Episode 02 /2
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町からの避難、撤退に例外はなかった。
住民はもちろん、その避難誘導に関わった自衛隊員、警察関係者も、すべて市外への退去が命じられていた。
この避難作戦の責任者である陸上自衛隊沼田二佐は、すべての範囲で住民の避難、および自衛隊員、警察関係者の撤退が完了したという報告を受けてから、自らの撤退を開始した。それは上空に未知の飛行体が現れて八分後のことであり、沼田は防衛大時代の同期で作戦の立案者でもあるらしい航空自衛隊澁谷二佐の車に便乗して矢代市から遠ざかりつつあった。
凄まじい大音響に耳どころか身体全体に衝撃を感じたのは、そのときだった。
「なんだ、これは――」
沼田は反射的に耳を塞いだが、金属を打ち鳴らしたような高音はすこしも防げなかった。運転手もまた耳、そして頭に激痛を覚え、意識が遠のく。沼田はその肩を叩き、意識を維持させながら、窓から身を乗り出して後方を振り返った。
月より飛来したらしい白銀の飛行体は、いまもそこにあった。
なんの物音も立てず、矢代市の上空に浮遊している。まるで非現実的な光景だった。しかしすべてはシリアスだと自分に言い聞かせる。この状況も、そしてこの音響も。
「避難させておいてよかった」
耳を抑えながら澁谷が叫んだ。
「離れていて、これだ――付近にいたらとても無事には済まないぞ。早く離れろ、頭が割れそうだ」
「これが連中の攻撃なのか? 連中は、人体の構造を理解してこんな攻撃をしているのか――」
「わからん。偶然かもしれん。なんにせよ人体に有害なのは明らかだ。耳が壊れるのが早いか、気が触れるのが早いか――」
「対抗手段はないのか。こちらからの攻撃は?」
「許可できない。そのように決まったんだ。向こうが明らかな攻撃を意思を見せるまで、こちらは手を出さない」
「これが明らかな攻撃の意思ではないと、なぜわかる」
「むしろ攻撃の意思だとなぜ断言できる? これは、やつらなりのコミュニケーションなのかもしれない。会話だ。その可能性はある。こちらはそれをまだ理解できていない――連中はこの音が人間にどんな影響を与えるのかわかっていない可能性がある。ミサイル攻撃でもしてくれば、話は別だが。とにかくいまは逃げて様子を見るしかない。すでにこの状況は様々な手段で記録されているはずだ。この音の波長も、なにか特異的なものがあれば分析できる」
しかし音とは振動だ。振動はその場にあるあらゆるものに影響を与える。建物は無事だろうかと沼田は考えた。事実、車両のフロントガラスはいつ砕けてもおかしくないほどびりびりと細かく振動していた。あるいは特殊な防弾のガラスでなければもう砕けていたかもしれない。
車両は全速力で逃げる。沼田はすこしずつ音がちいさくなり、頭痛も治まってくるのを感じた。しかし次はまったく別の衝撃だった。
ずんと地面が振動する。なにか重たいものが落ちたような衝撃だった。沼田は再び窓から身を乗り出して振り返り、信じられない光景を見る。
「なんだあれは――ロボット、か?」
「なんだって?」
「ロボットだ。人型の――巨大なロボットが、町に現れたぞ」
「なにを言ってるんだ――ロボット?」
場所を変わり、今度は澁谷が後ろを確認した。
沼田の言うとおり、たしかにそれはロボットにしか思えなかった。
先ほどまでなにもいなかった町の一角に、白銀のロボットがぬっと立っている。近くにある六階建てのビルよりも巨大で、白銀の装甲は空中に浮遊している飛行体とよく似ていた。
車両からは、そいつの上半分しか見えない。下半分はビルの影だった。しかし両腕があり、丸い頭部があり、人型の巨大なロボットとしか言いようがない外見なのは間違いなかった。
「自衛隊の兵器なのか、あれは?」沼田が言った。
「ばかな。見たことも聞いたこともないぞ。なんだあれは。どこから出てきた?」
くそ、と澁谷は毒づく。ここ数日、わけのわからないことばかりだった。なにひとつとして思い通りにはいかない。想定のなかで最悪なことが起こっているのではない、まったく想定さえできていなかったことばかりが起こる。それはほとんど屈辱的な体験で、澁谷はもうどうにでもなれという気分で前に向き直った。
「あいつが巨大ロボットなら」と澁谷は叫ぶ。「きっと正義の味方さ。飛行体はあいつがなんとかしてくれるんだろう。おれたちは逃げよう」
「おい、澁谷、本気か?」
「それ以外にどうしようもない。この状況じゃとても町には近づけない。ロボットがなにものなのかもわからん。飛行体にも手の出しようがない」
「それは、そうだが――」
「大丈夫だろう。往々にして巨大ロボットは正義の味方だと決まってる。やつが暴れて町を破壊してはじめたら、それはそれで状況としてわかりやすい。どうするにしてもいまはここを離れて安全圏へ逃げることが先決だ」
沼田もそれ以上はなにも言わなかった。
ふたりを載せた車両は全速力で矢代市を離れ、安全圏へ向かう。
*
「やめろ、くそ、好き勝手やりやがって――!」
町が破壊されていく。猛烈な振動に対し、あらゆる物体はあまりにも脆弱だった。とくにコンクリートは振動に弱く、外壁はまともでも集中して振動を受ける内部はあっという間にミキサーにかけられたような状態になり、支えを失って自壊していく。
貴昭はそんな様子をヴァルキュライドを通して見ながら、なにもできないことにもどかしさを感じていた。
「きみ、早く逃げなければまずいぞ!」
白衣の男が貴昭の腕を取る。貴昭はその手を振りほどき、首を振った。
「ここから離れるほうが危ない――いま、ここは安全なんだ」
「ど、どういうことだ?」
「あのロボットが、ヴァルキュライドがここを守ってる。たぶんだけど、そう感じる」
「そういえば――あの音が聞こえなくなってる」
乙音は耳をつんざくような高音が聞こえないことを自覚し、うなずいた。
「たしかに、ここから出るほうが危なそうだけど――でも、どういう状況なのよ、これ?」
「おれにもわかんねえよ! でも、なんか、わかるんだ――あのロボットの視界が見える。それに、なんとなく、感じてることもわかる。振動なんだ。あいつが振動で町を破壊してる」
「あいつって?」
「空になんかあるんだよ。UFOみたいなのが。見た感じは戦闘機っぽいけど、でも、こんな戦闘機見たことない。継ぎ目がない金属みたいな見た目で――あっ、くそ!」
「どうしたの」
「ビルがひとつ崩れた。あいつ、くそ、どうにか止められないのか――」
地下倉庫から飛び出したヴァルキュライドは、工場の一角に降り立って以来目立った動きは見せていなかった。完全に動かなくなったわけではないことは貴昭にもわかる。ヴァルキュライドは起動している。しかしどうやれば動くのか、わからない。
「もしかして、あなた、ヴァルキュライドとリンクしてるの?」
「リンク? わかんねえけど――」
「ヴァルキュライドの視界が見えるって言ったでしょ。それってつまり、ヴァルキュライドの視覚情報があなたに伝わってるってこと?」
「む、むずかしいこと言われてもだな――でも、そんな感じだと思う」
「やっぱり。じゃあヴァルキュライドの感覚とリンクしてるんだ。だとしたら、あなたの意思でヴァルキュライドを動かせるかもしれない。こう、念じるとか、命令するとか、なんかしてみて」
「な、なんかって雑だな――う、動け、ヴァルキュライド! そのふよふよしてるやつを倒せ!」
貴昭は叫んだが、ヴァルキュライドはなんの反応も返さなかった。声が届いていないわけではないだろうと思う。おそらく命令方法がちがうのだ。声ではない。あるいは、声だけではない、か。
ヴァルキュライドが立ち尽くしているあいだにも、空に浮かんだ飛行体は町の破壊を続けていた。すでにいくつものビルが崩壊している。それ以外の建物も同様の被害を受けているだろう。このまま放っておけば、町は壊滅する。この町だけでは済まないかもしれない。〈やつ〉が移動すれば、ここ以外も危険になる。
そうはさせるか、と貴昭は怒りを覚える。ヴァルキュライドの視界を通して、まったく理不尽に自分が生まれ育った町が破壊されていくのを感じる。為す術もなく、助けを求める声も出せず。助けられるとすれば自分だけだ。
ヴァルキュライドは内部に強い熱源を感知した。それが脈動する。動く。ヴァルキュライドの丸い頭部が空を向く。ふたつの光が〈それ〉を正面に捉えた。ヴァルキュライドは長い腕を伸ばし、それに近づく。
その瞬間、〈それ〉から放たれていた振動がふと消えた。地下にいる三人もいままで認識できていなかった低振動が止まったような感覚を覚える。
「あれ――止まった?」
攻撃が止んだのか、と思ったのはその一瞬だけだった。
再び振動。しかし今度は先ほどと波長がちがう。異なる波長の振動が、〈それ〉を中心に波紋として広がった。波紋がヴァルキュライドの腕に到達した瞬間、貴昭は右腕に激痛を覚えてうずくまった。
「お、おい、きみ!」
白衣の男が助け起こす。同時に激痛が全身へと広がった。まるで何万本もの針で身体中を突き刺されているような痛み。いままでヴァルキュライドにはなんの影響も与えていなかった振動が、ヴァルキュライドの装甲をびりびりとふるわせていた。
白銀に輝く装甲が危機を感じているかのように色を変える。白銀から黒へ。また白銀へ戻り、その色の変化が波のように繰り返す。
やがてヴァルキュライドの装甲に細かなヒビが走った。貴昭は皮膚を裂かれる痛みに絶叫する。意識が遠のく。乙音や白衣の男の声が聞こえなくなる。その代わり、ヴァルキュライドの存在を感じた。
そこになにかがいる、と貴昭は感じた。
ヴァルキュライドは全身をふるわせ、咆哮を上げた。
乙音たちは慌てて耳を塞ぐ。それはいままでのような高音ではなく、凄まじい叫び声だった。ヴァルキュライドが吠えている。その振動が、上空の〈それ〉から発せられていた振動の波紋を押し返す。
ふたつの振動が空中でぶつかり、爆発的な衝撃波を生んだ。脆くなった家々が消し飛ぶ。衝撃波は地下まで到達し、乙音の身体を吹き飛ばした。
ヴァルキュライドは全身を使って吠えていた。振動のせめぎ合いが徐々に上空へ、そこに浮遊している〈それ〉に近づき、ガラスが弾けたようにヴァルキュライドの咆哮が打ち勝つ。
衝撃波が消え、咆哮が〈それ〉を包み込んだ。その瞬間に〈それ〉は内側から破裂したかのように爆発した。
白銀の細かな破片が町を舞う。ヴァルキュライドは咆哮をやめ、すべての機能を停止する。白銀に輝いていた身体は再びくすんだ色に戻り、すべての力を失って破壊された町に倒れ込んだ。その振動が、最後の衝撃として町を伝う。
「お嬢さま――お嬢さま、大丈夫ですか?」
後ろに吹き飛ばされた乙音は、地下通路の壁に身体を強く打ち付けていたが、意識は保っていた。ゆっくりと起き上がり、全身に打ち身のような痛みを感じながら立つ。白衣の男は倒れた貴昭を抱えていた。
「彼は?」
「意識を失っています――脈と呼吸は安定していますが。外傷はありませんが、激しい痛みを感じているようでしたし、早く病院に連れていくほうが」
「じゃあ、あなたは彼を運んで。わたしもあとから追うから」
「わかりました――お嬢さま、気をつけてください。建物の脆い部分が崩れるかもしれない」
「うん、わかってる」
白衣の男が貴昭を抱えたまま通路の奥へ消えた。乙音は反対に、天井に大穴が空いた倉庫に近づく。
倉庫の内部は瓦礫が山積みになっていた。そして暗い。先ほどまで不自然に明るかったのが、いまは自然な夜の闇に戻っていた。
あたりは静かだった。天井の大穴からは夜空が見える。ぽっかりと穴が空いた雲に、その先に浮かぶ月――。
雪が降っている、と乙音は感じた。まさか。いまは夏だ。雪ではない。銀色の、細かく砕かれた〈敵〉の破片だった。それが風に巻かれながらゆっくりと町に降り注いでいる。このちいさな破片を採取するのは困難だろうと乙音は思い、それからもう一度、貴昭たちが去った通路のほうを振り返った。
「彼はどうしてヴァルキュライドを起動できたの? 彼は何者なの――それに、ヴァルキュライドは、本当はなんなの?」
疑問は尽きなかった。
ただ、わかっていることもひとつある。
このわけのわからない状況のなかで、自分はたしかに生き延びた――ヴァルキュライドとひとりの少年に助けられ、生き延びたのだ。
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