Episode 01 /3

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 私立第六英賢学院三年、そしてオカルト研究会の会長でもある高橋は、個別指導の塾でシャーペンを握りながらぼんやりと時計を眺めていた。

 時間は八時すぎ。いまごろ、貴昭は学校に潜入しているにちがいない。なにかとぶつぶつ言いつつもちゃんとやるのがあの男の性格なのだ。それとも、もう幽霊は見つからないと諦めて帰っているか。もし帰っているなら連絡がきてもよさそうなものだが、とスマートフォンを確認するが、着信はなかった。ということはまだ学校にいるのか。

 本当に幽霊を見つけたのかもな、と高橋はひとりで笑う。それを塾の講師に見られそうになり、慌ててうつむいた。

 本当に幽霊を見つけた、か。あり得る。あいつ、なんかそういう運があるのかないのかわからんところがあるしなあ。本人は幽霊なんて見つけたくないだろうが、偶然それを発見してしまうことはあるかもしれない。

 だとしたら明日のオカルト研究会の活動はおもしろくなりそうだ、と高橋はうつむいたままほくそ笑んだが、ふと顔を上げた。

 不意にサイレンが聞こえたのだ。

 パトカーや救急車ではない。いままで一度も聞いたことがない、わざと不協和音として作ったような電子音。そのサイレンが、町中に響き渡る大音響で鳴っている。

「どうした、なんだ?」

 講師も驚いたように立ち上がり、窓に近づいた。閉め切られている窓を開けると、サイレンはよりはっきり聞こえるようになる――町の無線が、サイレンを鳴らしているのだ。

 高橋は耳をつんざく不協和音に不安を覚える。そのように作られた音だった。なにかが起こる、それも重大ななにかが――。

『住民のみなさま――』

 サイレンがぴたりと途切れたかと思うと、無線から声が響いた。

『こちらは矢代市です。これは訓練ではありません。これから大きな地震が発生する可能性があります。屋内の方は外へ避難してください。繰り返します。これは訓練ではありません。全員、避難してください――』



  *



 陸上自衛隊所属、沼田二佐は、住民の避難のために数十台の車両が近隣の町とのあいだを行き来する様子を眺めながら、まるで戦争でもはじまったようだと感じていた。

 住民の避難は、想像していたよりはスムーズに進んでいた。もちろん、ちいさな混乱はそこかしこで起こっている。避難のためになにを持っていくだとか、ペットはどうするだとか――車の事故や渋滞も多発していた。

 自衛隊は、荷物は一切持たさず、また自家用車での禁じ、輸送トラックによる身ひとつの避難を進めていた。そうでなければ町ひとつを空にすることはできない。時間はもうあまり残されてはいなかった。しかしなぜ時間がないのか、沼田は聞かされてはいなかった。

 沼田は、重大な問題が発生した、それによって市内全域の避難が必要である、速やかに避難を完了させるように、とだけ命令を受けていた。地元の警察も協力し、避難はすぐにはじめられたが、なぜ避難しなければならないのか、その理由はまだ聞かされていないままだった。

 住民には地震がくるということになっている。しかしそれを信じている住民はそれほど多くないだろうと沼田は思う。避難指示が出てから、そろそろ一時間が過ぎようとしていた。それだけ過ぎてもまだ地震がきていない以上、地震による避難ではないと考えるほうが多いだろう。

 上が言う、重大な問題とはなんだろう。不発弾のようなものか。戦争から何十年と経っても、町中から不発弾が発見されることはそれほど珍しくない。しかし市内全域が避難対象になるというのは、ただの不発弾処理では広すぎる。それに処理班が呼ばれたという話も聞かなかった。

 では、どうして矢代市を空にしなければならないのか。それも偽りの理由を言ってまで急がせる理由は。

「沼田隊長、市内南部の避難、完了しました」

「了解した。ほかの地区の手伝いに回ってくれ」

「はっ――」

「隊長、西部の避難も大部分で完了しました」

「残っている住民がいないか、時間の限りたしかめろ。一軒一軒、調べてまわるんだ。とくにお年寄りが暮らしている世帯は注意して、だれひとりとして残さないように徹底するんだ」

 部下たちが駆けていく。それと入れ替わりに一台の自衛隊車両が近づき、沼田の後方で停車した。振り返ると、ちょうどひとりの男が助手席から降りてくる。自衛隊の服ではなく、スーツを着た男。

「これはこれは」

 沼田は軽く肩をすくめる。

「澁谷二佐ではありませんか。そのようなスーツで現場にいらっしゃるとは」

「嫌みだな、沼田」と澁谷二等空佐は苦笑いして、「ま、この格好できたおれも悪いが」

「仕方ないだろう。いまは出向している身だ。迷彩よりスーツのほうが似合う」

「それもまた皮肉か。変わらないな、おまえは」

「おれが嫌みや皮肉を言うのはおまえくらいのものだ――で、どうした? 避難状況を確認にきたのか」

「避難は間に合いそうか」

「リミットがわからんのでは間に合う、間に合わんという話にもならん。南部と西部はほぼ完了した。東部と北部に関しても八割は完了している。しかしなにしろ市民全員を避難させるんだ。近隣での受け入れはもちろん、移動させるだけでも大変だ。まるで民族の大移動だよ。それも、この場にいるだれひとりとしてその理由を知らないとは」

「おれがきたのはそのためだ。おまえに理由を教えておこうと思ってな。まだ機密だが、もう数十分のうちに抑えられなくなる」

「機密? それはまた、物騒な話だな」

 沼田は防衛大時代に同期だった男の顔を見る。所属する部署はちがうが、年に一度は顔を合わせ、とりとめもない話をする仲だった。去年から澁谷が防衛省に出向するという話は聞いていたが、具体的にそれがなんのためなのかはわからない。お互い、自衛隊に属する者同士、自分が知るべきこととそうでないことのちがいは理解していた。

「なにかが公表されるのか?」

「公表じゃない。だれもがそれを目の当たりにするんだよ」

「……どういうことだ?」

「この避難は、いままで想定されていたあらゆる展開ともちがう理由によって成されている。避難を円滑に進めるため、地震だということになっているが、そうでないことはおまえもわかるだろう」

「ああ……不発弾か、あるいは他国の軍事的な動きに反応しているのかとも思っていたが」

「それは想定の範囲内の出来事だ。たとえば、いまこの瞬間、東京にミサイルが撃ち込まれるという可能性でさえ、われわれは想定して検討してきた。しかしこれはまったくちがうんだ。いままでだれも真剣に考えたことがなかった可能性が、現実に起ころうとしている」

「ずいぶんもったいぶるな。なにが起こるんだ?」

「簡単に言えば、宇宙人の襲撃さ」

 澁谷は低く笑った。冗談を言って笑ったのではない。冗談のような真実を言わざるを得ないことに自嘲するような澁谷の態度だった。

「宇宙人の襲撃? それは……言葉どおりの意味なのか?」

「もちろん、比喩じゃない。比喩ならよかったがな。言葉どおり、地球外文明のものが、この町に攻めてくる。ま、本当に攻めてくるのかどうかはわからん。しかしなにかがここを目指しているらしいというのは本当だ。攻めるつもりか、それともわれわれを救済してくれるのか――なんにせよ、この町が目標である以上、住民を速やかに避難させる必要があった」

「地球外文明――信じられないな。そんなものが実在するなんて」

「われわれも信じたくなかったよ。数日前からわかっていたんだ。どうもそいつらは月からきたらしい。世界中の天文学者がそれに気づいた。で、あっという間にそいつらは地球までやってきた。目的はわからん。コンタクトも取れない。ただ、そいつらが今日になって大気圏へ入ってきた」

「ここが目標になっているという根拠は?」

「推測だよ。一時間前、ブラジルのある町にそいつが降りてきた。その落下軌道から、別の対象物の落下地点を推測したんだ。もちろん外れる可能性はある。隕石ならともかく、向こうも自律した航空機のようなものだからな。大気圏内で大幅に移動する可能性もあるが、しかしいまいちばん確率が高いのは、ここだ。いまから二時間前、ここを目標にしていると考えられる対象物が大気圏に突入した。その後減速して落下しているはずだが、もう十分かそこらでこの真上にくる。予測が正しければ、だが」

 予測が外れればどうなるか、とは沼田も聞かなかった。予測が不可能だとしても、もっとも確率が高い場所を避難区域に指定することは決して間違いではない。だれも避難させなければどの可能性が選ばれてもだれも救えないが、どこかを避難区域にしていれば、何十分かの一、あるいはもっと低い確率にせよ、だれかを救える可能性が生まれる。

「月からきたと言ったが、じゃあ、月には生物が、宇宙船を飛ばして地球までこられるような生物がいたのか?」

「わからん。すくなくとも月の表面にそんな痕跡はなかったはずだ。あるとすれば、地下だろう。月の内部にいたのかもしれん。月とは無関係とも考えられる。われわれが発見したタイミングが、偶然に月の付近を通過しているときだった可能性もある。まあ、連中がどこからきたのかは、あとで学者先生に考えてもらおう。われわれが考えることは別にある」

「隊長――」

 駆け寄ってきた部下が澁谷を見て一瞬ためらった。沼田がうなずくと、報告をはじめる。

「市内全域の避難がほぼ完了しました」

「了解した。避難が完了した場所から隊員にも撤退命令を出す。だれひとり市内には残すな」

「了解」

「なんとか避難は間に合ったようだな」

 澁谷は頭上を見上げた。

「危ういタイミングだった――きたぞ、沼田」

 沼田も空を仰ぐ。町に蓋をするような曇り空だった。しかしその分厚い雲の向こうに、なにかがいる。不気味な光が雲を照らし、その光は町にも漏れ出していた。

「――っ」

 不意に沼田は強い耳鳴りを感じた。鼓膜を針で刺すような超高音に、頭蓋骨がみしりと軋む。となりでは澁谷も、すこし離れた部下たちも同じように耳を押さえ、苦悶の表情を浮かべた。

「なんだ、これは――」

 空気が振動しているのだ、と沼田は感じる。非常に細かく空気が振動している。耳だけでなく、腕や頬にも静電気のような振動を感じた。

 沼田は一度うつむいた顔を再び空に向けた。光が強まっている。雲の向こうにちいさな太陽でも昇っているような白い光だった。雲が透け、光が無数の筋になって夜の町に、無人になった町に降り注ぐ。

 次の瞬間、雲がぱっと弾けた。

 分厚い雲にナイフで切り出したような円形の穴が空いた。それは一瞬の出来事で、沼田はほとんど感動か畏れを覚えて空を見上げていた。

 雲に空いた穴から、一機の航空機のようなものがしずかに降りてくる。

 ヘリコプターのような垂直機動だった。まばゆい光がその航空機から発せられ、直視がむずかしい。沼田は目を細め、静かすぎると感じた。エンジン音のようなものがまったく聞こえない。あれが航空機であるなら轟音を響かせながら降りてくるはずなのに、まったくなんの音も立てず、それは雲に空いた穴を通って優雅とさえいえる速度で降下していた。

 地球外文明。沼田は実感をもって理解した。たしかにあれは、地球上のいかなる文明の産物でもあるまい――まるで。

 まるで、地球の人間たちを裁きに降り立った神のようだった。

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