Episode 05

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   月のヴァルキュライド



  Episode 05



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 入国ゲートから空港ロビーに降り立つ。

 ロビーには様々な人種の人間たちがいた。アジア人、欧米人、アフリカ系。いちばん多いのは、もちろんこの国の人間、日本人だった。

 車椅子に乗った老人、ハワードは、ざわめきが充ちるロビーに子どものような驚きを覚える。この世界には様々な人間がいるものだ、ということを、知識ではなく、視覚という肉体感覚で理解する。ハワードはイギリス人だった。家系を辿れば大陸からブリテン島に移り住んでいて、ケルトの血が自分に流れているかどうかはわからない。

 血というものはふしぎだ。血液でもあり、血筋でもある。自分の血は人類誕生のそのときから脈々と受け継がれてきたものだった。様々な人間がいただろう。優秀な人間もいれば愚かな人間もいたにちがいない。思慮深い人間や、暴力的な人間、聖者のような人間から犯罪者まで、あらゆる人間の血が混ざり合い、自分の血管を流れている。そのどれかひとつでも欠けたなら自分はこんな人間にはならなかっただろう。血とはそういうものだ。混沌と秩序。あらゆるものを詰め込んだ鍋のなかから、まったく偶然に人間が出来上がるようなものだ。

 自分の血管にそうした血が流れているように、この空港ロビーにいる人間ひとりひとりにも同じように血が流れている。そのことが、ハワードには信じられない。知識としては理解できる。生きているのだ、血は流れているに決まっている。しかしこれらすべての人間には親がいて、その親にはまた親が、ということを何百回と繰り返すだけの人間がかつてこの星に存在していたことが、ハワードには信じられない。

 もっとも、人間がいまのように多くなったのは比較的最近のことだ。千年前の人類は、いまよりもはるかに数がすくなかった。この千年、五百年で爆発的に人間は増えたのだ。いったいなんのために?

 もちろん意味はある。すべてのことには意味と理由がある。人間が爆発的に増えたことも、自分がここに生きているということも、月から地球外生命体と思しきものが攻めてきたことも、すべてに意味がある。

 ハワードは自分の車椅子を押している女性を振り返った。

「香瑠、きみにとっては久しぶりの母国だろう」

「ええ、先生。でも、とくに感傷はないわ。わたしはほかのだれでもないわたしでしかない。日本人、ではない。もちろん、ほかのどんな国の人間でも。わたしは独立した人間だもの」

「きみらしい考え方だ。しかし人間は決して独立した生き物ではない。人間という種はともかく、ひとりの個人は、決して独立することはない。血のつながり、経済的なつながり、集合体としての役割――すべては無意識に、知覚されることなく、ひとつのサイクルとして行われる。きみもまた、独立した人間ではない」

「人間という生き物はそうかもしれない。でもわたしという意識は、ちがう。意識は肉体から切り離された存在でしょう。肉体が人類という種の要請によって他と無自覚の連携を行いながら生きていても、意識は、〈異教の神〉が与えた意識は、肉体とはまったくちがう構造と存在理由を持っているはず。それをわたしに教えてくれたのは先生でしょう」

「ふむ、たしかに。しかし意識とてまた別種のサイクルの一部でしかない。すべては導かれている。たったひとつの終わりへ向かって。あらゆる肉体と精神は、そこへ向かって収斂していく。もちろん、おまえは別だがね、イヴ」

 ハワードの膝にじゃれついている少女は顔を上げ、なんの話、というように首をかしげた。ハワードはその髪を撫でる。

「おまえはすべてを記憶すればいい。それがおまえの役目なのだから。さて、行こうか。終わりは近い。すべての人類の終点は。そこへ向かうためには、あれと接触しておかねばなるまい――しかしあれがこの国に持ち込まれてよかったよ。南米では探し出すのが大変だ。この国なら、情報を辿れば自ずと居場所もわかってくる」

「わたしも楽しみだわ。久しぶりに、家族にも会える」

「そうだな。そのためにも急ごう。目的地は――矢代市だ」

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