Episode 05 /1

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 ううむ、と新嶋貴昭はうなる。

 はじめは軽い気持ちだった。

 乙音とイヴが買い物へ行くというから、荷物持ちとして同行することにしたのは、ほんの出来心だったのだ。

 いくら荷物持ちといっても、ま、せいぜい服かなにかの袋を一、二個持つだけだろうと思っていた。ちょうど貴昭も買いたいものがあったし、それくらいの労力で乙音のような美少女と買い物に行けるなら安いものだ、と思ったのだが、その見通しは甘すぎたといわざるを得ない。

「これが女子の買い物というものか……恐ろしや……」

 片手に袋を三つずつ、両手で計六袋、さらに持ち手を腕に引っかけているのがふたつ、両手がいっぱいだと主張したところ首にかけられた袋がふたつ、計十袋を抱えた、というより袋に埋もれた貴昭は、ショッピングモールの廊下でぼんやりと立ち尽くしていた。

 気分はハンガーだった。玄関先に置いてある帽子置きはこんな気分で立っているのかもしれない。

 現状、座ることもできなかった。座ったら最後、立てる自信がない。袋のひとつひとつはそれほど重量はなかったが、かといって十袋もあるとなかなかのものだった。なにより恐ろしいのは、こうして貴昭が立ち尽くしているあいだも乙音とイヴは新しい店に入っていて、順調にいけばすぐひとつかふたつ袋が増えるということだった。

「そもそも、なにをこんなに買っとるんだ、やつらは?」

 両手いっぱい、腕いっぱい、首からも紙袋をぶら下げている貴昭を、ショッピングモールの客たちがなんとなく哀れむような目で見ながら通りすぎていく。この姿ではいかに美少女と歩いていてもデートとは思われないだろうな、と貴昭は思い、まあ実際別にデートではないのだが、すこし悲しい気分になる。

 だいたいだ、なぜ女子にはこれほどの服が必要なのだろう。普段着るのが何着か、出かけるためのものが何着かあれば充分ではないか。とくに乙音は、普段からやたらと服の数が多い。矢代市地下の研究所に暮らしていてさえ、同じ服は二度見ないくらいだった。それが女子のたしなみだ、と言われれば、まあ女子も大変だなと思うのだが。

 目の前の店から乙音とイヴがようやく出てくる。乙音はその手に新しい紙袋をふたつぶら下げていた。

「お待たせ」

「結構な羞恥プレイだったけど――って無言のうちに首にかけようとするのはよせっ」

「じゃあ腕に持つ? 重たくないの?」

「重たい。身体すべてが重たい。おれ、もう十個持ってるんだぞ。ふたりでひとつずつくらい持ちなさい」

「だってまだ買い物あるし。こんなでかい袋持ってたら邪魔でしょ。はい、じゃあよろしく」

 乙音はちょっと背伸びをして貴昭の首に紙袋の持ち手をかけた。これで十二個の袋を全身にぶら下げた貴昭は、妖怪の気分でのそのそと歩く。イヴは乙音に手を引かれつつ、たまに貴昭を振り返っていた。心配しているというより、へんなやつが後ろから歩いてくるのを笑っているような雰囲気だった。表情はとくに変わらなかったが。くそう、悪魔かあいつらは。

「なあ、これ、買いすぎじゃねえの? いくら自衛隊からお給料もらってるとはいえ、さ」

 のそのそと妖怪紙袋が言うと、乙音はちょっと振り返って、

「別にこれ、自衛隊からのお金で買ってるわけじゃないよ。わたしの自腹」

「ふー、金持ちー」

「言っとくけど、小遣いでもないからね。わたしの会社の儲けだから」

「わたしの会社?」

「貿易関係のね、ま、輸入の会社をやってるの。名義は父だけど、実際の経営判断はわたしがやってて、そこのお金もわたしが管理してる。儲けが出ればわたしの小遣い、マイナスになればいままで儲けた分からきっちり払うってこと」

「な、なるほど、よくわからんけど、すごいことはわかった。いや、だとしても、買いすぎだろ。どんだけ服着るんだよ」

「わたしの服はほとんどないの。全部イヴの分。だって、いつまでもわたしの服を着せてるわけにはいかないでしょ? サイズもちがうんだし」

「う……ま、それは、たしかに」

 イヴもいま、貴昭たちと同じイリジウム社の地下研究所で暮らしているが、服もなにも持ってきていないから、イヴの普段着は乙音の服を借りてきている状態だった。もともと乙音も大柄ではないが、それでもイヴとは身長差があったから、研究所ではすこし大きめの服ばかり着ていて、たしかにイヴの服は必要だと貴昭も思う。そう思うとこうして持たされているのも仕方ないかと感じるのだが、

「ま、三分の一くらいはわたしの服だけどね」

「じゃあ自分で持てやあ!」

「あれ、荷物持ちするって言ったの、新嶋くんじゃなかったっけ? それとも、それだけの大荷物、女の子に持たせるの? で、自分は手ぶらで歩くって?」

「う……あ、悪魔か、おまえは」

「女の子はみんな小悪魔でしょ。さ、次はあっち入ろっと。イヴ、行こ」

「ぐ、ぐぬぬ……!」

 この妖怪姿で店のなかまで追いかけてやろうか、と思ったが、乙音とイヴが入っていった店を見て、さすがに思い留まる。そこは明らかに男を寄せ付けないオーラを放つ、いわゆるひとつの女性下着店だった。明るい照明と、見るでもなく見えてしまう白やピンクの布地は、直視すると網膜を焼き尽くされそうだった。

 店の前で待つわけにもいかず、すこし離れたシューズショップの前に立ち、手すりにもたれかかってはあとため息をつく。

 ショッピングモールは騒がしい。平日だが、いまは夏休みだった。家族連れより学生が多く、なかには男女のカップルめいた若者もいて、貴昭のため息は深くなる一方だった。

 普段となにも変わらない平和な光景だ。襲撃を受け、町の大部分が壊滅している矢代市で自衛隊のひとたちといっしょに暮らしているとわからなくなるが、まだこの国にも日常はある。矢代市から外へ出れば普段となにも変わらない生活をしている人々がいて、もちろん矢代市から避難して大変な生活をしている人間も大勢いるが、日本全国を見たとき、普段どおりの日常を過ごしている人間が大半なのだ。

 矢代市からすこし離れただけのショッピングモールさえ、いまは襲撃のことなど忘れたように平和な喧噪に充ちている。貴昭はそれを、ほんのすこし、他人事だと思ってるよな、と感じる。しかしそれでいいのだという気もした。日本全国が恐怖にふるえ、悲しみに沈むよりは、元気でいてくれるひとがひとりでも多いほうがいい。ただ――命を賭けて戦っている人間たちがいることを忘れないでいてほしいと思う。

 命を賭けて戦っている人間、と貴昭は思うとき、そこに自分は含まれていなかった。貴昭自身は、それほど危険な目に遭ったことはない。それにうまくヴァルキュライドを使えるようになってからは、ヴァルキュライドのそばにいる自分がいちばん安全だと思うようになっていた。それよりも危険なのは、なんの対応策も持てないまま敵の前に出なければならない自衛隊の人々だ。

 貴昭にはヴァルキュライドがある。戦えるし、守ってもらえる。しかし自衛隊にはそれがない。戦うことも、自分の身を守ることも、彼らはできない。それでもいざとなれば敵の前に出て戦わなければならない。それこそ、命がけの仕事だろう。自分にはできないと、貴昭は思う。

 手すりにもたれかかり、二十分ほどぼんやりと待った。そのうち乙音たちがまた新しい袋をぶら下げて戻ってきて、例によってそれは貴昭の首にかけられる。さすがに首もそろそろ限界だった。重たくはないが、四つの紙袋はかさばる。おまけにそのうちひとつはどう考えても女性用の下着が入った袋なのだと思うと、それを首からぶら下げているのはいかにも落ち着かなかった。

「なあ、鮫崎、そろそろ帰ろうぜ。それか、この荷物を郵便で送ろうぜ」

「郵便だと研究所まで送れないでしょ。あそこ、住所なんかないし、そもそも矢代市内には郵便も届かないし」

「う、たしかに」

「荷物持ち、自分で志願したんだから、しっかりやってよね。さ、次の店次の店っと。次は部屋着も買わなきゃねー。イヴ、どんなのがいい?」

「なんでもいい」

「って言うと思った。ま、わたしがかわいいの選んであげるから別に――」

 ふと乙音が立ち止まる。ぴぴ、という電子音がどこかから聞こえていた。貴昭も無意識のうちにポケットを探ろうとして、両手が塞がっていることを思い出す。

 乙音は自分で持っている鞄から携帯を取り出した。電子音はそれから鳴っているが、それだけではない。貴昭がポケットに入れている携帯からも、たしかに音がしている。乙音は振り返り、ため息をつき、言った。

「買い物はここまでみたい。招集だって」

 敵がきた。

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