兄と弟


 ジェズアルドの結界が弱まり、皆が動けるようになった。アーサーが先頭に立ち、リヴェル達が居るであろう庭園へと急ぐ。

 夜風に運ばれる血の臭いに、胸がざわつく。


 そして、アーサー達はおぞましい光景を目にした。


「なっ、グール⁉ こんな場所にまで居るんすか!」


 シダレが悲鳴じみた声を上げる。行く手を阻むように佇むグールの群れ。その数、約三十体。

 これまで連戦続きのアーサー達にとって、かなり厳しい状況だ。だが、遠回りする余裕はない。


「シダレは下がって、私が斬り伏せるわ」

「アーサー、隙を見て先に行け」


 サヤとルシアが前に躍り出る。サヤだけではなく、ルシアの表情も疲労の色が濃い。いくらこの二人でも、斬り抜けるのは難しいかもしれない。

 何か、策はないか。アーサーが辺りを見回した、その時だ。


「ッ、二人とも下がれ!!」


 アーサーの声に、サヤとルシアが後ろに下がった。刹那、凄まじい深紅の斬撃が襲い掛かった。

 アーサー達に、ではなく。


「……今のは、まさか」

「見て、あそこ!」


 サヤが指さす方に目を向ける。数が減ったことで出来たグール達の隙間から、それは見えた。

 力なく座り込むリヴェルと、彼を庇おうとしたであろうジェズアルド。


 そして、まるで二人を庇うように立ち、血を流しながらもグール達に向かって大鎌を構えるカインの姿が。


「なぜ……なぜ、ですかカイン……我らが真祖……どうして、邪魔をするのですか……」


 群れの先頭に居る、ひと際大きいグールが呻くように言った。頭部に紅い髪が残っているところを見るに、元から吸血鬼だったのだろう。

 それも、カインの血族。言語を操っているが、淡々とした喋り方は機械のようで。そこに自我が残っているのかどうかはわからない。


「その二人は、あなたを害する者……それなのになぜ、庇うのですか……」


 先頭のグールが問う。そう、群れはアーサー達のことなど見ていない。彼らは救いを求めて、真祖を探していたのだろう。

 そして、カインを殺す力を持つ二人を排除しようと攻撃した。


 それなのに、カインは身を呈して二人を護ったのだ。


「私、は」

「その男は、あなたが求めるものを全て奪った男。どうして助けるのですか」

「それは……」


 不意に、カインとアーサーの目が合う。アーサー達が居ることにやっと気が付いたのか、驚いた顔をしている。

 そんなカインに、アーサーは笑いかけた。昔のように。上手く笑えているかわからない。泣きそうな顔になっているかもしれない。

 でも、お互いようやくここまで来れたのだ。


「言ってしまえ、カイン。お前が星に託せなかった願いを」


 この声が、届いたかどうかはわからない。

 それでも、カインは前を向いた。


「私は……真祖である以前に、兄……だから」


 そして、本当に不器用な彼らしく、不格好な言葉を紡ぐ。


「私は、アベルの兄だ。もう、間違わない。兄は、弟を護るものだ」

「あなた、何を言って――」

「わかっている。間違いを取り消すことは出来ない。だから、全ての罪は真祖である私が貰い受ける」


 カインの前に浮かび上がる、真紅の魔法陣。眩い光を放つそれは、まるで生命を失っていくかのように徐々に鮮明さを無くしていく。

 そして、燃え尽きた消し炭のようになった魔法陣に、カインが大鎌を振り上げる。


「自由になるといい、我が血族達。


 カインの大鎌が、魔法陣を斬り刻む。グールじゃなくてもわかった。彼らは救われた。

 これが、『解放する』というその言葉こそがグールの呪縛を解き、これが彷徨える屍を永遠に眠らせる最善の方法だったのだ。

 慈悲深くも、悲しみに満ちた別れ。自分が傷を負うことよりも、他者との繋がりを失うことを何よりも恐れているカインが、どれだけ胸を痛めているのか。

 アーサーには、想像することしか出来ない。


「ああ、カイン……あなたは本当に、愚かな人だ……」


 崩れるように、一瞬で灰と化すグール達。そこに苦痛はなく、あるのは安らぎだけ。

 アーサー達が手を下すよりも、ずっと安らかで救いがある最期を迎えられたようだ。


「……大丈夫ですか、リヴェルくん」

「う、うん」


 訪れた静寂の中で、最初に口を開いたのはジェズアルドだった。リヴェルに怪我がないことを確認すると、軽く頭を撫でてから、ゆっくりと立ち上がる。

 そして、凍てつくような殺意を剥き出しにしながらカインを睨んだ。


「あなた、本当に生き汚いですね。今更兄ぶったところで、僕があなたを許すとでも?」

「ち、近づくなアベル!」


 ジェズアルドに向かって、カインが大鎌を振りかざす。しかし脅すというよりは、必死に距離を保ちたいだけのように見える。

 今の彼に、先日のような覇気はない。


「そ、そこの黒髪のダンピール」

「ん? 俺のことか?」

「今すぐ私を殺してください!」


 きょろきょろと辺りを見回したカインが、ルシアを見つけるなり妙な要求をしてきた。

 これには、流石のルシアも困惑している。


「お願いします、殺し方は何でもいいので。私は自死が出来ない呪いを受けているので、自分ではどうやっても死ねないのです」

「……お望み通りにしてやりたいところだが、貴様の弟に後でネチネチ文句を言われても面倒だ。死にたいなら一番殺したがってるそこのクソジジイに介錯して貰え」

「僕、さり気なくディスられてませんか?」

「それでは駄目なんです! 私は、アベルに殺されるわけにはいかない。これ以上アベルから奪うわけにはいかない」

「あのー、旦那……あの人は一体何を言ってるんですか? 殺せって言ったり、殺されるわけにはいかないって言ったり」


 シダレがアーサーの傍に寄ってきて、怪訝そうにカインを見やる。

 確かに、カインが言っていることは支離滅裂だ。カインの真意を知っているアーサーにも、彼が何を言いたいのかわからない。


「ねえ、カイン。アンタって、吸血鬼になる前は農家さんだったんだろ?」

「え?」

「り、リヴェル!」


 いつの間にか、リヴェルがカインの鎌の内側にひょこっと入り込んでいた。サヤが慌てるが、カインにリヴェルを害する様子はない。


「ええっと、まあ……そうですね」

「それで、アベルが羊を育てていた」

「はい」

「それなら、アンタは生き物の殺し方を知ったのはいつだ?」

「アベルを殺してしまった時です。まさか人がナイフを刺した程度で死ぬような、脆い作りだとは思いませんでした」

「…………は?」


 唖然。ジェズアルドだけじゃない、リヴェルとカイン以外の全員が同じ反応をしていた。


「でも、アベルが羊を飼ってたのなら、肉とか骨とかは見たことあっただろ」

「いいえ。神に与えられた役割を忠実にこなすことが、我々の存在意義でした。スープに入っていた状態のものは見ていたので、生物は皮を剥がれて細切れにしないと死なないものなのかと思っていました」


 ……頭痛がしてきた。カインは昔から何かと世間知らずではあるが……いや、改めて考えてみると腑に落ちるかもしれない。

 カインとアベルの役目は神に与えられた絶対のもの。だから彼らは、たとえ兄弟であってもお互いの役割を超えるようなことはなかった。

 言い換えれば、農作物しか育てていなかったカインが、生き物がどうすれば死ぬのかを知る機会など無かった。そもそもカインは目の前の仕事に黙々と専念するタイプだ。

 自分の役割以外のことなど、眼中になかったのかもしれない。


「……そういえば、最近の子供は加工された肉や魚しか知らないから、生まれた瞬間から三枚に下ろされた姿で生きてると思ってるらしいって話を聞いたことがあるわ」

「マジっすか、捕まえた瞬間食べられる魚とか実在したらすげー便利っすね」


 そう、信じられないがそれが現実である。人は本来とても無知な生き物だ。今でこそ学校や日常生活の中で毎日のように知識を学べるが、学ばなければいつまでも無知なまま。

 だから、カインはアベルをナイフで刺した。


 


「私は無知でした。作物を育てることしか知りませんでした。弟は常に傍に存在するものだと思っていました。ナイフで刺したら死ぬなんて思いませんでした。死んだら二度と目を覚まさないなんて……考えも、しなかった」


 カインの声が震える。言ってしまえば、彼の所業はケンカをした時に怒りに我を忘れて相手を殴ったり暴言を吐いたりすることと同じだったのだ。

 もちろん、知らなかったとはいえ、弟を殺した彼の罪が重いことに変わりはない。


「死んだら、二度と会えないなんて思わなかった。朝になったら謝るつもりだった。それなのにアベル、お前は目を覚まさなかった。神にお前を奪われた時に、ようやく死とは取り返しのつかないことだと知った。私は後悔した、お前を殺してしまったことを。謝りたかった、屈辱のあまりに我を忘れ、酷い言葉を投げつけてしまったことを。でも、それは許されなかった。私は神に見捨てられ、人の生き血を啜る鬼となったが、そんなことよりもお前が傍に居ないことが私には苦痛だった。お前がどれだけ愛おしい存在かを思い知った。独りでいることは辛い。いずれ迎えるであろうこの身の消滅……待ち受ける永遠の孤独は想像するだけで恐ろしいが、それが私に許された唯一の贖罪ならば、私は喜んで受け入れる」


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