Episode 03 /4
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前回の襲撃同様、その予兆は早くから掴んでいた。
月付近から再び複数の戦闘機が発進、地球を目指している――それはNASAの監視衛星を使って観測され、アメリカ政府を通ってから日本政府へと届いた情報だった。NASAが実際に発見してから半日以上経ってからの情報で、澁谷はしかしそれでもありがたいと思わなければならないと苛立ちは覚えなかった。
日本には観測に適した衛星はない。情報をもらうなら確実な筋から、確実にもらわなければならない。その点で日本はアメリカの情報を頼らざるを得なかったし、それはつまり日本の情報もアメリカに受け渡さなければならないということだった。
「アメリカが日本の情報をほしがっているのか」
自衛隊の臨時司令部となっている矢代市の市役所で、沼田は澁谷をちらりと見た。澁谷はお手上げだというように首をすくめる。
「隠すわけにはいかない。前回の件――ヴァルキュライドなるロボットがフーファイター一機を落とした時点で、日本は世界よりも先んじて対抗手段を手に入れたんだ。その情報をほしがるのは当然のことだ。国連の臨時会合でもそれが焦点になる。日本としても、情報があるなら共有したってかまわないんだよ。ただ問題は、共有すべき情報をわれわれも持っていない、ということだ。アメリカや国連は、ヴァルキュライドによるフーファイター撃墜は日本政府、あるいは自衛隊主導で行われたものだと信じているらしい。ヴァルキュライドは日本が秘密裏に配備していた戦闘機械だ、というわけだ。実際は、ちがう。われわれもあのロボットについてはほとんどなにも知らない」
「しかしそれは通じない、か」
「知らない、というのは、隠しているのと同じだ。本当に知らないことを証明するのは不可能だよ」
「ならば、どうなる?」
「日本は国際社会のなかで厳しい立場に追いやられる可能性がある。逆の立場に立てばわかるだろう。たとえば、アメリカだけが敵の撃墜に成功し、しかも敵を撃墜した兵器やその方法についてはなにも知らないと言い出したら、日本だってそりゃ文句を言う。ま、同盟国ならまだいいさ」
「ふむ……複雑な状況だな」
「まあ、そのへんは政治家の先生に任せるしかない」
澁谷は窓から無人になった町を眺めていたが、ふと視線を室内に戻す。
元は市民課として使われていたフロアが、いまは自衛隊の前線基地になっていた。
机の多くは撤去され、代わりにホワイトボードと無線機が運び込まれている。机は中央に大きなものがひとつ。引き延ばされた矢代市の地図がそこには置かれ、規制線にあたる場所には赤いラインが引かれ、とくに被害が甚大な地域はうすい黄色で色づけされていた。
「おれたちは、いわば軍人だ。政治家も、お互いに相手の分野まで口を出すのはよくない。現場はおれたちに任せてもらう代わり、政治は先生方に任せよう」
「そうだな。それがわかりやすい」
「ところで、それは?」
澁谷は机の隅に置かれている弁当箱を見る。ああ、と沼田はすこし照れたように笑って、
「愛妻弁当というやつだ」
「ははあ、なるほどねえ。息子は何歳だったか」
「六歳。小学生になった」
「月日の流れは速いもんだ。おれも結婚すりゃよかったよ。子どもの成長で月日の流れを感じるのと、自分の老け方で感じるのとではえらいちがいだ」
「結婚すればよかったんだ。いただろう、防衛大時代に。一度会ったことがある。いい子だった」
「いい子、ね。たしかにそうだったよ。だから、やめたんだ。なんとなくおれには合わない気がしてさ。対等な相手というより、庇護しなければならない対象のような気がしてた。それはまあ、男ならそんなもんかとも思ってたが、いま考えてもあれは恋愛とはすこしちがったよ。あの子も、おれを愛していたというよりはおれに頼っていたんだろう。父親代わりだ。おれは娘をかわいがるようにあの子に接していたんだな」
「ふむ――まあ、人生はいろいろだ。結婚して子どもがいる、それを至上の幸福だと思う人間もいれば、ひとりで自由気ままに生きて死ぬのが幸福だという人間もいる。おれは、どちらも理解できるよ」
「そういうおまえだから、いまになっても愛妻弁当を食えるんだ。おれはそのどちらも幸福ではないと思っていた。幸福というのは、自分の使命に生きて死ぬことだと――本気で思っていたんだが」
「いまではちがう、か? おれから見れば、おまえはあの頃から変わっていない。いまでもそうやって生きているように見えるよ」
そうかもしれないと澁谷はうなずく。月日は流れても、人間は変わらない。かと思うとほんの一瞬、たったひとつの出会いで変わることもある。
澁谷から見れば、沼田のほうこそ変わっていなかった。防衛大の時代から沼田はこうだった。実直で、現実的だ。すべてを冷静に見ている。想像を差し挟む余地がない。だからこそすべてを現実の問題と捉え、処理できる。それは自衛官には必要な能力だ。
一方自分は、と澁谷は考える、現実的とはいえない、想像や、形には見えない思想のようなものを重視しがちな人間だ。使命、などという曖昧なもののために生きて死ぬのだと言っていたこと自体、その証明でもある。
沼田はそんな生き方は考えたこともないだろうと澁谷は思った。しかし、それなら。
「ひとつ、聞いていいか。沼田、おまえはなんで自衛官になろうと思った?」
「おまえとは比べものにならない、ちいさな理由だよ」
「いいんだ、教えてくれ」
「学校の先生に言われたんだ。こういう道もある、と。で、まあ、それならそっちへ行ってみるか、と思っただけだよ。日本を守るとか、国民の平和がどうとか、そんな高尚なことは考えなかった」
「ふむ――おまえらしいよ。でも、それは正しかった。おまえの能力はこの組織でも役に立つ。ま、どこかの民間企業に行ってもえらくなっただろうがな」
「おまえは? 自衛官になった理由は、使命感か」
「いや……どうだったかな。簡単にいえば使命感ってことになるんだろうが、もっとわかりやすく言えば、負けたくなかったんだ」
「負ける?」
「だれか、見たこともない他人に――自分自身にも、負けたくなかった。勝つためにはどうすればいいかと考えて、それで自衛官になったんだよ。自衛官は、有事の際には率先して身を挺する。そういう生き方、死に方ならだれにも負けないだろうと思ったんだ。なにが幸福か、ということだよ。おれはおまえが言うように、平和に結婚して子どもを作って暮らすことも、なんの責任もなく自由にふらふら生きることも、金持ちになることも、幸福とは思えなかった。どんな生き方をしたところで死ねば同じだ。家族に看取られようがひとりで死のうが死そのものが変わるわけじゃない。ましてやあくせく稼いだ金をあの世まで持っていけるわけでもない。そういう生き方はどれも、生きているうちにしか通用しない生き方だと思ったんだ。でも他人のために生き、死ぬのは――」
「死んだあとでも通用する、か。たしかにそうかもしれないな。人間はだれでも同じように生まれて、同じように死ぬ。その途中に通る道は無数にあっても、結局は同じところに行き着くといえないこともない。おまえはその先を見たかったのか」
「ああ、たぶん、そうだ」
「それで、結果は?」
「おれはまだ死んじゃいないぜ。死んだあとのことは、死んだあとのおれに任せるよ」
沼田はちいさく笑った。澁谷も笑う。それからふたりは仕事の考えに切り替える。
「敵の襲来はいつだ?」
「前回と同じペースなら、明後日になる」
「場所は」
「まだわからない。軌道上に停止したあと、大気圏に落ちはじめてから、ようやくわかる。目的の場所に到着するまではほんの数時間だ。それでも長いほうだが――やつらはどういう原理か、減速しながら大気圏内を移動している。月から地球へくるときに使う航行方法と、大気圏内を移動する方法はまったくちがうのかもしれない」
「まずは住民の避難だな」
「それからが問題だ。避難が完了したら、どうするか。町くらいなら破壊されても仕方ないと思うか。それとも――戦うか」
「それを決めるのは、あなただ、澁谷一佐」
「もちろん、戦う。ヴァルキュライドを投入する。本当に動くかどうかはわからないが、どのみちそれ以外に対抗手段はない。しかし同時にイーグルを飛ばす。空自と陸自の合同だ。陸自からは近SAMも配備する。これらの攻撃が有効かどうかは確証がない。だから、まずはヴァルキュライドを投入し、それがなんらかの理由で失敗したとき、通常兵器での攻撃を開始する」
「了解した。指揮官はおまえか?」
「そうなる。これでも空自出身だ。陸自のほうはおまえに任せる。全体の指揮官はおれだが、実際の陸自運用はおまえだ。空自の協力が必要なときは言ってくれ、すぐに動かす」
「わかった――とはいえ、演習の時間もない、ぶっつけ本番だな」
「そのために日頃から訓練ばかりしてきたわけだ。なかには燃えてるやつもいるんじゃないか。ようやく対象に向かって実弾が撃てると」
「否定はしないよ。同時に恐れている人間もいるだろう」
「それも否定はしない……なんにせよ、やるしかないんだ。やらなければ、やられる。相手は生ぬるくない」
沼田はすこし黙ったあと、ふんと笑った。
「防衛大の頃は、まさかおまえとこんな話をする日がくるとは思っていなかった。おれは、日本はすくなくともおれが退役して死ぬまでは実戦など経験しないと思っていたよ。たかをくくっていたと言ってもいい。しかしこんな形で実戦を経験するとはな。おまえとこうして話しているのが机上の空論でないのが信じられないよ」
「おれも同じだ。戦争なんてな。自衛隊にいても、なお他人事だと思ってた。周辺国との関係がきな臭くなっても、それでも日本という国に根付いた戦争恐怖症は変わらないと思っていたが――宇宙人と戦争になるとはな。それも、おれが現役のあいだに」
信じられなくてもやるしかない。それが戦争というものかもしれない、と澁谷は感じた。気づいたときには、もう回避の手段はなくなっている。そして絶望的な勝利に向けて戦うわけだ。ときには大量の犠牲者を飲み込んででも。
澁谷は覚悟を決めた。
これは戦争だ。負ければすべてを失う。降伏などない。どちらかが息絶えるまで、続くのだ。生き残るためには勝つしかない。人類が勝利するというたったひとつの可能性しか、人類が生き延びる希望はないのだから。
*
再びあいつらが攻めてくる。
今度は、負けるかもしれない。
負けるということは死ぬということなのだと、ひとりでベッドに寝転がっていた貴昭は不意に気づいた。その瞬間、全身がぞくりとふるえる。死ぬ。そんなことを意識したのは人生ではじめてだった。大けが、ではない。死ぬのだ、負ければ。
死ぬとはどういうことなのか、よくわからなかった。恐怖は感じる。死にたくないとも思う。ただそれは、死を知っているからそう思うのではなく、知らないからこそ感じるものだった。
いままで自分は死にかけたこともない。大けがはあったが、本当に死ぬと感じるほどではなかった。だからなのか、これから生死に関わる出来事に直面するのだと思うだけで寒気がする。
貴昭はベッドの上で何度も寝返りを打ったが、眠れそうにはなかった。
今朝、美津穂から「いつ出動命令が出てもおかしくない」と言われてから、もう半日以上が過ぎていた。
いまのところ出動命令はない。ヴァルキュライドは倉庫に置かれたままだし、それを唯一動かした貴昭は部屋のベッドに寝転がっていた。しかし次の瞬間にも美津穂に連絡が入り、叩き起こされるとも限らない――そうなったら、ヴァルキュライドとともに現場へ向かい、戦うことになる。
巨大ロボットを操縦してなぞの敵と戦うなんて、子どもの頃に見た夢そのままじゃないか、と貴昭は思う。そう考えて自分を奮い立たせようとしたが、うまくいかなかった。
逃げるわけにはいかない。全員が自分に期待をかけている。あの飛行物体に対抗できるのはヴァルキュライドだけで、ヴァルキュライドを動かせるのはいまのところ自分ひとりだけだ。逃げ出せば、あとはない。
貴昭はベッドから起き上がり、部屋を出た。
研究所内の照明は夜中であろうと昼間であろうとつけっぱなしになっている。明るい廊下を歩き、食堂に入ると、さすがにこの時間はだれもいなかったし、食堂担当の職員もいなかった。
カウンターの隅のほうに水のサーバーがあって、紙コップに水を注ぎ、飲む。生ぬるい水が喉を下っていくのがわかる。一杯分をすぐに飲み干し、もう一度注いでいる途中、後ろから話しかけられた。
「眠れないの?」
「――鮫崎」
乙音は白のゆったりしたワンピース状の寝間着で、そこに長い黒髪をふわりと垂らしていた。寝起きという顔でもなく、空いている椅子に腰を下ろす。貴昭は新しく注いだ一杯をじっと見つめたあと、乙音に向かってにっと笑う。
「ちょっと、テンション上がって寝付けなくてさ。だって巨大ロボットで戦うんだぜ? おれ、アニメの主人公みたいじゃん。すげえよな――ほんとにヴァルキュライドを動かせれば、だけど」
「たしかに、まだ起動に成功したのは一度だけだもんね。あれは偶然だったのかもしれないし。でもいまのところ、ほかのひとでは一度も成功してないんだから、あなたに頼るしかない――ま、あなたがその期待に応える義務は、どこにもないわけだけどね」
「期待に応える義務?」
「まわりは勝手にあなたに期待する。でもあなたはあなたなんだから、やりたくないならそれでもいいと思うよ、わたしは。だれだってこんなの嫌だろうし。やったこともないのに、命がけで戦え、なんて突然言われても困るよね。それが嫌で逃げたとしても、だれもあなたを責める権利なんかない」
「……うそだ。おれが逃げたら、怒るだろ?」
「怒るひともいるかもね。柏木さんとか」
「う……あのひとは、どうだろうなあ」
「まあでも、逃げるならそれでもいいと思うよ、ほんとに。あなたに期待するひとたちは、みんなあなたほど重たいものは背負ってない。背負えるものなら背負いたいと思ってるひともいるかもしれないけど、それは無理なんだからしょうがないし。あなたの気持ちはあなたにしかわからない。あなたがもし逃げたいと思ったなら、あなたにとってはそれが正解なのよ。なんなら逃げる手伝い、してあげるけど。車の手配とか」
「いや……正直、怖いなって思ってたんだけどさ」
今度は素直に、貴昭は笑った。
「なんかそう言われると、いよいよ逃げ出すわけにはいかなくなったな」
「……そういうつもりじゃ、なかったんだけど」
「別に嫌みじゃねえよ。ま、おれができることがあるなら、するよ。ヴァルキュライドを動かしてみる。できるかどうかはわかんないし、動かせたところで町を守ったりできるとは限らないけど、でもまあ、こんなチャンス、二度とないだろうし――それにほら、いいとこ見せたら女の子にきゃーきゃー言われそうじゃん? そのうちサインとか求められちゃったりなんかして。いまのうちに考えとかなきゃな、サイン」
「間違って連帯保証人の書類にサインしなきゃいいけど」
乙音は立ち上がり、水も飲まず、食堂を出ていく。
「じゃ、おやすみ」
「ああ……おやすみ」
食堂の扉がぱたんと閉じた。貴昭は紙コップの水を飲み干し、空になったコップを握りつぶしてゴミ箱に捨てたあと、自分の部屋へ戻った。
覚悟は決まった。
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