Episode 04 /5

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 初日の演習では、貴昭はそれほど出番がなかった。

 演習の内容は陸上自衛隊の訓練に近いもので、もしヴァルキュライドが使用不可能になった場合どのように戦うか、という演習で、地対空兵器の配置や発射までの手順確認、模擬弾を用いた発射訓練も行われ、貴昭の役目といえば、それを離れたテントの下で見学する、というだけだった。

 ただ、実際に大きな兵器を目にしたり、模擬弾とはいえ発射訓練を見るのは興味深く、それはそれで有意義な時間ではあったのだが、ヴァルキュライドは演習場の隅に寝かせられたまま出番はなかった。

 夕暮れのすこし前、初日の演習が終了し、宿舎に引き上げる。演習に参加している自衛官はみな同じ宿舎に寝泊まりすることになっていて、食堂では迷彩ズボンに白のタンクトップという自衛官たちがずらりと並んで夕食を取っていた。そうなってくると貴昭や乙音、イヴは完全に部外者で、隅のほうで固まってカレーを食べ、部屋に戻る。そして翌日に備えて早い時間に就寝、となれば、観光する時間などまったくなかった。

 翌日は五時半に起床。目覚ましをその時間に設定して鳴らした貴昭は、無意識のうちにそれを止め、二度寝に突入、しかしすぐに乙音とイヴに叩き起こされ、渋々早朝の澄んだ空気に身をさらす。

「別に寝不足でもないでしょ、昨日早く寝たんだから」

「いや、だってさ……なんかこういうときってテンション上がって寝られないじゃん?」

「遠足前の小学生か」

 顔を洗い、歯を磨き、食堂で朝食。イヴは貴昭と乙音が食べているのを飽きもせずじっと見つめている。イヴはいつもそうだった。貴昭はイヴが食事を、水さえ、摂取しているところを見たことがない。しかし痩せていくわけではないし、不健康そうでもないから、いつもイヴがしたいようにしているのだが、演習で合流した自衛官にとってはそれがふしぎらしく、食事中もイヴは多くの人間から視線を受けていた。

「なあ、イヴ、このサラダ食う?」

 と貴昭がサラダの皿を差し出すと、イヴはちいさく首を振る。

「いらない。食べなくてもだいじょうぶだから」

「ふうん、そういうもんかな。おれ、一食抜いたら元気出ないけどな」

「あなたといっしょにしたらイヴがかわいそうでしょ。ねえ、イヴ」

「おいおい失礼だなお嬢さま――イヴもうんうんってうなずくなよっ。だいたいね、きみたち、ここへこられたのはだれのおかげだと思っとるのかね? きみたちはおれについてきただけで、おれがいなかったらこられなかったんだぞ。そのへんちゃんと尊敬の念ってやつをだな」

「ひとりで自衛隊と混ざるのが不安だからきてくれって言ったのはだれだったっけ?」

「おれは昔のことなど振り返らない男なのだ」

「じゃあだれのおかげでここへこられたかなんて昔の話、振り返らなくていいでしょ?」

「う……」

 ぐぬぬ。口ではどうやっても乙音には勝てない。これだから女ってやつは、と貴昭は思う。小学生の頃からそうだったのだ。クラスの女子と言い合いになったとき、勝てたことなんて一度もない。なにしろ彼女たちは「泣く」という最後の手段を持っていて、それを出されたらもう終わりだから、最初から勝ち目のない戦いなのだ。

「イヴ、このお姉ちゃんみたいになっちゃだめだぞ」

 イヴはじっと乙音を見て、言う。

「わたし、乙音、好き」

「わたしも好きよ、イヴ。細かいことにこだわってるどこかのだれかより」

「ぐぬぬ、女はこうして結託するからやっかいなんだ……!」

 朝食はたっぷりとある。食べなければ体力が保たない、というわけだった。貴昭は全部平らげたが、乙音は半分ほど残す。そしてすぐ、午前の演習の時間だった。

 三日間の演習中、二日目の今日は、貴昭も朝から出番がある。というより、今日は貴昭とヴァルキュライドの演習が主で、自衛隊の出番のほうがすくなかった。

 宿舎の前には演習に参加している百人あまりの自衛官が全員迷彩服で整列している。だれひとり姿勢を崩さず、まるで壁のように並んでいる自衛官の前で、迷彩帽だけかぶった貴昭はヴァルキュライドを起動させた。

 仰向けで寝かされているあいだは、ヴァルキュライドはくすんだ白銀をしている。しかしその表面に貴昭が触れた瞬間、そこからまるでイカが擬態するかのように色が変化し、美しい白銀に染め上げられていた。

 ヴァルキュライドが自分の力で起き上がる。自衛官たちは、一見表情は変えていないが、内心ではみな驚きの声を上げていた。参加している自衛官のなかには矢代市でヴァルキュライドの戦闘を見ている人間もいたが、そうでない人間もいて、ヴァルキュライドという巨大ロボットが実際に動くのを目の当たりにすると驚きが堪えきれないらしかった。

 貴昭はヴァルキュライドをゆっくりと歩行させる。まるで犬の散歩みたいで恥ずかしいな、と思いつつ、とりあえずブリーフィング通り、指定の場所まで歩かせたあと、直立させる。隊長の沼田はそれを見て満足げにうなずいた。

 今日は、すでに総理大臣の曽我部は東京に帰っている。昨日貴昭がヴァルキュライドを起動させるのを見たあと、十分もしないうちに黒塗りの車で帰っていったのだ。貴昭はヴァルキュライドの足下で曽我部との会話を思い出す。

「――きみとヴァルキュライドの働きがなければ、この国が受ける被害はいまと比較にならなかったでしょう。きみには何度礼を言っても言いきれません。この国を、ひとびとを守ってくれてありがとう」

「いや、そんな、別に大したことしてるわけじゃないし――」

「ははは、そうですか――しかしこうして動いているのを見ると、いよいよとんでもないものに思えてきますね。いったいこのロボットは、だれがどこで作ったものなのでしょう――きみは、どう思いますか、新嶋くん。このヴァルキュライドというロボットを?」

「どうって言われても……」

「わたしはね、これは奇跡か、それとも必然なのか、まだわからないんですよ」

「奇跡か、必然か?」

「月から謎の飛行物体が地球へ攻めてくる、通常兵器は一切通用しない、そういう状況で、ふつうなら一方的に町やひとびとに被害が出て終わり、です。われわれにはどうしようもない、一種の天災のようなものだ。しかし現実は、そこにこのロボットが現れた。唯一、敵に対抗できる兵器です。いままで歴史には一度も現れたことがなかったロボットが、このタイミングで現れる、果たしてそれは奇跡なのでしょうか? それとも――フーファイターの襲来とヴァルキュライドの登場は、関連があるのでしょうか?」

「それは――」

「なんにしても」と曽我部は笑って、「われわれにはこのロボット、ヴァルキュライドが必要です。ヴァルキュライドを操れるきみも。これからもよろしくお願いします」

 曽我部はひとりの若者に頭を下げ、そう言った。貴昭はそれに恐縮するよりもまず、敵の襲来とヴァルキュライドが起動したことに関係があるのかという疑問が気になっていた。

 たしかに、偶然としてはできすぎている。ヴァルキュライドそのものは何年も前に発見されていたが、敵が攻めてくるまでそれが起動したことは一度もなかったのだ。しかし敵の襲来と同時にヴァルキュライドは起動し、戦闘を開始した。それが偶然ではないとしたら?

 そもそも、敵がどうして矢代市に飛来したのか。

 同じ日本でもまったく別の都市ならこうはならなかっただろう。ヴァルキュライドはその場になかったし、ということは貴昭がヴァルキュライドを起動させることも、おそらくなかった。

 敵はまったく偶然に矢代市へ、ヴァルキュライドが眠っていたその町へやってきたのだろうか。それとも――フーファイターと呼ばれる敵は、そこにヴァルキュライドがあると知っていたのか。

 貴昭はヴァルキュライドを広い演習場の奥へ移動させる。森のなかへ入り込み、宿舎が見えなくなるまで遠ざかったところで無線のスイッチを入れた。

「えー、こちら……えっと」

『V1、だ』と無線から沼田の声。『何度も教えただろう』

「すんません、記憶力がどうも――テイク二ってことで。えー、こちらV1、目標地点に到着。いまから戦闘訓練を開始します。そっちに影響があるかもしれないから、気をつけてください。なんかあったらすぐに止めますんで」

『こちら司令部、了解した』

 ブリーフィングどおりのやり取りを済ませ、貴昭はヴァルキュライドの足をぽんと叩いた。

「頼むぜ、ヴァルキュライド。訓練だから本気でやらなくていい。ただ、ちょっとこの森の蝉と鳥をびびらせるくらいの感じで頼む」

 ヴァルキュライドに言葉が通じているかはわからない。言葉より感覚だろうと貴昭は感じる。自分の身体の感覚が二重になったような気分のときは、自分の意思がヴァルキュライドにもしっかり伝わるという気がする。

 ヴァルキュライドは貴昭の指示を受けた。白銀の装甲の表面が、ほんのかすかに振動する。その、ぶうん、と羽虫が飛ぶような空気の振動が、ある瞬間咆哮のような低い音に変わって森のなかを音速で駆け抜けた。

 ヴァルキュライドからもっとも近い位置にいる貴昭は、その衝撃波を感じない。ヴァルキュライドが発生させている中和空間によってすべての振動は殺されていた。しかし富士の麓に広がる森には振動が駆け巡り、風もないのに木々が大きく揺れ、鳥たちが悲鳴を上げながら空に飛び上がった。

 貴昭にとってはなにも起こらない一瞬だった。しかしその一瞬のあいだに、森からは生き物の気配が消えた。それまで耳に蓋をするように鳴いていた蝉は一匹もいなくなり、鳥たちもすべて逃げ去っていた。

 充分距離がある宿舎の前の広場でさえ、そこに整列していた自衛官全員がきんと耳が痛むような空気の振動を感じていた。高所に登ったときのような、耳の奥がずきんとうずく感覚。これだけ離れ、それもかなり抑えた力で試しただけにも関わらず、こんなにも強い影響が出るとは――その場にいただれもがヴァルキュライドという兵器の破壊力を目の当たりにし、言葉を失う。

「これが、フーファイターを倒す力か――」

 沼田はちいさく呟き、無線機を取り上げる。貴昭は無線がまだ生きていたのを思い出し、腰に下げたそれを取り上げた。

「えー、こちらV1。そっちはどうですか」

『こちら司令部。多少の影響はあったが、問題ない。そちらはどうか』

「V1、飛んで逃げられる生き物は全部森から逃げ出したみたいです。申し訳ないことをしたかも。それ以外は問題なし」

『こちら司令部、では引き続き、予定どおり頼む』

「V1、了解」

 貴昭はヴァルキュライドを見上げ、言った。

「おまえがなんなのか、なんでおれがおまえを操作できるのかはわからないけど、おまえ、悪いやつじゃないと思うんだよな。だって悪いやつなら敵を倒したりしないもんな? おれは、おまえを信じてる――だからもう一働き、頼むわ」

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