Episode 03 /2

  2


 年齢、二十代後半。

 身長、一六〇センチに数センチ足りないくらい。

 見た目、黒髪のショートカット。ショートボブ、というのか、肩よりも高い位置で髪を揃え、右耳にだけきゅっと髪を引っかけている。

 どちらかというと童顔で、親しみやすいお姉さん、という雰囲気だった。

 しかし格好は堅く、白いブラウスと黒のスカート。表情も、きっと就活の面接でもこれほど緊張しないだろうというくらいこわばっている。貴昭は柏木美津穂をぼんやり眺めつつトーストを平らげ、目が合い、ふたり揃って慌てて目を逸らす。机の下では乙音の足を蹴られた。

「にやにやしない」

「し、してない!」

「してた」

「してないって――あの、えっと、柏木さん? なんであの、自衛隊のひとがここに?」

「え、ま、まだご存じありませんか?」と美津穂は乙音を見て、「鮫崎さんから聞いていらっしゃるかと――」

「今朝言おうと思ったの」と乙音。「でも今朝へんなやつが着替え中に乱入してきて忘れてたわ」

「う、あれは部屋を間違えただけでだな……で、自衛隊のひとがここにいるのはなんで?」

「イリジウム社は自衛隊と全面的に協力することになったの。でないといろいろ面倒でしょ。向こうもヴァルキュライドには興味あるだろうし、こっちは情報がほしいし」

「全面協力……それって、ヴァルキュライドの研究に関してってこと?」

「それもあるけれど、それよりももっと具体的な理由かな」

 美津穂はちらりと後ろを振り返った。

 食堂の隅には大きなテレビが置かれている。テレビでは今日も三日前の惨劇についての話題で持ちきりだった。いまも朝のワイドショーでその話題をやっていて、破壊された矢代市を上空から撮影した映像が流れている。

 美津穂は壊れた町を見て、わずかに眉をひそめた。それから正面に向き直り、

「あのロボット――ヴァルキュライドは、敵飛行体であるフーファイターに対して現時点で唯一有効な攻撃手段であります。その運用に関して、民間企業であるイリジウム社だけでは対処しきれないだろうと、自衛隊が全面協力することになったのであります」

「な、なるほど……」

 貴昭はそっと乙音に近づいて、

「あのさ、あのひと、堅くない?」

「緊張してるんじゃないの? それか、ああいう性格なのか」

「う、どっちにしても若干気の毒だな……」

 こそこそと話すふたりに、美津穂ははっとしたように目を見開いて、

「わ、私なにか失態をしましたでしょうか?」

「え、いや、別に……その、ちょっといまテンションについていけてないですけど、がんばってついていきます」

「は、はあ、よろしくお願いいたします」

「ど、どうも、ご丁寧に……」

 沈黙。

 貴昭は再び乙音に耳打ちする。

「おれ、このひと、苦手かもしれない。なんかまじめすぎてどう接していいのかわかんないんだけど」

「まあそのうち慣れるんじゃないの。とりあえず、今日からこのひと、ここで生活することになるらしいから――柏木さんも気をつけてくださいね。ここ、たまに覗きが出るんで」

「の、覗きでありますか? そ、そんな不届き者は私が退治しますからご安心を!」

 美津穂はぐっと拳を握り、立ち上がろうとして、机の脚に足を引っかけて転んだ。ふぎゃ、と赤ん坊が泣くような声。貴昭と乙音はどうしていいのかわからず、沈黙。美津穂はばっと起き上がり、何事もなかったかのように椅子に座り直した。

「……あの、大丈夫ですか?」

「へ、平気であります。私、自衛官なので!」

「顔、赤いですけど」

「あ、青森出身なのでリンゴのように赤いのであります!」

「な、なるほど……」

 そんなわけあるかい、とつっこんでいいのかすらわからない。やっぱり苦手だ、と貴昭は乙音を見たが、乙音は優雅に紅茶など飲んでいて、我関せずという雰囲気をぷんぷんと放っていた。仕方なく美津穂に向き直る。目が合うと、上官の命令でも待つように美津穂はぴしっと背筋を正した。

「ええと……まあ、あの、よろしくお願いします」

「はっ、よろしくお願いいたします!」

 美津穂はびしと敬礼した。ただ貴昭は敬礼するときに手を机にぶつけたのを見てしまっていて、本人も見られたことはわかったのか、みるみる耳が赤くなっていく。

 テレビの悲壮な声だけが、食堂に流れていた。



  *



 もうだめだ。

 死にたい。

 与えられた部屋に戻った柏木美津穂はベッドに倒れ込んで悶絶する。

「あああ絶対へんなやつだって思われた! 自衛隊のくせにへんだしドジだし無能だって思われたに決まってる!」

 あの目! 年下の少年の、こいつ大丈夫なのか、というようなあの目! 思い出すだけでも心臓が痛い。

 今日はいつも以上に気合いが入っていたのだ。自衛隊に入って以来、はじめて与えられた重要で責任ある任務だった。

 この町の避難誘導に携わっていた美津穂は、翌日上官である沼田二佐に呼び出され、直接こう告げられたのだ。

「きみには特別な任務が与えられる。柏木二尉」

「と、特別な任務でありますか」

「自衛隊はイリジウム社と協力体制を取ることになった。それに合わせ、自衛隊から数人がイリジウム社と合流する。技術者の三人は、言うなればイリジウム社の研究を補佐し、その情報を自衛隊へ持ち帰る役目だ。そしてきみは、自衛隊とイリジウム社をつなぐパイプ役としてイリジウム社へ入ってもらう。もちろん身分は自衛隊のままで、社内でも偽る必要はない。しかしなるべくイリジウム社の人間と親交を深め、社内の状況を把握できるように努めてくれ。きみは自衛隊とイリジウム社の玄関口になる。大変だが、重大な任務だ」

「はっ――そ、それを私が担うのですか。あ、あの、自分で言うのもなんですが、わ、私、その、ちょっとドジというか、あの」

「きみに期待している、ということだ」

 沼田二佐が言ったのはそれだけだった。美津穂はその期待に応えなければならないと感じ、その場で任務を引き受けた。

 その後、直接面識はなかったが、今回の出来事の指揮を執っているという澁谷二佐にも会い、澁谷二佐からも同様の任務を依頼されたほか、沼田二佐とはすこし異なる言葉で説明を受けた。

「きみの役目は、要するに溶け込むことだ」

「溶け込む、でありますか」

「イリジウム社の窓口になっているのは、百戦錬磨の社長でも伝説的な会長でもない。その娘だ。まだ若い、高校生の少女が例のロボットについて指揮を執っている。昨夜ロボットが動き、飛行体を撃墜した現場にいたと思われる少年もまたイリジウム社にいる。本来なら私のような人間が玄関口になるべきだが、今回はきみのように彼らと年齢が近く、必要以上に警戒心を抱かれない人物が適任なんだ。きみには期待している」

 上官ふたりからそう言われ、張り切らないわけにはいかなかった。

 美津穂は張り切ってイリジウム社、その拠点である矢代市の地下にある研究所へやってきた。この任務は決して失敗できない、と心に深く念じていたから、今回こそ普段のドジは顔を出さないはずだ、そうだろう、そうあってほしい、と思っていたのだが、だめだった。

「うう……死にたい。土に埋まりたい。もう一生光を浴びたくない……」

 枕に顔を押し当てても数々の失敗が思い出される。ああなぜあそこで転けたのだ? なぜあそこで手を机にぶつけたのだ。冷静にいれば絶対に起こり得ないことのはずなのに。

 だいたい、昔からそうだった。

 絶対に失敗できない、というときに限って失敗するのだ。柏木美津穂という人間は。

 記憶に残っているかぎりで最初の失敗は小学校低学年の運動会だった。美津穂は、運動神経は悪くなかった。だからリレーでアンカーを任されたのだ。バトンが回ってきたとき、美津穂のクラスにはいちばんだった。このまま逃げきれば優勝だ、逃げきらなければならない、逃げきるのだ、と思いバトンを受けた。受けたつもりだったが、その手はバトンをすり抜けて宙を掴んでいた。

 痛恨のバトンミス。慌てて拾い上げ、走り出し、転け、そのあいだに後続に抜かれた。

 クラスメイトは慰めてくれた。クラスメイトに申し訳ないというより、自分が情けなかった。なぜ、なぜ冷静にバトンを受けなかったのか。いや、バトンを落としてしまったとしても、冷静に拾い上げて走り出せば抜かれずに済んだのに――。

 中学でもそうだった。

 美津穂は吹奏楽部だった。担当していたのはトランペット。地がまじめな美津穂は、文字どおり唇に血がにじむような練習をやり遂げ、県の大会に臨んだ。その曲は、トランペットの一音からはじまる構成になっていて、その一音は決して外せない音だった。決して外せない、絶対に決めるんだ、練習ではできていたんだから、本番でも絶対に成功させなければならない。美津穂はトランペットを吹いた。ぴいい、という小鳥が鳴くような音がホールに響き渡った。力んだ結果の失敗だった。

 部員は慰めてくれたし、結局全国大会にはいけたのだが、それにしてもなんと情けない体たらくかと自分が嫌になった。

 それから、それから――ここぞというとき、絶対に失敗できないぞ、というときに限って失敗した経験は枚挙にいとまがない。

 今日もそうだ。

 鮫崎乙音とは一度挨拶していたが、くだんの少年、新嶋貴昭とは初対面だった。

 人間の印象のほとんどは出会った瞬間に決まる。らしい。だから初対面のその一回がなによりも大事だ。なによりも大事だということはつまり、失敗するフラグだということでもあり、そのとおりの展開になった。

 美津穂はため息をつき、ごろんと寝返りを打つ。

 まあ、過ぎてしまったことは仕方がない。ドジなやつだと思われても、本当のことだし、受け入れるしかない。問題はこの先うまくやっていけるかどうか、だ。

 イリジウム社はほとんど自分たちだけでヴァルキュライドの運用を行うつもりらしい。しかし現実問題、そうはいかない。イリジウム社はたしかにヴァルキュライドを所有しているが、持っているものといえばそれだけだ。自衛隊にはヴァルキュライドがない代わり、それ以外のあらゆるものを持っている。輸送用のトラック、ヘリ、情報収集のための国際的な協力関係。そうしたものを一括して運用しなければ、正しい運用はできない。

 とくに情報は必要だろう。いつ、どこにフーファイターが現れるかはわからない。現れたその場所に一刻も早く向かわなければ致命的な被害が出る。

 まあ、それもフーファイターが再び攻めてくるとしたら、という前提ではある。

 三日前の襲撃が最初で最後の襲撃だった可能性もある。もちろん、そうではない可能性も。フーファイターは人類にとってまったく未知なものだ。推測というのはある程度の共通認識があるからこそ可能なのであり、まったく未知なものに対してはどんな推測も成り立たない。

 フーファイターは、もう一度、あるいは複数回、攻めてくる。

 美津穂はそう予感していた。

 なぜなら、フーファイターはおそらくまだなんの目的も達していないからだ。

 フーファイターがなにを目的として地球の都市を破壊したのかはわからない。もしかしたら都市の破壊そのものが目的だったのかもしれない。だとすればほかの都市も狙われる可能性はあるし、人間の殺戮が目的でも同じだろう。ほかのなにかが目的だったとしても、いまのところ、フーファイターが破壊した都市に対してなにか特殊な行動を取ったとは考えられていない。

 ――そもそも、フーファイターはなぜいま、地球へ攻めてきたのだろう。

 美津穂は電話が鳴っていることに気づいた。プライベートの携帯ではない。仕事用の、黒い支給品。一コールの途中で、出る。

「はい、こちら柏木であります」

『澁谷だ。仕事はどうだ?』

「う。あ、あの、なんと言いますか」

『順調、ということだな』

「う……」

『必要以上に気負うな。気楽にやってくれ。沼田がきみを推薦したんだ。あいつの判断力はたしかだ。きみにはこの任務を成し遂げるだけの能力がある。いや、あまり言うとプレッシャーか。ともかく、こちらで新しい情報が出た。きみのパソコンへ送ってある。機密性は高くないが、外部にはまだ発表していない。イリジウム社に伝えてもかまわないが、伝えるタイミングはきみが見計らってくれていい』

「了解であります。あの、澁谷二佐」

『一佐だ』

「あ、しょ、昇進おめでとうございますっ」

『肩書きだけだよ。指揮系統上、二佐では面倒だということで上げてもらっただけだ。ま、給料が上がるなら悪くないが』

 澁谷の言葉はどこまでが冗談なのかよくわからない。だいたい、美津穂はいまいち冗談とそうでないシリアスなものが区別できなかった。皮肉、というのもよくわからない。だから、冗談だと思って失礼な態度を取るよりはマシだと、他人の言葉はだいたいシリアスだと受け取ることにしていた。

『それで、なにか質問が?』

「あ、はい、あの、新しい情報というのは」

『確認すればわかるが、敵飛行体についてだ。今後は自衛隊もフーファイターと呼称することになる。まあ、劇的な進展というわけではない。影も形もわからなかったものが、影の輪郭くらいはぼんやりとわかってきた、というだけだ。ところでイリジウム社ではなにか動きはあったか』

「いえ、とくには。研究員たちはみな夜を徹してあのロボット、ヴァルキュライドに関する研究をしているようであります。今朝は装甲の一部を削り取って顕微鏡にかけようとしたようですが、装甲はどんな方法でも傷ひとつつけられなかったそうです」

『ふむ――例の少年は?』

「新嶋貴昭でありますか。彼もヴァルキュライドを起動させようと何度か試したようですが、成功はしていません。どうやら意のままに操れるわけではないようであります」

『わかった。引き続き頼むよ。では』

「はっ、失礼いたします」

 電話を切り、ふうと息をつく。それから自然と耳を澄ませた。大丈夫、部屋の外にひとの気配はない。

 これではまるでスパイのようなものだと美津穂は思う。こそこそと情報をかぎ回り、上に伝える――まあ、実際はこそこそとかぎ回っているというより、堂々と職員の立ち話を聞いたり、施設内を見て回っているのだが。

 美津穂は鞄のなかからパソコンを取り出し、それと携帯電話を接続する。回線から情報を取り出したあとは、ネット上の情報は自動的に削除された。美津穂はダウンロードした報告書を眺めながら、いつ伝えるのがもっとも有効だろうと考える。

 だいたい、自分にはスパイなど向かないのだ。駆け引きも苦手で、だったら、できることはひとつしかない。美津穂はパソコンを閉じ、立ち上がった。

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