Episode 03 /1

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 目覚まし時計が鳴っていた。

 新嶋貴昭は半分寝たままそれを止めようと手を伸ばす。おかしい。いつも時計を置いているはずの場所になにもない。小学生のときに親から買ってもらった目覚まし時計。何度も空振りしているうち、はっと思い出した。

「……そういや、ここ、うちじゃないんだった」

 むくりと起きる。白いベッドだった。シングルのベッドで、ベッドというより手術台のような雰囲気だったが、目覚まし代わりのスマートフォンは枕の下でアラームを鳴らしていた。

 アラームを止め、あくび。寝癖がついた頭をかき、あたりを見回す。

 寝室、というにはあまりに殺風景な場所だった。床はリノリウムで、壁は白。壁際にはステンレスの扉つき棚が置かれていて、そこには用途がわからない怪しげな薬品が並んでいた。

 まあ、ここはホテルではないのだし、これくらいはしょうがないかと貴昭は思う。ベッドから降り、スリッパを履いた。

「うう、眠たい……」

 スマートフォンの時計では、まだ九時になったばかりだった。いくら学校がないとはいえ、いつまでも寝ているわけにはいかない。

 よたよたと廊下に彷徨い出る。地下研究施設はすでに目を覚まし、稼働していた。廊下を行き来している白衣の研究員たちが貴昭の寝ぼけた顔を見てくすくすと笑う。

「おはよう、新嶋くん。ずいぶん眠たそうだな」

「うー、おはようっす……まだ眠いっす。あと十時間は寝ていたい気分」

「それじゃあ夜になるよ。ま、この地下じゃ昼も夜もわからないけどね」

「たしかに」

「そのうち、モグラになった気がしてくる。そうなると地下生活も慣れたもんだ」

「う、モグラかあ……」

「蟻よりマシだろ?」

 たしかに、とうなずいたが、実際は蟻のほうが近いかもしれないとも思う。モグラは群れでは生活しないだろう。細い地下通路に十数人が生活している様子は、やはり蟻に近い。

 リノリウムの廊下を、スリッパをぱたぱたと鳴らしながら歩く。「C3」と書かれた扉を開けると、その奥もまた研究所然とした部屋だった。壁に沿って机があり、中央には流し台。そのきれいに照明を反射しているステンレスの流し台で顔を洗い、歯を磨く。もともとは研究室だったこの部屋は、いまは完全に洗面所と化していて、机にはほかの職員のものらしい洗顔剤や化粧水、果ては化粧セットが並べられていた。十数人いる研究員のうち、女性は四人いて、その四人の化粧道具はほかの男たちの荷物をすべて合わせたより多かった。

 なんだか大家族にでもなった気分だった。

 実際、似たようなものではある。

 あの日以来――月から飛来した飛行物体、いつしかアメリカの名称にならって「フーファイター」と呼ばれているそれが矢代市上空にやってきて以来、この地下施設は研究だけでなく職員の生活の場にもなっていた。

 あの日から三日が経つ。

 襲撃によって受けた町の被害は決してちいさくはなかった。

 市内、中心部の建物はほぼすべてが全壊し、それ以外の地域でもいつ建物の倒壊が起こるかわからない状態で、市内全域に張られている規制線はまだ解除されていなかった。

 要するに矢代市に住んでいた人間はみんな外に追い出され、矢代市はいま空っぽの町になっている――というのが表向きだったが、実際はまだ市内にも生活している人間たちがいた。それがこのイリジウム社第八研と呼ばれる地下研究施設の人間たちだった。

 町の地下にある研究所内は、さきの襲撃でも被害は最小限に済んでいた。そのため、そのまま研究所の一部を居住区にする形で、破壊された町の地下で細々とした生活が続いているのだ。

 もちろん自衛隊の許可は出ている。らしい。詳しいことは貴昭も聞かされていなかった。ただ本来であれば避難しなければならないところを――実際、貴昭の両親はとなりの市の避難所にいた――こうして独立した生活が許されている、ということだけ理解していて、その理由もぼんやりとだがわかっていた。

 ヴァルキュライド。

 三日前に町を襲撃した飛行体フーファイターを撃墜した、巨大ロボット。

 この研究所は、ヴァルキュライドを研究、運用する目的で襲撃後も使用を許可されていた。

 そして貴昭は、三日前まで平凡な高校生だったのだが、いまは世界で唯一のヴァルキュライドのパイロットということになっている。

 正直、実感は湧かなかった。なにせ実際にヴァルキュライドを動かしたのは襲撃があったとき一回だけで、それからヴァルキュライドを動かそうとしたことはあったものの、ヴァルキュライドはなんの反応も示さなかった。

 あれはまぐれで動いただけじゃないか、と貴昭も思う。何度も起動に失敗しているうち、まわりもそう思ってきているらしいことも感じられる。しかし研究所のひとたちはみんなやさしく、ここにいること自体は苦痛ではなかったが、その期待に応えられないのが申し訳なかった。

「でも、最初に動かしたときだって、どうやって動かしたのかわかんなかったしなあ……」

 あのときはそもそも動かそうという気すらなかったのだ。偶然ヴァルキュライドに触れて、起動した。いま同じようにヴァルキュライドの機体に触れてもだめだった。なにかがちがうのだ。そのなにかがわからないかぎり、ヴァルキュライドが起動することはないだろうと思う。

 まあでも、最初にやったときは無心で起動させたから、そのうち偶然起動することもあるだろうと貴昭はのんきに考えていた。根拠はなにもなかったが、そんな気がする。ということはこっちは起動するときまでのんびりしていればいいのだ、と貴昭は自分の部屋として与えられている旧薬品室の扉をがちゃりと開け、固まった。

「……ん?」

 そこは味気ない薬品棚とベッドだけが置かれた部屋のはずだった。

 しかしなぜかいま、壁は淡いピンク色、床には絨毯が敷かれ、部屋の奥にはセミダブルくらいの大きなベッド、というどこからどう見ても女の子の寝室ふうの部屋が目の前に現れ、そして、部屋の中央にワンピースタイプの寝間着をぐっと頭の上まで持ち上げている女の子がいた。

 ワンピースタイプだから、頭の上まで持ち上げていると、上半身も下半身もわりと丸見えだった。上下とも白い下着。女の子は頭の上の持ち上げた体勢で動きを止めていて、顔は見えない。

 貴昭はその瞬間、凄まじい勢いで思考をはじめた。

 この状況をどう乗り切るか? アドレナリンが分泌され、脳の電気信号が激しく飛び交う。

 このままそっと逃げる、というのもひとつの手だった。向こうは顔が隠れていてこちらの姿を認識しているとは限らない。瞬時に扉を閉め、立ち去れば、気づかれていない可能性もある。しかしもし気づかれていたら。正直に謝るか、冗談で場を和ませ、乗り切るか。

 それらのシミュレーションを一秒未満で済ませた結果、貴昭は、向こうからは見えていないとわかっていながら作り笑顔を浮かべた。

「や、すまんすまん。いやあ、部屋を間違えちゃったなあ。さて、なにも見なかったし、自分の部屋に戻ろうかなっと」

「待ちなさいよ」

 女の子がぱっと手を離した。ゆったりとしたワンピースの裾がふわりと風をはらみ、落ちる。その下から女の子の顔が出てきた。もちろん、鮫崎乙音にちがいない。そして顔が赤い。

「言うことはそれだけ?」

「い、いや、その、あーっと……ごめん。そして眼福でした」

「よし」乙音はにっこり笑った。「死ね」

 ふたりの距離は三メートルほどあった。それが一瞬で詰まる。飛ぶように駆け寄った乙音は貴昭の腕を掴み、くるりと身体を反転させながら足を払った。

「うおっ――!」

 貴昭の身体が浮き上がる。そのまま身体の回転を利用し、一本背負い。

 やわらかい絨毯の上に背中から落ちる。乙音は仰向けで倒れた貴昭にびしと指をさし、言った。

「部屋に入るときはノックしろばかあ!」

「す、すんませんでした……」



  *



 痛む背中を押さえつつ廊下を歩く貴昭に、乙音はふんと鼻を鳴らした。

「自業自得よ。むしろ安いくらいでしょ。指一本くらい置いていってもおかしくない状況だったわ」

「どこのヤクザだよ。セレブ怖ぇよ――い、いや、おれが悪かったです、はい」

 なまじ美人なだけ、にらまれるのは怖い。障らぬ神に祟りなし。貴昭は乙音といっしょに食堂へ入る。

 洗面所や各自寝室は研究所内の施設を利用したものだったが、食堂だけははじめから作られていたものをそのまま利用していた。

 職員が多くない分、食堂といってもさほど広くはない。丸テーブルが五つ置かれているだけで、奥にキッチンがあり、そこで朝食のサラダとトーストを注文した。あっという間に出てきたそれを持ち、丸テーブルへ。

「なんか、部活の合宿でもしてる気分だな」

 かりかりに焼けたトーストにかじりつきながら言うと、乙音はすこし首をかしげて、

「合宿ってこんな感じなの?」

「まー、だいたい。普段とちがうとこに寝てさ、普段とちがうとこで飯食って――ま、そりゃ地下研究所で合宿することはないだろうけど」

「ふうん――わたし、部活ってやったことないからわかんないな、そういうの」

「そっか。セレブは部活とかやんないの?」

「セレブは関係ないけど、部活より楽しいこと、あったし。ヴァルキュライドの研究とか」

「あー、なるほど……っていうかそんな昔からヴァルキュライドの研究してたの?」

「四年前かな。南米のある国にね、うちの工場を作るって話があったの。で、そのために工事をしてたら、地下からあれが見つかったわけ。そのときはヴァルキュライドがなんなのかなんてわかんなかったけど、地下から出てきた巨大ロボットってなんかすごい謎を秘めてそうでしょ?」

 うんうんと貴昭はうなずく。サラダのごまドレッシングがうまい。

「だからお父さんに頼んで、それ、もらったの。誕生日プレゼントに」

「た、誕生日プレゼントに巨大ロボットくれんの?」

「だってイリジウム社で保管しててもしょうがないでしょ。放っておけば地元の政府に取られるだけだし、そんなに裕福な国でもないからちゃんと研究されるかどうかわからないし。だからわたしがもらって、秘密裏に日本へ運んできたってわけ。それが四年前。この研究所ができてからは二年だけどね」

「はあ、なんかスケールがちがうなあ……おれ、四年前の誕生日に親からもらったの、サッカーのスパイクだったぜ」

「いいじゃん、それで。サッカー、やってたんでしょ?」

「やってたけど、方や巨大ロボット、方やスパイクだもんなあ。おれも誕生日に巨大ロボットとかほしかった」

「もらってどうするの?」

「どうするって、そりゃあ……まあ、乗ったり、空飛んだり、子どもたちに手振ったり」

 たしかに日常生活に巨大ロボットは必要はないかもしれない。そういうものが必要になるときは、決まって危機的状況にあるときだ。たとえば、いまのような。

 貴昭はサラダを先に平らげ、残りのトーストにかじりついた。そのとき、机にふと影が差して顔を上げると、ひとりの女性がどこか緊張したような顔で貴昭を見下ろしていた。

「こ、ここ、座ってもよろしいでしょうか?」

 貴昭と乙音が囲んでいる丸テーブルにひとつだけ空いている席がある。女はそこに腰を下ろした。食事を載せたトレーは持っておらず、ぴんと背筋を伸ばしてまっすぐ前を見ている。

「あの――どちらさん?」

 研究所の職員は、この三日でだいたいが顔見知りになっていた。しかしその女には見覚えがない。トーストを咥えたまま首をかしげる貴昭に、乙音が言う。

「自衛隊のひとよ」

「じ、自衛隊?」

「は、はじめまして、新嶋貴昭さん」

 女は錆びたブリキ人形のようにぎこちない動きで握手の手を伸ばす。

「わ、わた、私、か、柏木みちゅほ――み、美津穂と申します。よろしくお願いいたたしますっ」

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