Episode 02 /5

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 新嶋貴昭は地下通路を歩きながら肩こりを気にするように首をまわした。

 それを見た乙音がふと立ち止まって、

「身体の調子はどう? ま、いまさらだけど」

「なんとか大丈夫。どこが痛いってわけでもないんだけど、全身筋肉痛みたいな気がしてさ――全体的に動きにくいっていうか。まあほっとけば治るよ」

 経験上わかっていることだった。過去に何度か、朝から晩までサッカーの練習に明け暮れた翌日、こんな身体になっていることがあった。要するに極度の疲労なのだ。全身の筋肉と神経が疲れ切り、まるでマネキンを動かしているようなぎこちなさを感じる。しかしそれも歩けないほどではなかった。

「それにしても」

 と貴昭は通路をぐるりと眺める。

「ここ、よく崩れなかったな」

「地下だから被害がすくなかったみたい。倉庫のほうは結構ひどいけどね。まあでも、天井がなくなったのはちょうどよかったよ。今日は天気もいいし」

「ま、前向きだなあ……」

 学校の地下にある地下施設のなかだった。

 貴昭は昨日の夜、意識を失って運び出されて以来、はじめてここへくる。昨日の戦闘がどれほど周囲に影響を与えたのか、貴昭はよくわかっていなかったが、地下通路を見るかぎり、ここには大きな被害はなかったようだった。壁もしっかりしているし、瓦礫もない。しかしさすがに地上にある学校は大きな被害を受け、そこの隠し扉は使えなくなっていたから、ここへ別の入り口、学校近くの工場から入ってきたのだった。

 案内役は乙音で、地下施設内には大勢の人間が行き来している。スーツ姿もいれば白衣姿もいて、どうやら全員が研究者というわけではなさそうだった。彼らに共通しているのは、乙音を見ると「あ、お嬢さま」と頭を下げることくらいだ。

「なあ、お嬢さま。結局、ここってなんなの?」

 貴昭の問いに、乙音はむっと眉をひそめて答えない。

「もしもーし、お嬢さまー?」

「その呼び方をするかぎり返事しないから」

「なんでだよ。みんなお嬢さまって呼んでるじゃん。おれだけ差別なんでひどいっ」

「みんなにもお嬢さまはやめろって言ってるの! 恥ずかしいでしょ、その呼び方」

「そうかな? だってお嬢さまなんだろ? 病院に迎えにきてくれたひとが言ってたけどさ、なんだっけ……いじりうむ?」

「イリジウム」

「それ。それの会社の社長の娘なんだろ? すげえ、握手してくれ。そして金をくれ」

「素直かっ。わたしのことは鮫崎でも乙音でもいいけど、お嬢さまは禁止。そもそも、あなた二年なんでしょ? 昨日は知らなかったけど。わたし、三年だから。わたしのほうが年上だからね」

「敬語にしろってこと? でもなんか、いまさら敬語って感じでもないしなあ」

「ま、敬語は別にいいけどさ――さっきの質問だけど。ここは、わたしのプライベート研究所よ」

「ぷ、プライベート研究所? なにそれ。いまどきの金持ちはそういうの持ってるもんなの?」

 セレブってすげえと呟く貴昭の足を乙音が踏む。

「いてっ」

「ばかなこと言ってないで聞きなさい。ここは昨日あなたも見たあのロボット、ヴァルキュライドの研究をするために作った研究所なの」

「ヴァルキュライド――あのロボットか」

 貴昭は、今朝目を覚ましたときは昨晩なにがあったのか記憶は曖昧だった。学校の隠し扉から乙音を追い、ここにたどり着き、巨大な人型ロボットを見つけたことは覚えていたが、そのあとのことは記憶の前後が曖昧で、ここへ連れてこられる車内で聞いてようやく補完できたくらいだった。

「そういえば、病院に迎えにきてくれたあのお姉さんは?」

「あれはわたしが昔から世話になってる経理関係のひと」

「へー。美人だったよなあ。ぜひまたお会いしたい」

「もう二度と会わせないけどね」

「なんで!?」

「なんとなく。腹立つから」

「な、なんで怒るんだよ?」

「なんでも!」

 ふん、と乙音は鼻を鳴らして足を速める。貴昭も身体のぎこちなさを感じながらそれについていった。

 地下通路は長い。学校から降りてきたときは長い通路の途中に出たのだといま気づく。

「なあ、お嬢……鮫崎。学校に隠し扉があったのって、あれも金持ちパワーで作ったの?」

「金持ちパワーがなんなのか知らないけど、ま、そんなとこ。もともとあの学校、うちが作ったんだし」

「へ?」

「全国にある英賢学院は全部イリジウム社が全額出資して作ってる私立学校だもん。二年前に校舎を建て替えるときに担当したのもうちの関連の建設会社だったから、わたし専用に扉を作ってもらったの。まさかそれをあなたに見られるとは思わなかったけど」

「おれだけじゃないよ。その前に見られてた。それで幽霊の噂になったんだよ」

「うー、失敗失敗。ま、もうあの校舎は使えないだろうから、心配ないけどね」

「でも扉と地下の階段を作る工事なんか、いつの間にしたんだ?」

「二年前、校舎を建てるときにいっしょに作ったのよ。だからだれも気づかなかったってわけ。最初からそういう計画で作ったんだから、気づかなくて当然だけど」

「ははあ、用意周到だな――じゃあ、そのときからこの地下研究所はあったのか。ぜんぜん知らなかった」

「知ってたのはここで働いてる一部のひとだけよ。一応、イリジウム社の本社にも内緒だもん。ま、お父さんには言ってあるけど」

「それも、あのロボット、ヴァルキュライドのためか?」

「そういうこと」

 前方が騒がしい。通路の突き当たりだった。

 昨晩、貴昭は乙音を追ってこの通路を歩き、扉の向こうにある倉庫でヴァルキュライドを見たが、いまはその風景も大きく変わっている。

 まず、扉がなかった。どうやら昨日の衝撃で吹き飛ばされたらしく、ぐにゃりと折れ曲がった分厚い鉄の扉が壁際に寄せられている。そしてその向こうには瓦礫の山。空からは白い光が降り注ぎ、何人もの作業員が瓦礫に上ったりそれを退かしたりと作業を続けていた。

 地下通路を抜け、完全に崩壊した倉庫に出る。乙音は眩しい陽光に目を細めた。貴昭は手で庇を作り、頭上を見る。

「うおー、すげえ!」

 ちょうど、大きなクレーンが壊れた天井から白銀のヴァルキュライドを倉庫内に下ろそうとしているところだった。

 巨大な人型のロボットの両わきにワイヤが引っかかり、それに吊され、瓦礫の上にヴァルキュライドが降りてくる。その光景は尺度がおかしくなったのかと思うほど雄大で派手だった。それにヴァルキュライドは、いま改めて見ても異様な存在感を湛えている。

 オーライ、オーライ、というかけ声に合わせてヴァルキュライドはほんのすこしずつ地下倉庫へ降りていた。ふたりはそれを離れたところから見守る。

「すげえな、やっぱり、夢じゃなかったんだ――正直、昨日のことは全部夢なんじゃないかと思ってたけど」

「ヴァルキュライドも、この町を襲ったものも、その戦いも、全部夢じゃないよ」

 乙音は陽光にもくすんだ光しか返さないヴァルキュライドから貴昭へと視線を移す。

「ヴァルキュライドは二年前からここにあった。ずっと研究してきたけど、なにもわからなかった。ロボットにはちがいないけど動かし方もわからないし、動力源もわからない。いろんな検査をしてもだめだったのよ。X線で内部を透視しようとしてもこの装甲はX線を通さなかったし、熱源を探ってもだめ。ヴァルキュライドの内部には熱源なんてない。だから、昔は動いていたかもしれないけど、いまは化石みたいなものなんだと思ってた――でも、ヴァルキュライドは動いた。あなたが動かしたのよ、新嶋くん」

「え、お、おれが?」

「そうとしか考えられないでしょ」

「う――やっぱり、そうなのかな」

 貴昭は手のひらを見下ろす。その手のひらがヴァルキュライドに触れた瞬間、それは起動したのだ。しかし意図的にやったことではなかった。なにが起っているのかわからないという意味では貴昭も乙音と同じで、そのあと、ヴァルキュライドがひとりでに動いたのか、それとも自分が動かしたのかもよくわからない。

 しかしあのとき、いままで感じたことがないものを感じたのはたしかだった。

 自分がふたりに分裂したような、あるいは他人の感覚まで感じられるようになってしまったような――視界がふたつになり、触れてもいないものに触れたような気がして、聞いていないはずの音が聞こえる。

 あれは自分の感覚とヴァルキュライドの感覚が重なっていたせいではないかと貴昭も考えていた。ということはつまり、新嶋貴昭とヴァルキュライドのあいだには、なにかつながりが生まれているということだ。

 貴昭はヴァルキュライドを見る。大きなクレーンに吊られているヴァルキュライドは、はじめて見たときのようになんの反応も示さなかった。まるで昨日の出来事は一時の幻だというようにヴァルキュライドは沈黙する。

「昨日、この町を救ったのはあなたよ、新嶋くん。あなたがヴァルキュライドを使って、この町を救った」

「……覚えてないよ。自分でやったとは思えないし。でも、もしそれがほんとだったら、すごいよな――おれ、あのロボットを動かすパイロットになったってことだもんな!」

「まあ、自由に動かせれば、ね」

「う……」

「いまは動かせないの?」

「たぶん、無理だと思う。だってそもそも、あいつ、起動してないし。どうやったら起動するかもわかんねえけど」

「あとでもう一度ヴァルキュライドに触れてみて。そしたら起動するかもしれないし」

「わかった、やってみる。でも言うこと聞かなくて暴れても知らねえぞ」

「そのときはあなたの命を捧げておとなしくなってもらうから、大丈夫」

「いやいや大丈夫じゃねえ!?」

「冗談よ、冗談」

 ほんとに冗談かな、短い付き合いだけど乙音ならやりかねない気がする、と貴昭はじっと乙音の横顔を見る。乙音はすっと顔を逸らした。

「ほらやっぱりマジじゃん!」

「冗談だってば。細かいことは気にしない」

「こ、細かいことじゃねえって!」

「ともかく、いまのところヴァルキュライドを起動できたのはあなただけなのよ。もう一度起動させられる可能性がいちばん高いのも、新嶋くん、あなたよ」

「ああ――」

 貴昭は再びヴァルキュライドを見た。くすんだ白銀の機体は、眠っているかのように動かない。眠っているそれを起こすことができるのは、自分だけだ。それともほかにだれかいるのだろうか。いまわかっているのは、自分だけ――それなら、自分がやるしかない。その役目をほかのだれかに譲ることはできない。

 使命感と重圧を同時に感じる。結局、それは同じものだ。使命感を意識すれば重圧になる。重圧も肯定すれば使命感、というわけだ。貴昭はうなずく。

「やるよ、おれ。だれかの役に立つなら、やる」

「でもあなたにも危険があるかもしれない。昨日は、ああなったわけだし……」

「ま、そのときはそのときでしょうがねえさ。たしかに昨日は死ぬかと思ったけど、こうやっていまぴんぴんしてるわけだしな。大丈夫、なんとかなるって。それにほら、巨大ロボットのパイロットだぜ? うおお、燃えてきた!」

「……それでテンション上がるなら、ま、それでいいけど」

「なあ、敵もそのうち巨大ロボットとか使ってくるかな? っていうか、敵ってなに?」

「それがわかれば苦労しないって。もう一度襲撃があるかどうかもわからない。でもね――わたしは、きっとまた襲撃はあると思う。だって昨日はなにもできてない。目的がわからないわ。ただ町を破壊しにきただけなら、次は別の町を破壊するはず。そのとき敵に対抗できるのは、いまのところヴァルキュライドだけ。だから、新嶋くん――もしかしたら人類の命運はあなたが握ってるかもしれないのよ」

「じ、人類の命運……?」

 貴昭はごくりと唾を飲み込んだ。しかしそれは貴昭が理解できる範囲を超えた大きな問題で、人類の命運より目の前にいる人間を守れるかどうかだと感じる。

 守るしかない。守れるのは、自分だけだ。貴昭は拳を握り、言った。

「大丈夫、やるよ――おれは、できるかぎりみんなを守る」

 白銀のヴァルキュライドは、その決意の固さを確かめるようにじっと沈黙したままだった。



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