Episode 04 /4
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「うおお、富士山すげえ! なあ、樹海ってあっち? うおお、樹海樹海!」
「うるさいなあ……よくそのテンション保つね」
「ばかやろう、ここでテンション上げなくていつ上げるよ? 富士山でけええ!」
車の窓にぺたりと張りつき、間近に迫った富士山の威容を眺める貴昭に、乙音ははあとため息をついた。ここまで二時間とすこしの車移動だったが、元気なものだ。途中まで貴昭と同じように窓に張りついて景色を見ていたイヴは、すこし前に力尽きたらしく、いまは乙音の肩に寄りかかって眠っていた。
「あのね、言っとくけど、これ、遠足じゃないからね。演習なの。そのへんわかってる?」
「わかってるわかってる。えんしゅーね、えんしゅー。あー、樹海のなかとか行きてえなー。方位磁針が狂うってほんとかなー」
これはだめだ、と乙音は首を振る。遠足モードは止まりそうにない。
まあ、乙音にも気分はわからなくもない。
ここ二週間ほど――最初の襲撃があって以来、ずっと地下の研究所で暮らしていたから、遠出どころか近所のコンビニに行くということすらない生活が続いていた。おまけに、そのあいだは常に一種の緊張状態にあった。いつ敵が攻めてきてもおかしくない、いつ出動がかかってもおかしくない、という状況で一日を過ごすのは、体力以上に精神力を消耗する。とくにヴァルキュライドのパイロットである貴昭はそうだろう。だから、こうして演習とはいえ町を離れられるのがうれしい気持ちはわかるのだが。
「っていうか富士山登りてえなあ。ヴァルキュライドで登ったら楽できねえかなあ」
「できるかあ! あんなでかいロボットで登ったら登山道めちゃくちゃになるわよ。っていうかそんな時間ないし。あなたもスケジュール見たでしょ? 三日間、朝から晩まで演習がぎっしりよ」
「う……じゃあ、富士山の地下にあるっていう洞窟探検は? めくるめくアドベンチャーツアーは!?」
「……ちょっと、柏木さん、このアホに言ってやってよ」
車の助手席に座っている美津穂は騒がしい後部座席を振り返って苦笑いする。
「まあでも、演習中にはちょっとした休みもありますから、その時間なら」
「え、富士山登れる?」
「い、いや、さすがにそれだけの時間はないでありますが……」
こんな調子で演習は大丈夫だろうか、と乙音はもう一度ため息をついた。
「あなたね、そもそもヴァルキュライドは自由に起動できるようになったの? 演習まできて動かせませんじゃさすがに格好つかないわよ。今回は自衛隊からもいっぱい参加してるし」
「大丈夫大丈夫、そこは任せろって。たぶん動かせるよ。たぶん。まあ、きっと」
「……不安!」
ほんとに大丈夫か、と乙音は頭を抱えるが、そんな乙音の気など知らず、車は二時間半の旅を終えてようやく演習場の敷地内へ入ろうとしていた。
敷地の入り口にはしっかりとした作りの門がある。貴昭たちが乗っている車はイリジウム社の、つまり民間の車だったから、門衛に許可証を提示し、門を開けてもらった。
門の奥にはすぐ宿舎があり、その奥が演習場になっている。車は宿舎の前に止まり、貴昭は真っ先に飛び降りてなにに感動したのか「うおお!」と雄叫びを上げる。それを無視し、乙音は自分の肩に寄りかかっていたイヴの身体を揺らした。
「イヴ、着いたよ」
「ん……」
イヴはゆっくり目を開け、まだ夢うつつようなぼんやりした顔であたりを見回す。
「……おはよう、乙音」
「おはよ。演習場に着いたよ」
「……ここがえんしゅうじょう?」
這うように車を出たイヴは、真夏の眩しい日差しに目を細めながらうーんと伸びをする。乙音もその後ろから車を降り、降り注ぐ強い日差しと四方八方から聞こえてくる蝉の声、そしてすぐ間近にそびえ立つ富士の巨大な姿に声にならない吐息を漏らした。
「すげえ、空気がうめえ! あーこの空気ボンベに詰めて持って帰りたい。っていうか富士山でけええ!」
「さっきもおんなじこと言ったでしょ。まあでもたしかに、思ったよりいい感じのとこね。自衛隊の演習場っていうから、もっと殺伐とした感じかと思ってたけど」
「なんせ敷地が広いでありますから」と美津穂もうんと背筋を伸ばして、「それにこの三日はわれわれの貸し切り状態でありますし」
「ヴァルキュライドは?」
「今朝早くには到着しているはずであります。たぶん、演習場のほうに運ばれているのだと思いますが」
「見に行ってこよっと」
貴昭はお預けを食らっていた犬のように駆けていく。元気なものだった。まあ楽しそうならなにより、と思いながら、乙音も富士の麓に流れるどこか清廉な空気を肺一杯に吸い込んだ。
日差しは強いが、富士山から吹き下ろす風の影響か、気温はそれほど高くない。昼間でこの気温なら、夜にはなにか羽織るものがあったほうがいいくらいの気温になるのかもしれない。
「柏木さん、宿舎のほう見てきてもいいですか」
「どうぞ、もう部屋の準備もできていると思います」
「イヴ、行こ――日焼け止め塗らないと、焼けちゃいそうね」
*
ヴァルキュライドの運用に関する演習は、ある意味では必須だったが、必ずしもこのタイミングでしなければならないことではなかった。
そもそもヴァルキュライドが有用であることはすでに二度の戦闘で証明されている。その運用方法に関しても司令部では何度も検討を重ねていて、いまのところフーファイターに通常兵器での攻撃が有効ではなかったから、作戦の基本はヴァルキュライド単独による撃墜であり、そのほかの兵器、たとえば地対空ミサイルなどとの連携は現時点ではそれほど有効ではないとされていた。
ただ、ヴァルキュライドを使いこなすための練習は必要だった。そのためには人目のない広い土地がいる。矢代市は、それには向いていない。まず矢代市には建物が残っているし、市の外にはマスコミも大勢いて、万が一ヴァルキュライドがテレビカメラに撮影されようものならまた一騒動起こってしまう。一方この演習場ならマスコミの目は気にしなくてもいいし、広さも充分、建物に気を遣う必要もない。
「まあでも、この演習の主な理由は政治的なもんだよ」
澁谷は昨夜矢代市から運び込まれてきた巨大な荷物を見上げ、言った。
ヴァルキュライドは昨夜遅く、自衛隊が誇る特大トレーラー、戦車さえ運搬できるそれに乗せられ、秘密裏にこの演習場へ到着していた。運搬中にかけていたシートはまだ外されておらず、一見するとそれは長細い巨大な荷物にしか見えない。まさかこのなかに巨大ロボットが入っているとはさすがのマスコミの考えないだろうと澁谷は納得したようにうなずいていた。
一方、となりに立っている沼田の表情はあまり冴えていない。沼田は、この演習を無駄とまではいわなかったが、このタイミングで必要だとも思っていなかった。
いくら監視衛星が二十四時間地球の周囲を見張っているとはいえ、敵襲が絶対にないとはいえない。矢代市からここまでは車で三時間近くはかかる。敵襲があったからといってすぐに戻るわけにはいかないのだ。それだけ遠くまでヴァルキュライドを、フーファイターに対抗できる唯一の兵器を持ち出すことは、防衛上は危険なことだった。
「ある程度仕方ないとは思うが――しかし、なにもここまでくる必要はなかっただろう。ヴァルキュライドが見たいなら矢代市にくればいい。東京からはそのほうが近い」
「クレーンで固定されたヴァルキュライドを見ても仕方ないということだ。向こうも忙しい時間を押してきてる。今日の予定も、これを見てすぐに東京へとんぼ返りだ」
ふむ、と沼田はすこし離れたところに立ってヴァルキュライドを見上げている男に視線を向けた。
スーツを着たその男の顔は、沼田もよく知っている。しかし直接面識を持ったのは今日がはじめてだった。まさか現職の総理大臣と挨拶する日がくるとは、と沼田はどこか皮肉に思い、秘書からなにか説明を受けている男の後ろ姿を眺める。向こうでも沼田の視線に気づき、振り返って近づいてきた。
「資料は見ていましたが、現物を見るとその大きさに驚かされますね」
「われわれもはじめて見たときは驚きました。大きさだけでいえば、自衛隊が持っているどんな兵器よりも大きい。戦車や戦闘機よりも」
総理大臣の曽我部はこくりとうなずく。
「そしてこれが、われわれの最後の希望というわけですね」
「このヴァルキュライドと、それを操る少年こそ、最後の希望です」
澁谷はそう言って、宿舎のほうを振り返った。
「ああ、ちょうどいいところに、もうひとつの最後の希望が到着したらしい」
曽我部も振り返る。宿舎の影から、この演習場には似つかわしくないような若者がこちらへ向かって駆けてきていた。曽我部はちらりと澁谷を見る。澁谷がうなずくと、曽我部もうなずき返し、若者を出迎えるために一歩前に出た。
向こうでも、そこになにやら大人がいることに気づいたらしい。一瞬、引き返そうかためらように立ち止まってから、歩いてくる。その若者は先に顔見知りである沼田と澁谷に気づき、軽く頭を下げたあと、曽我部の顔をじっと見つめて首をかしげた。
「どこかで見たことある顔ですか?」曽我部は笑う。「よく言われるんですよ。なぜでしょうね、なかなかすぐに本人とは認識してもらえないようで」
「は、はあ、どうも……あの?」
「はじめまして、新嶋貴昭くん。私は曽我部です――内閣総理大臣の曽我部と申します」
「ないかくそうりだいじん……総理大臣!? あ、そ、そういえばテレビで演説してるの見たことある! おおおすげえ、ど、どうも、あの、新嶋です、あの、握手してもらっても?」
「ははは、どちらかというといまはきみのほうが重要な人間ですけどね。よろしくお願いします」
曽我部は柔和に言って、それからくるりと踵を返し、牽引車から離されて広場に置かれている巨大な荷物を見た。貴昭もそれに目をやり、言う。
「あれ、まだシートも取ってないのか」
「……あれがヴァルキュライドですね。きみだけが動かせるという」
「は、はあ……なんでおれが動かせるのかはわかんないんですけど」
「いますぐにでも動かせますか?」
「たぶん」
沼田がシートを取り払うように指示を出そうとするが、貴昭はそれを制し、ひとりですたすたと近づいていく。
シートの一部をめくり、貴昭は仰向けで寝かされているヴァルキュライドに触れた。すこし離れた位置に立っている曽我部は、それはヴァルキュライドの様子を見ただけのように感じられたが、シートの下でヴァルキュライドが動き出す。
台がぎしと音を立てた。シートが盛り上がったかと思うと、シートを留めていたワイヤが音を立ててちぎれ飛ぶ。秘書が驚いたような、恐れをなしたような顔で後ずさった。曽我部は目を細める。シートがゆっくりと落ちた。
陽光に、まばゆい白銀の光を放つ巨大なロボットが悠然と立ち上がった。
長く細い手足に短い胴、ちいさな頭。表面は光沢があり、銀でできているようになめらかで、関節にもどこにも継ぎ目がない。しかしその手足は自由に曲がり、しなり、動く。
「――これがヴァルキュライドですか」
立ち上がった巨大ロボットの足下で、少年がすこし自慢げな笑みを浮かべていた。
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