Episode 03 /6

  6


 あたりは静かだった。

 この町には、もうだれもいない。

「おれとおまえのふたりきり、だぜ――なんつーか、色気ねえよなあ。こんな状況なのにさ」

 貴昭はクレーンによって地上に運ばれ、いまは工場の広い敷地に寝かされているヴァルキュライドを見ながら呟いた。

 作戦はすでに開始されていた。大気圏に突入、減速しながら自由落下軌道を維持しているフーファイターの状況は無線から聞こえていたが、それを除けば物音ひとつしない。

 半径一・五キロの範囲内に、いまは貴昭とヴァルキュライド以外だれもいなかった。

 自衛隊は作戦どおりに一・五キロ線へ撤退、乙音やほかの研究員もそれに合わせて避難していた。戦場にひとり残されたわけだと貴昭は思い、真夏の強い日差しを受けながらヴァルキュライドの装甲をこんと叩く。

「おーい、そろそろ起きてくれよ。敵、きちゃうぜ。おまえに起きてもらわないと困るんだけど……っていっても、無理だよなあ」

 本当にこんなものが動かせるのか、といまになって改めて思う。しかし動かすしかない。自衛隊の攻撃には期待できない。この町を確実に守ろうと思うなら、このヴァルキュライドを起動させ、敵を倒すしかないのだ。

『目標到着まであと二分。目標、さらに減速』

 貴昭は空を見る。

 今日の空は、雲がない。晴れ渡った青空だった。真夏の青空。焼けつくような太陽の日差し。むせ返る真夏の空気。どこかで鳴いている蝉の声。

 空の彼方に、ちいさな光が見えた。

 なにかが太陽の光を反射している。それが徐々に近づいてくると、白銀に輝く航空機のようなものだとわかってくる。

「き、きた……! やべえ、おい、早く立てよ、きちゃったぞ!」

 ヴァルキュライドの装甲をがんがんと叩く。手のひらは痛かったが、ヴァルキュライドはなんの反応もしなかった。そのあいだに、敵が、フーファイターが矢代市の上空に飛来していた。

「う、お――」

 以前見たときと同じ、白銀の流線型。エンジン音のようなものはなく、するりとそれは矢代市の上空、貴昭の頭上二百メートルほどのところに静止した。

 しんとあたりが静まり返る。

 貴昭はごくりと唾を飲み込み、思わず後ずさった。その手のひらが、ヴァルキュライドの装甲に触れる。

「――っ!」

 手のひらに静電気のようなものが走った。思わず手を引っ込める。ヴァルキュライドの装甲は、貴昭が触れていたそのあたりだけ色が変わっていた。くすんだ色ではなく、多くの光を反射する美しい白銀。どくんと脈打つようにそれがヴァルキュライドの全体に広がる。

 一瞬にしてヴァルキュライドは美しい白銀へと塗り変わった。丸い頭部に光が点る。ヴァルキュライドはなめらかな動きで上体を起こし、立ち上がった。

「よ、よし、起きたか――!」

 貴昭はよろめいた。視界が二重になる。あのときと同じ感覚だった。五感すべてがふたつに分裂し、そのどちらもが微妙に異なる刺激に反応しているような。

 目を閉じる。なるべく自分の感覚を遮断しなければ、無理やり流入してくる感覚を掴みきれない。貴昭は自分の身体を捨て、ヴァルキュライドに乗り移るような気分で身体の感覚を忘れようとした。

 ヴァルキュライドの視界が瞼の裏に浮かんだ。ヴァルキュライドはフーファイターを見上げている。青い空に浮かぶ白銀の姿。フーファイターもこちらを、ヴァルキュライドを見ていると、貴昭は、ヴァルキュライドは感じた。

 フーファイターが振動を発する。きいん、と耳の奥に響くような高音。しかし破壊音波とはちがう。これは――。

「――おれに、話しかけてるのか?」

 意味はわからない。しかし攻撃ではないコミュニケーションの意図を感じる。フーファイターは、ヴァルキュライドになにかを送っている。言葉か。感情か。それとも敵味方の識別信号のようなものか。ヴァルキュライドと感覚を共にしている貴昭には、その意味まではわからない。しかしヴァルキュライドはなにかを感じているようだった。

 ヴァルキュライドのなかに、だれかがいる。

 いや、その「だれか」こそヴァルキュライドなのだ、と貴昭は思う。

 ヴァルキュライドはフーファイターからの言葉を受け取り、理解していた。こいつは理解している、ということは貴昭にもわかっても、内容はわからない。ヴァルキュライドはフーファイターからなにかを受け取り、そして――拒絶した。

 ヴァルキュライドが吠える。低い絶叫だった。貴昭は全身にびりびりと空気の振動を感じ、思わず耳を塞ぐ。ヴァルキュライドの特定の箇所から発せられているというより、ヴァルキュライドの全身が空気をふるわせ、その大音響を発しているようだった。

 フーファイターも高く鳴いた。交渉は決裂したとばかりに、周囲二、三キロに届く凄まじい衝撃波を放つ。空気がたわみ、圧縮され、爆発する。空気の波は周囲の脆くなった建物を吹き飛ばした。まるで爆弾でも落ちたかのような衝撃で、フーファイターの周囲三百メートルほどが一気に更地と化した。その範囲内に立っているのは、ヴァルキュライドと、ヴァルキュライドによって守られた貴昭だけだった。

 貴昭はアスファルトが掘り返され、えぐれた土が露出した爆心地を見る。たった一度の攻撃でこうなったのだ。はるか後方でビルが崩れる轟音。貴昭は避難しているみんなは無事だろうかと考える――そのとき、音を聞いた。

 かすかな音だった。しかし空気の振動を、ヴァルキュライドが感じている。

 だれかがいる。

 すぐ近くだ。一・五キロ後方ではない。爆心地のすぐ外。数百メートルのところに、だれかがいる。

 ヴァルキュライドが低く唸った。

「待て、ヴァルキュライド――だれかいる!」

 反撃しようとしたヴァルキュライドを貴昭が制した。ヴァルキュライドは攻撃動作を途中で停止、ぐるりとあたりを見回すように身体を動かす。

 ヴァルキュライドの視界がその人物を捉えた。

 ひとりの少女が、戦場にいた。



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