Episode 01 /4

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「な、なんだ、これ……?」

 新嶋貴昭は白い光で照らされた階段を降りながら、何度も呟いた。

 考えられないことが起こっているようだった。

 貴昭はつい数分前まで学校にいて、その北階段一階にずっと壁だと思っていた隠し扉を見つけ、その奥に進んで――そのときはせいぜいちょっとした部屋があるくらいだろうと思っていたのだが、隠し扉の向こうに続いていたのは、地下へ続く細長い階段だった。

 階段も壁もコンクリートが剥き出しになっているが、天井の照明は明るく、足下に不安はなかった。しかし急角度の階段を降りていくに従い、まるで異界へ降りていくような気分になってくる。

 こんな階段、いつの間に作られたんだろう。だれかが独力で作れるようなものではない。しっかりした工事をしなければならないだろうが、だとしたら新しい校舎ができたとき、すでにこの階段もいっしょに作られていたのか。そうとしか考えられないが、でも、じゃあいったいだれがなんのために校舎といっしょにこんな階段を作ったのか――。

「……ひ、引き返したほうがいいかな?」

 思わず立ち止まる。入り口は、まだ上に見えていた。その扉が自動で閉じないように靴を挟んだままにしてあるから、いまならまだ出られる。そのほうがいい、と理性は言っていて、しかし好奇心はそれは理性ではなく臆病だと断言していた。結局、貴昭はまた階段を降りはじめる。

 スマートフォンの画面では、電波が弱くなっていくのがわかる。それだけ地下の深い場所に入っていくということだった。

 長い階段だった。しかしまっすぐ降りている階段だから、終わりは見えている。銀色の扉が階段の先にはあり、それ以外にはどこにも通じていなかったから、先行してここへ入ったはずのセーラー服の人影は間違いなく扉の向こうへ進んだにちがいない。

 貴昭もやがて扉までたどり着いた。どうしようか迷った挙句、丸いノブを握り、ひねる。鍵はかかっていなかった。くそう、なんで鍵かけてないんだよ、隠し扉のくせに不用心な、と八つ当たりしつつ、扉を細く開けた。

 階段は明るかったが、その先の部屋だか廊下だかも明るい。それをたしかめ、さらに扉を開け、顔だけ出した。

「うお――」

 なぞの階段の次は、なぞの廊下だった。

 左右に、長い廊下が延びている。廊下はわずかに湾曲し、直線ではなかった。白い壁に白い天井。床はリノリウムかなにかで、病院か、どこかの研究所を思わせるような雰囲気だった。

 真向かいに扉がひとつある。扉には「B3」の文字。意味はわからなかった。人気はなく、耳を澄ませても足音も聞こえない。

 進むか、戻るか。

 その二択になったとき、自分がどちらを選択しがちなのかは貴昭も自覚していた。びびりのくせに、こういうときだけ引き返せないんだよな、心のなかで愚痴る。もうちょっと危機管理能力が高ければ、人生うまくいった気がする。あのとき、去年の秋に怪我をしたときも、無理に突っ込んでいくような状況でもなかったのに、なまじボールに届きそうだったから突っ込んで――あのときも退くという選択肢はあった。しかしそんなことはこの先いくらでもあるだろうとも思う。

 進むか、戻るか。その度に戻っていては、どこにも行けない。

 貴昭は扉を開け、するりと廊下へ出た。ノブをひねりながら扉を閉める。最初から鍵はかかっていなかったから、自動的にロックされる仕組みでもないだろう。入ってきた扉には「C1」の文字。やはり意味はわからなかったが、その暗号めいた表記がいよいよ怪しい。

 まさか、悪の組織の秘密基地ではないか。あり得る、と貴昭は自分でうなずく。学校の地下にある、というのもなんだかそれらしいし。戦隊ものの悪役のようなものが本当に実在するなら、こういう基地を作っていてもおかしくはない。

 貴昭はすこし迷い、向かって右の廊下に進んだ。

 先にここへたどり着いたはずのセーラー服の人影はどこにも見えなかった。廊下の途中にいくつかある扉に入ったのか、それとも廊下を左に進んだのか。

 緩やかに湾曲する廊下を歩いていると、前方でかすかにひとの気配を感じ、壁に背をつけて立ち止まる。

 ぴ、と電子音のようなものが聞こえた。そして、しゅ、と空気が抜けるような音。貴昭は壁に背中を当てたまま、ゆっくりと廊下を進んだ。

 前方に、なにかがある。大きな扉のようだった。突き当たりの壁全体が大きな扉になっていて、それがいま、左右に開いている。

 扉の前に人影があった。明るい場所で見ると、よりはっきりわかる。黒いセーラー服を着た後ろ姿。黒髪は背中まで長く、どちらかというと小柄で、この研究所のような場所には似つかわしくない後ろ姿でもあった。

 その人影が、開いた扉の奥に進む。貴昭もあとを追うように廊下を進んだ。

 扉は人影がなかに入ってもしばらく開いたままだった。どうやら向こうは広い空間のようで、貴昭は扉の陰にするりと身を潜めてなかを窺った。

「――え?」

 一瞬、目の錯覚かと思う。

 扉の向こうは想像していたよりもはるかに広い空間だった。

 奥行きは何十メートルもあり、天井もまた同様に高い。体育館が丸ごとひとつ収められそうな、異常に広い倉庫のような場所で、その広さ自体にも驚いたが、なによりもその広々とした空間の大部分を占めているものに、貴昭は無意識のうちに驚きの声を漏らしていた。

 ひとだ。

 ひとの形をしたなにかだった。

 しかしサイズが巨大すぎる。高さ十メートル以上ある、人型のロボット。

 それが天井からクレーンでつり下げられ、巨大な空間の中央に浮かんでいた。

 人間など簡単に踏みつぶせそうな巨大な足は、全長のわりには細く、長い。両手もまた細長く、胴体も痩せていた。ずっと見上げてはじめて視界に収められる頭部は丸く、ちいさい。首のようなものはなかった。

 そもそもそのロボットのようなものには関節がない。

 全体がくすんだ白銀色で、まるで一枚の鉄板を伸ばして作られたように、身体のどこにも関節や継ぎ目のようなものはなかった。

 なぞの地下施設に、異様な巨大ロボット――貴昭は口をぱくぱくさせ、そこに忍び込んだのだという事実も忘れ、思わず叫んだ。

「な、なんじゃこりゃああ!」

「きゃああっ!」

 大声で叫んだ貴昭に、すこし前方に立っていたセーラー服の人影が悲鳴を上げて振り返った。どうやらすぐ後ろに他人がいるとは思っていなかったらしいが、貴昭もそんなことにかまっていられるほど余裕はなかった。

 なにしろ、巨大ロボットなのだ。

 それがいま、目の前に存在している。宙からつり下げられている、という若干情けない姿ではあるものの、全長二十メートル近い巨大な人型ロボットが、いま目の前にあるのだ。

 貴昭はぐっと拳を握りしめ、ロボットを見上げて吠えた。

「すっげええ! きょ、きょきょきょ、きょきょきょ巨大ロボットだ! か、かっけえ! うおおお!」

「な、なになに!? あなただれ!?」

「う、動く? もしかしてこれ、動いちゃう? 歩いたり飛んだりしちゃったりしちゃう? うおおお、燃える! 心のなかの少年が燃えている!」

「うるさい! ちょっと、こっちのこと無視しないでよ!」

 セーラー服の少女は、つかつかと貴昭に歩み寄り、びしっと人差し指を立てた。

「これはあたしの! そもそもあなただれ? っていうか、どっから入ったの?」

「え、も、もしや、きみがこのロボットのパイロット? す、すげえ、握手してください」

「あ、握手? ま、まあ、別に、いいけど――って仲良く握手してる場合かあ!」

「よかったらサインも。あ、でもなんも持ってねえけど――シャツの背中にでも書いて! あと、貴昭くんへっていうのも忘れずに!」

「だからヒーローショーのファンサービスじゃないってば! テンション上がりすぎでしょ、だれだか知らないけど!」

「いやそりゃ上がるだろ! 巨大ロボットだぜ!? 全世界の少年の夢といっても過言ではない、巨大ロボットが目の前にあるんだぜ! そりゃテンションも爆発するさ!」

 う、と少女は身を引く。

「と、とにかく、どうでもいいけど、ここ、立ち入り禁止なんだから、早く出ていってよ。っていうかだれにもここのこと言っちゃだめだからね」

「えー、いいじゃん、もうちょっと見させてくれよ――って、あれ?」

「う――な、なに?」

 貴昭はいまようやく気づいたように目の前の少女をじっと見つめた。

 長い黒髪に、私立第六英賢学院の制服である黒のセーラー服。大きな目に、きゅっと閉じた桜色の唇。

 どこかで見覚えがある顔だった。どこだったか、と首をひねる。そう遠い昔ではない。どちらかといえば最近、見たような。

「……もしかして、このあいだコンビニの十八禁雑誌ゾーンで立ち読みしてた?」

「してない! 完全に人違い!」

「あれ、そうか、そうだよな……あ!」

 思い出した。

 いままでに何度か、見たことがある。学校で、それもすれ違う程度ではなく、全校朝礼のときに――。

「もしかして、生徒会長さん?」

 少女は大きな目で瞬きをしたあと、きゅっと襟を正した。

「まあね。生徒会長の鮫崎乙音ですけど」

「やっぱりな! そうかそうか、生徒会長がロボットのパイロットだったのか……ええっ、生徒会長がロボットのパイロット!? なにそれ超すげえ!」

「ああもううるさい! あたしパイロットじゃないし!」

「え……ちがうの?」

「がっかりしない! そもそも、あなた、どうやってここにきたのよ」

「いや、それは」

 貴昭はばつが悪そうに頭を掻いて、

「幽霊を追いかけてたら、ここに」

「幽霊?」

「噂だよ。北階段に女の幽霊が出るって噂があったんだ。それを確かめにきて、きみがここに入っていくのを見た。で、あとからついてきたってわけ」

「う……やっぱり、だれかいたんだ。だれかいるような気はしたけど、気のせいかと思ったのに」

 はあ、と鮫崎乙音はため息をつき、それからどうしようもないというように首を振った。

「ここ、秘密なんだから、だれにも言わないでよ」

「わかってるよ、言わないって。なあ、ロボット、近くで見ていい?」

「お好きにどーぞ」

「わあ、すげえ!」

 ぱたぱたと駆け寄り、つり下げられているロボットの足下に立つ。ロボットは、天井のクレーンと強固なワイヤで釣られていたが、足は床に着いていた。その足の裏だけでも二メートルほどはあり、そこから見上げるとくすんだ白銀のロボットはビルのように巨大だった。

 白銀の装甲に顔を近づける。表面はなめらかだが、光沢はなかった。しかしよく見るとなめらかな表面の奥にもう一層、淡い青色の層があるように見える。それがくすんだ白銀に独特な色彩を加えているようだった。

「これ、動くの?」

「動かないよ。見た目どおりのロボットかどうかもわからないし」

「え、どういうこと?」

「それはうちの会社が――」

 乙音の声を遮るように、地下施設に振動が走った。

「わっ、なんだ――」

 直下型地震のような縦に感じる振動だった。ずんと地面が揺れ、壁や天井のコンクリートが軋む。それに驚いた乙音が足下にあった貨物を移動させるためのレールに躓く。とっさに貴昭はそれを受け止めたが、バランスを崩し、手を伸ばした。

 その手のひらが、偶然に白銀のロボットの装甲に触れた。

「――っ!」

 貴昭は炎に触れたような熱さを手のひらに感じ、慌てて腕を引く。そのまま乙音の下敷きになるように倒れた。

「いたた――わ、ごめん」と乙音は飛び起きて、「どこか怪我した?」

「いや――手が――」

 倒れたまま、貴昭は手のひらを見た。なにか強烈に熱いものに触れた気がしたが、手のひらには跡も残っていなかった。

 いったいなにに触れたのか。倒れた位置から考えて、ロボットの装甲に触れたとしか思えない。貴昭はゆっくり起き上がり、ロボットを見る。

 くすんだ白銀のロボットは、変わらず天井からつり下げられていた。しかしその表面に変化が起こっていた。

「え――なに、これ」

 乙音が呆然と呟く。

 白銀の装甲の表面が波打っているように見えた。しかし実際に形状が変化しているのではない。表面の色が変化しているのだ。

 足下のほうから、波紋のように変化が広がっていく。くすんでいたのが、輝くような白銀に変わっていく。足下から光沢を取り戻していく様子は、そのままロボットが息を吹き返しているかのように見えた。

 ロボットの全体が光沢を取り戻す。乙音は後ずさり、信じられないというように首を振った。

「ヴァルキュライドが――起動した?」

 ロボットのちいさな頭部にふたつの光が点っていた。両目のようなその光はロボットの表面を素早く移動し、足下まで到達して、貴昭を見る。見られている、と貴昭は感じた。

 光がふと消える。同時に、再び大きな揺れ。天井が大きく軋んだかと思うと、ロボットをつり下げていた太いワイヤが、ぶつんと大きな音を立ててちぎれ飛んだ。

 ずんと地面が沈むような感覚。しかしロボットは倒れなかった。二本の足で自立し、貴昭と乙音を見下ろしている。

「間違いないわ――」

 乙音は恐れを感じるように下がって、言った。

「ヴァルキュライドが、動き出した」



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