライドは見ていたはずだ。あとでヴァルキュライドと同期してみれば、わかる。いまは信じられなくとも、そうすれば信じるしかなくなるだろう。彼女が持っているこれは、きみたちがヴァルキュライドと呼んでいる〈それ〉と非常によく似たものだ。私たちはこれを使い、きみが敗北した敵を倒した」

「ヴァルキュライドと非常によく似たもの? その、卵みたいなものが?」

「形状は問題ではない。きみも知っているだろう。フーファイターと呼ばれる敵は様々に形状を変化させる。トポロジーだよ。見た目は異なるが、すべて同じものだ。これは卵であり、ロボットであり、戦闘機であり、一種の生物でもある。きみのヴァルキュライドもまたそうだ。いまヴァルキュライドが取っている形は、選択可能な無数の形状のうちのひとつでしかない。そうだな、きみはまだなにも知らない――香瑠、見せてあげなさい」

「はい、先生」

 女が銀色の卵をぽんと宙に投げた。それは地面に落ちてはこなかった。空中で一瞬まばゆい発光したかと思うと、ヴァルキュライドのとなりに、それよりも一回りちいさな同形状のロボットが現れている。

 白銀の、ヴァルキュライドと同じとしか思えないロボットだった。貴昭は後ずさる。

「どうして――ヴァルキュライドが――」

「これはヴァルキュライドではない。われわれはアームドコアと呼んでいる」

「アームドコア……?」

「形状は似ているが、これはヴァルキュライドとはまったくちがう目的で作られたものだ」

 アームドコアが輝く。音もなくその姿が消えた。女は地面に転がっていた銀色の卵を拾い上げ、ポケットに入れる。貴昭はそれを、魔法でも見るような気持ちでじっと見つめていた。

「私は何十年と研究を続けてきた。きみたちがヴァルキュライドと呼んでいる〈それ〉が私の研究対象だった。現物を発見することはできなかったが、代わりに多くのものを発見した。アームドコアはそのひとつであり、この子もまた、私が発見したもののひとつだ」

 三、四歳の少女は女の服をぎゅっと掴んだままった。老人は言う。

「この子はイヴ。これもまた、ヴァルキュライドやアームドコア同様、ふしぎな存在だ」

「イヴ――? やっぱり、イヴなのか」

「ほう」老人の目がわずかに開く。「きみもイヴを知っているのか。はじまりの少女を」

「イヴがなんなのかなんて知らない――イヴは、おれたちの大切な仲間だ」

「なるほど、そういうことか――きみが知っているイヴは、ここにいるイヴとはすこしちがうものだ。それもやがて知ることになるだろう。いまはあまり時間がない――きみにひとつだけ、教えておこう。ヴァルキュライドとは本来、人間の味方をするものではない。〈それ〉は人間を監視し、導くための番人なのだ。彼らはこの地にヴァルキュライドを残し、人間を監視させた」

「なにを――言ってるんだ。彼ら? 人間を監視するって――」

「詳しいことを知りたければ、明日、この町を見下ろせる夕陽丘という場所にきてくれたまえ。軍に邪魔されたくはない。たとえ邪魔をされてもアームドコアで殲滅できるが、きみとは落ち着いて話がしたいのだ。いままでなにも知らず戦ってきたきみにも知りたいことはあるだろう。きみが正しい判断をしてくれると期待しているよ」

 女が老人の車椅子を回した。貴昭はそれを追うべきかどうか迷ったが、しかし追っても意味はないだろうとも思う。あのロボットを出されてはどうすることもできない。ヴァルキュライドを動かせないいまは、まだ。

 三人がゆっくりと遠ざかっていく。その途中、ふと女が振り返った。

「あなた――乙音のことは知ってる?」

「乙音? なんで、鮫崎の名前を」

「あの子は元気かしら。まあ、わたしなんかが心配しなくても元気にやってるでしょうけど――」

 女はわずかに笑みを残し、今度こそ去っていった。貴昭は三人が見えなくなったあと、機能を停止したヴァルキュライドを見上げ、呟く。

「人間を監視するためのものだって? おまえは――なんなんだ?」

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