Episode 02 /1

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 白銀の人型ロボット、ヴァルキュライド。

 くすんだ白銀が光沢のある白銀へと変わり、ワイヤもなく直立するその巨体を、新嶋貴昭と鮫崎乙音は声もなく見上げていた。

 白銀の巨体もまた、身じろぎひとつせずふたりの見下ろすように直立している。

「ヴァルキュライド……?」

「このロボット――ロボットなら、だけど――の名前よ。でも、動くなんて考えられない。いままでなにをしても動かなかったのに――あなた、なにかしたの?」

「な、なんにもしてないって。いや、その、たしかに、ちょっと触っちゃったような気はするけど――そ、そこがスイッチだったのかなあ?」

「スイッチがあるならとっくに気づいてるよ。だっていままで何年も調べてきたんだから――じゃあ、どうして起動したの? それに、これ……動くの?」

「え、きみも知らないの?」

「だって起動するかどうかもわかんなかったんだもん――あっ」

「――っ!」

 耳が痛む。貴昭は思わず両手で耳を塞いだ。乙音も顔をしかめ、同じようにしゃがみ込む。まるで耳に鋭利なものを突き立てられているような痛みだった。聞き取れないほど高い金属音のようなものが響き、空気そのものがびりびりとふるえる。その振動は耳を塞いでも和らぐことはなかった。

 なにかが起こっている。貴昭は胸騒ぎのようなものを感じた。なにかが――いままで経験したことがないなにかが起ころうとしている。

 貴昭はヴァルキュライドと呼ばれたロボットを見上げた。ヴァルキュライドは、それでも身じろぎひとつしなかった。なぜ動かないのか――あるいは、なぜ起動したのか。

 背後の扉が開く。白衣を着た男がひとり、倉庫のなかに駆け込んできた。

「お嬢さま! こちらにいらっしゃいましたか――え、その少年は」

「いま説明してるひまはないけど――この音、なんなの? 耳が痛くて」

「わかりません、でも上でとんでもないことが起こってるんです!」

「とんでもないこと? それなら、いまここでも起こってるよ――ヴァルキュライドが起動したの!」

「え、き、起動した?」

 白衣の男はばっとヴァルキュライドを仰ぎ見た。一見、ワイヤに吊されているときと体勢は変わらなかったが、外見は大きく変化している。くすんでいた色は光沢に充ち、ちいさな頭部にはふたつの光が点っていた。

「ほ、本当だ、起動してる――ど、どうやったんです?」

「わかんないの! 突然起動して――上でなにが起こってるって?」

「あ、そ、そうです、上で大変なことが――矢代市の全域に避難指示が出てるんです。われわれは地下にいたせいで気づかなかったんですが、もうほぼ全員が避難しているようで」

「避難? どうして市内全域に避難指示が」

「UFOですよ!」

「は、はあ?」

 乙音は目をぱちくりさせたあと、呆れたようにため息をつき、

「あのね、これ、ふざけられる状況だと思う?」

 白衣の男は慌てて首を振り、

「ふ、ふざけてるんじゃないんですよ! いま、世界中でとんでもない騒ぎになってるんです。世界中のいろんな都市にUFOが降りてきてて――いま、この矢代市にもUFOがきてるんです。それで自衛隊が出て、市内全域避難に」

「きょ、巨大ロボットにUFO襲来だって?」と貴昭は耳の痛みも忘れて叫んだ。「や、やべえ! わくわくが止まらなくて心臓が爆発しそう!」

「勝手に爆発しとけ! あのね、あなたたち男はいつだってそうだけど、いまそんなばかみたいなこと言ってる場合じゃないのよ。まずこの変な音を止めて、それからヴァルキュライドの調査を――」

「でも、お嬢さま、私たちも避難したほうがいいですよ! UFOが攻撃してくるかもしれないし――そうなったらここも崩れるかもしれない。とにかく、一度上に出ましょう。お嬢さまにもしものことがあったら私たちが困ります」

 白衣の男が乙音の腕を掴む。乙音は仕方なくそれについていって、貴昭も自然と後ろから倉庫を出ようとしたが、その前にもう一度、ヴァルキュライドを振り返った。

 その白銀に輝く巨大ロボットは、なぜいま、起動したのか――上空に現れたというUFOとなにか関係があるのか。

 ならば、動くはずだ。

 起動だけして、動かないはずはない。

 貴昭がそう思った瞬間、だらりと下がっていたヴァルキュライドの腕が、わずかに動いた気がした。

「あ――」

 一本一本が人間ほどもある五本の指が、動きを確かめるように握りしめられる。それをもう一度開いたと思った瞬間、ヴァルキュライドは腕をぶんと振り上げた。

「うおっ!」

 ヴァルキュライドの腕が天井を突き破る。クレーンを動かすレールや天井の破片が倉庫のなかに降り注いだ。危うくその下敷きになりそうだったところを、三人は廊下に飛び込んで逃げる。

「ヴァルキュライドが動いた!?」

 凄まじい砂煙だった。細かく砕けたコンクリートが舞い上がり、剥き出しの鉄筋が貴昭の足下まで転がってくる。

「きみ、もっと後ろに下がらないと危ないぞ!」

 白衣の男の声も聞こえず、貴昭はただ、倉庫と廊下の境目に立ってヴァルキュライドを見上げていた。

 ヴァルキュライドもまた、天井の破片を受けてなお傷ひとつつかず、空を仰いでいる。

 奇妙な感覚だった。貴昭は、ヴァルキュライドが見ている景色が見える気がした。天井は完全に崩れている。その向こうに、空がある。それが見える。

 本当なら夜空のはずだった。しかし外は明るい。上空に浮かんでいる〈それ〉が光を放っているのだ。

 ヴァルキュライドは長く眠っていたとは思えない動きで飛び上がった。数十メートルの高さまで一気に飛び上がり、着地。あたりはどこか工場の一角のようだった。この場所を知っている、と貴昭は思う。学校の近くにある工場だ。ここは地下倉庫だと思っていたが、どうやら上半分は地上に出ていて、それで何十メートルという天井の高さを確保していたらしい。

 ヴァルキュライドは光のなかに立つ。

 空には雲があった。分厚い雲だったが、それが丸く切り取られている。まるでトンネルのような雲のすぐ下に〈それ〉が浮かんでいた。

 流線型の、一見戦闘機のようにも見える物体だった。

 全長は十メートルあまり。幅はあまりなく、翼もちいさい。全体がなめらかな白銀で、水銀で形成されているかのような物体だった。

 それがエンジン音も立てず、ただ空中に浮かんでいる。貴昭はそれを見る。見る、としか言えない感覚だった。自分の視覚はもちろん別にある。倉庫のなかから崩れた天井を見上げている視点。それに重なって、もうひとつ視界がある。目を閉じると自分の視界は暗くなり、もうひとつの視界だけがはっきり見えた。

 ヴァルキュライドは工場に立ち、空中に浮かぶ〈それ〉をまっすぐに見ていた。

 〈それ〉がヴァルキュライドに気づいているかどうかはわからない。ただ、耳が痛むような音が〈それ〉から発せられていることはわかる。なぜだか、直感的にそう感じられるのだ。理屈はわからない。理由もつけられないが、感じられるものを遮断することはできなかった。

 〈それ〉は目に見えないほど細かく振動しているようだった。その振動が空気を揺るがし、凄まじい大音響を生み出している。

 しかし〈それ〉の目的が超高音を響かせることではないのは明らかだった。

 ヴァルキュライドはぐるりと町を見回した。町はしずかだった。しかし生命の存在は感じられる。まず、いちばん近い場所として、足下の地下に三人。同じく地下にもう三人、散らばっている。

 地上には、比較的近い場所には人間の存在は感じなかった。それ以外の動物は、まだ町に多くいる。犬、猫、ネズミ、昆虫。その存在が振動として伝わってくる。生物が呼吸し、あるいは脈打つその振動が直接感じられた。

 同時に、この町を襲っている細かな超振動も、ヴァルキュライドははっきりと感じていた。凄まじい高音はその副産物として放たれているものだ。〈それ〉は空気を細かく振動させることによって町を破壊しようとしていた。

 実際に〈それ〉の近くにある建物は、直接触れられているわけでもないのに内部から崩壊を起こしはじめている。細かな振動がコンクリートを砕き、やがて自重に耐えられなくなって、六階建てのビルが轟音と振動を立てて崩壊した。ほかの建物もそれと似たような被害状況にある。

 この町はいま、未知の飛行体から攻撃を受けているのだ。

 貴昭はヴァルキュライドを通し、それを理解していた。

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