Episode 04 /2

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 陸上自衛隊沼田二等陸佐は、今回の襲撃で戦場となった町の中心地に立ち、改めて被害の大きさを実感した。

 もともとは学校や工場、民家が建ち並んでいた一角は、いまでは白い土が剥き出しになり、人間が生活していた痕跡は根こそぎ失われている。アスファルトや家の基礎さえ衝撃波によって吹き飛ばされ、その周囲数百メートルがクレーターのように深くえぐれていた。

 これがまだ、爆弾かなにかによる傷跡だというなら、いい。許されないことではあっても、現象として理解はできる。しかしこれはまったく未知の方法によって与えられた被害だった。敵がどのような兵器を利用しているのか、あるいは兵器ですらないのか、人間はまだなにも知らない。

 情報が必要だと沼田は改めて思う。

 敵の情報が――そして味方の情報も。

 沼田の後ろから、急角度にえぐれている斜面を滑るようにして航空自衛隊一等空佐の澁谷が近づいていた。

 澁谷は沼田と同じようにクレーターの中心に立ち、あたりを見回して首を振る。

「まるで爆撃地だ。なにもかもが失われた――」

「しかし、われわれは勝った」

「そうだ。われわれ――正確には、彼、というべきだが。その後、新嶋くんの様子は?」

「メディカルチェックでも異常はなかったそうだ。ただ、疲れた様子だったから、事後の報告は後回しにして、いまは休んでもらっている」

「ふむ、そうだな。彼は民間人だ、仕方ない。しかしわれわれはまたもや彼に救われた。正直、こちらで二機目の敵が大気圏に降りたのを確認したときはどうしようもないと腹をくくったよ。連絡しようにも無線はだめになっているし、今回は減速どころか加速しながら移動していたから、時間的猶予もまったくなかった……しかし、それでも彼は勝ったんだ」

「ヴァルキュライド、か――あれは、なんなんだ?」

 沼田は強い日差しに流れる汗も拭かず、言った。澁谷への問いではなく、ほとんど独り言のようなものだったが、澁谷は首を振って答える。

「わからん。ふつうのロボットではない。ああいう形のロボットを作ることさえ現代科学ではむずかしいが、今回の戦闘の記録を見て確信した。あれは、科学水準云々というレベルじゃないんだ。この先何百年経っても人間には作り得ないもの、という気がする。魔法を見ているようだった。それは敵にしても同じだが――まさか自由自在に形状を変えられるとは思いもしなかった。可能性は検討しておくべきだったんだろうが……」

「可能性は無限にある。そのすべてを検討するのは不可能だ。向こうの出方は予想外だったが、彼とヴァルキュライドはそれにも打ち勝った。今回も人的な犠牲者は出ていない。それがすべてだと、おれは思う」

「そうだな、そういうことにしておくか」

 澁谷はうなずいたあと、ふと思い出したように、

「市内で見つかった少女のことだが――」

「ああ、身元はわかったか」

「それが、わからないんだよ」

「わからない?」

 沼田は眉根を寄せる。

「行方不明者というわけでもないだろう。一度は避難して密かに市内へ戻ってきていた子どもじゃないのか?」

「おれもそう思って警察に避難所を回ってもらったんだが、該当する子どもはいないんだ。つまり最近このあたりで行方不明になった子どもはないってことだよ。もしかしたら比較的遠いところからきた家出娘なのかもしれないが――それも含めていま警察には行方不明者、捜索願が出ている人間のリストと照合してもらっている。本人はなにもしゃべらないのか?」

「ああ、おそらくは……自衛隊ではなく、イリジウム社のほうで預かってもらっているんだが」

「そのほうがいいだろう。もし家出娘なら自衛隊や警察に囲まれては言い出せないこともある。まあ、本人が名前だけでも言ってくれれば戸籍とも照合できるから、すぐに身元はわかるだろう。それまでのあいだはイリジウム社に預かってもらうのがいい。本人が希望すれば、だが」

「イリジウム社には私から伝えておく」

「頼むよ。まったく、この一週間ろくに寝てないんだ。そんな暇はない。貧乏くじを引かされたもんだよ」

「その貧乏くじに同期を引き込んだ気持ちはどうだ?」

「悪くないね」

 澁谷は笑い、踵を返した。

「おれは戻る。これからまた政治家の先生方とのやり取りだ。おれは現場と上との板挟み、上はアメリカとおれとの板挟みだよ。で、アメリカは日本と軍部、世論の板挟みだ。立場はちがっても、みんな苦しみは同じってわけさ。そう思ってがんばるしかない。おまえもがんばってくれ。今回の襲撃ですべてが終わったわけじゃない。むしろ、対応すべき状況は増えた。敵は形状や攻撃方法を自在に変化させられる可能性がある。避難の範囲も、戦い方も変わるだろう。もし新嶋くんが目を覚ましたなら話を聞かせてほしいと言っといてくれ」

「了解した、澁谷一佐」

 澁谷は振り返らず手を振り、斜面を登っていった。沼田はしばらくその場で破壊された町並みを眺めていたが、やがて澁谷のあとを追うように踵を返し、その場を立ち去った。



  *



 少女は目を覚ました。

 むくりと起き上がると、そこはだれかのベッドの上だった。

 他人の匂いがする、と少女は思う。かすかに甘い匂い。淡いピンク色のシーツを指先で撫でる。

「目が覚めた? おはよう」

 すこし離れたところに机があった。そこに向かっていたらしい黒髪の女が振り返り、ほほえむ。十六、七歳くらいの女だった。少女は女をじっと見つめ、ここは彼女の部屋だと理解する。ここは彼女のベッドだ。彼女からは同じ匂いがする。こちらを警戒していない、やさしい人間の匂い。

 匂いのなかには多くの生体情報が含まれている。他人の匂いだと感じるのは、匂いそのもののちがいというよりそこに含まれる情報のちがいのせいだった。

「よっぽど疲れてたのね。昨日寝てからぜんぜん起きないから、心配したわ」

 少女はベッドから足を下ろし、ゆっくりと記憶を思い出す。思い出せないかもしれない、と思ったが、記憶は連続していた。

 昨日、少女はこの場所、町の地下にある研究所へやってきた。はじめは自衛隊といっしょにいたが、メディカルチェックのあと、どこにも行く場所がなかった少女を目の前の女、鮫崎乙音と名乗った彼女がここへ連れてきてくれたのだ。

 そのあと――たしか、疲労を感じて眠ったのだった。いまはその翌日、午前三時二十六分。十二時間あまりは眠ったことになる。

「身体の調子はどう? どこか痛む場所とか、気分が悪いとか」

「……だいじょうぶ」

「そう、じゃあなにか食べる? こんな時間だからちゃんとした食事はないけど、インスタントのスープくらいならできるわ」

 少女は首を振った。乙音はそれ以上無理強いはせず、椅子に座ったままうんと伸びをする。

「ねえ、あなた、名前は?」

「……イヴ」

「イヴ? やっぱりハーフかなにかなの? 髪と瞳の色がうすいとは思ったけど」

 少女はまた首を振った。乙音はうなずき、

「ま、なんでもいいわ。帰る場所は?」

「……ない」

「あら、そう……もしかして家出かなんか?」

「…………」

「言えないことがたくさん、ってわけね。わたしもそんなに興味あるわけじゃないから、それでいいよ。それにこういう状況だから、まわりのひとたちもあんまり気にしないだろうし」

 乙音が立ち上がる。部屋を出ていこうとしていた。イヴがその後ろ姿をじっと見ていると、乙音は振り返って、

「水、飲みに行くけど、いっしょに行く?」

 イヴはすこし迷ったあとベッドからぴょんと降りた。

 裸足で乙音のあとをついていこうとして、止められる。

「そこにスリッパがあるでしょ。それ履いてきなさい」

 見るとベッドの下に一揃えのスリッパがあって、大人用のすこし大きなそれを足に突っかけ、部屋を出た。

 部屋のなかは机のスタンドライトだけで照らされていて薄暗かったが、廊下には明るい光が満ちていた。床はリノリウム。スリッパをぱたぱたと鳴らしながら乙音の後ろを追う。

 廊下をすこし進んだ先の扉を入ると、そこが食堂のようだった。奥にカウンターがあり、丸いテーブルがいくつか置かれている。そのうちのひとつに、先客がいた。

「あれ、そっちも起きたの?」

「おう」

 と丸テーブルで片手を上げているのは、乙音と同じ年頃の少年だった。イヴもすでに面識はある。町にいたイヴを助けた張本人。新嶋貴昭。

 貴昭もこの地下施設に戻ってくるとすぐに疲れを訴えて眠ったはずだったが、イヴよりもすこし先に目を覚まし、食堂へ出てきたらしい。貴昭の前にはインスタントのヌードルが置かれ、乙音が水を飲んでいるあいだにその蓋を開ける。

「よ、おはよう」

 と貴昭は割り箸でヌードルをかき混ぜながらイヴに言った。

「よく無事だったよなあ、あの状況で。死んでもおかしくなかったぜ。でもま、生きててよかったよかった――きみも食う?」

「……いらない」

「うまいのに」

 ずるずると食べているのを、イヴはぼんやりと眺めた。乙音は水を一杯飲み終え、ふわあとあくび。

「わたし、寝てくるわ。イヴ、あなたもそうする? その場合、あのベッドでいっしょに寝ることになるけど」

 イヴはもう疲れも感じていなかった。首を振ると、乙音はもう一度あくびをかみ殺し、食堂を出ていく。それで食堂にはイヴと貴昭のふたりきりになり、イヴは扉の近くに立ってぼんやりと貴昭の食事風景を見ていたが、貴昭は見られながらではどうも食べづらいのか、複雑そうな顔でテレビの電源を入れた。

「うーん、この時間だからさすがになんもやってないな――ま、きみも座れば?」

 貴昭とテーブルを挟んだ向かいに腰を下ろす。貴昭はすぐテレビを消し、ヌードルを食べながら言った。

「きみ、イヴっていうの? あの、アダムとイヴの、イヴ?」

「……名前にそれほど意味はないと思うわ」

「ああ、やっぱり? おれもそうなんだよ。前にさ、親に聞いたことがあるんだ。なんでこの名前にしたのかって。そしたらなんか、まあ響きで、みたいな感じだった。そんなもんだよな、名前なんて。でも、イヴか、いい名前だ」

 褒められているらしい、とは思うが、それに対してどう答えていいのかはわからなかった。向こうもなにか反応を期待して言っているわけではないらしく、ずるずると麺をすする。

「腹、減ってないの?」

「……食べなくてもだいじょうぶだから」

「ふうん……なあ、きみさ、なんであの場所にいたの? あのへん、立ち入り禁止だっただろ。それを無理やり入ってこなきゃいけない理由があったってこと?」

「……わからない。自分がどうしてあそこにいたのか、覚えてないから」

「え、それって記憶喪失ってやつ?」

 似たようなものだとイヴはうなずく。

「じゃあ、名前以外に覚えてることは? どこに住んでたとか、親はだれだとか」

「……わからない」

「う、ううむ、そりゃ重症だなあ……。で、でも、心配いらないって。ここには自衛隊もいるし、警察もいるだろうから、探してもらえばすぐにわかるよ。親も、きみのこと探してるだろうし」

「……あなたは?」

「ん?」

「あなたは、どうしてあれを扱えるの」

「あれって――ヴァルキュライドか?」

 名前はちがう。しかしあのときに見たあれは間違いないと思う。イヴがうなずくと、貴昭は箸を置いた。

「きみはあれを知ってるのか」

「……わからないけど、知ってる気がするの」

「じゃあ、この町に攻めてきたやつらのことは? あのとき、きみはまだ目に見える距離まで近づいてないあいつらに気づいた。なんでわかったんだ?」

「説明は、できないけど……なんとなく、わかるから」

「なんとなく、ねえ……まあでも、そういうこともあるか」

 貴昭は食事を再開する。

「おれも、わかんないよ。さっきの話だけどさ。おれがなんでヴァルキュライドを扱えるのかってやつ。なんか、できるんだ。自分がなんでできるのかわからないし、ほかのひとがなんでできないのかもわからない。ただなんとなく、できる。ヴァルキュライドのほうではおれが扱える理由を知ってるのかもしれない。扱ってるっていうより、なんか、いっしょに戦ってるって感じなんだ。ヴァルキュライドのなかにだれかがいて、そいつに頼んで助けてもらってるっていうかさ。たぶん、そいつがおれの声を聞いてくれるんだよ。ほかの人間の声は、そいつには聞こえないのかもしれない。まあ、だったらおれの声だけ聞こえるのはなんでだってことになるんだけど」

「――あれは、番人の機械」

 イヴは自分の口が勝手に動くのを感じていた。

 失われていたと思っていた記憶が蘇る。自動的に記憶が引き出され、それを出力している。

「番人はいつか眠りにつく。しかし死ぬことはない。番人は監視のために蘇る。彼らは戦い、制圧する。番人とは残されしひと。ひとであり、機械でもある」

「ちょ、ちょっと待ってくれ――なんの話をしてるんだよ」

「番人は特定の人間を選ぶ。番人の数はすくない。だから、特定の人間を選び、使う。選ばれた彼らはひとであり機械でもある番人の同化し、特殊な存在となる。生体と機械の融合。知性と獣性の戦い。番人は自らの力を選ばれし人間に与える」

「おい、イヴ……?」

「彼らは――彼らは――」

 記憶が途切れる。失われた記憶。復元不可能な記憶。語るべき記憶を失うという意味。

 世界がぐらりと揺れた。椅子から滑り落ち、床に倒れる。貴昭がそれをすぐに抱き起こした。

「おい、大丈夫か、イヴ!」

 イヴは何度か瞬きをしてうなずき、貴昭の腕から離れて自分で立ち上がる。

 意識ははっきりしていた。同時にまたいくつかの記憶を失ったのだと感じて、涙があふれてくる。

 イヴは声もなく泣いた。悲しいのか悔しいのかはわからなかった。失われた記憶が涙となり、流れ出ているのかもしれない。透明な涙が頬を伝い、落ちる。すぐにまた次の涙があふれてきて、ぽろぽろと鱗が剥がれ落ちるように涙が止めどなく流れた。

 貴昭は戸惑ったような顔をしていた。しかし指先で涙を拭い、イヴの背中を軽く叩く。

「大丈夫、なにも心配ない。大丈夫だよ、きっと」

 その言葉には根拠もなにもないにちがいない。イヴ自身すら、自分がなぜ泣いているのかわからなかった。貴昭にその理由がわかるはずもない。しかし言葉に意味はなくても、声色はわかる。相手をやさしく包み込むような声色。戸惑いは、そこにはなかった。

 イヴは貴昭の肩にすがるようにしてしばらく泣いていた。

 流すべき涙がなくなると、イヴは自分で涙の跡を拭った。

「落ち着いたか?」

「……わからない」

「ま、ゆっくりでいい。いろんなことがあったもんな。おれも正直、今日は疲れたよ――あーあ、でも、もったいねえよな」

「……もったいない?」

「さっき、鮫崎が言ってだろ。同じベッドで寝ることになるけど、って。おまえさ、すぐ断ったじゃん。あーもったいない。実にもったいない。おれなら間違いなく飛びつくね。鮫崎みたいな美人と同じベッドで寝られるなら」

「……そういうものなの?」

「そういうものなの」

「わかった。じゃあ、次は、断らない」

「そうしなさい。そしておれはひとり寂しく寝るわけだ。ううむ、かわいそうなおれ」

 貴昭は深々とため息をついた。

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