Episode 02 /3
3
闇が去り、光が戻った。
一夜明けた矢代市内は、それまでとは風景が一変していた。
「これは――人間の力でどうにかできるものではないな」
陸上自衛隊沼田二佐は、昨夜襲撃された町の中心に立っていた。
周囲の建物はほとんどが倒壊している。とくにビルのような、縦に長い構造物は瓦礫の山になっていた。平屋も、一見被害はなさそうに思えたが、よく見ると大きく傾いていたり、柱が壊れて全体が縮んでいたり、修繕するよりはすべて壊して建て直したほうが早いような被害が出ている。
アスファルトは液状化し、電信柱や街灯は明後日の方向に傾いている。そこを自衛隊の車両がゆっくりと進んでいた。
これらはたった数十分の襲撃によって起こった被害だ。沼田はそれを恐ろしく思う。爆弾を落としたわけでもない。ミサイルを撃ち込んだわけでもない。しかし〈あれ〉は、完膚なきまでに町を破壊した。この町のすべてを作り直すことは凄まじい労力がかかるだろう。まるでまったく新しい土地に一から町を作るようなものだった。そのためにはまず更地にしなければならない。しかしこれは単なる瓦礫ではない。昨日まで人々が暮らし、生きてきた、家、だ。思い出もあるだろう。それらを瓦礫といっしょに排除するわけにはいかない。
「人的被害はほとんどなかったが――よかった、とはいえない状況だな」
沼田は自分のそんな感傷的な考えを振り払うように続けた。
「例の欠片は見つかったか?」
「いえ、まだ発見の報告はありません」
「逃げ遅れただれかがいるかもしれない。注意して進め」
「は――」
そうでなくても水平で直線の道などなかったから、車両は左右に揺れながらゆっくり町を進んでいくしかなかった。
ここは戦場だ。沼田はそう感じる。戦場だった場所、だ。しかし戦ったのは人間ではない。月からきたという飛行物体と、どこからか現れた巨大ロボット――まるで漫画のなかのようだと沼田は思い、それなら問題はないのだと思う。澁谷も言っていたとおり、これが漫画なら、必ず正義のヒーローが勝利するだろう。それによって人類は救われる。しかしこれはシリアスな状況だった。正義のヒーローが勝利するとは限らない。
沼田は車両の窓に腕をかけ、じっと壊れた町を眺めていた。
*
矢代市のとなりにある飯田市の総合病院はひとでごった返していた。
昨晩の騒ぎで、直接的に攻撃を受けて怪我をした人間はすくなかったが、避難が完全に済まないうちに混乱が広がったせいで避難先の負傷や体調不良が多く出ていた。そうした人間たちが病院のロビーに並び、入りきらない軽傷の患者は正面の車寄せまで広がっている。そこにはちらほらとマスコミの姿もあった。怪我人を追いかけるのは感心できない仕事ではあったが、それに抗議している時間はない。
航空自衛隊澁谷二佐は、幕僚長、ひいては官邸からの指示を受け、この病院を訪れていた。
広いロビーにあるソファはすべて埋まっている。そこには年寄りが多い。無理もない、と澁谷は自分の両親ほどの年齢の男女を見ながら思う。年を取れば体力はなくなるし、こうした騒がしい空気そのものが体調不良の原因にもなるだろう。かわいそうだが、仕方のないことでもある。逃げなければだれひとりとして助からない状況だったのだ。
町は、壊れても作り直すことができる。どれだけ時間と労力と金がかかろうとも、同じものを作ることができる。人間はちがう。壊れたら、死んだら、おしまいだ。二度と同じ人間は生まれない。そして家族を失った悲しみは決して癒やされることはない。
澁谷はロビーを抜け、階段で三階へ上がった。
三階以上は入院病棟になっていて、ロビーとちがって騒がしい空気はない。いかにも病院らしいしずかで清潔な空気。そのなかを進んでいくと、入院患者の名前が書かれていない個室があった。澁谷はその扉をノックし、開く。
「――ん?」
部屋のなかは無人だった。空になったベッドがひとつ、置かれているだけだ。部屋を間違えたかな、と思うが、たしかに事前に聞いていた部屋にちがいなく、澁谷はもう一度廊下に顔を出し、通りかかった看護師を呼び止めた。
「すみません、ここに新嶋貴昭という少年が入院していたはずなんですが」
「新嶋さんのご家族の方ですか?」
「いや、自衛隊のものです。新嶋さんに伺いたいことがあったんだが」
若い女性看護師は首をかしげて、
「新嶋さんなら、今朝、転院されましたよ」
「転院? それはまた、どうして。この病院では治療ができないほどの重傷だったんですか」
「いえいえ、目立った怪我はなかったんですが、検査のために退院までもうしばらくかかるといったら、つてで別の病院を見つけたからそちらへ移ると」
「ふむ――なるほど。転院先の病院はわかりますか」
「カルテかなにかに控えがあると思いますが――」
それを教えてくれるように頼みながら、おかしな状況だと澁谷は思う。
新嶋貴昭について、基本的な情報は自衛隊でも政府でも把握していた。戸籍の場所、基本的な経歴。知る必要もないほど平凡な情報だった。新嶋貴昭は矢代市で生まれ、育ち、地元の高校に通っている。通っている高校は私立で、スポーツ推薦で入学したが、その後なにかの理由で普通科に転向している――その情報のなかに有益なものはなにもない。
ただ、新嶋貴昭はただ怪我をして病院に運び込まれた人間とは大きく異なるところがあった。
新嶋貴昭は、避難先で怪我をしたのではなく、あの町、矢代市のなかで発見されたのだ。
飛行物体の襲撃が終わったあと、確認のために市内へ戻った自衛隊は、意識を失った新嶋貴昭とそれを抱えて病院へ向かおうとしていた男と出くわした。彼らは共に襲撃中も矢代市内に留まっていて、地下にいた分、町を破壊した振動攻撃のなかでも無事だったらしい。自衛隊としてはその場で詳しい状況を聞きたかったが、意識のない新嶋貴昭を病院へ運び込むのが先だった。そのあと、自衛隊でも市内の状況の把握に翻弄され、新嶋貴昭を放っておくような状況になったのだが、今朝になって澁谷が指示を受けて事情を聞きにきたのだった。
こんなことなら監視でもつけておくんだったと澁谷は後悔する。しかし看護師から転院先の情報を聞き、病院を出たところですぐに連絡した。向こうの病院の返答は、澁谷の予想外のものだった。
「――いない?」
『はあ、いま調べてみたんですが――』電話先の男も戸惑ったように、『もちろんこの騒ぎでカルテの管理が普段より混乱していて、もしかしたらどこかに混ざっているのかもしれませんが――今日転院してきた患者さんはひとりもいらっしゃいませんよ。入院患者のなかにも、新嶋貴昭さんという方はいらっしゃいません』
礼を言って電話を切る。おかしなことが起こっているのはいよいよ間違いない。このまま新嶋貴昭の消息を探るか、それとも。
澁谷は屋根がある車寄せから駐車場へ向かう。とたんに強く照りつける日光を感じ、目を細めた。
今日は抜けるような青空だった。気温も三十度を超えている。駐車場に待たせていた車両に乗り込み、矢代市内へ向かうように言った。その途中、電話がかかってきた。政府の事務次官からで、澁谷は自衛隊が布いている規制線を越えながらそれに応える。
「澁谷です。いま、新嶋貴昭が入院していた病院へ行ってきたところですが――」
『ああ、それならちょうどよかった。その件は、それまでにしてください』
「それまで? どういうことです」
『ちょっと、事情がありまして――』言いよどむような沈黙。『新嶋貴昭の件は、それ以上追いかけなくて結構です』
「しかし彼は重要な参考人だ。なにしろ、あのとき現場にいたんですよ。なにか知っている可能性がある。同じ現場にいた白衣の男も行方がわからない。新嶋貴昭も転院したとかで病院にはいませんが、転院先に問い合わせるとそんな転院はないという。おかしな状況です。なにか、だれかが動いているんですか」
『動いているといえば、たしかにそうです。これは自衛隊の領分ではない。政治の話です』
「……つまり、圧力がかかった、と?」
『そう理解していただいても結構です』
瞬間的に怒りがわき上がってくる。
「圧力をかけたのはだれだ。政府に圧力をかけられる人間は限られている。政治家か、経済界の人間か――そんな人間が新嶋貴昭というひとりの少年の案件に圧力をかけてくるとは思えない。そもそも、まだ新嶋の件はごく一部の人間しか知らないはずです」
『とにかく、新嶋の件は忘れてください。また状況が変わる可能性もある。早まった動きは見せないようにお願いしますよ、澁谷さん』
「……わかりました。私は現場に戻ります」
電話を切り、それを投げつけたい衝動に駆られる。ぐっと堪えたのは、ルームミラーでこちらを窺っている運転手の目が気になったからではなく、怒りの正体が自分でも理解できなかったせいだった。
圧力をかけられ、自分が担当していた案件を横取りされたことが悔しいのか。ちがう。自分の知らないところでなにかが起こっているということが許せないのだ、と気づく。まるで自分は子どものお使いのようなものだ。なにも知らず、命令どおりに動く。自衛隊の一員なら、それは当たり前のことだ。つまりこの怒りは越権的なもので、不当だが、だからこそ強い。逆恨みほど恐ろしいものはない。
新嶋の件は忘れるか、と澁谷は心のなかで呟く。その件がどうなるとしても、必ず自分も関わってやる。しかしいまは、現場に戻って状況を把握することが必要だ。昨夜、あの場所で、本当はなにが起こったのか。
昨夜、矢代市で起こったことは、そのほとんどが映像記録として残されていた。
市内にもいくつか記録用の端末を残していたが、それらはすべて破壊、または故障していて、望遠で撮ったものだけが記録されている。澁谷も昨日から何度となくその記録を見てきた。しかし本当になにが起こったのかは、映像だけではわからない。
映像上では、上空に浮かぶ飛行物体に対し、どこからか現れた巨大ロボットが攻撃を仕掛け、打ち勝ったように見えた。互いの攻撃は目に見えるようなものではない。おそらく衝撃波か超音波のようなものを利用した攻撃だろうということだった。まだ詳細な解析は済んでいないが、望遠で記録された映像にも特殊な波長の音が記録されていたらしく、それを解析すれば飛行物体がどのような手段で町やロボットに攻撃を仕掛けたのかがわかるかもしれない。
しかし飛行物体とロボット、どちらも同じような手段で攻撃をしたことは間違いなかった。そしてその攻撃は、地球上にあるどんな兵器とも似つかない。音響兵器というものはたしかにあったが、それは敵の戦意を殺ぐことが第一の目的であり、それによって町を破壊するという発想はなかった。
あのロボットはなんなのか。
澁谷も今朝早く現場へ向かい、そのロボットを間近で見ていた。
ロボットは昨夜の戦闘後、力尽きたように町に倒れ込んだままになっていた。
自衛隊はそれを発見したが、あまりに巨大で簡単に移動させられるものではなかったし、ましてやロボットを操作できる手段も見つからなかったから、いまもそのまま置かれているはずだった。
まずは、それを調べる必要がある。
澁谷の乗る車両は壊れた町を進み、やがて前方に複数の自衛隊車両が見えてきた。澁谷はそこで車を降り、歩いて車両に近づく。そこには指揮官が乗っているはずだった。
「沼田、調子はどうだ」
窓をこんこんと叩くと、ドアが開き、沼田が降りてきた。しかしその表情は冴えない。
「どうした、腹痛でも起こしたか?」
「その程度ならいいが――すこし、面倒なことになってな」
「どうしたんだ、おまえらしくもない――あの連中はなんだ?」
前方、ちょうどくだんのロボットが倒れているところに、数十人が群がっている。そのどれも迷彩服は着ていなかった。白い作業着だ。迷彩服の自衛隊員は、それを遠巻きに見守っている。
クラクション代わりの怒鳴り声が後ろから聞こえた。振り返ると、大きなクレーンが迫っている。どうやら車両が邪魔だからどけろと言っているらしかった。
「なんだ、これは。復興工事がはじまるには早すぎるだろう。彼らは自衛隊が呼んだのか? それとも政府からか」
「どちらでもない。所有者だそうだ」
「所有者?」
「あのロボットの所有者だという企業が出てきたんだ。それで、正規の権利に基づいてあのロボットは自社で回収させてもらう、と」
「なんだそれは。この緊急時にそんな理屈が通るか」
「通すしかない。上からもそう命令がきた」
「また圧力、か。あのロボットの所有者だという企業は、どこだ?」
「イリジウム社です」
後ろから声が飛んだ。沼田と澁谷は同時に振り返る。大きなクレーン車の後ろに乗用車が停まっていて、その後部座席からだれかが降りてくるところだった。
少女だ。十六、七歳の少女が悠然と後部座席から降りてきて、ふたりの前に立つ。白い丸襟の、紺色のワンピース。少女の後ろからはスーツを着た男が降りてくるが、どう考えてもこの場を支配しているのはその少女だった。
イリジウム社。
澁谷も名前は聞いたことがあった。日本を代表する電子部品メーカー。世界中の様々な国に工場を持ち、最新のデジタル機器には大抵イリジウム社の部品が使われている。企業規模は世界でも有数であり、現代の日本でもっとも大きな影響力を持っている会社といえた。
「きみは?」
「鮫崎乙音です。先に言っておきますけど、イリジウム社の創業者の孫です。いまの会長が祖父で、取締役社長が父になります」
「ふむ、大企業のご令嬢というわけだ。こんな場所になにかご用ですか。ここは危険だ。町全体が、いつ崩壊してもおかしくない。その洋服が汚れるかもしれない」
「洋服が汚れたなら着替えればいいでしょう。あなたは自衛隊のえらいひと?」
「えらいといえば、こっちのほうがえらい」
澁谷は沼田の肩を叩いた。沼田は嫌そうな顔をしたが、この場の責任者が沼田であることはたしかだったから、一歩前に出る。
「陸上自衛隊沼田和巳、二等陸佐です」
「私は航空自衛隊の澁谷だ。階級は同じ二佐。大企業のご令嬢と知り合えて光栄ですよ」
「私も自衛隊のえらいひとと会うのははじめてです。でも、あのロボットはうちで回収します。あれはうちのものです」
「もちろん、あなた方の権利を無視するつもりはない。しかし自衛隊にも義務がある。国民を守るという義務が。この町が危険な状態にあることはたしかです。あのロボットも、もちろん傷ひとつつけず返還する。しかしいまは自衛隊が責任を持って管理させていただきたい。これは国防に関わることです」
「だから、うちが回収すると言ってるんです。それとも自衛隊はあれを自由に動かせるんですか?」
ふむ、と澁谷はうなずいた。沼田は、こういうことはおまえに任せたというように澁谷の背中を叩き、自分はくるりと背を向ける。相変わらず交渉や駆け引きが苦手らしい。ならばと澁谷は気を引き締める。これは自分の仕事だ。子どもの遊びではなく、シリアスな、軍事の問題だった。
鮫崎乙音もまた子どもの遊びではないようだった。でなければ、ここにひとりで乗り込んではこないだろう。向こうも向こうでやる気というわけだ。
「たしかに、現時点で自衛隊はあのロボットの動かし方を理解していない。ところできみがあのロボットの動かし方を理解しているという根拠は?」
「昨日、一度動かしました。どこかから監視していたのでは?」
「昨日の出来事はきみがやったのか?」
「だとしたら表彰してくれます? この町を救ったヒーローだって」
「考えてもいい。総理大臣からの感謝状くらいならね。しかしそのためには情報が必要だ。あのロボットはどうやって動かす? そもそも、あれは、なんだ?」
「やっぱりなにもわかっていないんですね」乙音はにやりと笑った。「それなら、やっぱりうちで預かるのがいちばんいい。もし次なにかがあったとき、自衛隊が管理しているままではなんの役にも立たないでしょうから」
澁谷も笑い、言った。
「わかった。あのロボットの管理はイリジウム社に一任しよう。われわれは手出ししない」
ふと乙音の表情が固まる。それほど簡単に要求が通るとは思っていなかったらしい。そのあいだに澁谷は続ける。
「ところで、自衛隊を代表してひとつイリジウム社に提案したいことがある。これはロボットの所有権を巡る交換条件ではない。あくまで対等な関係の基づく提案だ。受け入れるかどうかはイリジウム社次第だが、この国のことを、この国の安全のことを思うなら、同意してもらえるものと信じている」
「……どんな提案ですか?」
彼女は提案に乗るだろう。乗らざるを得ない。澁谷は笑いを引っ込め、冷静に、丁寧に提案の説明をはじめた。
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