Episode 05 /2
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ブリーフィングは研究所内の食堂で行われることになった。
以前、自衛隊は市役所を臨時司令部として使用していたが、二度目の戦闘で市役所は大破したため、いまはもうすこし市の中心から離れた公民館を司令部としていて、そこまでは距離があったから、司令部の沼田二佐が地図などを研究所に持参して行うことにしたのだった。
食堂の丸テーブルを三つ並べて置き、その上に地図を広げる。沼田はその上で言った。
「おそらく今回も目標地点はこの矢代市だと思われる。敵はどうやらここを攻めることに重要な意義を見いだしているようだ。その理由まではわからないが――ともかく、われわれとしては好都合ともいえる。ほかの町を襲われては住民を避難させなければならないし、町への被害も大きくなるが、ここならすでに市の中心は建物もほとんど残っていない。今回も市の中心で敵、フーファイターを迎え撃つことになる。作戦の概要は以前と同じだ。まず、ヴァルキュライドが単騎で出てもらう。そこでフーファイターの殲滅に当たってもらうが、これに失敗した場合、距離を取って展開している部隊から地対空、あるいは戦闘機による空対空攻撃を開始する。部隊の攻撃開始はヴァルキュライドの状況、そしてパイロットである新嶋くんの避難状況によって時刻が変わる。新嶋くんから連絡を受け次第、われわれが攻撃を開始する」
貴昭はこくりとうなずいた。すでに倉庫ではクレーンによるヴァルキュライドの運び出しがはじまっている。研究所内は戦時の雰囲気に変わっていた。
「要するに、前と同じようにヴァルキュライドがあいつらを撃墜させればいいわけですよね」
「そうだ。しかし今回は懸念材料もある。前回もそうだったが――今回、月付近から地球の軌道へと向かっているのは三機だ。そのうち何機がここへ降りてくるかはわからないが、気持ちの上では、敵は三機だと思っておいたほうがいい。前回も二機軌道上へきて、はじめに降りてきたのはそのうち一機だったが、あとになってもう一機が降りてきた――今回もそうなる可能性がある。もちろん、はじめから三機まとめて降りてくるということも考えられるし、最初の襲撃のように各所一機ずつ、計三カ所を同時攻撃するつもりかもしれない。そうしたことも頭に入れ、行動してくれ」
「わかりました――あの、もし敵がほかの場所に攻めてきた場合は? ええっとつまり、矢代市に一機降りてきて、残りの二機がほかの場所へ向かったら、おれはどうすればいいんですか?」
「そのときは――」
沼田はわずかに言いよどんだ。しかしそのためらいは一瞬だった。
「国内、それもすぐに移動可能な近傍であるなら、ヴァルキュライドに移動してもらう可能性はある。しかしヴァルキュライドの存在はまだ公になっていない。矢代市内なら大丈夫だろうが、外へ出るなら、その時点で全世界にヴァルキュライドの存在を知られることになる」
「……知られないほうがいい、ですか?」
「なるべくなら、だ。しかし人命がかかっている以上、そうもいえない。移動して間に合う距離なら、矢代市に降りてきたものを撃墜してすぐさま移動、もし移動しても間に合いそうにない場所なら――われわれには、どうすることもできない。前回のように地球のあちこちに降りられれば、当然物理的にも援護するのは不可能だ」
貴昭はすこし黙ったあと、ちいさくうなずいた。
「わかりました。そのへんの指示は、お願いします。ヴァルキュライドが自力で移動すれば、たぶんトラックで運ぶよりもはるかに早く移動できる。空でも飛べればいいんだけど」
「まあ、できないことを言っても仕方がない。われわれはできることを精いっぱいやるだけだ。敵の襲来は明日の午前九時ごろを予定している。連中が軌道へ入ればさらに細かい時間が出る。それまでは待機してくれ」
「了解っす」
沼田は地図を丸め、それからふと、
「きみには必要以上の負担をかける」
と呟いた。貴昭は首を振って、
「ま、これも運命ってことで」
「運命、か。人間の運命は人間で切り開かなければならない」
沼田は疲れを感じさせない強い足取りで食堂を出ていく。貴昭はふうと息をつき、サーバーから水を注いで飲み干したあと、食堂を出た。
敵は三機。もしまとめて降りてきたとしても大丈夫だと貴昭は思う。前回は二機との戦いだった。思いもしない攻撃法ではあったが、ヴァルキュライドは結局、二機相手でも負けなかった。ヴァルキュライドには強力な自己修復能力がある。腹を槍で貫かれても即座に回復できる能力だ。三機相手でも破壊されるとは思えない。
問題は、その三機が分散した場合だ。ほかの町へ降りられたら、助けようがない。沼田も、その場合は見捨てるしかない、と考えているようだった。もちろん、見殺しにはしない。限界まで避難を誘導し、最低限の犠牲で済むように行動はするだろう。自衛隊にできるのはそれだけだ。最大限の努力で、最低限の犠牲に抑えられる。しかしヴァルキュライドはちがうと貴昭は思う。
ヴァルキュライドなら、犠牲者を出さずに済むかもしれない。ヴァルキュライドなら助けられる。しかし助けることができない。それがつまり、見殺しにするということだ、と思う。助ける能力がないのではなく、能力はあるが、助けられない。それは見殺し以外のなにものでもないだろう。
それでもやるしかないのだ。目の前の敵を倒す。目に見える範囲だけでも助けられるひとを助ける。手の届かない位置にいるだれかが助けられないからといって、手の届く位置にいるだれかまで見捨てることはしたくない。たとえ不公平でも、守れる人間は守りたい。貴昭はそう思う。
食堂から倉庫へ出る。シートの屋根が取り払われ、すでにヴァルキュライドは地上へ運び出されていた。広々とした倉庫は空になり、野球でもできそうなその空間で、貴昭は勝ちを祈った。
*
鮫崎乙音は貴昭とヴァルキュライドが出撃するのを見ていた。
ヴァルキュライドはすでに地上に立っている。貴昭はその足下にいるはずだったが、姿までは見えない。
「さ、乗ってください」
自衛隊の車両が後ろに控えていた。いまからそれに乗って安全圏まで移動するのだ。戦場に、貴昭ひとりを置いて。
乙音はイヴの手を握っていた。イヴは車に行きたがるふうでもなく、貴昭のほうへ行きたがっているふうでもない。ただそこに、意思を感じさせない表情で立っている。
乙音はイヴの正体を知らなかった。ただの人間ではないと思う。そのことは、イヴが漏らす言葉の端々に感じられる。イヴはなにかを知っている。あるいは、知っていた、だ。なにを知っていたのか、イヴ自身も忘れてしまったのか、それとも話したくないのかはわからなかったが、どちらにしても、乙音にとってイヴはひとりの少女でしかなかった。
たとえその正体がなんであれ、イヴに悪意はない。だれかを傷つける意思もなく、だれかを陥れる意思もない。ただの、か弱い少女だった。
――イヴが人間ではない、という話を、乙音は柏木美津穂から聞いていた。
美津穂は乙音にそれを話すべきか迷ったにちがいない。しかし最後には自衛隊で行ったメディカルチェックの結果を乙音に話し、乙音はただそうなのかと思っただけだった。
貴昭はメディカルチェックの結果を聞いていない。しかし貴昭も同じような反応をするだろうと乙音は思う。貴昭は、自分とへんなところが似ている。自分の目で見たものを信じる、という根本的なところが。
もしイヴという少女を知る前にそう聞かされていたら見る目も変わったかもしれないが、イヴを知ってしまっているいま、イヴは人間ではなかったと聞かされても、だからどうしたのだ、と思うくらいだった。
しかしイヴはどうだろう――イヴはこちらのことをどう思っているのか。
乙音はイヴとつないだ手に力を込める。イヴは乙音を見上げ、首をかしげた。
「大丈夫よ。新嶋くんなら、ま、勝てるでしょ。ヴァルキュライドもあるし」
「うん――」
「わたしたちは邪魔にならないように避難しときましょ」
自分にできることはそれだけだ。乙音はイヴの手を引き、自衛隊の車両に乗り込む。車両はすぐに発進、破壊された町を抜け、矢代市を出る。その途中、地上に自衛官と地対空兵器が展開しているのを見た。彼らはヴァルキュライドが負けたときのために待機しているのだ。ヴァルキュライドが負けるということは、おそらく、フーファイターに対抗する手段が完全に失われる、ということだろうが。
ヴァルキュライドとはなんなのだろう。
それは乙音が南米で発見されたヴァルキュライドの写真を見てから、ずっと考えていたことだった。その疑問を解決するために、父に頼み込んでヴァルキュライドを日本へ運んでもらったのだ。父になにかを頼んだのは、そのときがはじめてだった。それまではただ与えられたものを受け入れるだけだったが、乙音は自分の意思でヴァルキュライドの正体を突き止めたいと思ったのだ。
ヴァルキュライドがなんなのかは、まだわからない。フーファイターとは無関係ではないだろう。その根拠のひとつとして、フーファイターが執拗にこの矢代市を狙っていることが挙げられる。
いまのところ、フーファイターに二度以上襲われたことがあるのは矢代市だけだ。最初の襲撃では世界中が襲われたが、それ以降、敵は標的を完全に矢代市一本に絞っている。もしかしたら矢代市だけが完全な破壊を逃れたせいかもしれないが、敵が都市の完全破壊にこだわっているとは思えないから、おそらく、ヴァルキュライドがそこにあるから、やつらは攻めてくるのだろう。
フーファイターが攻めてきたところに偶然ヴァルキュライドがあったのではない。
ヴァルキュライドがある場所に、やつらは攻めてくる。
だとしたら――ほかの場所はどうだったのか。最初の襲撃で攻撃を受けた世界中のほかの場所は、どんな理由で壊滅させられたのか。
「もしかしたら、ヴァルキュライドは――」
貴昭が動かしているひとつだけでは、ないのかもしれない。
*
貴昭は目を閉じ、ヴァルキュライドの視界を使って自衛隊の車両が遠ざかっていくのを見ていた。それは研究所から出る最後の車両だった。乙音やイヴは無事に外へ出た。このあたりに残っているのは貴昭とヴァルキュライドだけだ。ヴァルキュライドの、ほんのかすかな振動も感じ取れる能力でそれがわかる。
このあたりには人間以外の動物もいない。ねずみの一匹も。彼らはいままでに二度あった襲撃でいなくなったのだろう。本当の意味で死に絶えた町ということだ、と貴昭は思う。崩れたコンクリートだけが残っている町。この町を守る価値は、もうないかもしれない。それでもここで戦うのだ。なにかを守るために。
貴昭はとなりに立つヴァルキュライドを見上げる。今日は大きな入道雲が空に出ていて、ヴァルキュライドもすこし窮屈そうに感じられる。
「ま、がんばろうぜ、お互い。それにしても暑いよなあ――まあ、真夏だしなあ」
八月もすでに半ばだった。暦の上では残暑になる。それでも体感的にはいまが真夏の盛りだった。
曇っていても気温は高い。蒸し暑く、立っているだけでじわりと汗が出てくる。
貴昭は無線を確認した。電源は入っている。しかし戦闘がはじまれば使用不可能になる確率が高かった。
『こちら司令部』無線から沼田の声が響く。『民間人の避難は完了した』
『こちらV1、了解。こっちは死ぬほど暑いっす」
『すべて終わればシャワーも浴びられるし冷たい飲み物も飲める。私が奢ろう。なにがいい?』
「えー、じゃあ高いやつがいいな。でも高い飲み物って浮かばないし……氷入りのコーラでいいっす。あ、やっぱりソーダ!」
『わかった、用意しておこう』苦笑いするような沼田の声だった。『あと十分あまりで敵が到着する。やはり、三機同時だ。警戒を続け、もし危険だと感じたらすぐ撤退するように』
「了解」
と答えながら、撤退してどうするんだ、とも思う。
ヴァルキュライドが逃げたら、だれが敵を倒すのか。自衛隊では無理だ。逃げても、安全な場所はない。いちばん安全なのは敵を倒すことだ。逃げるわけにはいかない。
「よし、こい」
無線を腰に戻し、貴昭は空を見上げた。
「このおれさまがけちょんけちょんにしてくれるわ!」
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