Episode 03 /5

  5


 月から飛来する敵飛行体、フーファイター。

 その目的は依然としてわからなかったが、澁谷は、二度目の襲撃があるならその目標地点は矢代市である可能性が高い、とはじめから考えていた。

 なぜなら、一度目の襲撃の際、世界中八カ所の地点で完全に都市を破壊されなかったのは矢代市だけだったし、加えてフーファイターを撃墜できたのも矢代市に飛来した一機だけだったのだ。

 なぞの飛行体に復讐という意識があるかはわからない。しかし矢代市に飛来した一機は目的の半ばで撃墜されたことは間違いない。だとすれば、目的を達するために第二陣が現れてもおかしくない、というのが澁谷の考えで、沼田もできればそうあってほしいと思っていた。なにしろ矢代市はすでに市内全域で住民の避難が完了しているから、ここに飛来したのであれば、すくなくとも民間人への被害は抑えられる。自衛隊もすでに展開しているし、もしこれが北海道や九州、沖縄となれば、駆けつけるのも間に合わない。そうなれば住民への被害も大きくなるだろう。それだけは、避けたい。

「沼田、出たぞ」

 一度目の襲撃から八日後の昼過ぎ、澁谷からの連絡が臨時司令部に飛び込んできた。

「やつらは大気圏内への降下をはじめた。自由落下の機動を取るなら、目標地点はそこ、矢代市の中心部だ。すぐに部隊の展開をはじめてくれ」

「了解した――全員、出動準備。ブリーフィングの時間はない。プランB、すぐに取りかかれ」

「はっ――」

 昼食をすぎ、すこしゆっくりと流れていた時間が急激に早まる。自衛官たちはただちに司令部を飛び出し、地対空兵器などを遠巻きに配置するプランBを実行に移しはじめる。同時に航空自衛隊の精鋭部隊がスクランブル発進をはじめているにちがいない。沼田には、そうした動きはまだ伝わってこない。しかしやるべきことはまだあった。沼田は連絡用の携帯電話を取り、イリジウム社にいるはずの柏木美津穂二尉に連絡を取る。美津穂はすぐに出た。沼田は短く言った。

「数時間以内に矢代市上空にフーファイターが飛来する可能性が高い。例のロボットの準備を急がせてくれ」



  *



 そのときは突然やってきた。

 貴昭は、食堂でひまな研究員といっしょにトランプをしているところだった。

 どうせこの地下生活ではやることもほとんどないし、ヴァルキュライドを動かしてみようにもまったく反応しなかったから、気分転換にトランプで遊ぶか、ということになったのだった。

 大富豪。惜しいところだった。うまくやれば大富豪になれる、というところで、美津穂が食堂に駆け込んできた。

「に、新嶋さ――ふぎゃああっ」

 扉の近くにあった椅子に足を引っかけ、盛大に転ぶ。もしこれが初対面なら心配もしただろうが、いまではもう全員が慣れっこになっていた。美津穂も美津穂で、よく転ぶが、とっさに受け身でも取っているのか、怪我はしないようになっているらしい。

「う、うう、もういやだ、家に帰りたい――って言ってる場合じゃなかった! に、新嶋さん、出動でありますっ!」

 がばっと跳ね起きた美津穂に、貴昭は首をかしげる。

「出動って?」

「て、敵がきたのでありますっ。ただちにヴァルキュライドでの出動、出撃を、お願いいたしますっ」

 一瞬、その場にいた全員が動きを止めた。次の瞬間にはトランプを置いて弾かれたように立ち上がる。

「ヴァルキュライドを地上へ上げる! そのためのワイヤを準備しなくちゃ」

「クレーンだ、地上のクレーンに連絡!」

「え、ええっと、おれはなにをしたらいいんだ? と、とりあえず、変身?」

 真っ赤なボディスーツでもほしいところだ、と思いながら、ともかく貴昭も食堂から駆け出す。足は自然と倉庫に向かっていた。ほかの研究員たちが周囲に出動命令を伝えながら駆けている。それに合わせ、地下施設そのものが騒がしくなる。

 倉庫ではさっそくヴァルキュライドの引き上げ作業が行われようとしていた。

 足場がかけられ、ヴァルキュライドの巨体に人間がよじ登る。両わきに太いワイヤを引っかけ、天井を覆っていた巨大なブルーシートが開かれた。

 白い光が倉庫いっぱいに差し込む。貴昭はヴァルキュライドが陽光に照らされるのを、作業の邪魔にならない隅のほうで眺めていた。あちこちでかけ声が上がる。研究員たちが走り回り、地上からは大きなクレーンの頭が現れた。それでヴァルキュライドを地上へ引き上げるらしい。事前に計画は練られていたようで、すべての作業は順調に進み、三十分も経たないうちに引き上げ作業がはじまった。

 全長二十メートル近いヴァルキュライドが、クレーンと太いワイヤで吊り上げられ、地下倉庫から地上へとゆっくり現れていく。それはまるでヴァルキュライドが地上に産み落とされようとしているようだった。

 ヴァルキュライドが完全に地上へ出るまでには時間がかかる。そのあいだに貴昭は別の通路から地上へ上がり、この作戦で地上部隊を指揮するという沼田という自衛官にはじめて会った。

 沼田は五十がらみの男で、いかにも自衛官らしい広い肩幅と高い上背を持っていた。格好は迷彩服。沼田は貴昭をゆっくり眺めたあと、こくりとうなずいて臨時司令部へ案内した。それには乙音も付き添って、自衛隊の車両で旧市役所へ向かう。

 旧市役所は研究所と同じように騒がしい空気に包まれていた。どちらかといえば、この場所のほうが騒がしく、それでいて統率が取れたふしぎな熱気がある。

「隊長、西部での展開が完了しました」

「わかった――新嶋くん、これを見てくれるか」

 大きな机の上に、矢代市の地図が広げてある。沼田、貴昭、乙音、そして美津穂の四人でそれを囲んだ。

「市の中央がここ。いま私たちがいる場所がここ、きみたちの研究所がここになる。ヴァルキュライドは、市の中心、研究所の真上にある工場に陣取ってもらう。そのあいだ、自衛隊はすこし距離を取って中心を取り囲むように展開する。自衛隊の装備は主に地対空兵器だ。フーファイターに対して有効かどうかはわからない。第一襲撃時、他国でこうした通常兵器をフーファイターに向かって使用したが、効果はなかった。今回も同じ結果に終わるとは限らないが、通常兵器に期待した戦略は取れない。つまり、この作戦はヴァルキュライドの行動如何によって変わってくる。もしヴァルキュライドが前回同様フーファイターを撃墜できれば、それが理想だ。もしヴァルキュライドが撃墜に失敗したときには自衛隊が攻撃を開始する。地上からだけではない。今回は戦闘機による空対空の攻撃も行う。そのタイミングを打ち合わせておく必要があるが――まず、想定される戦闘状況を時系列で説明しよう」

 沼田はいくつもの駒を地図上に置いた。それが陸上自衛隊の地対空部隊だった。

「これが戦闘開始当時の状況だ。中央にヴァルキュライドがあり、それから一・五キロ離れて囲むように自衛隊の部隊が陣取る。そして町の中央にフーファイターが飛来、戦闘が開始される。われわれ自衛隊は、まずは手を出さない。ヴァルキュライドによるフーファイター撃墜を待つ。きみはヴァルキュライドを操作し、この段階からフーファイターの撃墜を試みてほしい。この戦闘は周囲に破壊的な影響をもたらす可能性がある。作戦開始時、町の中心、つまりきみの周囲からは自衛官を含む全員が避難し、きみとヴァルキュライドだけが取り残されることになるが――そもそもヴァルキュライドは、どの程度の遠隔操作が可能なんだ? もし数キロの遠隔操作が可能なら、きみも安全圏から操作したほうがいいのだが」

「それが、まだよくわからなくて」

 貴昭はちらりと乙音を見たあと、自分の口で続けた。

「ヴァルキュライドの起動に成功したのは、最初のあの一回だけなんです。あとは起動もできてない。だから今回も成功するかはわからないし、成功したとしても、たぶん、ある程度は近くにいないと……」

「ふむ――わかった。前回もきみたちはフーファイターから極めて近い位置にいたが、無事だった。おそらくヴァルキュライドがなにかしらの防御になっているんだろう。きみは遠くへ逃げるよりヴァルキュライドの近くにいたほうが安全かもしれない。この時点でヴァルキュライドがフーファイターの撃墜に成功、あるいはその可能性が高いのであれば、そのままヴァルキュライドによる攻撃を継続する。しかしヴァルキュライドの起動に失敗、または攻撃に失敗し、ヴァルキュライド独力でのフーファイター撃墜が困難だと判断した場合、自衛隊から攻撃を開始する。その判断だが、間近で攻撃を見ているきみに判断してもらうことになる。きみがヴァルキュライドでは不可能だと思えば、その時点で無線を入れてくれ。われわれは無線の受信後、十分後に総攻撃を開始する。この十分という時間は、きみが安全圏へ避難するための時間だ。しかしフーファイターの攻撃が続いている状況で避難するのは困難になる。われわれも迎えの車両などを出せればいいが、そうはできない可能性がある。その場合、きみは地下の研究所へ逃げるんだ。地下は前回の襲撃でも被害がすくなかった。もし十分以内に避難が困難だった場合、無線か電話で連絡があれば、攻撃を遅らせることもできる」

 貴昭はうなずいた。これはシリアスな、本当の戦場ともいうべき場所なのだと改めて感じる。ここではだれもが戦うため、生き残るために動いていた。その作戦の要はヴァルキュライド、そして自分なのだと貴昭は拳を握る。

 沼田は地図から顔を上げて、

「きみひとりに責任を負わせるようなことはしない。たとえ作戦が失敗しても、それはきみのせいではない。ヴァルキュライドというロボット以外に有効な手段が見いだせないわれわれの力不足だ」

「大丈夫です――なんとか、がんばってみます。死にたくはないけど、まあ、前も死ななかったし、今回も死なない程度にやります」

「そうしてくれ。危険だと思ったらすぐに避難してくれてかまわない。本来、これは自衛隊の仕事だ」

「ひとつ、質問があるんですけど」

 と声を上げた乙音に沼田は視線を向けてうなずく。

「自衛隊による地対空、あるいは空対空攻撃が失敗した、つまりフーファイターに有効なダメージを与えられなかった場合は、どうなるんですか?」

「ヴァルキュライド、そして自衛隊による攻撃がいずれも敵を撃墜できなかったときは、自衛隊も撤退する。町は破壊されるだろうが、人的被害が出るよりはいい。もちろん、この町だけで攻撃が止むという保証はないが――ヴァルキュライド、自衛隊の攻撃いずれもが効果をなさなかったときには、現時点で取れる手段はなにもない、というほかない」

 破壊されるがままに任せるしかないというわけだ、と貴昭は思う。

 町の大部分はすでに最初の襲撃で破壊されている。それでもまだ、町はある。多くのひとびとが生まれ育ち、たくさんの思い出をはらんだ町は。

 貴昭は、いままでこれといって自分の町を好きだとも嫌いだとも思っていなかった。しかし目の前で一方的に破壊されるのは嫌だと感じる。守れるのは、自分だけだ。貴昭はふと、それは幸運なことなのかもしれないと感じた。

 自分の守りたいものを、自分の手で守れる。他人はそうはいかない。自分の手で守りたくても、ヴァルキュライドと貴昭に任せるしかない。成功するかどうかもわからない作戦に託すしかないのだ。それに比べれば、自分の努力で自分の守りたいものを守れるかもしれないという状況はまだ幸運だろう。

「――やろう」

 貴昭は言った。

「おれ、やります」

 沼田は一度だけ強くうなずいた。

「自衛隊がバックアップする。月からきたという敵を、もう一度倒そう」

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